さらさらきらきら

薩摩半島南端、指宿の自然と生活

ビンズイ

2013-02-01 10:56:49 | 


ビンズイという鳥は一般にはあまり知られていないと思う。メジロやウグイスなどのような馴染みの名前ではないし、そもそも地味な色であまり飛ばないし鳴き声も小さくほとんど目立たないのだ。たとえ目にしても多くの人はスズメがいるくらいにしか思わないだろう。しかしスズメはもっとはっきりした濃い色で声も大きいし仲間同士でじゃれあって飛んだり跳ねたり結構騒々しい。こちらはただ黙々と地面を歩いているだけだ。しかし松林のある冬の公園などではどの鳥よりも当り外れがなく、ほとんどいつ行っても見られるほど身近にたくさんいるのだった。



大きさはスズメよりも体長はあるのだが、それは尾が長いだけで実際は一回りくらい小柄に見える。色もオリーブ色といえばしゃれた感じだが、単に緑がかった薄茶色でとてもきれいとは言いがたい。それでも光の加減では渋い色合いがなかなか魅力的に見えたりする。ところで同類にタヒバリというとてもよく似たものがいるのだが、その見分けのポイントは目の後ろの白い班とその下の黒点で、それらがあるのがビンズイなのだそうだ。



お腹の黒い点線はこのかわいらしい鳥にしてはどぎつすぎる。正面から見たら体全体が縞模様になっていた。草地には枯れ草などの細かい影が多く、この模様はそれに溶け込んで保護色として機能しているようだ。



ビンズイはセキレイの仲間だ。セキレイは街中の駐車場などにもよくいて、小走りしたかと思うと立ち止まって尻尾を上下させたりしてとても目を引く。こちらもだいたいは同じ動作なのだが、すべてを地味に抑え気味といった感じだ。まあ障害物の多い草地だから速くは歩けないだろう。しばしば立ち止まって落ち葉を掻き分けている。虫や植物の種などを食べているそうだ。松林によくいるのは落ち葉が厚く多くの虫が隠れていることと、栄養豊富な松の実がたくさん落ちているためではないだろうか。



後姿は堂々としている。小鳥たちはたいてい両足をそろえてぴょんぴょん可愛らしく跳ぶものだが、この鳥は足を交互に出して歩きまた走ったりする。その動作は我々人間と変らずほほえましくもある。



ビンズイを追っているとしばしば見失う。枯れ草の間に身を潜めてしまうのだ。隠れることには自信があるのだろう、かなり近寄るまでじっとしていて、突然足元から飛び立ったりするので驚いてしまう。その時ピーとかツィーとかいった短かい声を上げる。しかしあまり飛ばず、近くの木の枝に止まってこちらをうかがっていたりする。どうも高い所はあまり好きではないようで、じきに少し先の方へ舞い降りる。長い足指は枝に止まるより地上を歩くのに適しているようだ。



数羽から10羽以内の小さな群れでいることも多い。群れといってもかなり離れ離れにそれぞれ勝手に行動している。木の上と違って草むらでは見通しが利かず、すぐお互いを見失ってしまいそうだが、彼らはどうやって確認しあっているのだろうか。



なぜかこの2羽は動作がたいてい同期していた。こういうのは珍しくとてもほほえましかった。

ビンズイは東日本の山地で子育てするそうだ。九州には越冬のために渡ってくるので当地では冬鳥になる。さえずりはとても良い声でそのためキヒバリと呼ばれたりするとのことだが、このあたりで聞くことはなさそうだ。ビンズイという名前はなんだか奇妙だが、そのさえずりがビンビンツイツイと聞こえるところから付いたという説がある。ただそう聞きなしたのは日本野鳥の会を創設した中西悟堂氏だそうで、そうすると昭和の話になる。しかしこの鳥はずっと日本にいたのだから、その昔は何と呼ばれていたか気になるがどこにも記述はなかった。万葉集など古典のどこにも出てこないようだし、これだけ身近にたくさんいても人々の注意は引かなかったということだろうか。

