天高群星近

☆天高く群星近し☆☆☆☆☆

自転車紀行(1-2)洛西

2006年05月14日 | 日記・紀行

 

東海道自然歩道になっているこの辺りは、洛西を取り巻く西山に沿っており、この場所からは、はるか眼下に京都の街並みを一望できる。京都駅前に立っている京都タワーも小さく見える。

ここからは「花の寺」の名で知られる勝持寺も近い。花の寺と聞いて、いかにも俗受けのする観光向けのネーミングだと思っていた。しかし、そうではなかった。この寺で西行法師は出家したそうだ。彼は好きな歌人だったので、この偶然が嬉しかった。西行はこの寺に庵を結び、桜を植えていつくしんだという。その桜はやがて人々から西行桜と名づけられ、そこからこの寺は花の寺とも呼ばれるようになったという。それを知った時、私は自分の無知を恥じた。その桜の木が今でもあるのかどうか知らない。戻ってきてからまだ一度もこの寺を訪れていない。今年の桜の季節にも来なかった。この寺も小塩山もポンポン山もいつかまた訪れるときがあると思う。

少し肌寒いかと思い、少し厚めのジャンパーを着て出たのがあだになった。自転車を走らせると汗ばんでくる。北の方に行くと九号線から亀岡の方に出る。今日は南に走り、昔の田舎の面影をまだところどころに残している山里の、閑静な家並みの間をゆっくり走った。

 

少し坂を上って、女子大のグランドの近くに行くと、その一角に洒落た喫茶店があった。街中ではないから敷地も広く、入り口に至るまで、さまざまの花が並べられ売られていた。多分、花屋さんを兼ねていたのかもしれない。あるいは、花屋さんが喫茶店を兼ねていたのか。とにかく、のどかで落ち着いた感じのする喫茶店だった。どんな花が並べられていたのか思い出せない。それからさらに少し山間に入ったところの木陰などには鷺草が見られた。また、小さな崖の下には山ツツジなどもこっそりと咲いていた。


間もなく石作町に出る。この地は、竹取り物語のかぐや姫に求婚した五人の貴公子の一人、石作皇子のゆかりの地であると言う。この石作皇子は、インドにあった仏の御石の鉢を持ってくるように、かぐや姫から求められたのだった。石作皇子は今もそのユーモアで私たちを楽しませてくれる。確かに、この辺りは洛西ニュータウンができる前は広大な竹林に覆われた丘陵だったから、ここでかぐや姫が生まれてもおかしくはない。竹から生まれた「かぐや姫」を記念する祭りも町にはある。

 

ふたたび下り坂に入って少し走ると、業平ゆかりの寺、十輪寺の標識が立っている。今日はそちらの方には行かず、市街地に至る道の方へと、散輪ももうおしまいするつもりで走らせる。この辺りには大原野の畑が一帯に広がっている。まだもちろん、田植えは行われてはいなかったが、所々に稲の苗代が見られた。柔らかなビロード地の肌触りの絨毯のように、きれいな黄緑色をして風になびいている。畑のサヤエンドウも、スイトピーのような白い花をつけていた。農家の人たちが、観賞用に植えているのか、ヒナギクや大きな花弁を垂らしたショウブも(あやめやカキツバタとの識別が私にはできない)あちこちに見えた。

 

市街に近づいたとき、仕出し料亭「うお嘉」さんの駐車場に送迎用のマイクロバスが着いたばかりらしかった。ウグイス色の和服を着た仲居さんたちが、バスから降りてくる団体客を案内して信号の変わるのを待っていた。このあたりの料亭は筍料理が十八番である。

さらに市街地に入って、スーパーマーケットに近づいたとき、先日に買い忘れをしたことを思い出した。ついでに立ち寄って買って帰ろうと思った。途中に、サラリーマン風の男性に、「料理屋のうお嘉さんはこの道を行けばよいのですか」と尋ねられた。私は自転車を止め、来た道を振り返って指差しながら、「まっすぐ行けばいいですよ。でも歩くと相当ありますよ」と言った。さっきの団体客の一人が、マイクロバスに乗り遅れでもしたのだろうか。荷物も提げていたから気の毒になる。

 

その昔はこの辺りも多くが竹林だった。最近はずいぶんにたくさんに家が新築されて立ち並ぶようになった。しかし残念ながら、そこにかもし出される街並みの印象や雰囲気は、私にはとても気品があるとは思えない。私の価値観や美意識が今の時代には特殊なのだろうか。最近のこうした戸建て住宅の設計者や建築家の美的感覚はどうなっているのだろうと思いもする。もちろん素人の口出すことではないことはわかっているけれど。ただ、そうした風景をその眼に刻みこむ住民や子供たちの精神は、日常にどのような印象や影響を受けて育つだろうか。果たして優れた美意識がはぐくまれるだろうか。 


