今日は「言の葉の幹を捜す/田響隆仁著」の280~281ページ部分を書き記します。
(21) 基本数 十 数の霊と一の組み合わせ
数の零から基本数を経て完成を表す十になり、10は1と0、つまり1と無限大を組み合わせております。
零は霊に通じ、霊から五までは東洋的発想の原点になっており、五から十までは西洋的発想に重点がおかれています。
基本数が一~九まで知られるようになって、時間的流れのずれを経て、インドにおいて0⇒零の発見がなされたと言われます。
仏陀哲学・儒教・仏教では神の存在を前面に出し、チベット医学や素問霊に代表される神農黄帝医学である神を中心としたところの東洋医学では、霊は信号の0であります。
生命エネルギーのパルスでは、甲の病気・乙の病気・丙の病気・丁の病気となり、病気とは丙の病であり、丙(マイナス3度)の病気となります。
0は「Hの水素と、0の酸素のごとく」と、言霊信号は語りかけます。
一つに止める気とは正気であり、まばたきの止まらないのが生命維持の原点です。
甲の気と一人の気の間を行き来している信号こそ、映像文字信号∞(無限大)となります。
0(霊)は絶対数の0(零)であっても、十とは1∞で螺旋的発展がなされていき、小はリトルコスモス、大はコスモスと同一螺旋をへていくことになり、100=0のエントロピー理論から螺旋理論への変化をうながし、絶対無から空間空へ、絶対無が気体系気体の中において絶対無が条件によってペアーを出現させる双体の零点なのです。
色即是空・空即是色や、カタカムナ文化遺産の歴史的時間幅、そして、バベルの塔などで表現されますが、これで宗教思想やその他の心を縛る思想から離れて、同一土俵に並んで見えます。
これが、完全なるものとしての文字信号“十”となり、仏陀系で表現される“田”から、シンプルになった中心核を取り出した文字信号で、完全なる神を表示する“十”になるのです。
聖書の世界では魚から十へと変わり、十字架に代表されるシンボルマークとなっています。
この基本数の解釈にも、同一性の方向指示が明示されたことは、言霊から源語学として、また映像文字信号としての手ごたえを感じます。
旧約聖書の創世記で、ノアの箱船に出てくるノアの息子セムが、セム語の発生となり、そのセム語はいくつかの時間と流れにのり、歴史の中で分かれていく幾多の言葉となって地球上を拡大していったのは、研究の中で明らかとなっているのです。
ただし、アルファベットはセム人の一事務員が作りだしたとする考え方が一般的になっています。
円は東・西を合併し、球は東洋・西洋を合併します。極を持って初めて球体理論を螺旋の中にみることができるのです。
100%を円と言います。九に完全を示す「ヽ(チョン)」を入力して〔丸〕となります。
そこで螺旋球体の中心に田と十が見えてくるのです。
心のオアシス
光を捜せ、希望が見える
無は有体の無である
光がある いのちがある
ただたんたんと生かされるいのちがある
有り難いものだ
出会いは
有るが難しいから
「有り難とう」とあいさつをかわすのだ
だから”だんだん”と心が暖かくなってくる
文末の宣伝文は、本文とは次元の違うわたし個人の「経済」のことですので、ご理解の上以下の文をお読み下さいませ。
有限会社フュージョンでは、自転車用発電式ランプを点灯させた時にペダルが重くなるという欠点を克服した、発電式LEDランプ「らくちんランプ」を販売しております。
ハブダイナモ式発電ランプよりも軽く、常に点灯させていてもペダルの重さを感じさせないので、日常の買い物やお出かけ、通勤・通学に自転車を利用されている方々にはうってつけの製品です。「らくちんランプ」の詳細につきましては、(有)フュージョンのHPをご覧下さいませ。
(21) 基本数 十 数の霊と一の組み合わせ
数の零から基本数を経て完成を表す十になり、10は1と0、つまり1と無限大を組み合わせております。
零は霊に通じ、霊から五までは東洋的発想の原点になっており、五から十までは西洋的発想に重点がおかれています。
基本数が一~九まで知られるようになって、時間的流れのずれを経て、インドにおいて0⇒零の発見がなされたと言われます。
仏陀哲学・儒教・仏教では神の存在を前面に出し、チベット医学や素問霊に代表される神農黄帝医学である神を中心としたところの東洋医学では、霊は信号の0であります。
生命エネルギーのパルスでは、甲の病気・乙の病気・丙の病気・丁の病気となり、病気とは丙の病であり、丙(マイナス3度)の病気となります。
0は「Hの水素と、0の酸素のごとく」と、言霊信号は語りかけます。
一つに止める気とは正気であり、まばたきの止まらないのが生命維持の原点です。
甲の気と一人の気の間を行き来している信号こそ、映像文字信号∞(無限大)となります。
0(霊)は絶対数の0(零)であっても、十とは1∞で螺旋的発展がなされていき、小はリトルコスモス、大はコスモスと同一螺旋をへていくことになり、100=0のエントロピー理論から螺旋理論への変化をうながし、絶対無から空間空へ、絶対無が気体系気体の中において絶対無が条件によってペアーを出現させる双体の零点なのです。
色即是空・空即是色や、カタカムナ文化遺産の歴史的時間幅、そして、バベルの塔などで表現されますが、これで宗教思想やその他の心を縛る思想から離れて、同一土俵に並んで見えます。
これが、完全なるものとしての文字信号“十”となり、仏陀系で表現される“田”から、シンプルになった中心核を取り出した文字信号で、完全なる神を表示する“十”になるのです。
聖書の世界では魚から十へと変わり、十字架に代表されるシンボルマークとなっています。
この基本数の解釈にも、同一性の方向指示が明示されたことは、言霊から源語学として、また映像文字信号としての手ごたえを感じます。
旧約聖書の創世記で、ノアの箱船に出てくるノアの息子セムが、セム語の発生となり、そのセム語はいくつかの時間と流れにのり、歴史の中で分かれていく幾多の言葉となって地球上を拡大していったのは、研究の中で明らかとなっているのです。
ただし、アルファベットはセム人の一事務員が作りだしたとする考え方が一般的になっています。
円は東・西を合併し、球は東洋・西洋を合併します。極を持って初めて球体理論を螺旋の中にみることができるのです。
100%を円と言います。九に完全を示す「ヽ(チョン)」を入力して〔丸〕となります。
そこで螺旋球体の中心に田と十が見えてくるのです。
心のオアシス
光を捜せ、希望が見える
無は有体の無である
光がある いのちがある
ただたんたんと生かされるいのちがある
有り難いものだ
出会いは
有るが難しいから
「有り難とう」とあいさつをかわすのだ
だから”だんだん”と心が暖かくなってくる
文末の宣伝文は、本文とは次元の違うわたし個人の「経済」のことですので、ご理解の上以下の文をお読み下さいませ。
有限会社フュージョンでは、自転車用発電式ランプを点灯させた時にペダルが重くなるという欠点を克服した、発電式LEDランプ「らくちんランプ」を販売しております。
ハブダイナモ式発電ランプよりも軽く、常に点灯させていてもペダルの重さを感じさせないので、日常の買い物やお出かけ、通勤・通学に自転車を利用されている方々にはうってつけの製品です。「らくちんランプ」の詳細につきましては、(有)フュージョンのHPをご覧下さいませ。