東京都で30人
神奈川県で36人
感染確認者数が何となく増えている?
Ende;
ヒトの大半は 自分の主観的感覚こそが意識の本質だと錯覚しているものである
だからこそ ミャンマー政府軍兵士は民衆弾圧も平気で行えるのである
太平洋戦争時の日本軍政府に対して 日本国民の大半が服従忖度迎合同調したのも 自分の主観的感覚が常に正しいものであるという錯覚によって無謀な戦争に突入暴走することを誰も止められなかったのである
ナチス政権下のドイツ人がユダヤ人排斥に加担したのも 当時のドイツ人達だけが特別に異常だったわけではなく ヒト全般に普遍的に見られる先天的な認知的欠陥によって異常行動が促されたのである
振り込め詐欺に騙される被害者は 電話の相手の「言葉遣いが丁寧だった」などという主観的印象に基づいて 相手が本物の警察や裁判所だと錯覚するのである
ヒトの大半は主観的印象でしか物事を判断しようとはしないものである だから真偽の判別が出来ずに嘘やデマに惑わされてしまうのである
人間としての意識の本質とは 「嘘と真実を見分けられること」が大前提である
「嘘と真実の見分け」がつかなくなる最大の原因こそが 主観的印象による「錯覚」であり 「錯覚」を作り出すのが先天的な認知的欠陥である
ヒトの脳の大脳辺縁系は サルやそれ以外の動物と比べても大きな違いはなく 情動行動自体にも大きな差異は存在していない
ヒト以外の動物でもイジメや差別行動は見られ 統率的協調行動による社会形成性も 暴力性や性衝動もほとんど同じである
ヒトでありさえすれば人間性が発揮できるわけではなく 人間性を発揮するためには「嘘と真実を見分けられること」が必要不可欠な能力である
「嘘と真実を見分けられる」能力とは 知能のことであるが 一般衆愚やマスコミの大半はクイズの正解率などの知識の「量」を短絡的に知能だと勘違いしているものである
クイズの正解率が高ければイマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容に論理客観的根拠が伴っていないことに気付けるわけではなく 教えられた内容を教えられた通りに覚えて答えさえすれば学力偏差値やクイズの正解率は稼げるのであり 間違った内容を教え込まれても それが間違いであることに気付く能力は学力偏差値判定には影響を及ぼさない
だが 衆愚の観念的には学力偏差値は知能と等価だと勘違い錯覚されているため 学力偏差値が高いと「自分は頭が良いんだ」と勝手に勘違いすることで 自分の認知的欠陥の存在を自覚しなくなり 簡単に「学力偏差値の高いバカ」になるのである
東大医学部の学生が地下鉄毒ガステロを実行したのも 彼らが「自分達は頭が良いんだ」と勝手に勘違いしていたからである
学力偏差値が高いだけのバカだと 遺伝的進化における「典型的な間違い」には気付くことができず 遠藤秀紀らと それ以外の学術権威の言っている内容に論理的齟齬が存在していても気付くことができず 中村徹や長谷川眞理子や山極寿一や松沢哲郎などの学術権威の「老害」による間違った説明であっても何の疑いも持たずに鵜呑みにし 論理的齟齬が存在しているかどうかすら そもそも興味すら持たないのである
だからNHK高校講座で間違った遺伝的進化の「説明」が垂れ流されてしまうのである
脳すらも持たない植物が「食べられては困るから トゲを発達させた」などという遺伝的進化の「説明」は 科学的には根拠が全くないオカルト妄想である
変異によって葉や毛が柔らかくて食べやすい個体と 少し毛深くて食べづらい個体のバリエーションがあれば 食べにくい個体の方が残りやすく収斂が生じ その中でも更に食べにくい個体への変異があれば どんどん食べにくい個体への収斂が進み 結果的にトゲだらけで多くの動物に食べられにくい個体へと「進化」が促された結果 トゲが発達した個体だけが残ったという「結果」に過ぎない