ところでこの前の冬はこうした小鳥たちがほとんど姿を消していた。冬鳥が来ないというだけでなくスズメやヒヨドリなど留鳥までいなくなって、何か天変地異でも起こるのかと不安に感じたくらいだ。しかし今季は何ごともなかったかのようにたくさんの小鳥たちにあふれている。一方、キンクロハジロなどの水鳥たちは小鳥たちと違って昨季はたくさんいたのだが、今季は我が家の近くの池にまばらにしか浮いていない。昨季の小鳥激減は全国的現象で、毎年ヒヨドリ被害に泣かされてきたミカン農家は大助かりだったそうだが、今季の水鳥激減はどのくらい広がっているのだろうか。こうした現象を全国から集めて統計を取り原因を追究する仕組みがあったらよいのにと思う。

イソフサギ

2013-01-25 10:18:47 | 花草木


長崎鼻は薩摩半島の南端、錦江湾の入り口に突き出ている岬で向こう側には本土最南端の大隅半島が見える。火山岩の岩場が海に没する先端あたりに赤い花が咲いている。



岩の隙間を小さな葉と花がぎっしり埋めている。そんな様子からイソフサギという名が付いている。実際には磯と言うより岩の割れ目を塞いでいるだけなのだが。ともかくこんなところにまで出てこられる植物はほかにない。海が荒れればきっと塩水に浸かってしまうだろう。しかもこの真冬、いかに南国といえども海は冷たく、東シナ海を越えて大陸の寒風は容赦なく吹き付けるのだ。



この花が咲き出すのは秋。昨年の10月に一面に咲いているのを見た。一つ一つは米粒よりも小さく、それがぴったりかたまってコンペイトウのような花穂を作っている。やはり小さな多肉の葉が密集している様子など、ちょっと見にはスベリヒユ科のスベリヒユや園芸植物のポーチュラカ、マツバボタンなどに似ている。しかしイソフサギはヒユ科で、まったく似ても似つかぬヒユやイノコズチ、ケイトウなどの仲間だった。



2mmかそこらの花を観察してみた。真ん中には子房が赤く膨らんだ雌しべがある。黄色の花粉を出した雄しべは5個、花びらが5枚ある。しかしこれは花弁でなく萼片のようだ。区別が付かないから花被片と言った方がよさそうだ。小さいながらもちゃんと花の形を整えてなかなかきれいだ。しかしこんなところで咲いて、果たして虫など来るのだろうか。蝶も蜂も見たことがない。ただ磯のゴミにたかるハエはいたから、それがこの花にも止まるとは思う。



12月、冬になっても赤々と咲いているように見える。しかし目を近付けると花は開いていない。じつはこれは果実で熟しつつあるのだった。しかし花被片は普通の花びらのように枯れ落ちたりせず、いつまでも赤々としている。しかも果実をすっかり包み込んでいるのは、もしかしたら海辺の強い紫外線や塩などから幼い種子を守っているのかもしれない。手に取ってみたら花被片は厚みがあってみずみずしく、また中の果実もまだやわらかく半透明で果物のようだった。



そして今、1月後半、まだ赤々と咲いているように見えるが、さすがに少し色褪せ萎びてきている。つまんでみようと触ったら、ぽろっと取れて転がっていった。その後に干からびた薄皮のようなものが残っているが、これはきっと苞だろう。



2mmくらいの粒が岩のへこみに寄せ集まっていた。まだ薄赤い花被片にしっかり包まれている。試しにはがしてみると中から同じ色の果実が出てきた。それは果皮の色で、それを剥くと薄い褐色の柔らかめの種子が出てきた。この転がっている粒を海に放ったらどれも浮いて波間に漂った。そうして海流に流されて広がっていくのだろう。



寒さと暑さ、乾燥、塩、紫外線など、あらゆる災厄の中で生きる不死身のような植物だが、さすがに耐え切れず枯れてしまったものも目に付く。この株もかなり痛めつけられ葉を落としている。厳しい自然から逃れ隠れるように岩の割れ目に沿って茎を伸ばし、先々で根を下ろして水を確保しようとしているのが判る。そしてまだまだ新しい葉を出そうとしている。



暖かくなればみずみずしい葉がまた隙間を埋め尽くすだろう。多肉なのは水分保持のため、表面がてかてかしているのはクチクラ層を発達させて乾燥や塩害から身を守るため。これらは海浜植物共通の特性だ。

