そらと風に《メイサートンによせて》

空が好き。風をからだに受けながら,ボーっとするのも …ごぶさたしました。13年ぶりに再開です。

個人を超えて。

2018-08-05 23:22:10 | 本や映画、絵
別館ブログ『花よりだんご!で生きてます。』
https://salley73.exblog.jp/

ここに横尾忠則『アホになる修行』
赤城明登『名前のない道』
前野隆司『無意識の整え方』について書きました。

自我を消す、無意識を大事にする、なんてことについて。

よろしければ別館にお越しください。
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幸福の因子。

2018-08-04 10:40:02 | 本や映画、絵
「医学書院」から出ている「シリーズ ケアをひらく」が好きだ。
先日『どもる体』を読了。
最新刊『異なり記念日』もおもしろそう。

ところで、医学書院のHPを見ていたら、
興味を引く座談会がいくつか紹介されていた。

  ⇒ 幸福学×看護学
     「自分への思いやり」が豊かな看護を創る

        前野隆司・秋山美紀・深堀浩樹

前野氏は脳の話などたくさん著書があるので知名度の高い人。

>思いやりや共感を期待される看護師は,ときに患者へのケアに
>疲れ果ててしまうこともあるだろう。そのような看護師に
>知ってほしい新たな学問領域が「幸福学」だ。

という前書きのあとに話がまとめられている。
前野氏が幸福についてこう言っている。

幸福だと思うには以下の因子が必要とのこと。

>・第一因子:「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
>・第二因子:「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)
>・第三因子:「なんとかなる!」因子(前向きと楽観の因子)
>・第四因子:「ありのままに!」因子(独立とあなたらしさの因子)

これらの因子がバランスよく保たれている状態が幸福な状態だという。

「幸福学」という領域があるのを最近はじめて知った。
これからちょっと気にしてみたいと思う。

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朗読についてあらためて。

2018-08-02 16:06:54 | 本や映画、絵
図書館で朗読に関する本を読んできた。
『暮らしの中に美しい日本語を』という本がぴったりフィットした。
以前朗読について書いたこともあるのだが、
そういう朗読以外にも方法があるのだと知る。

詳しくは別館ブログ
https://salley73.exblog.jp/
「花よりだんご!で生きてます。」に書きました。
興味のある方はお越しください。
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図書館で。『春の消息』

2018-07-29 17:01:54 | 本や映画、絵
図書館で『春の消息』を読んできた。
(柳美里・佐藤弘夫著  第三文明社)

東北地方の霊場、小さな祠など、二人で見て歩いた所の写真と
柳美里のエッセイ、短篇小説(?)で構成されている。
夏から秋にかけての写真なので、今見るとちょうどタイムリ-な感じ。

中世まで、日本では個人の墓という発想はなかったという。
死者の遺品をみんなが同じところに納めて、季節ごとに供養して
いく文化に、懐かしさというか羨ましさを覚える。
死を個人の所有とは違うレベルで考えた時代があった。

死者とはいつでも山に行けば会えるという感じ方や
いたこのような人死者をに呼び寄せてもらうことは
怪しくもなんともないことだという感じ方。
死は近しいものだった。

ちょうど今の時期、山に登ることで死者に語りかけるのか…
わたしも山に散骨してもらいたいなぁ、なんて。

今の制度では、焼いた骨も勝手に捨てられない。
中世以前の鳥葬とか自然葬とか、そんなことはむろん
できないし、それは仕方ないことで。
でも、近代制度とは違うところで、死を迎えたい、
そんな気持ちは捨てがたい。

と、図書館で考えながら時間を過ごした次第。
クーラーの効いた部屋で何を言ってるんだろう!?
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事件から2年。

2018-07-23 18:28:55 | 世間のこと
相模原殺傷事件に関するドキュメンタリー番組を見た。

星子さんというダウン症の子どもを持つ最首悟さんが
画面に出てきた。
最首さんのことばや発信は、いつも気にかかってきた。
彼の笑顔と話し方が好きだ。

最首さんは植松被告から手紙を受け取り、面会に行ったそうだ。
植松被告は「心失者」という造語(植松被告自身のもの)をつかって
「心失者」は生きている意味がないという。
(「心失者」とは生きている価値を自分自身でも感じられない
または表現できない人のことをいうらしい。)

最首さんは植松被告宛に手紙を書いている。長い手紙になりそうだと。
(公表を予定しているというので、おそらく
類似の考えを持つ大勢の人へ向けてということになるだろう
と話していた。)


また最首さんはテレビカメラに向かって、植松被告のことをこういう。
>生きている意味があるかないか、障がい者本人が意味を感じているか
>いないかを植松被告がどうこう言うのがおせっかいというんだ、
と笑いながら。
彼は何も経験していないのだろうと。

生きる意味がある人というのは、人に迷惑をかけない人のことを
いう、そういう発想の植松被告。
人に迷惑をかけないで生きていける人なんているんだろうか?