変異が起きにくく トゲが充分に発達した変異を起こすことができなければ 全て食べられて絶滅(進化の袋小路・失敗)することになる
絶滅した生物は痕跡がほとんど残らないため 進化に失敗して絶滅した生物が一体どれだけ存在していたのかは現存する生物だけ見ても何もわからないのである
現存する生物というのは 過去に膨大な犠牲を伴う「失敗」によって高い恒常性や安定性を獲得した結果として 変異による先天性疾患などはほとんど生じないが 変異自体は個体の都合に関係なく勝手に決まっているものであって 後天的にどんなに困ろうが苦しもうが願おうが祈ろうが呪おうが遺伝的性質には影響を及ぼすことはない
月経による痛みを遺伝的進化によってなくすためには 月経による痛みの少ない個体以外を断種し「品種改良」すれば実現可能であるが 当然個人の人権や公平性は破棄されることになる
タレントの井上咲良は月経が重いらしいが 当然ながら彼女に娘ができれば月経が重い遺伝的性質は受け継がれることになる これは基本的には現状の医学では避けることができない
男のY染色体の崩壊に関しても 構造的に回避不可能な部分であり このままなら数万年後には失われる運命にある
遺伝的進化には個体の後天的都合は影響を及ぼすことはなく あくまで特定環境への適応によって暫定的に繁殖が継続できている状態経過を「生物」と分類しているに過ぎないのである
遺伝的進化というものは あくまで自然現象の「結果」であって 個体の都合に合わせて合理的に進化が促されるような便利なものではない
山極寿一が主張するような「ヒトには人間性が組み込まれているはずだ」などという都合の良い耳当たりの良い話には 科学的根拠が何もないのである
『しないことリスト』などで「pha」とかいう著者が衆愚人気を集めているらしいが 衆愚人気で著作が売れて儲かって世間的に成功しても内容に論理客観的信憑性が保証されているわけではない
読書猿や養老孟司など 衆愚人気に便乗して金儲けのためにマスコミが「大人気」などと評して便乗するパターンは疑ってかかる必要がある 学術権威ですら間違いが放置される世の中であるから 衆愚人気など何の根拠にもならないのである
むしろ衆愚人気を集めてしまう時点で ヒトの先天的な認知的欠陥によって促される中毒性が原因であることを疑うべきである
批判精神なくして論理客観性を持った科学的検証にはならないからである
phaは個人の主観的好き嫌いでしか物事を判別しておらず 論理客観的根拠や証明に基づいた真偽の判定として成立していない
他人と同じ観念を多数で共有しても 主観的観念が客観的な科学的論証になるわけではない
Ende;
遺伝的進化というものは あくまで生息環境に適応して繁殖を継続できた個体種だけが残ったという 自然現象の「結果」でしかない
環境適応においては 個体の都合は優先されず イワシのように大量に喰われてしまっても繁殖が継続さえできれば絶滅は免れることができて 生物種として存続することにはなる
どんなに子供や仲間が喰われても 生息環境としての生態系の中で適応的に繁殖が継続さえできれば絶滅には至らない
絶滅には至っていない状態を「生物」と分類しているのである
ヒトの進化過程だけを考慮しても ホモ・サピエンスに至るまでの様々な変異種のほとんど全てが絶滅しており 偶発的にホモ・サピエンスにまで変異した個体種以外は全て絶滅しているのである
遺伝的進化というものは あくまで生息環境への適応を繰り返した結果として 偶発的に変化する環境にも適応し続けられた個体種への淘汰収斂の結果を「進化」と分類しているのである
ヒトの祖先の狩猟採集生活環境において 獲物を捕獲するために統率協調的行動を採る習性が進化的に組み込まれているため 獲物以外の他の集団に対しても統率協調的に縄張りなどの環境資源を独占するために紛争に勝ち抜いてきた種の子孫の生き残りがヒトなのである
