「儲かりそう。」かどうかを仕事に選ぶべきではない。
だって、例えばAという仕事が儲かりそうであるとして、多くの人がAという仕事を選んでしまうと、結局競争が激化してAという仕事は安くなってしまって儲からなくなってしまう訳です。
最近流行りのピーター:ドラッカーの言う「顧客(カスタマー)の創造(クリエイト)。」というのは、現状においての「儲かりそう。」を基準にすることではなく。社会における潜在的なニーズ要望に応えることであり。ニーズの掘り起こし、開拓こそが企業団体の社会的存在意義だってこと。
今までなかったもの、不便だなって思っていることを解決するから社会貢献なのですよ。利益というのは後からついてくるものであって、儲けを先に考えてはいけないってこと。
だから自分の好きな仕事をすべきだってドラッカーは言う。
好きなことっていうのは利益とは無関係に一生懸命やるものなんですよ。一生懸命やって社会的成功をすれば、社会は「努力した。」と形容し。社会的に失敗すれば「無駄。」と形容する。
社会的評価なんていうものは結果しか見ていないのであって、マスコミとか飲み屋の酔っ払いの勝手な評価でしかないわけです。
マスコミとか飲み屋の酔っ払いがあなたの人生を保証してくれるんですか?。くれないでしょ。飲み屋で酔っ払っているような者というのは、現状に迎合して年功序列体制に甘んじているような者であるからこそ、「飲まなきゃやってられない。」のであって。多数の酔っ払いと話を丸めて気分的な安心を求めているだけであり。その安心と異なることを行う者に対しての観念的な強迫観念によって、論理的根拠もなく「悪口。」を機械的条件反射で無意識に言うのである。
「そんなことをして、何になる。」
この種の「悪口。」というのは、論理的なアドバイスの類ではなく。自分の社会迎合性を事後正当化するための「言い訳。」なのです。
「それをやって、どうなるか。」それがわからないからこそ、挑戦する意味があるのであって、「どうなるか。」予想がつくようなことであれば誰でも選択できるものなのです。
もちろん、ある程度の儲けは考えないといけませんよ。大赤字を出してしまうと借金をしている相手に迷惑をかけてしまいますからね。
でも現状の社会制度に迎合しておけば、何もかもうまくゆくことの保証だってないんですよ。
「無駄な努力。」というのは、本当は現状の社会体制に迎合して、何ら自分のやりたいことをやらずに、酔っ払い同士で下らない観念を共有する人生の方なんです。
多くの企業は、現状に迎合するような従順な人間こそが使いやすい社員であると決め付けています。目先の上司に忠誠忠実で、食肉偽装でもなんでもやってくれるようなナチスの絶滅収容所の吏官みたいな者が大好きでしょうね。
食肉偽装なんてことがどうして起こるのか、それは「多くの人達。」の迎合性によって起こるのであって、多くの人がきちんと自律判断をしていれば、独裁なんていう団体主義は起こらないんですよ。
ドラッカーを読んで、単に気分的に「感動。」することには意味なんてないんですよ。ドラッカーの「マネジメント。」というのはお伽話じゃないですからね。「もしドラ。」はお伽話ですけどね。
ヒトという種の生物には集団主義に陥る迎合性が、本能習性として組み込まれてしまっているのです。その方が気分的には「安心。」でしょうが、現実には「安全。」なことではないんです。
振り込め詐欺をやれば、個人的に儲かるのかもしれませんけど。それによって社会を蝕んでしまえば結局自分にも損失は跳ね返ってくることになるのです。
多くのヒトは、「自分一人くらいは。」という無責任な考えを持つ傾向があります。でもそれは「放射能汚染水を海に流しても、海水は大量だから薄まって安全。」と言っている奴の屁理屈と一緒なんですよ。
NHKの室山哲二みたいに、論理的根拠もなく「決め付け。」ることこそが、社会を危険に晒す最も根源的な原因なのです。
「原発は、絶対に安全。」というのは、科学的証明のない「決め付け。」でしかなかったでしょ。
「人類は必ず絶滅する。」のであれば、もはや再生可能エネルギーもすったくれも意味なんかないんですよ。原子炉でバンバンエネルギーを大量消費しておいて、放射能で自滅することが「望み。」だとでもいうんですかね。「ヒトとは、そういうもの。」だと、「そういう愚かな存在でしかいられないもの。」だと、室山は言っているんですよ。みなさん意味わかってるんですかね。
そういえば、ソフトバンクの孫さんが怒ってましたね。「バカヤロー。と言いたい。」って。再生可能エネルギーを推進すれば、別に孫さんだけが儲けられる訳じゃないですから、儲けられるんだったら「企業。」の多くもやればいいんですよ。
多くのヒトは現状を維持することに対して論理的根拠のない「安心。」感を抱きがちです。その気分的「安心。」が理論的に「安全。」であることの保証なんて一切ないんですよ。
個人的には「C-MAGAZIN」を廃刊にされた恨み(?)もあるんですけど、再生可能エネルギーに関しては孫さんに同意しますね。