イソフサギはこれだけ強靭な植物だから屋上緑化の候補になったそうだ。しかし試験したところあえなく枯れ死してしまったという。どうも意外な弱点も併せ持っているらしい。分布も南西諸島と鹿児島県、和歌山県となっている。黒潮沿いの宮崎県や四国などにはないというのは不思議だ。しかも紀伊半島では絶滅危惧II類とされている。鹿児島県でも長崎鼻には多いが、どうもここだけのようだ。近くに同じような磯はあちこちあるが、今まで見て回った限りではどこにも見つかっていない。これにはいったいどんな理由があるのか見当もつかない。

昨年までしばらく暮らしていた屋久島では、南側の海岸ならそれこそどこへ行っても目に付いた。磯全体にびっしりというくらいのところもあった。だから指宿に来てすぐまた出会っても当たり前にしか思わなかった。そうではないことが判って、たまたま移住先にこの地を選んだことが大変な幸運だったのだと改めて思う。

ミル茶の作り方

2013-01-18 10:47:54 | 指宿暮らし

薩摩半島南端、一面に広がる頴娃の茶畑。生産量では日本一だそうだ。

もう2年ほど前、NHKの番組で緑茶の健康・長寿効果が紹介されブームになったことがある。こういうものは長く続けなければ意味はないのだが、今でも飲み続けている人はどのくらいいるのだろうか。私はそれ以前から緑茶を電動ミルサーで粉砕してがぶ飲みしてきていたので、その経験をブログで紹介したことがあった。それからもいろいろ試行錯誤を繰り返してきてだいぶやり方も変わったので、再度、最新の情報をご紹介したい。

緑茶を飲むには急須を用意したり茶殻を捨てたりとけっこう面倒なことがある。その点ミル茶(粉砕茶)は前もって作っておいた粉を溶かすだけだから手軽に飲める。また茶殻もすべて飲んでしまうので有効成分を無駄なく摂取できるし経済的でもある。しかし残念なことにおいしさでは我慢しなければならない。何より緑茶のあの馥郁とした香りは楽しめない。粉砕することで香り成分がずいぶん破壊されてしまうようで、また作り置きしておく間にもどんどん消えていってしまう。そもそも香りの良い上級なお茶ほど粉砕すると苦味・渋味が強く出勝ちでミル茶に適さないのだった。

しかしお茶好きの私としてはだんだん我慢ができなくなってきた。何とかしてもっとおいしいお茶を楽しみたい。それで道具を変えてみた。



購入したのは手動の粉末器、つまり手回しの小さな碾き臼だ。京セラのCM-45 GTという製品で価格は3000円未満。これだと電動で徹底的に粉砕したりしないためかかなり香り成分は残る。また小さなものなので机の上に置いておけるし、ハンドルをぐるぐる2~30回ほど回すだけだからたいした手間でもない。作り置きしないで毎回挽きたてのお茶を楽しむことにした。また粉砕の度が弱いためか渋すぎて飲めないということもなかった。まずこれでかなり満足できた。

それでも急須で入れた時のようなまろやかな味は望むべくもない。茶葉によっては香りは良いのだが味が強すぎてとても何杯も飲めないということもよくあった。そこで考えたのはどうせ粉にするのだから味の良いお茶をブレンドすればよいということだった。甘味・旨味が強く渋味のないお茶としたら茎茶がある。よく白折という名で売られているが、味は良いが香りは弱く、大量の茶葉に熱すぎるほどのお湯で出さなければならずあまり人気のないものだ。しかしこうした欠点はミル茶では問題にならない。

さっそく試してみたが全く挽けなかった。茎の部分が臼の溝にはまって詰まってしまうのだった。そこで以前から使っている電動ミルサーで前処理することを思い付いた。もともと香りは弱いのだから強く粉砕して構わない。そうして作った茎茶の粉と、香りの良い煎茶を一緒に手動の粉末器に入れて挽いてみた。結果、味も香りも格段に良いものになった。そしてもう一年以上このやり方でお茶を楽しんでいる。なお使っている電動ミルサーはイワタニ ミルサー IFM-800DGという製品で6000円ちょっとしたが、どうせ前処理用だからもっと格安品でも十分だろう。

毎朝、粉末器のハンドルを取って上の蓋をぱかんと開けて容量の半分ほど煎茶を入れる。それと同じくらいの茎茶を電動ミルサーに軽く10秒ほどかけて、その粉を煎茶の上に足し入れる。軽くとんとんするくらいでかき混ぜる必要はない。碾き臼が回ることで自然に混ぜられるようだ。飲みたい時にハンドルを数十回まわせば湯呑み一杯分用のミル茶が下に溜まる。透明部分を回して外し、湯呑みにぱっと入れてお湯を注いでかき回せば出来上がり。我が家の飲み量だとだいたい一日一回茶葉を補給するだけで済む。

