学校イジメにおいて8割の生徒が傍観放置するのは
事なかれ主義に基づいた利己的な判断選択によるものであり
結果的には「沈黙の賛同者」になっているため
イジメが一向になくならないのである
ヒトは 怖いと感じる相手には逆らわず 逆らわなかった自分を事後正当化して満足するためのこじつけ(エピソード記憶)をでっち上げて言い逃れが出来ていると勝手に勘違いするのである
情動という大脳辺縁系が勝手に促してくる脳電位に対し その行動バイアスに無意識に流されていても気分的には安心で満足でいることが可能となる
自分の頭で自発的に考え 論理客観的に鑑みて本来社会的責任としての行動を主体的に選択しなくても ヒトは何とも「思わ」ないのである
意識の内の9割を占める情動バイアスによって 1割にも満たない主体的選択可能性が不具にされていても ヒトは「自分には自由意志に基づいて選択をしている」と勘違いすることが可能なのである
原発の危険性が長年放置されたのも 日本大学の組織腐敗が長年放置されたのも プーチン独裁政権の組織腐敗が長年放置され続けたのも ヒトの大半が自分の意思で主体的に物事を判断して行動しなかった「ツケ」が回ってきているからである
ウクライナに軍事支援をいくらしても 戦争そのものがどうして起きるのかについての原因究明にも 再発防止にもならない
軍事支援や経済的制裁というのは「懲罰」に過ぎず 戦争の再発防止にはならない
ソ連がナチスを撃退した功績がある一方で 自国民をも大量に虐殺し ソ連自体も他国への侵攻を幾度もやらかしているのであって ナチス撃退だけを根拠にロシアの正義を振り回しておいて良い理由になどならない
全裸で包丁を振り回している薬物中毒の男に対し 拳銃で応戦しても どうして薬物中毒になどなったのかについての原因究明にも再発防止にもならないのである
ウクライナ軍事支援というのは 被害者側に拳銃を供与しているだけであって プーチンがバカになったプロセス過程や構造の究明によって再発防止につながるわけではない
別にプーチンだけが特別にイカれているわけではなく 通り魔やテロリストや薬物中毒患者や日本大学の組織腐敗のようなものは世界中に掃いて棄てる程存在しており それらに対して刑法懲罰だけで「解決」だと勝手に勘違い錯覚していた大衆マスコミによる無為な傍観性こそが バカが発生する根源的原因究明に重大な害を為していたのである
ヒトは「罰で解決」だと主観的に「思って」おけば 気分的には安心満足感が得られるために その安心感という情動(無意識)によって本来論理客観的に社会安全性にとって最も重要な施策を採ってこなかった原因であり 民主主義制度下においては有権者全員にその無責任の罪は存在しているのである
また ヒトは多数でありさえすれば「正常」だと勝手に勘違いし 多数が「罰で解決」だと信じて疑わなければ むしろそれを疑わないことの方が主観的には安心満足であるため 社会安全性にとってより合理的で実効性のある施策の提案については誰も言及も賛同もしてこなかった上に その「罪」については「多数によって薄まっている」と勝手に勘違いしているのである
いうなれば パレスチナやウクライナの戦争被害というのは 彼ら自身も含めて具体的実効性のあるヒトの残虐性や危険性についての検証を誰も自覚認識しようとしなかった精神的怠慢が招いたものでもある
NHKが典型だが 被害者の情報を漏洩しておけば「再発防止だ」などと主張しているが 国会原発事故調査委員会報告書にも 航空機事故の解析情報にも 被害者の個人情報などどこにも掲載されてなどいないのである
以前に人質立てこもり事件が発生した際に 報道記者が警察から要請されて報道機関の腕章を貸したことが報道されたことがあったが これが報道された際に腕章を貸し出した報道機関が「被害者の人命を優先したとは言え 倫理的に問題があった」などと謝罪していたことがある
「人命を優先しない倫理」などというものが 一体どこに存在するというのか 意味が全くわからない
警察の要請に応じて報道管制を敷くこともあり 現場の状況に応じて人命を優先するというのは何ら倫理的瑕疵などどこにもないにも関わらず 衆愚多数から批判されたことに対して その観念的恐怖や罪悪感から根拠のない謝罪を「してしまった」のである
どんなに多数からバッシングされようとも 論理客観的に鑑みて 倫理的に間違っていないのであれば謝罪などするべきではないし どんなに少数であっても たとえ一人しか主張していないとしても 論理客観的に根拠のある批判は無視してはいけないのである
ヒトはどうしても「数の論理」に意識を奪われ その内容に論理客観的根拠や証拠が存在しているかどうかを自分自身の頭で考え判断して行動選択をしないからこそ 間違った行動を採ることに陥るのである
ヒトが「数の論理」に流されてしまうのも それが主観的(無意識)に安心で満足感を与えてしまうという動物的な行動バイアスが原因である
