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そらと風に《メイサートンによせて》

空が好き。風をからだに受けながら,ボーっとするのも …ごぶさたしました。13年ぶりに再開です。

事件から2年。

2018-07-23 18:28:55 | 世間のこと
相模原殺傷事件に関するドキュメンタリー番組を見た。

星子さんというダウン症の子どもを持つ最首悟さんが
画面に出てきた。
最首さんのことばや発信は、いつも気にかかってきた。
彼の笑顔と話し方が好きだ。

最首さんは植松被告から手紙を受け取り、面会に行ったそうだ。
植松被告は「心失者」という造語(植松被告自身のもの)をつかって
「心失者」は生きている意味がないという。
(「心失者」とは生きている価値を自分自身でも感じられない
または表現できない人のことをいうらしい。)

最首さんは植松被告宛に手紙を書いている。長い手紙になりそうだと。
(公表を予定しているというので、おそらく
類似の考えを持つ大勢の人へ向けてということになるだろう
と話していた。)


また最首さんはテレビカメラに向かって、植松被告のことをこういう。
>生きている意味があるかないか、障がい者本人が意味を感じているか
>いないかを植松被告がどうこう言うのがおせっかいというんだ、
と笑いながら。
彼は何も経験していないのだろうと。

生きる意味がある人というのは、人に迷惑をかけない人のことを
いう、そういう発想の植松被告。
人に迷惑をかけないで生きていける人なんているんだろうか?

自分自身のことを生きる意味があると思える人、
生きていたいと思うとはっきり言える人、
今の世の中にそんな人はどれだけいるだろう?

意味なんて関係なく生きている人、
生きているだけで誰かの支えになっている人、
何も反応しなくても意思をもっている人はたくさんいる。

わたしなんぞはもはや働くだけの気力と体力をもっていないから、
夫の稼ぎで現在はぼちぼち生きていられるのだけれど・・・
ありがたいことだ。
でもそれはそれでいいというか、
わたしなりに頑張って生きているからまぁOKだと思う。

毎日ごろごろしてばかりでふがいないと思うことはあるけれど、
これから先にあぁしたいこうしたいってこともあるし、
今がわたしの全てではないとも思っている。

先のことを言えば、
認知症になって迷惑をかけることもあるかもしれないけれど、
迷惑をかけてもにこにこしている楽しいおばぁちゃんに
なっているかもしれない。
それはそれでいい。
そんなわたしを生かしてくれるならありがたい。
(認知症=迷惑というのが、第一の間違いというか思い違い)


生きる権利なんて言葉を使わなくても、
いやもっと使うべきではあるかもしれないけれど、
できるだけたくさんの人がニコニコして生きていける、
時々はかっとしても、なんとなく穏やかに生きていける
そんな世間の方がいいし、そんな人間関係を保っていたい
とわたしは思う。


安田さんのこと。

2018-07-08 11:40:21 | 世間のこと
朝日新聞7月7日に安田純平さんの記事が載っていた。
拘束されて長いのに、安田さんのことがテレビや
その他の大きな大きなメディアでとりあげることは
あまりないとずっと気にかかってきた。
げっそりした顔。
政府はなぜ他の人のように対応しないのか?
いのちは平等ではない。

怖い。

2018-07-07 07:09:28 | 世間のこと
突然のことでびっくりした。
7人が一斉に死刑になるなんて。

オーム真理教の一連の事件。
いつの間にか20年以上の月日が経ってしまい、
この事件の報道を直接見ていない人も多くなっているはず。

幹部の一人が殺されたことや、
いったんは松本サリン事件の容疑者となって、その後被害者として
報道に対し冷静な判断をすることを求め続けた人がいることも
今回の死刑報道にはでてこない。

そもそも7人が一斉に死刑になるというこの数だけでも
前代未聞のことだ。

法務大臣として死刑を執行しなかった人もいるし、
定期的に一人づつ死刑にした大臣、立て続けに二人を
死刑にした大臣など大臣によってなのか、
その時の政治の要求によってなのか、
いろいろなパターンはあった。
けれど今回のように
事件を葬るかのように7人という人の命を瞬間に消し去る
というやりかたは今までだったらありえない。
そして一斉に信者らを取り締まるかのような動き。