自分自身のことを生きる意味があると思える人、
生きていたいと思うとはっきり言える人、
今の世の中にそんな人はどれだけいるだろう?

意味なんて関係なく生きている人、
生きているだけで誰かの支えになっている人、
何も反応しなくても意思をもっている人はたくさんいる。

わたしなんぞはもはや働くだけの気力と体力をもっていないから、
夫の稼ぎで現在はぼちぼち生きていられるのだけれど・・・
ありがたいことだ。
でもそれはそれでいいというか、
わたしなりに頑張って生きているからまぁOKだと思う。

毎日ごろごろしてばかりでふがいないと思うことはあるけれど、
これから先にあぁしたいこうしたいってこともあるし、
今がわたしの全てではないとも思っている。

先のことを言えば、
認知症になって迷惑をかけることもあるかもしれないけれど、
迷惑をかけてもにこにこしている楽しいおばぁちゃんに
なっているかもしれない。
それはそれでいい。
そんなわたしを生かしてくれるならありがたい。
(認知症=迷惑というのが、第一の間違いというか思い違い)


生きる権利なんて言葉を使わなくても、
いやもっと使うべきではあるかもしれないけれど、
できるだけたくさんの人がニコニコして生きていける、
時々はかっとしても、なんとなく穏やかに生きていける
そんな世間の方がいいし、そんな人間関係を保っていたい
とわたしは思う。

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『私たちは子どもに何ができるか』別館で。

2018-07-21 14:09:01 | 本や映画、絵
『私たちは子どもに何ができるか』
という本のことを別館のブログに書きました。

よろしければそちらにもお越しください。

子どもの非認知能力を高めるには
どうしたらいいのかといったことが
書かれている本です。

別館のブログ
 『花よりだんご!で生きてます』
      https://salley73.exblog.jp/

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進撃の巨人。

2018-07-16 12:14:20 | 本や映画、絵
録画しておいた映画(アニメ)
『進撃の巨人』2作を見た。
今頃になって、こういうアニメだったのか・・・と
かなり流行に遅れている。

2作立て続けに見たら、人食い巨人の顔がこびりついて
なんとも嫌な感じになった。

なぜ巨人はいつもへらへら笑い顔なんだろう?
知性がないらしい。
(ここでいう知性とはなんだろう?)
丸い目をして髪は黒くおなかがでている。
黄色人種的な顔つき。
鈍い動き。はだか。

人類の敵。
しかも人類を巨大化し、知性をなくして人を食らう存在。
その描かれ方がなにかレッテルはりされている気がして
ならない。

かなり流行ったらしいけれど、そこのところは
どんな言われ方をしていたのか知りたくなった。
最後まで(3作目?)みたら、わかるかどうか・・・

暑いから、こんなにぐでっとして
録画した映画を見てしまう。
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あいまいなわたし。

2018-07-12 18:06:21 | 日常生活あれこれ
ここ数か月の間に、だいぶ痛みが遠ざかっていった。
スケールでいえば、10をいちばん痛いときとして
(我慢できない痛みとして)今は2くらいかも。
もちろん、痛みは瞬間瞬間程度が変わってくるから、
4や5になることもある。
でも、常に痛い痛いと感じるのではなく、
重いとかだるいとか動かしにくいとか嫌な感じとか、
そういう曖昧な不快感がつきまとうだけだ。
「だけ」なのだ。

こういう状態をなんといえばいいのか、
どうとらえればいいのか…

痛みが強かったつい最近までに読んでいた本。

・『熱のない人間
   治癒せざるものの治癒のために』
      クレール・マラン著
             法政大学出版局

・『痛みと麻痺を生きる』
      脊損痛研究会著
           日本評論社

・『スティル・ライブズ
   脊髄損傷と共に生きる人々の物語』
      J・コール
             法政大学出版局

・『痛みの声を聞け』 外須美夫著
            克誠堂出版 


『熱のない人間』は、痛む人・病を抱える人自身のことだけでなく
医師の直面する問題や家族との関係についても語っている。
治るというのはどういうことか・・・
読んでいる時は、全部のページ、線を引きたいくらいだったけれど、
痛みが薄まって、読んで1か月も経つとそんな気持ちも
怪しくなってきている。

