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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

稲から電気。

2011年07月01日 22時53分19秒 | 日記
 さっきNHKの番組の中で、水田の稲の根元に電極を埋め込んで発電するって話をググってみたんだけど、見つからなかった。

 なんでも稲の作り出す糖を使って電気を「排泄。」する菌があるらしい。

 そんな菌があるなら稲じゃなくても、もっと効率よく発電させられないのかね。

 菌類っていうのは、条件が整うと物凄い勢いで繁殖したりするので。石油生成菌とかもそうだけど、一度簡単なプラントで使える菌を見つけてしまうとか、遺伝子操作で作り出してしまうとかすれば、一気にエネルギー問題が解決する可能性がある。

 ただ、遺伝子操作の場合は環境への漏洩が怖くて、結局原子炉と同様、「絶対に安全。」なんて保証できないというのが怖いやね。

 でも単純に自転車漕いで発電する装置っていうのは、何軒かに一つとか。自治体で幾つかとかあると緊急時にも役に立つ。

 スポーツジムで自転車漕いでいるくらいなら、ジムのエアコンのコンプレッサーくらい自分で回せよとか思ってしまう。

 自転車一台の動力というのは200ワットくらいなんだそうなので、6人で漕げば1200ワットになるからエアコンの一台くらいの動力にはなる。はず。多分。

 1200ワットってことは10畳くらいの部屋は冷やせるから、断熱がしっかりしていれば漕ぎ手の熱気が上回ることはないのではないか。

 結局は断熱なんですよね。特に窓。断熱がしっかりしてさえいれば電気代は半額以下になるって話も聞いたことあります。

 猛暑日になるとエアコンの温度設定に関わらず、断熱が悪いと常に全開でエアコンが回ってしまうことがある。

 本当に怖いのはこれからなんです。

 「供給可能電力に余力があるじゃないか。」なんて言ってる人がいますけど。大規模停電になると、人工呼吸器を使っているような患者さんは命の危険に晒されることになるんです。

 少数の人であれば、多数の怠惰で死に追いやっても「安心。」ですか。

 「赤信号、皆で渡れば恐くない。」じゃないですけど、「患者さん、皆で殺せば恐くない。」ですか。

 だから供給可能電力の90%っていうのは、命に関わる人にとっては全然「余力。」なんかじゃないんですよ。ギリギリなんです。そこんとこ間違わないで下さいね。


充電式照明。

2011年07月01日 22時30分25秒 | 日記
 充電式の移動式照明器具というのが無印良品とかで売っているんだけど。これは両手が塞がる場面で置場に困る。

 ウチの場合は単なる懐中電灯を使っているんだけど。トイレとかに入ってから置場に困る。便器の下の床に置いてしまうと、手元は全く見えなくなってしまう。

 洗面所で顔や手を洗おうとしても、洗面台の横に置いても手元がきちんと照らされない。

 棚の上とかに置いても、うまいこと手元を照らすようには出来ない。

 やはり、天井から吊せるようにしておくと便利かな。

 でも無印良品の照明は吊すと真下は照らされないみたい。実生活においての利用を考えた充電式照明システム、ソリューション(使い方間違ってる?。)を考えないと、使い難いのではないでしょうかね。

 単純に百均でフック類を買ってくれば実現可能かしら。

ティファールのフライパン。

2011年07月01日 21時07分27秒 | 日記
 ティファールのHPを見ても、フライパンの種類による違いが何なのかがさっぱりわからない。

 中華鍋風のディフューザルエレガンスとかいうのはセラミック系の6層「エキスパート プロ。」と名付けられたコーティングで。

 オプティマルアーモンドブラウンディープブルーは6層フッ素コーティングでエッグロースターだけは4層コーティング。

 ところが同じオプティマルでも色違いのフランボワーズだけは5層コーティングの「ニューエキスパート。」コーティングで、グリルパンだけは4層「エキスパート。」コーティング。

 そしてデュラベースソレイユ/ライム/パンプキン/フォーチュンの各色は同じ4層フッ素コーティングの「レジストブラスト。」というコーティング。



先ず文句を言いたいのは、カタカナが多すぎて、何が色を示しているのか、何が機能を表しているのかが区別がつかない。

 オプティマルっていうのは、底面に描かれた「C」字マークの組み合わせみたいのが描かれていることを示しているらしくて、「オプティマル テクノロジ。」だとか言っている。

 おなじオプティマルであっても色違いのフランボワーズ(赤っぽい色)だけはコーティングが違ったりするので、非常にややこしい。

 あんまりややこしいので、機能に由来するであろう「名前。」を赤文字にして。「色の違い。」を青文字にしてみた。それでもやっぱりややこしい。

 もしかするとディフーザルエレガンスという名前もエレガンスが色を指し示しているのかも知れない。


 そもそもセラミック系コーティングとフッ素系コーティングは何が違うのかの説明が全くなくて、6層だったり4層だったりする理由も説明がない。これでは何を基準に選択すればいいのか、買う方は理解に苦しむ。