煎茶の香りは製品によって差が激しく、まず家庭用とか徳用だとかいうものは論外だ。それにもともと茶殻を捨てないわけで使用量は急須で飲むより格段に少なくて済むから少々高価でも構わないだろう。といっても100gで1000円以上のものなら、当たり外れはあるがまず合格だった。なお深蒸茶は茶葉が細かいので挽きやすいが、深蒸することで香りは弱くなっているのでこの目的にはあまり適さない。茎茶はずいぶん格安品があるが味はともかく悪い香りが出たりして台無しになってしまう。これも100gで400円くらいのものならたいてい大丈夫だった。というよりそれが普通に売られているものの中では最上級品なのだが。私が愛飲しているのは「深むし茶白折」(お茶の小野園 福岡市)という100g498円の製品だがこれはお勧めできる。

ところでこのやり方の欠点は茶葉が十分に細かくならないことだ。電動器械だとそれなりに時間をかければいくらでも細かくなるが、手動の碾き臼で一回挽いただけでは、粗さ加減を最も細かく設定しても見ただけで粉になりきっていないことが判る。これは看板に偽りがあるということだが、ともかく湯呑みを回しながら飲んでも底に沈殿物が残ってしまう。たぶん数回挽き直せば良いのだろうがそんな手間をかけるのも面倒だ。まあ残りは洗い流してしまっている。

さて健康効果はあっただろうか。私も60台の後半に入って正真正銘の高齢者だ。髪はがっかりするほど後退し、ひげもほとんど白くなった。こういうことには全く効かないということだ。しかし肌の張りはそれほど衰えず、顔に皺やシミなどあまりない。何より当地に引っ越してきてから一年半、まだ一度も医者にかかったことはない。風邪薬を飲むとか、運動機能の衰えによる怪我といったこともない。国民健康保険と介護保険で昨年は50万円以上も徴収されたが、いったいこうしたお金はどこに消えるのだろうと不審に思うくらいだ。緑茶の効能として全身的に免疫力を強化するといわれているが、それは間違いないという気がする。何しろ他にサプリメントを摂るとか食事に特別気をつけるなど一切していないのだ。

しばらく前、顔の小さなほくろの一つが急に大きくふくらんできたことがあった。そのうち赤くなりぐじゅぐじゅしてきて少し血が出るようになった。これはいわゆる悪性腫瘍というものかと思ったが、何もしないで放っておいたら数日もすると血が止まりだんだん乾いてきた。そのうちどんどん小さくなっていって、ある日ぽろっと取れて小さなへこみだけが残った。たぶん体の免疫機能が異物を排除してくれたのだろう。きっとこういうことは体の中でもあちこちで起こっているのだと思う。ガン検診でポリープが見つかるとかいうのはこういうものなのではないか。こんなものを早期発見早期切除などしていたら、確かに医療費が増大するのも無理はない。しかし体が丈夫なら、放っておけば自然の免疫力が排除してくれるのだ。そのうちもっと年を取ると免疫力も衰え異物が威勢を振るうようになるのだろう。そうしたらもう寿命ということだから手術だ何だと騒がず、自然に任せあるがままにしていればよいではないか。前途ある若者ならともかく、この年になって病院のベッドでただ寿命を延ばすだけの毎日がいくら続いても仕方ないだろう。私は今までに一度も役場から来る検診案内などに行ったことがない。

モズ

2013-01-11 09:32:34 | 


我が家の2階の書斎からは遠くの山並みや夕焼けなど眺められてなかなか良いのだが、残念なことに電線が邪魔をしている。越してきて最初のうちはずいぶん恨めしく思ったものだが、そのうちいろいろな鳥がしょっちゅう来て止まるのに気付いた。居ながらにしてバードウォッチングができるとは、これはまたいいものだと思い直した。それからは机の上にいつもカメラを用意している。数ヶ月前、秋の間中はそれこそひっきりなしという感じだったが、中でも一番目にしたのはモズだった。何しろけたたましい声でここに居るぞと叫ぶのでいやでも気付くのだった。