だって、例えばAという仕事が儲かりそうであるとして、多くの人がAという仕事を選んでしまうと、結局競争が激化してAという仕事は安くなってしまって儲からなくなってしまう訳です。
最近流行りのピーター:ドラッカーの言う「顧客(カスタマー)の創造(クリエイト)。」というのは、現状においての「儲かりそう。」を基準にすることではなく。社会における潜在的なニーズ要望に応えることであり。ニーズの掘り起こし、開拓こそが企業団体の社会的存在意義だってこと。
今までなかったもの、不便だなって思っていることを解決するから社会貢献なのですよ。利益というのは後からついてくるものであって、儲けを先に考えてはいけないってこと。
だから自分の好きな仕事をすべきだってドラッカーは言う。
好きなことっていうのは利益とは無関係に一生懸命やるものなんですよ。一生懸命やって社会的成功をすれば、社会は「努力した。」と形容し。社会的に失敗すれば「無駄。」と形容する。
社会的評価なんていうものは結果しか見ていないのであって、マスコミとか飲み屋の酔っ払いの勝手な評価でしかないわけです。
マスコミとか飲み屋の酔っ払いがあなたの人生を保証してくれるんですか?。くれないでしょ。飲み屋で酔っ払っているような者というのは、現状に迎合して年功序列体制に甘んじているような者であるからこそ、「飲まなきゃやってられない。」のであって。多数の酔っ払いと話を丸めて気分的な安心を求めているだけであり。その安心と異なることを行う者に対しての観念的な強迫観念によって、論理的根拠もなく「悪口。」を機械的条件反射で無意識に言うのである。
「そんなことをして、何になる。」
この種の「悪口。」というのは、論理的なアドバイスの類ではなく。自分の社会迎合性を事後正当化するための「言い訳。」なのです。
「それをやって、どうなるか。」それがわからないからこそ、挑戦する意味があるのであって、「どうなるか。」予想がつくようなことであれば誰でも選択できるものなのです。
もちろん、ある程度の儲けは考えないといけませんよ。大赤字を出してしまうと借金をしている相手に迷惑をかけてしまいますからね。
でも現状の社会制度に迎合しておけば、何もかもうまくゆくことの保証だってないんですよ。
「無駄な努力。」というのは、本当は現状の社会体制に迎合して、何ら自分のやりたいことをやらずに、酔っ払い同士で下らない観念を共有する人生の方なんです。
多くの企業は、現状に迎合するような従順な人間こそが使いやすい社員であると決め付けています。目先の上司に忠誠忠実で、食肉偽装でもなんでもやってくれるようなナチスの絶滅収容所の吏官みたいな者が大好きでしょうね。
食肉偽装なんてことがどうして起こるのか、それは「多くの人達。」の迎合性によって起こるのであって、多くの人がきちんと自律判断をしていれば、独裁なんていう団体主義は起こらないんですよ。
ドラッカーを読んで、単に気分的に「感動。」することには意味なんてないんですよ。ドラッカーの「マネジメント。」というのはお伽話じゃないですからね。「もしドラ。」はお伽話ですけどね。
ヒトという種の生物には集団主義に陥る迎合性が、本能習性として組み込まれてしまっているのです。その方が気分的には「安心。」でしょうが、現実には「安全。」なことではないんです。
振り込め詐欺をやれば、個人的に儲かるのかもしれませんけど。それによって社会を蝕んでしまえば結局自分にも損失は跳ね返ってくることになるのです。
多くのヒトは、「自分一人くらいは。」という無責任な考えを持つ傾向があります。でもそれは「放射能汚染水を海に流しても、海水は大量だから薄まって安全。」と言っている奴の屁理屈と一緒なんですよ。
NHKの室山哲二みたいに、論理的根拠もなく「決め付け。」ることこそが、社会を危険に晒す最も根源的な原因なのです。
「原発は、絶対に安全。」というのは、科学的証明のない「決め付け。」でしかなかったでしょ。
「人類は必ず絶滅する。」のであれば、もはや再生可能エネルギーもすったくれも意味なんかないんですよ。原子炉でバンバンエネルギーを大量消費しておいて、放射能で自滅することが「望み。」だとでもいうんですかね。「ヒトとは、そういうもの。」だと、「そういう愚かな存在でしかいられないもの。」だと、室山は言っているんですよ。みなさん意味わかってるんですかね。
そういえば、ソフトバンクの孫さんが怒ってましたね。「バカヤロー。と言いたい。」って。再生可能エネルギーを推進すれば、別に孫さんだけが儲けられる訳じゃないですから、儲けられるんだったら「企業。」の多くもやればいいんですよ。
多くのヒトは現状を維持することに対して論理的根拠のない「安心。」感を抱きがちです。その気分的「安心。」が理論的に「安全。」であることの保証なんて一切ないんですよ。
個人的には「C-MAGAZIN」を廃刊にされた恨み(?)もあるんですけど、再生可能エネルギーに関しては孫さんに同意しますね。