サッカーや野球のように チーム分けをして順位序列を競う競技に人気があるのも コールオブデューティーやフォートナイトのような「殺し合いゲーム」に人気があるのも 「勝ち負け」への快楽が促す中毒性がヒトには先天的に組み込まれているためである
ゲームであれ実戦であれ 仲間同士で「敵」とみなした集団を殲滅することは ヒトにとって快楽なのである だからミャンマー政府軍兵士は平気で むしろ率先して民衆弾圧を行うのである
武力を用いた紛争や戦争というものは どんなに頑張っても合理的結果が得られることはないのだが 主観的な安心満足感が促す錯覚によって兵士は「敵」を殺害することだけが「目的」になってしまうのである
それがたとえ自国民であろうと関係がなく ほとんど非武装の民衆よりも 権力や武器を持った軍隊に逆らうことの方が主観的に「怖い」ため 唯々諾々と上官の命令に服従し続けることをやめようとはしないのである
こうした無意識性というものは ミャンマー政府軍兵士に限ったものではなく ヒト全般に見られる先天的な本能習性であるために 太平洋戦争時の日本軍政府でも同じ様に非合理な暴力へと暴走したのであり
東京電力や日本大学の組織腐敗の傍観放置もまた同じ構造である
ヒトという種の生物は 自分や自分達以外との間に順位序列を決定したがる習性があり 自分よりも「上」とみなした権威や上司や上官の命令には盲目的に唯々諾々と服従することにより 統率的協調行動を採ることが可能となり ピラミッド建造などの大きな事業も可能となるのだが 同時にイジメ差別や集団組織的虐殺や組織腐敗の原因にもなっているのである
ヒトという種の生物は 個人が自律的に物事の真偽を判断するよりも 権威とみなした服従対象に判断責任を丸投げしておいた方が安心満足感が得られる本能的習性が存在するのである
軍隊とは 構成する兵隊個人は上官の命令に絶対服従するよう「訓練」され 個人が自律的に物事を判断することなく統率協調的に「大きな力」を発揮できるようにした集団である
兵隊個人は上官の命令が人道に反していようが非合理だろうが関係なく たとえ疑問に思っているとしても命令に背くことへの恐怖心を植え付けられているために 唯々諾々と残虐な破壊行為も行えるようになるのである
東京電力の社内において 原発の津波に対する脆弱性に言及することは 「組織の利益」に反するため 組織に属する上においては「組織の利益」を優先することによって 組織内部における地位業績に貢献していた方が個人的にも有利でいられることになるため 組織を構成する個人は「自律的な社会的責任」を負わない方が安心満足であり「得」でもある
日本大学の組織腐敗が温存され続けた原因も 組織を構成する個人が自律的な社会的責任判断をしなかったことが原因であり 個人の主観的安心満足や 集団組織に迎合することによる利益を優先することによって 組織腐敗は加速度的に悪化するのである
ヒトは 主観的に怖い相手には逆らいたくないものである
権威に逆らうことは 権威を盲信している多数に対しても逆らうことになるため ヒトは権威の言っている内容を疑わないよう 盲目的に信じ込み 判断責任の全ては権威に丸投げしておいても構わないものだと勝手に錯覚する だからヒトは自律的な社会的責任判断をしなくなるのである
ピアプレッシャー(同調圧力)を「感じ」ることによって ヒトは自律的な社会的責任判断選択を放棄し 判断責任は全て自分以外の多数や 多数によって認証された権威が肩代わりしてくれるものだと勝手に勘違いすることで 自分では何も判断しないバカになるのである
自分では何も判断しないバカが 多数で統率協調的行動を採っても合理的結果が得られる保証は何もなく イジメやヘイトスピーチといった他人を貶める集団に迎合する満足感に流される形で非合理な差別は起きるのである
