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そらと風に《メイサートンによせて》

空が好き。風をからだに受けながら,ボーっとするのも …ごぶさたしました。13年ぶりに再開です。

LGBTを支援する企業。

2018-10-13 16:11:43 | 日常生活あれこれ
だんだんLGBTに関する報道や特集がテレビでも
増えてきている。
録画した番組を今日、ひとつ見た。

LGBTを支援するというステッカーを作って、社員がパソコンに
はっているという企業が紹介された。
(以前には別の大手が紹介されていた。)
人事担当者が言うには、
LGBTであることを隠したり気にしたりするエネルギーは、
その人のもつ力の2~3割を占めていて、その分が仕事に
あてられれば、生産性が向上するということ。

LGBT支援が広がる中で、どうもここのところが
気になっている。
企業にとってLGBTであるか否かは、生産性の問題であって、
(または企業のイメージアップ)人権の問題とうまく
すり替えられているのではないか。

誰がなんのために、誰を支援するのか、
そんなことが気にかかってしかたがない。

あいまいなわたし。

2018-07-12 18:06:21 | 日常生活あれこれ
ここ数か月の間に、だいぶ痛みが遠ざかっていった。
スケールでいえば、10をいちばん痛いときとして
(我慢できない痛みとして)今は2くらいかも。
もちろん、痛みは瞬間瞬間程度が変わってくるから、
4や5になることもある。
でも、常に痛い痛いと感じるのではなく、
重いとかだるいとか動かしにくいとか嫌な感じとか、
そういう曖昧な不快感がつきまとうだけだ。
「だけ」なのだ。

こういう状態をなんといえばいいのか、
どうとらえればいいのか…

痛みが強かったつい最近までに読んでいた本。

・『熱のない人間
   治癒せざるものの治癒のために』
      クレール・マラン著
             法政大学出版局

・『痛みと麻痺を生きる』
      脊損痛研究会著
           日本評論社

・『スティル・ライブズ
   脊髄損傷と共に生きる人々の物語』
      J・コール
             法政大学出版局

・『痛みの声を聞け』 外須美夫著
            克誠堂出版 


『熱のない人間』は、痛む人・病を抱える人自身のことだけでなく
医師の直面する問題や家族との関係についても語っている。
治るというのはどういうことか・・・
読んでいる時は、全部のページ、線を引きたいくらいだったけれど、
痛みが薄まって、読んで1か月も経つとそんな気持ちも
怪しくなってきている。

脊髄損傷の人たち・当事者の証言はきつい。

今、痛みが薄らいでいる状態で
こういった今ひどく痛んでいる人たちの本を
読めなくなってきてしまった。
(本から手を引いてしまった)

それでも近いうちにまた、読み続けなくてはと感じている。

このあいまいなわたし。

わたしの痛み。

2018-05-11 22:12:00 | 日常生活あれこれ
投稿しなくなって久しい。
親指を除いた指先、右も左もどうしてか痛い。
原因不明。
キーをたたくのが億劫になってしまう。

ところで、わたしを悩ませるわたし自身のからだの
あちこちの痛み。
いろいろな手を講じているがなかなか良くならない。

最近またはやっているのか、
認知行動療法による痛みの緩和も
わたしには効き目がなかった。

2年間、その手のカウンセリングを受けたけれど
一定のところで立ち止まったままだ。

脳内の物質、
・セロトニンを増やす
・ノルアドレナリンを低くおさめる
・オピオイドによって痛みを緩和させる物質を増やす
 (その物質、名称がが出てこない・・・)
・眠りを改善してメラトニンを増やす
ほか、やれることは試しているがそううまくいかない。


「ヨブ記」に書かれているような、
痛みを原罪を介してとらえることで克服する
という考え方はは、しっくりこない。

痛みを痛みとして受け入れるということが、
いまひとつピンとこない。
けれど、正岡子規や石田波響
石田波郷とか、パスカルやカントや
モネといった他大勢の人たちが痛みつつも
生きていた事実がある。

どう考えればいいのだろう?
どう感じればよいのだろう?

