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そらと風に《メイサートンによせて》

空が好き。風をからだに受けながら,ボーっとするのも …ごぶさたしました。13年ぶりに再開です。

オリンピックは続く。

2018-02-19 15:38:46 | 本や映画、絵
ティモシー・スナイダー
『暴政』(慶応義塾大学出版会)を読む。
まだ読み始めたばかりだが、すでに入り込んでしまった感じだ。

新書程度の小さな本だが、
「20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン」という名の通り
歴史上の些細な出来事を通じて今学ばなければならないことが
わかりやすく書かれている。

>2  組織や制度を守れ

>…組織や制度は自分の身を自分で守れません。…
>だから、気にかける組織や制度を一つ選んでください。
>法廷・新聞・法律・労働組合―なんでもよいからそれの味方に
>なることです。

>4  シンボルに責任を持て

>こんにちシンボルに過ぎないものが、明日には現実をもたらし
>うるのです。…視線をそらしてもいけないし、それらに
>慣れてもいけません。あなた自身でそれらを片づけ、他の者が
>見習うような手本となってください。

>生活するというのは政治的なことなのです。…日常における
>政治では、私たちの使う言葉やゼスチャー、あるいはそれを
>使わぬことまでもが、きわめて重要なのです。…スターリン下の
>ソ連では、富農はプロパガンダ用ポスターでは「豚」として
>描かれました。…ピンバッジの変遷でさえ無害とは
>とうてい言えません。

>6  淳軍事組織には警戒せよ

>指導者を崇める準軍事組織と警察と軍隊がないまぜになると
>すでに終わりがきています。

もっと引用したいのだけれど、
詳しく読みたい方は是非ご自身でご覧ください。

今、世間はオリンピック一色。
金をとった、銀だった…と一喜一憂してマスコミは煽り立てる。

テレビをつけるとどの時間もどのチャンネルも同じシーン・
同じようなほめたたえるコメントばかり。
吐き気がするほど同じことの繰り返しだ。
昭和の時代、天皇がなくなった時のあのテレビを思い出す。
同調圧力の怖さを毎日感じる。
こういった感じかたをアップするだけでも何かの力になることを
願うばかりだ。

オリンピック報道と国会。

2018-02-15 16:25:12 | 世間のこと
ここ数日、朝から少しばかり不機嫌だ。
朝も昼も夜ものニュースがオリンピックの話題で占められている。

オリンピックのニュースすべてを嫌がっているわけではない。
ただメダルをとったかどうかが主眼のニュースは
どうもいただけない。

以前は「参加することに意義がある」といってばかりだったのが
いつの間にかそんな言い方が消えてしまった。

オリンピックのすべての競技を放送するわけでもないし、
あくまでも日本というお国を背負った選手中心。
せっかくのオリンピックなのだから、こんなときこそ
「多様性」を存分に示したらいいのに、
などとついつい思ってしまう。

マスゴミとまではいわないけれど、
新聞の3面記事がニュースの内容になってしまって久しい。
3面記事だって、人が気にしないような、
それでいて大事な記事を長く追うようなものが
あったはずなのに・・・

国会のことをかき消すようなオリンピック報道には
うんざりだ。
かといって今の国会が中身のあるものかと言えば
またそれはそれで・・・

確定申告をする時期に監督省庁の役人や議員が
問題を起こしたままスルーされていこうとすることも
どういうものだろうか?

(ちょっといい加減な書き方だった)



さっき買い物途中で、9条改正反対の署名を訴える
高齢の方々がいた。
ここで逡巡するわたしがいる。

教条的な9条改正反対でいいものか?
憲法論議にはいろいろな考え方が出てきて当然。
9条改正反対かどうかの前に、国会でさまざまな意見が
出てきて十分論議すべきだというところが大事だと
わたしは思う。
論議されずに国会が終わってしまうことこそが
最大の問題では?