ネット上で起きる差別やイジメというのは 一見「多数」であるかのような感覚(錯覚)を促すものだが 実際にはイジメ差別をしているクラスターというのは ネット全体からすると極めて少数であり 客観的にみれば全然多数意見などではないのだが 自分の主観的「感覚」を客観的に自己分析したがらない者にとっては 錯覚を錯覚だと認識することが出来ずにヘイトスピーチやイジメに加わってしまうことになるのである
ミャンマー政府軍の内部においても同様の心理的メカニズムが働くことにより 民衆弾圧などという非合理な命令に対しても むしろ積極的に行えるようにもなるのである
兵隊は人を殺しても「自分の責任ではない」と「思って」いるのである
ヒトは 自分の主観的感覚こそが意識の本質だと勘違いしているものであり 客観的に論理検証することは主観的感覚との乖離によって「意識ではない」と「感じ」て無視するようになるのである
従来 生物学における遺伝的進化において 「〇〇(目的)のために進化を選んだ」といった「説明」をしてきたが これに対して遠藤秀紀は「典型的な間違い」だと指摘している
「○○」には様々な「説明」に用いられており 「食べられると困る」だとか「環境に適応するために」だとか「死なないように」などといった意図目的戦略に基づいた選択可能性が存在しているかのような間違った「説明」が生物学界には蔓延しており こうした間違った説明をし続けているのは認知機能の低下した高齢の「老害」が中心である
遺伝的進化には 個体の意図目的戦略といったものが遺伝子に影響を及ぼす構造は存在せず 全ては自然現象の「結果」以上の意味など存在しないのである
科学的理論というのは多数決で民主的に決定するようなものではなく 論理客観的に「正しい」かどうかで判定されるべきものであり 生物学界権威共の多数決で科学的真理が隠蔽黙殺されて良いものではない
しかし 大半の衆愚やマスコミは 生物学権威の間違った「説明」には何の疑問も持たず あたかも遺伝的進化さえすれば全てが解決するかのような錯覚を鵜呑みにして信じ込んでいるために フランシス:ゴルトンの優生学に対する論理的反証を一切理解しないし したがらないのである
「遺伝的進化には目的がない」
これは決して私の個人的持論ではなく 遠藤秀紀ら学術権威の一部も主張している科学的根拠のある見解である
遺伝的進化に意図目的戦略が介在しない以上 遺伝的進化によって組み込まれた本能習性という行動バイアスにもまた意図目的戦略は介在しないのである
それは つまり 気分感情によって促される行動自体にも意図目的戦略が存在しないことの証明でもあり 主観によって促される錯覚を錯覚だと「感じ」ない認知的欠陥によって ヒトは非合理な差別や暴力をやめることができないのである
振り込め詐欺に騙されるのも 被害者が自分の主観的印象だけで電話の相手を信用してしまうからであって 言っている内容自体を客観的に検証する理性が働かずに気分感情のままに行動するから騙されるのである
騙している方もまた 「騙せば得だ」という目先に利益(欲望)を優先しているから反社会的行動も採れるのであり 貧富格差を解消するためなら社会構造や制度の改善をしない限り 社会持続可能性も安全性も改善することはないのである
ヒトが洗脳状態に陥り 客観的根拠のない嘘やデマを信じ込んで非合理な行動を採るようになったり 特定の権威の命令に唯々諾々と盲目的に服従忖度して暴力破壊に及んだり 自律的な社会的責任判断を誰も負わなくなるのも 全てはヒトの先天的な認知的欠陥(頭の悪さ)に起因するものである
「現代人は科学を信じている」とは言っても 誰も自律的に論理客観的根拠に基づいて科学的に検証して判断しているわけではなく ただ「科学的権威」という形式的肩書を盲目的に信用しているに過ぎない
だから遠藤秀紀らが遺伝的進化に対する「典型的な間違い」を主張しても 専門家ですら大半は理解せずに論理整合性のない「説明」を続け 衆愚やマスコミの大半は論理整合性がないことすら誰も気付かず 「食べられないようにトゲを大きく固くした」だの「食べられないように擬態した」だのといった間違った「説明」をいつまでも垂れ流し続けるという不適切な大失態を続けていても 何とも「思わない」のである