ぐっと先の曲がった嘴、大きな鋭そうな目、スズメより少し大きい程度の小鳥なのにワシタカを思わせるような迫力がある。目を通って黒々と太い横線があるのも悪漢風だ。これはスポーツ選手などもやっていたりするが、目つきを悟られずどこを見ているのか判らず、それで相手を欺くのだという説がある。なおこの線の色が黒々しているのが雄、雌は少し薄めなのだそうだ。



しかしこんな姿の時もある。しゃれた色合いで長い尾がすっと伸びた細身も形よく、鳥かごに入れて飾っておきたいくらいだ。



またある時はふっくら膨らんでいたりする。これではスズメ並みのかわいらしさだ。



胸とお腹は白い。雌だとここに薄い茶色のうろこ模様があるそうだ。よくこうして背伸びするようにして首を回しながら周囲をうかがっている。



その時尾羽をゆっくり回しているのが面白い。上下させるのなら鳥として普通だが、くるくる回すのは珍しい。これはどういう目的があるのだろう。何かの合図とかあるいは準備運動とかにしてはゆっくり過ぎるし、全く見当も付かない。



キィーキィーキィーといったモズの高鳴きは秋の風物詩とされているが、凄まじ過ぎて風情も何もあったものではない。しかも傍迷惑なくらい近くでずっと鳴き続ける。秋は鳴いていない時の方が珍しいくらいに感じる。これは縄張り宣言なのだそうだ。ということはここで見かけるのはいつも同じ個体で、我が家を勝手に縄張りにしてしまったということか。冬になると急に聞こえなくなるのでどこかに行ってしまったかと思う。しかし鳴かなくなっただけで気が付くと黙って電線に止まっていたりする。たまに飛びながらキチキチキチと鳴いている。

ところでモズはカラスと並ぶ悪声の持ち主かと思うと決してそんなことはない。このあたりにはすばらしい美声のイソヒヨドリが多いのだが、ある時、これまた麗しい鳴声がするなと目を上げたら何とモズだった。上手に、いや師匠以上というくらいにイソヒヨドリを真似ていたのだった。玉を転がすようなカワラヒワを真似たり、スズメのぐちゅぐちゅと甘えるような声を真似したり、またそれらから良いとこ取りをしたような独創的で不思議な節回しを歌っていたりする。さすが百舌と書かれるだけのことはある。これは春先に雌を誘うための求愛行動の一つと言われているが、実際は秋にも高鳴きの合間にしばしば物真似声を出している。こんなすばらしい声の数々がまさかモズだったとは思いも寄らなかったが、こうしていつも姿を見られて初めて気付くことになった。



昨年の春、海辺の雑木の枝にカニが刺してあるのを見つけた。カニは逃げ足が速く、よく捕まえられたものだと思う。我が家の庭でも無残な目つきの大きなバッタの干物があったし、カナヘビは絞首台の死刑囚のようにだらりと垂れていた。モズの早贄については諸説があるが、食物を固定して食べるためというのが最有力のようだ。モズは嘴は鋭いが、足は爪こそ伸びているもののきゃしゃな感じで太さは可愛い小鳥と変らない。ワシタカだといかにも頑丈そうな足でがっちり獲物を押さえつけるがモズではとてもそんな真似はできない。それで突き刺して固定してから嘴で引きちぎって食べる習性が進化したのだという。ではなぜ足をワシタカ並みに進化させなかったのか。見ていると彼らは普段は小さなハエなどをぱくっとくわえて一口で飲み込んでいることが多い。頑丈な足ではこうした俊敏な行動の妨げになってしまいそうだ。彼らにとって大きな獲物を手に入れる機会はそれほど多くなく、軽快さの方を優先したのではないだろうか。

モズは日本中の山から海辺にかけてどこにでもいるそうだ。ただ北方や山地のものは秋になると暖かい南方や平地に移動するとのことで、我が家のあたりでは冬にずいぶん増える。また何しろ自己主張の激しい鳥だから、ウグイスやメジロなどと共に子供の頃から馴染みの鳥の一つだった。しかし動物食のため都市化や農薬による餌不足で最近は減ってきているという。花の蜜を吸うメジロなどは心配ないが、これからはモズを知らない人たちも増えてきそうだ。

