天高群星近

☆天高く群星近し☆☆☆☆☆

道、一年の回顧

2007年12月31日 | 日記・紀行

道、一年の回顧

東山魁夷の「道」は、氏の多くの作品のなかでも、比較的によく知られたポピュラーなものである。一年の終末を迎えて過去を回顧する時を飾るにふさわしい絵画かも知れない。

画面の中央に向かってまっすぐに「道」が延びている。草色の早春に萌えるような草原の丘陵の中を、骨太い一本の土色の道が遥か遠くにまで延びている。そうして画面に単純な構図の奥行きに等辺三角形をかたちづくる中に、この作品を前に鑑賞する者に様々な感慨を引き起こす。この道を前に人はいったいどのような感想を持つだろうか。

この一筋の道を前にして私は戸惑う。いったいこの道は、私がこれから辿り行く道なのか。それとも、私が来し方を振り返って眺め回顧すべき道なのか。この道はいったい上り道なのか、それとも下り道なのか。

今年も一年が終わる。それが時間と空間の一つの道程であったことは確かだ。一年の終末とは、やがて私たちが生の終末という本番を迎えるために、毎年に繰り返す予行演習のようなものである。ただ、この道の終着地は画面の中にはその姿を現すことはない。あるいは、それは生の発端として、すでに私たちの記憶の中にはすっかり消えてしまった母の胎内にまで辿りゆくものかもしれない。

いずれにせよ、私たちに生があるかぎり、過去にも未来にも一本の道が横たわっていることは確かだ。それは終末に向かってただ延びている。時は迫っている。何事にも初めがあり終りがある。そして誰もが明日という日の、来年のあることを信じて生きている。しかし誰にでも終りの日は迫り来る。年末とは、世界と生の終末の一つの予兆にすぎない。ただ、それから眼をそらして真剣に見つめようとしないだけのことだ。「見よ、私は速やかに来る」

愚痴を言っても仕方がないので、一年の後悔は語らないことにしよう。ただ、これ以上の愚行を繰り返すのことのないように願うばかりである。好きなことを楽しく行えればいい。はじめて農事に関わることのできたことが本年になって唯一特筆できることだろうか。今日も時間を見つけて、生まれて初めての麦踏みを体験してきた。桃と柿の木は何とか年内に植えた。予定としてはただイチジクを植えきることができなかった。これらのことだけでも、その限りなき恩恵に感謝すべきかも知れない。

このブログも有形無形に恩恵を受けた多くの人々に感謝して今年の一年を終わりにします。来たる年もまた恵みと平安に満ちた年でありますように。皆さんも良いお年をお迎えください。

 

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クリスマス・イブ、Merry X'mas !

2007年12月24日 | 文化・芸術

ヨハネ書には、イエスの生誕について何ら具体的なことは記録されていない。この本でイエスの母マリアがはじめて登場するのは、カナでの婚礼にイエスとともに参加したときのことである(ヨハネ書第2章)。それに対して、ルカ書にはイエスの誕生の経緯がやや詳しく記されている(ルカ書第1章)。しかし、ルカ書もヨハネ書のいずれにも、イエスの生誕にヨハネが深く関わっていたことを伺わせる記述がある。

それにしても、イエスの存在はその母マリアなくしては考えられない。12月25日はイエスの誕生日であるという。今日はその前夜祭。イエスの言動についていくつかの記事を載せているこのブログでも世間並みにイエスの生誕を祝って。

ルカ書第1章第28節以下から。

天からの使いガブリエルは、マリアのところに来て言った。「歓びなさい。何と恵まれた方。主はあなたとともにおられる。あなたは女のうちにあって祝せられる。」

マリアの賛歌

そして、マリアは言った。

私の心はいたく主をあがめ、
私の魂は、私を救われた主なる神を歓び称えます。

主ははしためのような身分の低い私にも眼を注がれましたから。
今からすべての世代にわたって、私は恵まれた女と呼ばれるでしょう。
力ある方が、私に驚くべきことをなされましたから。
聖なるは主の御名です。

主を畏れる者に主の愛は、
代々に及ぶでしょう。

主はその腕に力をふるい、
思い高ぶる者を蹴散らされます。

主は力ある王を玉座から引きずりおろし、
卑しい者を高く引き上げられました。

主は飢える者を善き物で満たし、
富める者を空手で立ち去らせます。

主は僕イスラエルを愛の思いに堅く抱きしめられます。
主が私たちの先祖に語られたように、
アブラハムと彼の子孫にとこしえに。


天使祝詞

おめでとう、恵まれたマリア、
主はあなたとともにおられる。

あなたは女のうちにて祝せられ、
お腹の御子イエスも祝せられる。

主の母マリア、
罪人である我らのために、
今も臨終のときも祈りたまえ。

クリスマスおめでとう。Merry X'mas !