もちろん、運動論的には9号改正反対でまとまるのが
先なのかもしれないけれど、それでいいのか
確信が持てない。

それでもこういう逡巡が声にならない限り、
歴史は繰り返されてしまうのかもしれないけれど。

『暴政』という本を注文した。
近々届く予定だ。

最近はおしゃれにも。

2018-02-11 17:58:29 | 日常生活あれこれ
ブログを書き始めたころと違うこと。
なんと
最近はおしゃれにも気をつかうようになった!!
といっても、着ているものの大半はGAPのものだし、
たいしたおしゃれではないのだけれど。
でも些細なことに気をつかうようになったという点では
大きな違いがある。

些細なこととは・・・
靴下と靴の色合わせ。

メレルの靴がわたしの足にぴったりの形でお気に入り。
ただ安くなった時にしか買わない。
気づくと夫がたびたび買ってくれて、
しかし赤だったり緑だったり、アップルグリーン・
オレンジ・パープルといった派手で明るい色のものが
多くて。
そういった靴の色にも無頓着に、
最近まではどうせパンツの下で見えない靴下だから
と靴に合わない色のものを平気で履いていた。

でも、急にそのとんちんかんな色づかいに目が行って、
なんとも恥ずかしい気持ちになり始めた。
そこで色を合わせてみたら、気持ちがいいこと!!
自信が出てきたというか・・・
こんなことで、自信などと大げさなと思うけれど、
実際そうなのだ。

そして昨日は大型スーパーにて
春にはく緑色の靴に合わせた靴下を購入した。
さてさて春だ。

以前の自分って。

2018-02-11 07:50:23 | 日常生活あれこれ
昨日、昔アップした記事を読んでみた。
やっぱり、時がたったという感じがする・・・

10年以上前のわたしは、まだ糾弾型。
自分に対しても、世間に対しても。
怒りがまず先になっていたような・・・

今も、世間のことを書くときは、すぐに怒ってしまうけれど、
それは独り言のような気分であって、「…べき」と
言い立てたりしてはいないつもりだ。

昨日書いた『年をとるほど脳は…』という本にもあるとおり
歳を重ねたこと・仕事を辞めたことでからだとこころが
ずっと楽になった。

自分自身の中の変化が、アップしている文章にどこまで
現れているかはわからないけれど。

なにしろ硬いのは、
頭でも心でもちょっと困りものだ。
相手をはねつけるだけ。
寄せ付けないでそのまま終わってしまう。
ちょっとづつの変化を甘んじて受け入れるのが
ほんのすこーしできるようになった。(かな?)

とはいえ、このオリンピック期間中、
テレビをつけると気持ちがわさわさしてきてしまうのだから、
よく言うなぁというところもまだまだあるわけで。

連休中間の晴れた朝は、いい気分だ。
今日もいい日になりますように。


文旦とブルーベリー。

2018-02-10 22:52:31 | 日常生活あれこれ
以前、高知に行ったことがある。
5月の連休に行き、いろいろ食べて楽しんだ。
その時に味わった文旦の味が忘れられない。

帰りに、大小ばらばらでちょっと傷のある、
でも十分熟しきった文旦を段ボール1箱以上
大きなビニール袋にざっくり入れたままで飛行機に
乗せて持って帰り食べた。
爽やかな日本の香り!
甘夏をもっとさらりと爽やかにレモンを入れたような
味わい!

それ以降たびたび高知から文旦を取り寄せている。

今日、高知から文旦が届いた。
傷はあるけれどおいしい。
甘さもすっぱさも十分あるしジューシーだ。
5月くらいまでが旬だから、これを食べ終わったら
もう一回くらい注文できそうだ。

もうひとつ、
先月からマイブームになっているのがブルーベリーだ。
無農薬の冷凍ブルーベリーを取り寄せてヨーグルトと
一緒に食べている。
なんだか身体にいい感じ。
ブルーベリーの抗酸化作用は実証されているとある
本に書いてあった。
『年をとるほど賢くなる脳の習慣』だ。

歳をとると脳神経の配線のしかた、脳の使い方が
変わってくるという。
ただ単に短期記憶だとか情報の処理能力は
若い方がすぐれている。
けれど、幸福感を感じとる力は歳をとるほど
強まってくるというのだ。
そのほかにもいろいろな変化があるそうで、
失うものをカバーするというよりも、
新しい生き方ができるようになるという。
うれしい情報だった。

おいしものをもっと食べよう!
と思うこの頃。

「長すぎた入院」を見る。

2018-02-05 21:19:27 | 世間のこと
今日は録画しておいたドキュメンタリーを見た。
ETV特集。「長すぎた入院<」というタイトル。

(なんだか見てばかりであまり頭を使っていない気がする。
 手を使っての作業はないし、何かを生み出している感がない。
 ブレディみかこがいう「地べたからの」発想が、
 実のところわたしには欠けているのだ。たぶん。
 高尚なことも言えないし、変に中途半端な感想ばかり。
 なんとも恥ずかしいような・・・情けないような・・・
 何かの価値を生み出さないことが悪いわけではなく、
 一貫していないところがどうも気に入らない。
 このわたし自身。)