死刑は時の政治問題を隠すように執行される。
サッカー熱が冷めたとたんの出来事だった。
オリンピックも控えている。

余りにも恣意的で強硬な政治のやり方に怖さを感じる。
生きにくくなる世の中を感じる。


再度のお知らせ。
別館で日常生活をブログに書いています。
興味を持たれた方はそちらにもどうぞ。
『花よりだんご!で生きてます。』
https://salley73.exblog.jp/
こちらへもお越しください。

福島県葛尾村のこと。

2018-03-16 10:45:06 | 世間のこと
録画しておいたテレビ番組(ドキュメンタリー)を
みた。
福島県葛尾村の戦後の歴史を3人の家族を中心に
追ったものだ。

葛尾村は福島原発事故で強制避難区域に指定
されて、去年その指定が解けたところ。
小学校も新築されたが、小学生はだれ一人
戻ってきていない。
村にいた若い世代のほとんどが帰っては来ない。

「こんな風になったのは、なにも原発事故が
 あったせいだけではない。
 事故がなかったとしても、同じことになっただろう。
 10年・20年先に来ることが、早く来てしまった
 ということに過ぎない。」
と、農業を続けようとしている70代近くの男性が
土地のことばで話していた。

今年、避難解除をきっかけに村長を辞めた人は、
こう話す。
「生きるってことは難しいんだ。
 若い人を責めるわけにはいかない。いったん、
 ここを離れて生活してみれば、教育だの、生業だの
 いろんなことで今の生活がいいっていうのは
 当然のことだろう。
 みんな、わたしも欲しい欲しいばっかりだったから。
 (原発誘致・道路など公共事業に頼った生活も含め)
 生きるってのは難しい。」

限界集落という名をつけたり、少子化といったり
いろいろ問題は語られるけれど、どこからどう
手を付けていけばいいのだろう。

フランスではもうかなり前から、少子化が見えていた
からそれに備えて少子化を食い止める政策をとって
きたという。
だから、今、少子化に歯止めがかかりつつある。

日本の場合、すでに子どもを生める若者の絶対数が
減ってきてしまっているから、今から子どもを
増やそうといってもすでにフランスのように
元には戻らない。



過疎の村・荒れた森や田畑・原発自己の処理のことを
遠い場所のことだとつい思ってしまう。
でも、それはすでに自分のこととして関係してくるし、
問題が自分にも降りかかってくるまでもうすぐだ。


生きるのは難しい、
ということばは重く重く残るけれど、
それでもなんとかにこにこして生きていく。
自分自身が幸せになることも、大事な条件。
同時に見知らぬ人も幸せになってくれるのも
また大事なこと。


わたしも、考えてみれば原発事故のあった
時あたりから、あちこちが痛み始めた。
ずっと病院めぐりをしてきたことに思いつく。
7年過ぎても、痛みは身体にしがみつきやっかいだ。
でも、少しづつ解決の糸口は見つかり、治療や
生活の仕方を変えらるし、変えてきている。
7年しかまだ過ぎていないのだけれど、
それでも時間は過ぎる。
歴史には残らなくとも、できることなら幸せに生きて
生きたいと思う。



エキタスのデモ。

2018-02-28 08:40:33 | 世間のこと
ブレディみかこさんが書いていた、市民団体「エキタス」が、
<裁量労働制はいらない><毎日、残業させるな>と声をあげ、
今月25日に新宿でデモを行ったと先日の朝日新聞に載っていた。

同日の新聞には、労働基準法の規定見直しが厚生労働省の
有識者検討会で本格化とも書かれていた。

現在、残業などからくる未払い賃金の請求は過去2年までさかのぼれる
ことになっている。
しかし、2020年の改正民法の施行で、債券の消滅の時効が原則5年となる。
とすると
この5年と労基法の2年で齟齬が生じることになるわけだ。
労基法改正案は来年の国会に出る可能性がある。
ここで、民放と労基法の関係がきちんと議論されるかどうか
忘れずに見守っていかなくてはならない。

阿部首相の今国会の答弁について、資料を巡って批判が大きくなっている。
しかし、そもそもアンケートなどから作る統計は、質問票の作り方
次第で結果はどうにでもなるような面があることを、
指摘しなければならない。
質問の仕方、回答の仕方を変えれば、聞いている内容はほぼ同じでも
結果が違うというのは、社会学でも行動経済学でもいわれていることだ。