学術権威とみなされている老害の言っている内容であれば 責任は全て老害が取ってくれるものだと信じ込むことで NHK Eテレの教育番組においても間違った遺伝的進化の「説明」が垂れ流し続けられているのである
NHK教育番組の制作者共は 間違った内容を放送していても自分には判断責任がないと「思って」いるからこそ 内容が間違っていることには全く興味を持たず ただ漫然と学術権威の言っている内容を垂れ流しておけば良いと「思って」いるのである
どんなに強く「思って」いても それは論理客観的な「考え」にも判断にも至ることはない
むしろ強く「思って」いるからこそ 自律的な自己客観的検証を放棄してしまうのである
その無責任さはミャンマー政府軍の兵士や 日本大学幹部達などの腐敗組織の盲目性と同じものであり 都合(気分)の悪い話には一切耳を貸さなくなるのである
バカというのは 自分がバカであることを自覚していないからバカが治らないのである
Ende;
ヒトという種の生物に普遍的に見られる「失敗」に共通する原因が 遺伝的に組み込まれた本能習性に起因するものであることを理解していないからこそ 組織腐敗や非人道的独裁が後を絶たないのである
主観的に気分が良くなる「信じたい話」ばかりを鵜呑みにし 気分が悪くなる「信じたくない話」を無視することは 社会安全性に背く無責任なことである
遺伝的進化というものは「繁殖を継続」できたかどうかという結果以外何も促すことはない
たとえどんなに高度な特定能力や形質への「進化」を促したとしても これからも永久に進化に「成功」する保証もなければ そもそも遺伝的進化というものの「成功」とは 絶滅さえしていなければ「成功」なのであって そこに安全性も平等も人間性も倫理もヘッタクレもありはしないのである
ヒトは遺伝的進化によってヒトには進化したものの 遺伝的進化というものは決して「ヒトでありさえすれば人間性が発揮される」ような都合の良いものではない
組織的暴力を振るうことに長けた集団の方が 他の集団から効率良く略奪搾取するには有利であり 生存価においては人間性や倫理は不利に働くことの方が多いのである
それならヒトという種の生物に先天的人間性が都合よく組み込まれる収斂プロセスはほとんど働かないのである
生涯一人の女性だけしか配偶関係を持とうとしない誠実は男よりも 誰彼構わずヤリまくる不誠実な男の方が遺伝子が遺りやすいのであって 強姦や略奪や嘘というのは生存や繁殖においては有利に働くものなのであり 遺伝的進化というものに根拠のない万能妄想を抱いて満足するというのは社会的に無責任なものである
長谷川眞理子はチャールズ:ダーウィンが人道主義者であったことを述べただけであって 優生学に対する論理反証や遺伝的進化のメカニズムを理解しているわけでもなければ むしろ「〇〇のために進化を選んだのよ」などといった間違った「説明」を訂正もしない不誠実な奴である
何度も言うが 遺伝的進化は能動的に「選ぶ」ことなどできない自然現象であって 「〇〇のため」といった後天的意図目的戦略は遺伝的要素には影響を及ぼすメカニズムは存在しないのである
ヒトという種の生物は かつて限られた環境資源の奪い合いによるヒト同士での生存競争に「勝ち抜いて」きた生物の子孫である
自然環境下における生存競争というものに 安全性や公平性を優先するような進化的プロセスを説明することはできず むしろ暴力や略奪や嘘や独裁や不平等な差別による搾取に長けた個体種への収斂進化の方が簡単なのである
組織腐敗は簡単だが 組織腐敗を浄化することは簡単ではない
それなら組織腐敗が進行するようにしか収斂進化は起こらないのである
遺伝的進化に根拠のない過剰な信頼を持つことの方が衆愚人気を得やすいことはわかっている