日本は、いまだに大勢の精神病患者を病院に隔離している
という点で、他の先進国とは一線を画している。

番組には39年間入院を強いられたもと統合失調症の
男性がでてくる。
福島原発事故で福島の病院にいられなくなって、それが
きっかけで退院できたという皮肉。
それまで入院していた病院でなんども退院したいと言って
きたけれど、聞き入れられなかった。
空白の時間をたどろうとして弟に合う。
唯一生存している家族だ。
なぜ退院させてくれなかったのか、家で彼のことをどう
考えていたのかと聞くが返事はない。
「家も忙しかったから・・・」とだけ弟は返事した。


また別の女性は若いころ統合失調症で入院。その後
薬でほぼ普通の生活ができているにもかかわらず、実家に
返してもらえないまま20年以上も入院している。
父親は最初の主治医に「一生治らない」と説明されたからと
言って、病院で世話してもらうしかないと決め込んでいる。
病院から退院できるという今の主治医から説明されて、
「実家に帰りたい」という彼女に対し、「もう大人なのだから
甘えたことを言ってもらっては困る。世話はできない。
独りで生きていけなくなったら、首をくくってもらうしか
ない」と返事した。


日本の精神病患者に対しての偏見の色濃さには驚く。
わたし自身、メンタルの問題はいまだに親に隠したままだ。
発達障害のことも、吃音や場面緘黙やらも、知的障害も
みんなとどこかが違うというだけで白い目でみる
という世間の空気は強く感じる。

最近、パラリンピックはちやほやされているけれど、
がんばって勝って日本を背負って、かつ美男美女的な人が
光を浴びているだけだという感じしか受けない。
わたしは、だけれど。

あぁそれにしても180万もの精神病入院患者たちの
もしかしたら失ったのかもしれない月日を思うと、
愕然とするという以上に悲しくなってくる。
これが日本だ。


そうそう。
おしまいにお願いをひとつ。
このブログを訪ねてくださった方、
お気軽にコメントください。

『ストーンウォ―ル』を観る。

2018-02-04 08:23:53 | 本や映画、絵
雪がどうにか消えてきた。
やっと肩をこごめて歩かなくてもすみそうだ。
今年は寒い冬だけれど、ずっと前、私が小さかった頃は
もっと雪も降っていたし寒かった。
暖房も今のような快適なものはなかったし、
部屋では袢纏を着てあったかい恰好をして
縮こまっていた。
火鉢しか置いていない部屋もあったし。
なんとまぁひ弱になってしまった自分自身とこの社会。


DVDを借りてきて『ストーンウォール』という映画を見た。
アメリカ1960年代は、まだゲイが文化として否定され
ゲイであることはひたすら隠さなければ人間としても
否定されるような社会・法律があった。
そんな時代にニューヨークのゲイたちの
(レズも、バイセクシャルも含めて)反抗が(革命?)
ゲイたちの集まるバーから起こっていた。
そんな実話に基づく話だ。


ゲイのなかにも格差があって、
ゲイとして身を売ることでしか生きられない人たちも
いたし、お金持ちの暴力反対派もいた。


映画を見ていたら、
『未来を花束にして』というイギリスでの女性参政権運動を
描いた映画と重なって見えてきた。
「フランジェット」と呼ばれ暴力集団とみなされた強い
自己主張する女性たち。女性労働者中心。
第1次世界大戦直前のこと。


今、日本もほかの国々も「テロ」には屈しないと
盛んに声をあげているけれど、テロってなんだろう?
二つの映画もテロを描いたもの??
今の日本の誰かさんだったらそう言いそう。
でもテロと言ってしまえば、そう断定してしまえば、
何でもかんでもテロになる社会は怖い。
映画を見ながらそんなことを思っていた。

ちょっとつらくなてきたので、
DVD『マギーズプラン』をみてほっとしておしまい。

「指導死」はあるか?

