宇宙船地球丸

境目を造る[環境(Environment)」から、響き愛の「環響(Eneironment)」へ

呼吸と吐吸(呼んでから吸う)

2005-03-09 07:32:43 | 真実
 今日は「言の葉の幹を捜す」の昨日の続きを書き記します。

呼吸と吐吸(呼んでから吸う)

創世記二-七 主なる神は土の塵で人形を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

 みなさんは、呼吸と吐吸の違いをご存じでしょうか。
 私たちは、「吸ったり吐いたり」と表現します。
 すると、呼吸の”呼”と吐吸の”吐”が同一の意味を持っていなければならないはずです。
 しかし、辞書には呼吸の”呼”と吐吸の”吐”が同一だとはどこにも書いてありません。
 それなのになぜ”呼と吐”が同一視されて使われているのでしょうか。
 そして、アルファベットの鼻のつづり[nose]とは、どのようなつながりがあるのでしょうか。
 またなぜ、呼吸であって吸呼ではいけないのでしょうか。

 「呼んで吸う」とは、何を呼ぶのでしょうか。それらを解明して行きましょう。

 創世記二-七に、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」とあります。

 土からつくられたアダムの人形の中に、創造主の生命エネルギーを入れる入れ物の肺があり、そこには創造主の息が入ります。

 アルファベット文字信号で、創造主が動いた信号[ru]から、創造主が動き終わった信号[ur]に変化して、そこから、創造主が創造[create]した生き物[creature]ができあがります。

 その生き物とは、特に最初の人である雌雄両性のアダムを指していました。

 その主なる神の息が入ったアダムは、息を肺から”出す”しかなかったのです。

 そして、「神様、私は、両性のアダムでしょうか?」と、創造主の名を呼んで問いかけたのです。

 それを、仏教系のチャンネルでは、「南無阿弥陀仏」と聞こえてきたのです。

 アダムは、”息を吐く”のではなく、主なる神を”呼んで”生まれてきたのでした。

「神様、こんにちは」の代わりの第一声として、主なる神の名を呼び質問したのでした。

 だからこそ、”吐く”と”呼ぶ”では、大変な違いがあります。

 現在の「吐く」は、体内に入った固形物を吐き出す意味で、往々にして汚物を体外に出す行為であり、「呼ぶ」は、主なる神への感謝の心を表現するものです。

 それを人々は、吸ったり吐いたりと言ってはいませんか。そこをアルファベットつづりの鼻[nose]が、的確に表現していました。

 まず、呼吸を[yes,no]の信号(自律神経の動き・図-41)で表現してみましょう(図-42)。

 呼を[yes]、吸を[no]で表現します。

 しかし、呼吸と吐吸では全く意味が違うため、吐を[yes]の反対のつづり[sey]として置き換えます。

 そして、私たちが、吸ったり吐いたりと表現するところから、文字信号を[no+sey]とします。

 そして絵を見てください。鼻の位置にあるアルファベットが[y]であるところから、[y]のダブりを避け、[no+sey-y=nose]とします。

 見事に[nose]となって、鼻を命名して、アルファベット文字と日本語・漢字の鼻とが同一になったのです。
 
 宇宙船地球丸的感覚の映像文字信号で、このことから言葉の幹を共有していたのだといえます(図-43)。


 文末の宣伝文は、本文とは次元の違うわたし個人の「経済」のことですので、ご理解の上以下の文をお読み下さいませ。 私の会社(有限会社フュージョン)では、「らくちんランプという従来の自転車用発電式ランプの欠点である「ペダルが重くなる」という点を克服した、次世代のLED発電ランプを販売しております。  通勤・通学に自転車を利用されている方々にはうってつけの製品です。  ただいまDIONオークションサイトに出品しています。

最新の画像もっと見る