長妻議員がアンケートの質問を公開するように要求したところ、
ほぼ真っ黒の状態の結果が公開されたという。

大事なところはあまり議論の対象にならないことが多い中、
問題がどこにあるのか、
自分で探していかなくてはならないということだろうか。

でも、わたしは人のことを言えないくらい忘れっぽいから、
忘れないという課題はとてつもなく重い。
自分の身に降りかからないことはとくに忘れる。
消費して終わる。
自分の住む世界を広げよということなのかもしれない。

今日は朝からまじめなことを書いてしまった。
頭痛が少しばかり改善したからかも。

オリンピック報道と国会。

2018-02-15 16:25:12 | 世間のこと
ここ数日、朝から少しばかり不機嫌だ。
朝も昼も夜ものニュースがオリンピックの話題で占められている。

オリンピックのニュースすべてを嫌がっているわけではない。
ただメダルをとったかどうかが主眼のニュースは
どうもいただけない。

以前は「参加することに意義がある」といってばかりだったのが
いつの間にかそんな言い方が消えてしまった。

オリンピックのすべての競技を放送するわけでもないし、
あくまでも日本というお国を背負った選手中心。
せっかくのオリンピックなのだから、こんなときこそ
「多様性」を存分に示したらいいのに、
などとついつい思ってしまう。

マスゴミとまではいわないけれど、
新聞の3面記事がニュースの内容になってしまって久しい。
3面記事だって、人が気にしないような、
それでいて大事な記事を長く追うようなものが
あったはずなのに・・・

国会のことをかき消すようなオリンピック報道には
うんざりだ。
かといって今の国会が中身のあるものかと言えば
またそれはそれで・・・

確定申告をする時期に監督省庁の役人や議員が
問題を起こしたままスルーされていこうとすることも
どういうものだろうか?

(ちょっといい加減な書き方だった)



さっき買い物途中で、9条改正反対の署名を訴える
高齢の方々がいた。
ここで逡巡するわたしがいる。

教条的な9条改正反対でいいものか?
憲法論議にはいろいろな考え方が出てきて当然。
9条改正反対かどうかの前に、国会でさまざまな意見が
出てきて十分論議すべきだというところが大事だと
わたしは思う。
論議されずに国会が終わってしまうことこそが
最大の問題では?

もちろん、運動論的には9号改正反対でまとまるのが
先なのかもしれないけれど、それでいいのか
確信が持てない。

それでもこういう逡巡が声にならない限り、
歴史は繰り返されてしまうのかもしれないけれど。

『暴政』という本を注文した。
近々届く予定だ。

「長すぎた入院」を見る。

2018-02-05 21:19:27 | 世間のこと
今日は録画しておいたドキュメンタリーを見た。
ETV特集。「長すぎた入院<」というタイトル。

(なんだか見てばかりであまり頭を使っていない気がする。
 手を使っての作業はないし、何かを生み出している感がない。
 ブレディみかこがいう「地べたからの」発想が、
 実のところわたしには欠けているのだ。たぶん。
 高尚なことも言えないし、変に中途半端な感想ばかり。
 なんとも恥ずかしいような・・・情けないような・・・
 何かの価値を生み出さないことが悪いわけではなく、
 一貫していないところがどうも気に入らない。
 このわたし自身。)


日本は、いまだに大勢の精神病患者を病院に隔離している
という点で、他の先進国とは一線を画している。

番組には39年間入院を強いられたもと統合失調症の
男性がでてくる。
福島原発事故で福島の病院にいられなくなって、それが
きっかけで退院できたという皮肉。
それまで入院していた病院でなんども退院したいと言って
きたけれど、聞き入れられなかった。
空白の時間をたどろうとして弟に合う。
唯一生存している家族だ。
なぜ退院させてくれなかったのか、家で彼のことをどう
考えていたのかと聞くが返事はない。
「家も忙しかったから・・・」とだけ弟は返事した。


また別の女性は若いころ統合失調症で入院。その後
薬でほぼ普通の生活ができているにもかかわらず、実家に
返してもらえないまま20年以上も入院している。
父親は最初の主治医に「一生治らない」と説明されたからと
言って、病院で世話してもらうしかないと決め込んでいる。
病院から退院できるという今の主治医から説明されて、
「実家に帰りたい」という彼女に対し、「もう大人なのだから
甘えたことを言ってもらっては困る。世話はできない。
独りで生きていけなくなったら、首をくくってもらうしか
ない」と返事した。