ヤマシロギク

2013-01-04 11:13:27 | 花草木


冬といっても南国の山は、黒ずんではいてもほとんど緑で覆われている。それでもこの林道脇の斜面は、秋にはヒヨドリバナが一面咲いていたのだがもう見る影もない。しかしところどころにノジギクと、それより二回りほど小さな白いキクが咲き残っている。この小ぶりなキクはほかの花々から少し離れた雑木林の日陰がちのところにあって、けなげにまだまだ新しい花も咲かせている。



地味で見過ごしてしまいそうな花なのだが、木漏れ日が一瞬射して美しく浮かび上がらせた。心を込めて作ったのだからちゃんと見ていきなさいと、自然か何かに言われたような心地がした。



この小さなひし形の穴には思わず惹きつけられる。これは雌しべの先の柱頭で、茶色の雄しべ筒の中を通り抜けて先端から突き出しているのだ。柱頭はだいたいどのキクでも2裂して左右に開いているもので、この花でも雄しべのない舌状花ではそうなっている。なぜかこの筒状花においては、左右に開いた後、逆にくの字に曲がり、二つの指先を合わせるようにして神秘的な輪を作っているのだった。



いささかくすんだ色の花があった。咲いてしばらくして雄しべ雌しべが崩れかける頃、筒状花の花弁から鮮やかな黄色が抜けていくようだ。枯れ始めているのだが、かえって落ち着いた気品のある色になっている気がする。



咲く前、まだ舌状花の花弁が開かず糸状に並んでいるのが何やらかわいらしい。この様子はノコンギクとそっくりで、なるほど同じ仲間だなと思う。



株は群生するのでなくぽつんぽつんと、斜面から横に、あるいは垂れ下がるように生えている。高くても1mほど、よくあるのはその半分くらいか。このあたりに優勢なノジギクと比べると花は小さく2cm以下で数も少ない。葉もキク属のようないかにもキクらしいものでなく、雑草然とした細長い形だ。さてこのキクは何という名前だろう。このような感じのキクは東京近辺だったらシラヤマギクがよくあった。だがそれは花びらの数がずっと少なく貧相な感じで、しかし植物体はもっとがっしりしていて、何より大きなスペード型の葉が特徴的だった。

図鑑を見るとこれはシオン属のイナカギクかシロヨメナのどちらかのようだ。前者は西日本だけに、後者はもう少し北、関東地方にまで分布しているそうだ。しかし両者はとてもよく似ていて図鑑の写真などではまず区別が付かない。見分けのポイントは葉で、前者は毛が多くざらざらしていて、また付け根で茎を少し抱くのだそうだ。後者はそういうことはないとのこと。



葉は個体差も大きく、また同じ株でも上と下でずいぶん違っていたりする。そこで近くに咲いている株の根元の方を次々と見ていった。この葉では、なるほど付け根でいくらか広がっていて茎を抱いている感じだし、触るとざらざらしている。ということはイナカギクということか。



しかしこんな葉もあった。どうも茎を抱いているようには見えないが毛は多い。小柄な株に多かったが、それがもともとそういう種類なのか、それとも環境か何かが悪くて発育不良なのか判らない。



一番多いのはこんな形の葉だった。茎を抱き気味と言えるかどうかよく判らない。図鑑のシロヨメナの写真はこんな感じだったが、違いはかなり毛深いということだ。

ネットで調べると「シロヨメナ群は複雑な倍数体複合体で, 分類の困難なグループである」との記述があった。そして最近のDNA解析の結果として、ここ九州にはシロヨメナとイナカギクだけでなく、新種としてケシロヨメナとサツマシロギクがあるとされていた。そのうち九州南部に多いのはサツマシロギクだそうだ。ということはここにあるものの多くはサツマシロギクなのだろう。

ともかく形態的にはどれも似通っていてそれぞれ変異も多いからあれこれ言っても仕方なさそうだ。そもそもシロヨメナもイナカギクも共にノコンギクの亜種ともされているし自然交配もしているそうだ。しかしではこれらの花を何と呼べばいいのだろう。ところでイナカギクはもともとヤマシロギクと呼ばれていて、またシロヨメナの別名が同じヤマシロギクなのだ。ということはこれらシロヨメナ群をまとめてヤマシロギクと呼んでしまえば文句の付けようがないということか。ヤマシロとは京都の山城の地名のことなのだそうだが、読み替えて山の白いキクと一般化すればこの花にぴったりでもある。同じ白い野菊のノジギクが海に近い道端などに多いのに対して、こちらはほとんど山地にしか生えていないのだから。