2018-01-30 07:38:39 | 世間のこと
今朝のニュースから

「指導死」というものが報じられていた。
学校で、教員の行き過ぎた「指導」によって自殺に
追い込まれる生徒がいる。
これをひとくくりにしたことばだそうだ。

最近の世の中・ニュースは、
なんでもひとつのことばにまとめて表現してすませる
そんな傾向がありはしないかと感じる。
以前は高校生たちがよくやっていた手法。
これが一般化した感じだ。

この「指導」。
自分が権威をもった人間だと信じ込んで、
「正義」を掲げて行動するというパターンが多い。
コンプレックスの裏返し。
人間として生徒に向き合えないからだろう。

ただし、これは学校に限らないとわたしは思う。
家庭のなかではDVとなって表れるものも同じ原理だから。
家庭の中では共依存などということばで、
暴力をふるう側と受ける側とで役割が固定してしまい
そこから逃げられなくなると説明される。

学校も同じだ。
教える側と教えられる側が固定していると信じ込んでしまう
病理。
知識や技術と生き方はまた別物。
しつけと道徳、倫理もまたそれぞれ違うもの。
一人の人間が圧倒的に優位に立っているというのは
おそらく勘違いだろう。
その勘違いを許すのがいまの学校の制度だ。

DVも学校の「指導死」も、その関係性や暴力の過程を
メタの次元で学ぶ機会が開かれ、提供されて行かなくては
ならないと思う。
名付けておしまいが一番危険だ。

そんな気がした。

憲法の改正論議より大事⁉

2018-01-27 19:14:30 | 世間のこと

国会審議が始まっている。
憲法9条の改正問題、自衛隊の存在の根拠を憲法に入れること
について審議が進められている。
(審議というほど世の中も国会も盛り上がっているのかと言えば
 疑問だけれど)

こういう問題を考えるにあたって、最近読んだブレディみかこの
『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(太田出版)
が大事なことを書いている。

本のなかにある女性の語ったこととしてあるのが
>大切な誰かの幸せひとつ守れやしない私に、守りたい
>平和なんてない。もちろん、「戦争をしたい」と言って
>るんじゃない。全然、誰のしんどさにも間に合わないんだよ。

エキタスという日本の貧困について運動している団体について
>彼らのスローガンは「最低賃金1500円に」である。
>「平和を守れ」とかいう青空に飛び立つ白鳩のような
>クリーンなスローガンと違ってずっと泥臭い。こういった
>地べた感の漂う運動は・・・

『下流老人』などの著書のある藤田孝典さんのことば
>・・・だから安保法制も、政府の思惑なんですよ。そちらに
>意識を向かわせて抽象論を展開しておいて、暮らし自体を
>見させないという思惑です。だからそちらに誘導されては
>いけないんですですよね。憲法9条を守れ、戦争を起こすな、
>と言っていますけど、戦争をなくすのに一番有効なのは
>貧困をなくすことです。・・・


こういった文章を読んですっきりした。
いいたかったことをことばにしてくれたという感じだったから。


もちろん、国会での9条論議は大事だし、憲法の改正問題は
ほんとうに国民の行く末に関わってくることだから、
政府の論議もさせないやりかたは見過ごせない。
けれど、マスコミは少なくとも、こういった経済の話を
するべきなのではないだろうか。

以上今日のニュースを見て感じたこと。

『わたしはダニエル・ブレイクだ』

2018-01-26 15:36:04 | 本や映画、絵
DVDで映画『わたしはダニエルブレイクだ』を見た。
ケンローチ監督作品。
あらすじはネットで検索すればすぐ出てくるけれど・・・

心臓病で働けなくなった初老の男性が主人公。
日本でいうところの
失業手当(雇用保険)と障害者手当のどちらかの給付を申請するが、
たらいまわしされた結果、申請をあきらめる。
役所のマニュアル通りの対応・パソコンを使えないというだけで
立ちはだかる申請の壁の前で怒り、抵抗し、最後には死に至る話だ。
役所で偶然居合わせた若いシングルマザーに力を貸し寄り添って、
彼女に生きる力を与えて、その途中で迎える持病による突然死。

淡々とした日常生活、セイフティネットから零れ落ちた人間たちの
毎日をなぞっていく映画。
静かだけれど力強い「生」を感じる。

イギリスはアメリカよりもまだ弱者の連帯・階級があるゆえの連帯が
残っているのかもしれない。
映画『未来を花束にして』にも通じると思うけれど、
人間の尊厳を求める力がまだ残っている。

現実は泣きたくなるほどつらいけれど、でも人間のもつだろう善良さを
信じるしかないと思う。

久しぶりに心に残るだろう映画を見た。

ある番組を見て。場面緘黙児だったわたし。

2018-01-25 15:08:48 | 日常生活あれこれ
雪が降ったあとのこの寒さ。
外に出たいような出たくないような。
なんとなく家の中でぐずぐずしている。