外という麻酔医の本を2冊ほど読む。
考えながら読む。

多肉植物を買う。

2018-04-09 09:27:01 | 日常生活あれこれ
多肉植物を買ってきた。
一鉢250円也。5鉢。

ずっと鉢物を買うのを自分に禁止していた。
育てられなくてきっと枯らしてしまうから。
それではかわいそうだし、身勝手だし。

でも偶然、観葉植物と多肉植物を扱う専門店の
前を通りがかってしまい、ながなが覗き見て
買わないつもりでいたのに、
多肉植物系女子っぽい人たちが次々と鉢をかごに
いれているのを見たら、
もう手がとまらなくなってしまった。

また偶然、某テレビ局で放送中の
「植物男子・・・」をみていたら、多肉植物の
恋物語がはじまり、そこに買ってきた種類のものが
2つも登場していたので、
これは単なる偶然とは言えない、
運命的な出会いだと勝手に解釈している・・・
そんなわたしであった。

今朝も、鉢が輝いている。
まだ水やりは厳禁だ。

天職というけれど。

2018-03-29 22:21:51 | 日常生活あれこれ
先日、ある訴訟を起こした女性の支援の会に
行ってきた。
彼女は大学の先生。
同僚からパワハラを受け、講義をできない状態になって
しまっている。
この状態の改善を要求した訴訟を、同じ大学の
先生たちや仲間で支援している。
その会に行ってみたというところ。

最初に、彼女の専門としていることについて
研究発表のような講義を聞き、そのあとで
訴訟の段階についての説明があった。

自己紹介もかねての講義。
このなかで
「教育は私の天職です。」
と彼女がうれしそうに語ったのが印象深かった。

ハラスメントを受けても、天職としての職業に戻る
希望に満ち満ちていること。

わたしにはそういう気力や余力や・・・いろいろなものが
すでになくなっている。
そもそも天職などというものはなかった。
いつも、これではいけないと思うばかりで達成感もなく、
どのサイドからも非難を受けてばかりだった。
もちろん、時々は仕事をしていてよかったと思える瞬間も
あったことは事実だ。
優しい言葉を生徒たちからかけてもらった。
でも、本業の教える内容については懐疑ばかり、
改善の必要性ばかりだったから、
じつは今、仕事から解放されて「天国」にいる
とさえいえるかもしれない。
時間に追われず、びくびくすることもなく、
具合が悪ければ休んでいられる。

それにしても、なぜか彼女の希望に満ちた顔が
わたしの心に引っかかって離れない。
思ったより、わたし自身の負った傷が深かったようだ。
また、トラウマやPTSDに関する本を注文してしまった。
脳科学によってどこまで解決できるか、
ちょっとした手掛かりでも大事に思う。

トラウマやPTSDという言葉は、
今ずいぶんと拡大解釈されて、なんでもトラウマといって
しまう風潮があるけれど、もう少し厳密に語られなければ
ならないと感じている。

なにもかも、精神の病気にしてしまうのも間違いだし、
気質や遺伝子に還元してしまうのも間違いだ。
発達段階での問題と、社会環境と、様々な要因がからみ
問題が複雑になっている。
だからこそ、解決が難しいし意見も割れている。
だからこそ、知りたいことばかり。
少しでも、わたしの現状をよくするために。


ブックカフェではなく・・・

2018-03-04 17:12:28 | 日常生活あれこれ
ある新聞に、
柳美里と佐藤弘夫著『春の消息』(第三文明)刊行の記事が
載っていた。

初めて知ったのは、柳美里が2015年に福島の南相馬市に
移住していたということ。
そこでブックっカフェ「フルハウス」というのを
開くこと。

この本にも興味があるけれど、ブックカフェも
行ってみたくなる。

ブックカフェ、というタイトルがついている雑誌など
つい手に取りたくなってしまうし、行ってみたい
と思うけれど、実際はあまり行ったことがない。
ブックカフェ・・・あこがれるなぁ・・・

と思ったところで、昨日アップしたわたしの夢と
ブックカフェはどう交わるか?考えてみた。

ブックカフェは、静かな時間を一人ゆったり味わうところ。
だから、わたしの夢の場所は一人というところで
残念なことに一致しない。

認知症カフェと子ども食堂を合わせたような、
そんなところかもしれない。

第一に居場所にならなくてはならない。
気軽によれて、ずっといられる。
冬はあったかくて、夏はそこそこ涼しい。

そのうえで、
お互い過干渉にはならないけれど、
そこそこ話しやすい感じを醸し出しているところ。
大声は出さないルール。
緑もいっぱいで、できればみんなで育てたい。
絵本と、私の持っている本や持ち寄ってくれた本が
自由に読めるところ。

おなかがすいていたら、軽く食べたり飲んだり。
高齢者と子ども、母親、病気を持っているけれど外で
話をしたい人、障害もOK。
いろいろな人が集まって、それぞれが遊んで
めんどうをみあっていけるところ。
こっそり泣けるところと、ニコニコできるところ
両方が必要。
からだの心配や学校の心配、老いの心配
世間の心配について肩ひじ張らずにしゃべれるところ。