脊髄損傷の人たち・当事者の証言はきつい。

今、痛みが薄らいでいる状態で
こういった今ひどく痛んでいる人たちの本を
読めなくなってきてしまった。
(本から手を引いてしまった)

それでも近いうちにまた、読み続けなくてはと感じている。

このあいまいなわたし。
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納得・納得って感じの本。

2018-07-09 22:04:25 | 本や映画、絵
ブレイディみかこ×松尾匡×北田暁大
『そろそろ左翼は<経済>を語ろう
         レフト3・0の政治経済学』
              (亜紀書房)

についてメモのようなものを別館のブログ
「花よりだんご!で生きてます。」に書きました。

興味のある方はそちらをご覧ください。

こちらです。
  https://salley73.exblog.jp/
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安田さんのこと。

2018-07-08 11:40:21 | 世間のこと
朝日新聞7月7日に安田純平さんの記事が載っていた。
拘束されて長いのに、安田さんのことがテレビや
その他の大きな大きなメディアでとりあげることは
あまりないとずっと気にかかってきた。
げっそりした顔。
政府はなぜ他の人のように対応しないのか?
いのちは平等ではない。
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怖い。

2018-07-07 07:09:28 | 世間のこと
突然のことでびっくりした。
7人が一斉に死刑になるなんて。

オーム真理教の一連の事件。
いつの間にか20年以上の月日が経ってしまい、
この事件の報道を直接見ていない人も多くなっているはず。

幹部の一人が殺されたことや、
いったんは松本サリン事件の容疑者となって、その後被害者として
報道に対し冷静な判断をすることを求め続けた人がいることも
今回の死刑報道にはでてこない。

そもそも7人が一斉に死刑になるというこの数だけでも
前代未聞のことだ。

法務大臣として死刑を執行しなかった人もいるし、
定期的に一人づつ死刑にした大臣、立て続けに二人を
死刑にした大臣など大臣によってなのか、
その時の政治の要求によってなのか、
いろいろなパターンはあった。
けれど今回のように
事件を葬るかのように7人という人の命を瞬間に消し去る
というやりかたは今までだったらありえない。
そして一斉に信者らを取り締まるかのような動き。

死刑は時の政治問題を隠すように執行される。
サッカー熱が冷めたとたんの出来事だった。
オリンピックも控えている。

余りにも恣意的で強硬な政治のやり方に怖さを感じる。
生きにくくなる世の中を感じる。


再度のお知らせ。
別館で日常生活をブログに書いています。
興味を持たれた方はそちらにもどうぞ。
『花よりだんご!で生きてます。』
https://salley73.exblog.jp/
こちらへもお越しください。
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別館のブログのご紹介。

2018-06-27 20:26:12 | その他
久しぶりの投稿。
もう少しせっせと投稿したいと思うのだが、
なかなかそうならない。

このブログではあまり日常の些細な私事について
書かないできたけれど、些細なことだらけの生活にこそ
本当のわたしの生がある。

というわけで、
もうひとつ別のブログにそういった日常の独り言
のようなものを綴っているので、興味のある方は
そちらをご覧いただければ幸いだと思う次第で…

なにかたくさん言いたいことが出てきたら、
こちらにもアップしたいと思う。

とりあえずはより投稿の多いほうのわたしの別館ブログ
『花よりだんご!』はこちら。
  https://salley73.exblog.jp

どうぞご覧ください。
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梅雨は「痛み」に厄介なのだ。

2018-06-09 06:25:05 | 本や映画、絵
5月は太陽の出ている日は家事に励んで、
気持ちのいい日を
あまり楽しまずにすぎてしまった。
さらさらとした空気の5月は、もう遠い日の
記憶といったものでしかなくなるのだろうか?