録画しておいた教育テレビの番組を見た。
バリバラという障がい者当事者たちと「健常者」で作る番組。
吃音というハンディを持つ4人の男性と場面緘黙という症状を持つ4人の女性が
一つ屋根の下で合宿生活をする様子を追ったドキュメンタリーだ。

男性陣も女性陣も自分の生きにくさや話しにくさを克服しようとして
この番組の企画にのったのだが、
いろいろな場面でしんどそうな様子が見て取れた。

わたしは幼稚園・小学校の2年間、場面緘黙児だった。
家の中でしか話せないし、トイレにも行けない。
家以外でトイレに行けるようになったのは、小学5年生の運動会の日だった。
(その間、トイレはがまんにがまんして、おもらししてしまったり。
 誰の目もないのを確認してやっと1回トイレに行くのが最大のがんばりだった。)
だから、場面緘黙の女性たちを見ていて、
息が苦しくなってしまった。
吃音でもがんばって話そうとする様子を見ても同じような感覚になったけれど。

話そうとすればするほど、からだが固まって気持ちも固まって疲れてしまう。
なぜ話せないのか自分でもよくわからないし。
まばたきだけが激しくなる。
声をやっと出すと、蚊のような細い声・・・

給食が食べられなかったのは、場面緘黙のせいだったと、
初めて理解した。
場面緘黙の人は大勢の中で食事をするのが一番苦手なのだそうだ。

そういえば、働き始めてからも、
仲の良い同僚とお茶するときに、いつも緊張して相手の目を見られなかった。
いまだに人混みは苦手だし、息苦しくなってしまう。

番組に出てくる人たちを見ながら、
なぜ克服しなくてはならないのかと思ってしまった。
克服するってどういうことなのだろう?
吃音がなくなるとか、場面緘黙ではなくなるということ?
克服しようとがんばる姿は、見ていてしんどい。
わたしもまだまだ変わった方がいいということか??

わたし自身は今のわたしでとりあえず満足しているけれど。
「ありのまま」ということばがあるけれど、努力したほうがいいことと
受け止める以外にないこととがある。
聖書のことばみたいな考え方にになってしまうけれど。
あいまいなまま自分でバランスをとって受け入れることが
一番難しい。
そんな気がする。

やる気が出ない・・・

2018-01-17 19:24:53 | 日常生活あれこれ
今日は病院に行ってきた。
寒かったぁ。
夫も風邪で出社せず。
さっき洗濯を終えたが、投稿!とまでいかず、
テンプレートを変えて遊んでおしまい。

あぁ。
身体が重い。
やる気が出ない。
何とかならないものか知らん。

師岡カリーマ・サムエルニーの書いた
『変わるエジプト、変わらないエジプト』(白水社)の中古本が届く。
先日紹介した本に、「アラブの春」が今では忌み嫌われる言葉となった
とあったので、
追加して購入した本。

内容はまた今度。

今日の散歩。

2018-01-16 17:39:08 | 俳句や詩
今日は疲れているのに、買い物に行ってから少しばかり片付けをした。
暖かいとこんな気持ちになれるので、うれしい。

本のことを書く気力はないので、今日の句を。

  さざんかに顔よせほほに柔らかな風

 

今昔。アップしておいていいものか。

2018-01-15 08:47:00 | 本や映画、絵
昨日から、ここにアクセスできたことでちょっと沸き立っている。
わたし自身のこと。

昔投稿したときの画像や詩を見て、またまた社会の変化を感じる。
本当は知的所有権の関係で削らなければならないものが
おそらくたくさんある。
どうしようか?

10年くらいのことで、こんなに世の中変わっているとは…
もちろん私の感覚も。

今読んでいる本。
  梨木果歩・師岡カリーマ・エルサムニー
    『私たちの星で』 岩波書店

のこと。
近々書きたいと思う。

捕捉と訂正。大げさな表記‼

2018-01-14 23:35:07 | 日常生活あれこれ
捕捉:夕方投稿したものに、一部大げさな書き方をしたものがありました。

ものすごくたくさんの書きかけのノート・・・なんて書いたのはウソ。
大きな段ボール2箱分だけ。
でも!なにしろ!
大学生の時、生協で買ったとわかるシール(価格)が張ったままのが
あったり、表紙が色あせているのが多数。
おまけに高校生の時の文化祭用に記録した数ページがそのまま
残っていたりとかしたので、
感覚的に「ものすごくたくさんの」ノートだったわけです。

あぁこうして年月が経ってきたのかぁと思うと・・・

そんなわけでした。