ヒトは自分で物事を論理客観的に判断して真偽を見極めるという「面倒臭い」ことをするよりも 主観的に気分が良くなる「信じたい話」だけを信じ込んで安心満足したいだけであり 責任は多数や権威に丸投げしておけば自分の判断責任が薄まるかのような感覚(錯覚)によって安心することができるという 人間としての認知的欠陥を持っているのである
先天的な認知上の欠陥があるからこそ 香港警察やミャンマー政府軍やナチスやポルポトのような集団組織的虐殺も可能となるのである
「自分だけは絶対に大丈夫だ」 そう「思って」いるからこそ独裁や組織腐敗は簡単に起こるのである
主観的にどんなに強く「思って」も それが真実であることの論理客観的根拠や証拠にはならない
だから振り込め詐欺にも簡単に騙されるのである
Ende;
助け合う習性について
参考:https://diamond.jp/articles/-/290027?page=2
⇨ヒトは他人と助け合いをする習性がある
だが 助け合いさえすれば人間性や倫理の論証になるわけではない
日本大学の組織腐敗であっても 日本大学の組織に属している個体の利己的利益において「助け合う」形で組織腐敗は温存放置されたのである
振り込め詐欺が仲間内で食事を奢っても「助け合い」だが それが人間性や倫理の論証にならないのは言うまでもない
東京電力社内においても「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」こそが事故の根本原因であると結論付けている
「組織の利益を優先」することもまた「助け合い」でもある
早稲田大学の強姦サークルにおいても 仲間内で「助け合う」形で集団強姦が行えたのであり 「助け合い」の全てが人間性や倫理の論証になるわけではない
ナチスやポルポトによる組織的虐殺や ミャンマー政府軍による民衆弾圧 香港警察による集団組織的統率協調行動もまた「助け合い」によるものである
自分が属する集団を「仲間」や「味方」とみなし 共通に信頼している権威の命令に唯々諾々と盲目的に服従することによって統率協調的に組織以外の人に危害を加えることも可能となるのである
学生やネット上での集団的なイジメにおいても 他人と共通する「敵」を協調的に攻撃することによって その場限りの安心満足感を得ることだけが目的であり 社会的責任なんぞ負うつもりは一切ないからこそ イジメができるのであり
また 本能習性という無意識な行動バイアスであるが故に暴走することも多いのである
人間性や倫理の本質とは 「個人が自律的な社会的責任判断選択をすること」であり 単に「助け合い」さえすれば人間性の論証になるわけではない
遺伝的進化というものは 繁殖が継続するのに適してさえいれば生物種として存続できた「結果」だけであり 遺伝的進化によって結果的に組み込まれたに過ぎない本能習性もまた「目的」は存在しないため イジメや虐殺などの要因ともなるのである
先天的本能習性という無意識な情動バイアスで人間性を立証することなど原理的に不可能であり
人間性というのは「本当の社会安全性や公平性」を見極められる知能なくして発揮することは不可能である
松沢哲郎や山極寿一 長谷川眞理子や長谷川寿一ら生物学「権威」共は先天的本能習性によって人間性を立証したかのように言いたがるが それは遺伝的進化を万能で完全無欠なものだと勝手に勘違いした妄想に過ぎず 科学的には何の根拠にもならないのである
ヒトという種の生物に先天的人間性が組み込まれているかのような「説明」は 衆愚が自分には先天的に人間性が組み込まれているので 本能習性のままに個人的好き嫌いだけで差別迫害を正当化するのに都合が良いため 論理客観的に物事の真偽を判断したがらない衆愚には人気が得られるのである
「先天的本能習性に人間性が組み込まれている」などという科学的根拠のない嘘を正当化し続けるというのは 優生学をも正当化してしまう危険で社会的に無責任なものである
Ende;