ここのところ、からだのメンテナンスで忙しく
本もたいして読み切っていないのが残念。

今読んでいる本の1冊は・・・
C.マラン『熱のない人間』(法政大学出版局)

その前に
外須美夫の著書2冊を読んだ。
彼は麻酔医。
文学の中に「痛み」を見つけながら、「痛み」の
当事者と相対している。

明治から昭和にかけての文学を担ってきた人のなかで
痛みを抱えて執筆した人のことを書いている。

読みながら、書いている人の思いを想像するには
面白い本だったが、
「痛み」を「受け入れる」「ユーモアに」してしまう、
などといった痛みの受容の「すばらしさ」といった
点に着目しているのが引っかかた。

そんなに簡単に「痛み」は受容できないと
わたしは感じているし考えている。

死に直結する痛みと、慢性疼痛と、克服した痛みは
それぞれやはり意味が違うような気がする。
死を前にしてもまだ痛むからだをユーモアで昇華する
ことはできるのだろうか?
むしろ見ないように、目をそらすようにしながら
痛みの弱くなった瞬間に書きとっていた文章や句であり、
痛みはやはり人を弱くするとしか思えない。
弱さを受け入れて初めて痛みも自分の道連れに
できるのだと。

『熱のない人間』の帯に
「治癒をもたらさすことなく治療をすることは
 可能か」とある。

ある文章に(一部省略)

>病者や障害者らについても
>自分の被っている暴力を隠し元気であるふりをする
>自分自身を隠蔽すること
>あまりに長く病人であってはならない
>障害を負っていないふりをする
>病人でないふりをする
>その負担の重さを否定することが求められる
>病む人は、苦しみを最小化するというゲームを
>演じることによってはじめて、社会空間の中に
>自分の居場所を見出すことができる

などと書かれていた。

身体というもの、
健康であることをどうかんがえるか、
そういったことにも言及している。

技術が侵入したことで身体観が変わってきたしまった。

痛みや違和感があって初めて、自分の身体を対象として
感じ考えることができるということ。

などなど、痛みの当事者でありつつも、
痛みを相対化して考えている・考えられる人の著作を読む
ことが、今のわたしにとっては大事。

まだまだわたし自身の痛み学、当事者性を
考えていくことが続きそうだ。
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わたしの痛み。

2018-05-11 22:12:00 | 日常生活あれこれ
投稿しなくなって久しい。
親指を除いた指先、右も左もどうしてか痛い。
原因不明。
キーをたたくのが億劫になってしまう。

ところで、わたしを悩ませるわたし自身のからだの
あちこちの痛み。
いろいろな手を講じているがなかなか良くならない。

最近またはやっているのか、
認知行動療法による痛みの緩和も
わたしには効き目がなかった。

2年間、その手のカウンセリングを受けたけれど
一定のところで立ち止まったままだ。

脳内の物質、
・セロトニンを増やす
・ノルアドレナリンを低くおさめる
・オピオイドによって痛みを緩和させる物質を増やす
 (その物質、名称がが出てこない・・・)
・眠りを改善してメラトニンを増やす
ほか、やれることは試しているがそううまくいかない。


「ヨブ記」に書かれているような、
痛みを原罪を介してとらえることで克服する
という考え方はは、しっくりこない。

痛みを痛みとして受け入れるということが、
いまひとつピンとこない。
けれど、正岡子規や石田波響
石田波郷とか、パスカルやカントや
モネといった他大勢の人たちが痛みつつも
生きていた事実がある。

どう考えればいいのだろう?
どう感じればよいのだろう?

外という麻酔医の本を2冊ほど読む。
考えながら読む。
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多肉植物を買う。

2018-04-09 09:27:01 | 日常生活あれこれ
多肉植物を買ってきた。
一鉢250円也。5鉢。

ずっと鉢物を買うのを自分に禁止していた。
育てられなくてきっと枯らしてしまうから。
それではかわいそうだし、身勝手だし。

でも偶然、観葉植物と多肉植物を扱う専門店の
前を通りがかってしまい、ながなが覗き見て
買わないつもりでいたのに、
多肉植物系女子っぽい人たちが次々と鉢をかごに
いれているのを見たら、
もう手がとまらなくなってしまった。

また偶然、某テレビ局で放送中の
「植物男子・・・」をみていたら、多肉植物の
恋物語がはじまり、そこに買ってきた種類のものが
2つも登場していたので、
これは単なる偶然とは言えない、
運命的な出会いだと勝手に解釈している・・・
そんなわたしであった。

今朝も、鉢が輝いている。
まだ水やりは厳禁だ。
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