つたないこの記事をクリスマス・カードを送りきれなかった友人たちに。

  アヴェ・マリア

     アヴェ・マリア

            真珠の耳飾りの少女      

           

 

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山本常朝 ――『葉隠』の死生観

2007年12月11日 | 文化・芸術

山本常朝 ――『葉隠』の死生観

人間は文化的な生物である。だから、その成育の環境と伝統のなかで「教育」を受けてはじめて人間になる。教育や伝統などの文化的な環境が人格形成に決定的な影響を及ぼす。人は誰でも、両親を第一として、故人であれ、また海外であれ、青年の頃から多くの人格に接することを通じて人格形成を行う。そして、多くの人がそうであるように、私もまた、様々な出来事や人格から何らかの影響を受けながら、意識的にかあるいは無自覚的に自分の人格を形成してきたといえる。

その中にも、もちろんその影響の強弱はある。人格の中にも、強い影響力、感化力を持つものとさほどでもないものがある。

最近でこそ特に関わることもないけれども、二十歳前後の青年時代に触れる機会があって、かなり強い印象を残した人格に山本常朝という人間がいる。常朝とは、いうまでもなく『葉隠』の語り部である。私はそれを当時刊行されていた「江戸史料叢書」の中の上下本として読んだ。

『葉隠』といい山本常朝といえば、その武士道の主張で戦前の右翼思想家のイデオロギー形成に寄与したことから、左翼からは批判的な眼で見られることも多いようである。けれども、それは山本常朝自身の責任ではない。常朝自身の考え方には、右翼とか左翼とかいった狭い範疇を越えた普遍的な真実がある。


常朝の思想の核心は、武士の身分として「死の決意をもって主君に奉じる」ということにあった。武士の生き方としての死の覚悟である。彼の人生観、死生観はそれに貫かれている。

「毎朝毎夕改めては死に死に、常住死身に成りて居る時は、武道に自由を得、一生落ち度なく家職を仕果たすべき也」と語っている。
ある意味では彼は最高の「モラリスト」であるとも言え、少なくとも江戸、明治期には、我が国にこうした人格は少なくなかったのだろうと思われる。そして、まさにそれと対局にあるのが、戦後民主主義の人間群像なのだろう。

常朝自身は、また、それなりに風流人であったようである。彼の言葉の節々にも、詩人的な風格が香ってくる。彼自身は仏道修行や風雅の道は隠居や出家者の従事することとして、無学文盲を称して、奉公一篇に精を出したが、詩人としての気質に不足はなかった。「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候」というのもそうである。彼自身がきわめて聡明であったことはその発言からもわかるが、また、なかなか美男子であったようだ。しかし、器量がよく、利発者であっても、それが表に出るようでは人が受け取らぬ事をよく知っていた。それで毎日、常朝は鏡に自分の顔を映して自分の器量を押さえたのである。 

                    
江戸と今日の平成の御世では大きく異なるのは言うまでもないが、それでも本質的に共通する部分もある。そこに、『葉隠』が今日にも普遍的に通用する真理を語っている一面も少なくない。たとえば彼は「武篇は気違ひにならねばされぬ者也」と言う。

現代の私たちが、ふつうに暮らしていても、特に男子には日常的にその誇りを試される場合が多い。その誇りを守る必要があれば、いつでも狂い死にせよ、と常朝は教えるのである。

だから、その配偶者は、いつ何時でも彼女の夫が街の路頭で狂い死にすることがあったとしても、その死には何らかの事情があることを思う必要がある。人生の伴侶として、その覚悟を求められるだろう。昔の武士の妻たちは皆そのことは心得ていたはずである。

また、常朝は次のような言葉も残している。「人間一生誠に僅かの事也。好ひた事をして暮らすべき也。夢の間の世の中にすかぬ事計りして、苦を見て暮らすは愚か成る事也。此の事はわろく聞きて害になる事故、若き衆などへ終に語らぬ奥の手也。」

 

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