懲罰を優先する方が衆愚からの多数人気は得られるものである それはヒトの祖先の生息環境においては「繁殖の継続」において有利に働いた結果として 短絡的に暴力的威圧による懲罰を優先したがる先天的習性を持った個体種の遺伝子が拡がったという結果である
刑罰に関わらず ヒトがヒトに暴力を振るう根源的原因は 暴力というものが最も短絡的に眼の前の個人的問題を解決するには有利に働くからである
そして ヒトの大半は権威と見なした相手の命令に何の疑問も持たずに唯々諾々と服従することの方が安心な統率的協調性としての「社会性」を発揮することによって 為政者の暴力性を多数で統率協調的に加速増大させて戦争などという苛烈な殺し合いにまで発展させてしまうことに陥るのである
プーチン一人を「悪者」にしておけば 戦争がなくなるわけではない
それはヒトラーが自決しても戦争や独裁政権が一向になくならないことからも明らかである
ポルポトにせよ 東条英機にせよ 原爆投下を指示したトルーマンにせよ 「暴力で解決」しようとするヒトの危険性というものは 全てのヒトが自覚認識しなければならない先天的な認知上の欠陥であり 「自分だけは大丈夫」という正常性バイアスもまた情動という「9割の無意識」に過ぎないのである
NHKも含めて ヒトが運営している限りは「絶対盲目的に信頼できるメディア」など存在しないのである
それは本論も含めてである
だが 論理客観的根拠に基づいて情報の信頼性を評価すべきであって 主観的観念や「信じたい」かどうかだけで盲信したり切り捨てたりするのは典型的な「バカがやらかす判断」というものである
NHKは散々生物学界の遺伝的進化に対する「典型的な間違った」説明を垂れ流しておいて それを一切訂正周知することもせずに論理的に支離滅裂な生物学権威の主張を鵜呑みにして垂れ流しているだけの無責任な組織である
哲学界においてもフリードリヒ:ニーチェだのプラトンだのイマヌエル:カントだのといった論理客観的根拠がなかったり 根拠や基準が曖昧な話を「哲学」として扱っているからといって NHKなどのマスコミ各社は何の疑問も持たずに盲信し 垂れ流し続けるという不誠実なことを続けているのである
意識の9割を占める無意識な情動バイアスが作り出す主観的感覚や印象を 自分の意識の本質だと錯覚しているからこそ デマや嘘や間違いと真実の区別ができなくなってしまうのである
学力成績やIQの基準もそうだが 世の中の評価基準というもののほとんどは 基準そのものを規定した基準や根拠自体があやふやなものが大半である
養老孟司のような言っている内容が支離滅裂な男が どうして未だに「東京大学名誉教授」という肩書を持っていられるのかは知らないが 一旦決まったものをお役所的に維持し続けているだけなのかもしれないだけに 肩書などというものは信頼に価するものではない
「信頼できるメディア」としてマスコミ各社の多数決が基準にされているが マスコミ各社が全部間違うことがない保証もないのである
遺伝的進化というものに目的が存在していないことは論理客観的に証明されているものであって 「偶然だけでバクテリアからヒトへ進化するとは考えられない」といくら主張しても 偶然以外の要因やメカニズムの存在を論証できない以上は「考えられない」のではなく 単なる「思えない」という主観的感想を述べているに過ぎない
科学的に偶然以外の要因を立証できない以上は 「議論の余地」などどこにもないのであり 生物学者共は自分達の実証不能の観念を事後正当化するために「嘘」ではぐらかしているのである
こうした生物学界の不誠実な対応を マスコミ各社は何の疑問も持たずに盲信し続けており バカがバカを盲信しているという集団洗脳状態によって 間違った遺伝的進化の「説明」がいつまでも温存され続けているのである
本当に戦争のない平和な社会を求めるというのであれば 何が真実なのかを各々の個人が見極め判断しなければならない
どんなに強く主観的に「思って」も 論理客観的根拠が伴わないのであれば それは間違いか嘘である
真実かどうかの判断に必要なのは 論理客観的根拠や証拠の積み重ねであって 読者の主観的気分などという「無意識」なバイアスに流されていたのでは真実など闇に葬られるだけである
その結果 誰も望まない結末になったとしても それは私がどうこう出来るようなものではない
「全てを疑え」とは 東大総長の言葉である
「疑う」とは言っても 主観的猜疑心ではなく 論理客観的根拠や証拠が伴った真実なのかどうかを判定する能力が重要だと言っているのである
意識の9割を占める「気分」情動で判断しているから 本質的な意識が全く働かなくなってしまうのである
ヒトとは 所詮 その程度の「知能」しか先天的には持ち合わせていないものなのである
Ende;