そんな居場所が作れたらいいと思うのだ。
居場所があれば、べつにわたしが相談を受けなくても
ただの管理人になればいいから。

二日にもわたって同じことを書いているけれど、
こういう夢を語るのは楽しくて・・・

ゆるーいつながりがもてる場が欲しい今。
本の話がしたい今。
そんな今だ。

こんな夢。

2018-03-03 17:24:31 | 日常生活あれこれ

仕事を辞めて、いわゆる社会参加ができなくなっている状態が続いている。
一番困っているのは、身体の衰え。

まずは人と話さないから、声を出す力や表情筋をほぼ使わない。
(夫と話すときには、緊張がかからないから、意識的な筋の使い方は
なかなかできない)
あと、座っているにしろ、立っているにしろ、垂直を保つ筋力が
落ちっぱなしだ。
そして、ことばを発しない・書かないから、ことばが出てこないし
語彙が減っている。

といったいろいろをそろそろ何とかしたい。
そう強く思ってい現在。
なんとか腰を上げて、来週ボランティアの見学に行くことにした。



じつは、わたし、ある夢をもっている。


お寺のようなところ
天井が高くて、木で囲まれていて、縁側があって日当たりのあるところで、
子どもも高齢者も、若いお母さんたちも好きな時に寄って、
話を聞いてあげたり、何か手伝ってあげたり、
本をよんでみたらどう?と勧めてみたり、
一緒にお茶を飲んだり、
そんな
よろず相談所もどきを開くこと。



ゆったりした時間とお茶と縁側が大事だ。
そこで介護保険や発達障害の関係施設などにたどり着くよう
話をしたりなど、福祉や教育の制度と人をつなぐような
お手伝いをしたりする。
もう少しいえば、メンタルな面のかんたんなアドバイスで
お医者さんや保健所とつなげたり、
学校での教員との関係の取り方とか発達障害のなやみ話を聞いたり、
認知症の問題を一緒に考えたり、
親との関係についてもいっしょに考えたり・・・
片麻痺の生活とか、脳梗塞とリハビリのこともいっしょに考えたいし。

こうしたことを少しだけお金に結び付けて(持ち出しをしないで済むようにして)
わたしのできることをする場所が欲しい。
と、そんなことをときどき考える。
本に投資した分くらいは、何か役に立つことをしたいもの。
持っている本もリサイクルだけでなく、公開した方が
もったいなくない。
最近はやりのクラウドファンディングなどはめっそうもなく、
楽にやりたいと、夢想するでけで。
ダブルワークが流行るようになる中で、ちょっと夢見ごこちになったりしている。

marimekkoのカードセット。

2018-02-25 09:46:47 | 日常生活あれこれ
朝からくもっている。
こういう日は身体の調子も心持もどうもすっきりしない。

そんなことを思いながら洗濯機をかけ、
本を読んでいたら、
アマゾンからのお届け物が早くも届いた。

marimekkoのカードセットとシールのセット。
生活必需品でもないのに、ちょっとぜいたくだが、
見逃せなかったので思わず購入。
でも中身を見て、やっぱりうれしくなって、
少しばかり幸せになる。

わたしはハガキ(カード)に目がない。
画材屋さんに行っても、文房具屋さんに行っても
本屋さんのアートコーナーに行っても、旅先でも
気になるとすぐに手が出てしまう。

切手も同様。

買う数に比べたら、はがきを出す機会はそんなに多くはないけれど、
たくさんの中からこの人にはこのはがきでと思うのが
なんともうれしい。

というわけで、
この曇った空の中でも、楽しみはあるのだった。

突然のお別れ…

2018-02-20 14:16:30 | 日常生活あれこれ
1年半以上、週に一度くらいの間隔で
マッサージをお願いしていた人が、
急にお店を辞めてしまったと今日初めて知った。
先週の木曜日、
「6月までには少し身体を引き締められるよう
ほぐしておいた方がいいですね。」
と話して、
「ではまたよろしくお願いします。」
といって別れたばかりだったのに・・・
マッサージというより、
頭痛と身体の痛みをとってもらうことが主な目的だったから、
わたしにとってはショックが大きい。
これから、この痛みの緩和どうしようか…と路頭に迷うような気さえする。
大げさかもしれないけれど。

なにしろ突然の別れというのは、ポカンと穴の開いたような…
ずっと前、髪を切ってくれていた人が辞めた時もそうだった。
わたしは別れに弱い。

気持ち変えるためにDVDを借りてきた。
予告編で見た限り、元気が出そうなおばぁちゃんの話だったのだが…
これまた全然違ってしまった。
リサーチ不足!