やがて鉄塔の立っている池の横に出た。この池は町の共同管理地になっている。その池の中のところどころに、黄色のアヤメが、キショウブと言うのだろうか、群生しているのが見えた。それを見て、やはり人間の造形は、とりわけ現代日本人のそれは昔の人以上に、自然の美しさにはまだ及びもつかないのだと思った。

 (06/05/12)

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自転車紀行(1)洛西

2006年05月12日 | 日記・紀行
 

久しぶりに、自転車で散歩に出かけた。今日は一日曇り空で、少し肌寒いくらいだった。天気予報を調べても、終日曇り空らしいが、雨は降るようにはないので、気軽に夕方の散輪に出かけた。

とりあえず郵便局が閉まる前に、まず立ち寄ることにした。郵便局の前についたとき、郵便局員の青年が、ちょうど赤いポストから郵便袋を取り出し、その首をロープで括って集配の軽自動車の助手席に放り投げたところだった。その青年は車の後部に回って、運転席に戻ろうとしていた。

ちょと残念な気がしたが、仕方がない。それで自転車を止め置いて、郵便物をバックから取り出してポストに投げ入れようとしたところ、その青年は、助手席の窓を下げて、「まだ大丈夫ですよ」と言って、手を出してくれた。眉の濃い好青年だった。

それで、ポストに入れかけた封書を二通、ありがたくその青年に手渡すと、彼はちらっと宛名と差出人を確認してから、郵便袋に仕舞い込んだ。もし自分が若い女性ででもあったなら、ここから小さな恋愛ストーリィが始まるかもしれないのに。彼に軽く会釈してから、最後の客らしい一人が出てくるのと入れ替わりに自分は局舎に入った。

時間に余裕があれば、その場で書類を書き上げて提出してしまおうと、印鑑なども用意していったのだけれど、時間まぎわなって入ってきた客に、どこか郵便局員はきびしい表情のような気もしたので、書類だけ受け取って、家にもどってゆっくり書き上げることにした。

いつもなら散歩に出るときは、まず九号線に出て、それから洛西ニュータウンの方向に向かう。しかし、今日は、京大付属植物研究所の横手の道から、もう少し早く北に逸れて行った。すると、ちょうど回生病院に通じる道路に出た。この道をたどるのは、洛西の地に帰ってきてからは、多分初めてだと思う。この病院の前の坂道になった道路を少し登ってゆくと、竹林公園に通じている竹の径のコースに入る。久しぶりに、この道を辿ってゆくことにした。この地で長女が生まれたが、幼い間に別れざるを得なかったので、幼かった彼女とこの竹の資料館に一緒に来たのも数えるほどでしかない。いずれにせよ、遠い昔のことになってしまった。

時間は五時を回ったか回らないかの時間のはずだが、最近はすっかり日足も延びて、まだ明るい。竹林の中に入ってしまうと、人影は全くない。少し進んでゆくと間もなく、大きな円筒型の府の水道配水施設が見える。周囲の壁には竹の木のデザインが施されている。

その前を過ぎると間もなく四叉路に出くわす。左の方に行くと、駅の方に向かう。それで反対側の右に折れて、竹の資料館のある道を行った。人影はやはりない。堀り残された竹の子があっちこちに生長して、熊の毛を生やしたような先のとがった杭が、方々に地面に打たれているように見える。竹林の高い梢の方からは、時々、ウグイスの鳴き声が聞こえてくる。人影はない。清小納言は五月のホトトギスは声が醜いと言ったが、このウグイスは、それほど声も濁ってはいない。まだ十分に澄んでいてきれいだ。

ちょうど、竹の資料館に近づいたとき、静かな竹林には不釣合いなほど大きなボリュームで閉館時間を知らせる放送が流れてきた。この頃に、五時になったようだ。この竹の資料館の正面入り口に差し掛かったころ、鎖に閉ざされた駐車場の中で中学生が三人、青いジャージー姿でふざけあったりしながら帰途につこうとしていた。途中で路肩に三台ほど自動車が駐車しているのが見えた。GYAOなどのサイトで知られている新興企業のUSENの営業マンの車らしかった。中の運転席に人がいた。この会社は最近あのライブドアの買収に名乗りをあげことでも知られている。

新緑も美しいが、今はまだ花の季節である。途中に家々の軒並みや公園や畑や山の中に、実に色とりどりの花々が咲いていた。そんな花々の形、色彩を見て、それから、竹林を飛び交う小さな名も知らぬ小鳥やウグイスの鳴き声を聴いていると、大自然の造形の妙に感心せざるを得ない。そこに神を感じるか否かはとにかく、その創造の美には本当に驚く。

特に今の季節では、家々の軒先や公園を飾っている花では、やはりツツジが目立つ。白い花と赤い花がきれいなコントラストを描いている。春らしく黄や黒紫のパンジーもよく植えられていた。そんな軒先の花を眺めながら、境谷の町並みを抜け、洛西高校の横手の新しい歩道から春日町の通りに出た。