 実際にはティファールのHPに掲載されていないモデルも販売されていて、それには全く説明というのがない。

 結局消費者としては「お店に並んでいたもの。」をなし崩し的に買うしかなくて、一体何のためのバリエーションなのか、さっぱり理解できないのである。

 一部ではフッ素コーティングには発癌性の危険性があるらしいという話もあるので、セラミック系のコーティングに移行している途中なのかも知れない。


 ティファールのフライパンに限らず、餃子を焼く時に注ぐ水のために、フライパンの中央が膨らんで使い難くなってしまうことがある。

 金属というのは熱しておいて水などで急激に冷却すると、反り返る性質というのがどうしてもあって。こればっかりはどうしようもないらしい。

 一度反り返ってしまうと、餃子を焼く時に入れた水が周辺に溜まってしまって、中央が先に焦げたりしてややこしい。

 そうなると愛着も失せてきてしまって、扱いがぞんざいになったりして、丸焦げになってもほったっらかしになってしまい。結局廃棄処分ということになってしまう。

 まあ、フライパンというのはそういうものなんでしょうね。そう思うとあんまり高いフライパンも買いたくないんですよね。その場限りの間に合わせでいいやってなっちゃう。

儲かりまっか。

2011年07月01日 08時14分04秒 | 意識論関連
 「儲かりそう。」かどうかを仕事に選ぶべきではない。

 だって、例えばAという仕事が儲かりそうであるとして、多くの人がAという仕事を選んでしまうと、結局競争が激化してAという仕事は安くなってしまって儲からなくなってしまう訳です。

 最近流行りのピーター:ドラッカーの言う「顧客(カスタマー)の創造(クリエイト)。」というのは、現状においての「儲かりそう。」を基準にすることではなく。社会における潜在的なニーズ要望に応えることであり。ニーズの掘り起こし、開拓こそが企業団体の社会的存在意義だってこと。

 今までなかったもの、不便だなって思っていることを解決するから社会貢献なのですよ。利益というのは後からついてくるものであって、儲けを先に考えてはいけないってこと。

 だから自分の好きな仕事をすべきだってドラッカーは言う。

 好きなことっていうのは利益とは無関係に一生懸命やるものなんですよ。一生懸命やって社会的成功をすれば、社会は「努力した。」と形容し。社会的に失敗すれば「無駄。」と形容する。

 社会的評価なんていうものは結果しか見ていないのであって、マスコミとか飲み屋の酔っ払いの勝手な評価でしかないわけです。

 マスコミとか飲み屋の酔っ払いがあなたの人生を保証してくれるんですか?。くれないでしょ。飲み屋で酔っ払っているような者というのは、現状に迎合して年功序列体制に甘んじているような者であるからこそ、「飲まなきゃやってられない。」のであって。多数の酔っ払いと話を丸めて気分的な安心を求めているだけであり。その安心と異なることを行う者に対しての観念的な強迫観念によって、論理的根拠もなく「悪口。」を機械的条件反射で無意識に言うのである。

 「そんなことをして、何になる。」

 この種の「悪口。」というのは、論理的なアドバイスの類ではなく。自分の社会迎合性を事後正当化するための「言い訳。」なのです。

 「それをやって、どうなるか。」それがわからないからこそ、挑戦する意味があるのであって、「どうなるか。」予想がつくようなことであれば誰でも選択できるものなのです。

 もちろん、ある程度の儲けは考えないといけませんよ。大赤字を出してしまうと借金をしている相手に迷惑をかけてしまいますからね。

 でも現状の社会制度に迎合しておけば、何もかもうまくゆくことの保証だってないんですよ。

 「無駄な努力。」というのは、本当は現状の社会体制に迎合して、何ら自分のやりたいことをやらずに、酔っ払い同士で下らない観念を共有する人生の方なんです。

 多くの企業は、現状に迎合するような従順な人間こそが使いやすい社員であると決め付けています。目先の上司に忠誠忠実で、食肉偽装でもなんでもやってくれるようなナチスの絶滅収容所の吏官みたいな者が大好きでしょうね。

 食肉偽装なんてことがどうして起こるのか、それは「多くの人達。」の迎合性によって起こるのであって、多くの人がきちんと自律判断をしていれば、独裁なんていう団体主義は起こらないんですよ。

 ドラッカーを読んで、単に気分的に「感動。」することには意味なんてないんですよ。ドラッカーの「マネジメント。」というのはお伽話じゃないですからね。「もしドラ。」はお伽話ですけどね。

 ヒトという種の生物には集団主義に陥る迎合性が、本能習性として組み込まれてしまっているのです。その方が気分的には「安心。」でしょうが、現実には「安全。」なことではないんです。

 振り込め詐欺をやれば、個人的に儲かるのかもしれませんけど。それによって社会を蝕んでしまえば結局自分にも損失は跳ね返ってくることになるのです。

 多くのヒトは、「自分一人くらいは。」という無責任な考えを持つ傾向があります。でもそれは「放射能汚染水を海に流しても、海水は大量だから薄まって安全。」と言っている奴の屁理屈と一緒なんですよ。

 NHKの室山哲二みたいに、論理的根拠もなく「決め付け。」ることこそが、社会を危険に晒す最も根源的な原因なのです。

 「原発は、絶対に安全。」というのは、科学的証明のない「決め付け。」でしかなかったでしょ。

 「人類は必ず絶滅する。」のであれば、もはや再生可能エネルギーもすったくれも意味なんかないんですよ。原子炉でバンバンエネルギーを大量消費しておいて、放射能で自滅することが「望み。」だとでもいうんですかね。「ヒトとは、そういうもの。」だと、「そういう愚かな存在でしかいられないもの。」だと、室山は言っているんですよ。みなさん意味わかってるんですかね。



 そういえば、ソフトバンクの孫さんが怒ってましたね。「バカヤロー。と言いたい。」って。再生可能エネルギーを推進すれば、別に孫さんだけが儲けられる訳じゃないですから、儲けられるんだったら「企業。」の多くもやればいいんですよ。

 多くのヒトは現状を維持することに対して論理的根拠のない「安心。」感を抱きがちです。その気分的「安心。」が理論的に「安全。」であることの保証なんて一切ないんですよ。

 個人的には「C-MAGAZIN」を廃刊にされた恨み(?)もあるんですけど、再生可能エネルギーに関しては孫さんに同意しますね。