日本の精神病患者に対しての偏見の色濃さには驚く。
わたし自身、メンタルの問題はいまだに親に隠したままだ。
発達障害のことも、吃音や場面緘黙やらも、知的障害も
みんなとどこかが違うというだけで白い目でみる
という世間の空気は強く感じる。

最近、パラリンピックはちやほやされているけれど、
がんばって勝って日本を背負って、かつ美男美女的な人が
光を浴びているだけだという感じしか受けない。
わたしは、だけれど。

あぁそれにしても180万もの精神病入院患者たちの
もしかしたら失ったのかもしれない月日を思うと、
愕然とするという以上に悲しくなってくる。
これが日本だ。


そうそう。
おしまいにお願いをひとつ。
このブログを訪ねてくださった方、
お気軽にコメントください。

「指導死」はあるか?

2018-01-30 07:38:39 | 世間のこと
今朝のニュースから

「指導死」というものが報じられていた。
学校で、教員の行き過ぎた「指導」によって自殺に
追い込まれる生徒がいる。
これをひとくくりにしたことばだそうだ。

最近の世の中・ニュースは、
なんでもひとつのことばにまとめて表現してすませる
そんな傾向がありはしないかと感じる。
以前は高校生たちがよくやっていた手法。
これが一般化した感じだ。

この「指導」。
自分が権威をもった人間だと信じ込んで、
「正義」を掲げて行動するというパターンが多い。
コンプレックスの裏返し。
人間として生徒に向き合えないからだろう。

ただし、これは学校に限らないとわたしは思う。
家庭のなかではDVとなって表れるものも同じ原理だから。
家庭の中では共依存などということばで、
暴力をふるう側と受ける側とで役割が固定してしまい
そこから逃げられなくなると説明される。

学校も同じだ。
教える側と教えられる側が固定していると信じ込んでしまう
病理。
知識や技術と生き方はまた別物。
しつけと道徳、倫理もまたそれぞれ違うもの。
一人の人間が圧倒的に優位に立っているというのは
おそらく勘違いだろう。
その勘違いを許すのがいまの学校の制度だ。

DVも学校の「指導死」も、その関係性や暴力の過程を
メタの次元で学ぶ機会が開かれ、提供されて行かなくては
ならないと思う。
名付けておしまいが一番危険だ。

そんな気がした。

憲法の改正論議より大事⁉

2018-01-27 19:14:30 | 世間のこと

国会審議が始まっている。
憲法9条の改正問題、自衛隊の存在の根拠を憲法に入れること
について審議が進められている。
(審議というほど世の中も国会も盛り上がっているのかと言えば
 疑問だけれど)

こういう問題を考えるにあたって、最近読んだブレディみかこの
『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(太田出版)
が大事なことを書いている。

本のなかにある女性の語ったこととしてあるのが
>大切な誰かの幸せひとつ守れやしない私に、守りたい
>平和なんてない。もちろん、「戦争をしたい」と言って
>るんじゃない。全然、誰のしんどさにも間に合わないんだよ。

エキタスという日本の貧困について運動している団体について
>彼らのスローガンは「最低賃金1500円に」である。
>「平和を守れ」とかいう青空に飛び立つ白鳩のような
>クリーンなスローガンと違ってずっと泥臭い。こういった
>地べた感の漂う運動は・・・

『下流老人』などの著書のある藤田孝典さんのことば
>・・・だから安保法制も、政府の思惑なんですよ。そちらに
>意識を向かわせて抽象論を展開しておいて、暮らし自体を
>見させないという思惑です。だからそちらに誘導されては
>いけないんですですよね。憲法9条を守れ、戦争を起こすな、
>と言っていますけど、戦争をなくすのに一番有効なのは
>貧困をなくすことです。・・・


こういった文章を読んですっきりした。
いいたかったことをことばにしてくれたという感じだったから。


もちろん、国会での9条論議は大事だし、憲法の改正問題は
ほんとうに国民の行く末に関わってくることだから、
政府の論議もさせないやりかたは見過ごせない。
けれど、マスコミは少なくとも、こういった経済の話を
するべきなのではないだろうか。

以上今日のニュースを見て感じたこと。