この辺りは全く初めてのような気がする。まだまだ、新しい発見のできる場所は多い。これからの残された時間で、この地をどれほど散策できるかは分からない。しかし、でき得ることなら生涯の間、何度でも、定点観測のように、繰り返しこの小さな土地の「紀行文」を書き貯めてゆきたいと思っている。

やがて古い町並みの中の細い通りに入ると、赤茶色の築地塀があり、それを辿ってゆくと、西迎寺と書かれた小さな石碑が目に付いた。この辺りも、このお寺も全くはじめてだった。付近一帯がどこか懐かしい気がする。そして、この辺りの多くの家々は、それぞれ小さな畑を持っていて、木立や畑の間にひっそりと家が建っているという風情である。畑にはトマトや糸瓜の苗が糸に吊るされて植わっていたりする。こうした光景は私にとっては理想郷に近い。以前もこんな風景に出会ったとき、いつか自分もできれば、こんなところで暮らしたいと思ったものだ。

この辺りからは大原野神社は近いはずだったが探さなかった。自転車のハンドルのまま、気の向くままに進む。ただ、大原野の方へは向かおうと思った。

一度、東京の生活から帰ってきたとき、かって、そこで飲んだり食べたり過ごした駅前の小さな中華料理店や商店街が、何か天国のように感じられた記憶もある。何も大きな都市だけが価値があるわけではない。小さな町に、昔の人が、長い歳月を経たのちも、昔のままに暮らしている。天国を何も天空の宇宙に捜し求めるまでもない。

そんなことを考えながら、しばらく走っていると、道端に、東海道自然歩道の表示板に出くわした。

 

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遊女の救い

2006年05月09日 | 文化・芸術

 

ようやく連休が終わった。桂川の土手をバイクで走っていても、美しい新緑が眼に沁み入る。新緑のきれいな季節になった。

先日、たまたま日経新聞を読んでいたら、その文化面に、たぶん五月三日の記事だったと思うけれど、河鍋暁斎の「地獄太夫と一休」の絵について、どこかの学芸員による解説コラムが掲載されていた。

一休禅師は室町時代の僧侶であるが、河鍋暁斎は幕末から明治にかけての画家である。江戸、明治期の画家が、室町の一休宗純と遊女の地獄太夫を題材に絵を描いている。

そのコラムの解説によると、地獄太夫という女性は、もともと高貴な家の──武家らしい──生まれであったが、悲運にも泉州堺の遊郭に身を落とすことになった。誘拐され、身代金代わりに売られたとも言う。江戸時代のみならず先の戦前までは、日本には遊郭は存在したし、戦争ではそうした女性は慰安婦と呼ばれたりもしていた。

太平洋戦争後、日本から少なくとも公娼制が廃止された。もし、それが敗戦によるものとすれば、それだけの価値はある。もちろん現在においても、実質的な「遊郭」は、今もその名前だけを変えて存在しつづけているけれども。

遊女という「職業」は、人類の歴史と歩みを伴にしている。聖書の福音書の中にも、姦通を犯して石打の刑にされかかった女が救われた話や(ヨハネ第八章)、イエスの足を涙と髪で拭った罪深い女性の話が出てくる。(ルカ第八章)

遊女の境遇は「苦界」とも「苦海」とも呼ばれたりする。そして、女性がそうした世界に身を沈めるのは、多くの場合「お金」のためである。貧困のためであったり、借金を身に背負ってそうした世界に足を踏み入れる場合も多いのだろうと思う。ドストエフスキーの小説『罪と罰』のソーニャもそうした女性の一人だった。

今、サラ金業者のアイフルがその強引な取立てのために、金融庁から業務停止の処分を食らっている。聖書の中では、すでに数千年前にモーゼは、同胞からは利息を取ってはならないと命じている。(レビ記第二十五章、申命記第二十三章)。同国人から暴利と高利を貪る現代日本人とどちらが品格が高いか、藤原正彦氏に聞いてみたいものだ。サラ金や暴力金融の取立てから、売春の世界に余儀なく落ちる女性も少なくないのではないか。10%以上の金利は法律で規制すべきだ。それが悲劇をいくらかでも減らすことになる。まともな政治家であれば、そのために行動すべきである。サラ金から政治献金を受けて、高金利を代弁するサラ金の走狗、あこぎな政治屋でないかぎり。

一休和尚となじみになった地獄太夫も、自らを地獄と名乗ることによって、彼女自身の罪を担おうとした。一休はそうした彼女を、「五尺の身体を売って衆生の煩悩を安んじる汝は邪禅賊僧にまさる」と言って慰めたそうだ。しかし、一休は現実に彼女を解放することはできなかった。そんな言葉だけの慰めが何になる。

遊女の隣にあって、一休和尚が骸骨の上で踊っている姿は、すべての人間の真実の姿である。骸骨が、肉と皮を着て、酒を食らい宴会で踊っている。仏教ではこんな人間界を娑婆とも呼んでいる。

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天高群星近