助け合う習性について
参考:https://diamond.jp/articles/-/290027?page=2
⇨ヒトは他人と助け合いをする習性がある
だが 助け合いさえすれば人間性や倫理の論証になるわけではない
日本大学の組織腐敗であっても 日本大学の組織に属している個体の利己的利益において「助け合う」形で組織腐敗は温存放置されたのである
振り込め詐欺が仲間内で食事を奢っても「助け合い」だが それが人間性や倫理の論証にならないのは言うまでもない
東京電力社内においても「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」こそが事故の根本原因であると結論付けている
「組織の利益を優先」することもまた「助け合い」でもある
早稲田大学の強姦サークルにおいても 仲間内で「助け合う」形で集団強姦が行えたのであり 「助け合い」の全てが人間性や倫理の論証になるわけではない
ナチスやポルポトによる組織的虐殺や ミャンマー政府軍による民衆弾圧 香港警察による集団組織的統率協調行動もまた「助け合い」によるものである
自分が属する集団を「仲間」や「味方」とみなし 共通に信頼している権威の命令に唯々諾々と盲目的に服従することによって統率協調的に組織以外の人に危害を加えることも可能となるのである
学生やネット上での集団的なイジメにおいても 他人と共通する「敵」を協調的に攻撃することによって その場限りの安心満足感を得ることだけが目的であり 社会的責任なんぞ負うつもりは一切ないからこそ イジメができるのであり
また 本能習性という無意識な行動バイアスであるが故に暴走することも多いのである
人間性や倫理の本質とは 「個人が自律的な社会的責任判断選択をすること」であり 単に「助け合い」さえすれば人間性の論証になるわけではない
遺伝的進化というものは 繁殖が継続するのに適してさえいれば生物種として存続できた「結果」だけであり 遺伝的進化によって結果的に組み込まれたに過ぎない本能習性もまた「目的」は存在しないため イジメや虐殺などの要因ともなるのである
先天的本能習性という無意識な情動バイアスで人間性を立証することなど原理的に不可能であり
人間性というのは「本当の社会安全性や公平性」を見極められる知能なくして発揮することは不可能である
松沢哲郎や山極寿一 長谷川眞理子や長谷川寿一ら生物学「権威」共は先天的本能習性によって人間性を立証したかのように言いたがるが それは遺伝的進化を万能で完全無欠なものだと勝手に勘違いした妄想に過ぎず 科学的には何の根拠にもならないのである
ヒトという種の生物に先天的人間性が組み込まれているかのような「説明」は 衆愚が自分には先天的に人間性が組み込まれているので 本能習性のままに個人的好き嫌いだけで差別迫害を正当化するのに都合が良いため 論理客観的に物事の真偽を判断したがらない衆愚には人気が得られるのである
「先天的本能習性に人間性が組み込まれている」などという科学的根拠のない嘘を正当化し続けるというのは 優生学をも正当化してしまう危険で社会的に無責任なものである
Ende;