『92歳のパリジェンヌ』という映画。
車の運転ができなくなって、92歳を迎えたもと活動家の
おばぁちゃんが、尊厳死を宣言してやり遂げる話だ。

尊厳死とか安楽死とかいったことばが、
日本でももてはやされた時期があった。
マスコミで騒いだ時期だ。
今では下火になっているとわたし自身は感じているが、
形を変えて尊厳死と同じような死を求める動きはまだ
ある。

「平穏死」というタイトルの本はよく目にする。
受精卵や出生以前の子どもの遺伝子を検査する
という方法で、生にラインを引く動きもある。

生き死にを人間の意志・判断に任せるという行為に
今のわたしはなじまない。

できるだけよい生を全うしたい。
身体が動かなくても、判断ができなくなっても
やりたいことを全うするというのならいい。
生を狭めることはしたくない。

ということで、
この映画、ピンとこなかった。
見ていていい気持ちにはならずに終わってしまった。
ただ、映画の中でおしゃれしているおばぁちゃんが
きれいだと感じたのは確か。
死よりもおしぇれのほうが好きだ。

全然ハッピーな映画ではなかったけれど、
見ていたら、マッサージの件の気が晴れたから
人間というのはいいかげんなものだ。

明日からはマッサージに頼らないでいけるよう、
方法を考えようと思う。
暖かい午後、
もうすぐ3時だ。

最近はおしゃれにも。

2018-02-11 17:58:29 | 日常生活あれこれ
ブログを書き始めたころと違うこと。
なんと
最近はおしゃれにも気をつかうようになった!!
といっても、着ているものの大半はGAPのものだし、
たいしたおしゃれではないのだけれど。
でも些細なことに気をつかうようになったという点では
大きな違いがある。

些細なこととは・・・
靴下と靴の色合わせ。

メレルの靴がわたしの足にぴったりの形でお気に入り。
ただ安くなった時にしか買わない。
気づくと夫がたびたび買ってくれて、
しかし赤だったり緑だったり、アップルグリーン・
オレンジ・パープルといった派手で明るい色のものが
多くて。
そういった靴の色にも無頓着に、
最近まではどうせパンツの下で見えない靴下だから
と靴に合わない色のものを平気で履いていた。

でも、急にそのとんちんかんな色づかいに目が行って、
なんとも恥ずかしい気持ちになり始めた。
そこで色を合わせてみたら、気持ちがいいこと!!
自信が出てきたというか・・・
こんなことで、自信などと大げさなと思うけれど、
実際そうなのだ。

そして昨日は大型スーパーにて
春にはく緑色の靴に合わせた靴下を購入した。
さてさて春だ。

以前の自分って。

2018-02-11 07:50:23 | 日常生活あれこれ
昨日、昔アップした記事を読んでみた。
やっぱり、時がたったという感じがする・・・

10年以上前のわたしは、まだ糾弾型。
自分に対しても、世間に対しても。
怒りがまず先になっていたような・・・

今も、世間のことを書くときは、すぐに怒ってしまうけれど、
それは独り言のような気分であって、「…べき」と
言い立てたりしてはいないつもりだ。

昨日書いた『年をとるほど脳は…』という本にもあるとおり
歳を重ねたこと・仕事を辞めたことでからだとこころが
ずっと楽になった。

自分自身の中の変化が、アップしている文章にどこまで
現れているかはわからないけれど。

なにしろ硬いのは、
頭でも心でもちょっと困りものだ。
相手をはねつけるだけ。
寄せ付けないでそのまま終わってしまう。
ちょっとづつの変化を甘んじて受け入れるのが
ほんのすこーしできるようになった。(かな?)

とはいえ、このオリンピック期間中、
テレビをつけると気持ちがわさわさしてきてしまうのだから、
よく言うなぁというところもまだまだあるわけで。

連休中間の晴れた朝は、いい気分だ。
今日もいい日になりますように。


文旦とブルーベリー。

2018-02-10 22:52:31 | 日常生活あれこれ
以前、高知に行ったことがある。
5月の連休に行き、いろいろ食べて楽しんだ。
その時に味わった文旦の味が忘れられない。

帰りに、大小ばらばらでちょっと傷のある、
でも十分熟しきった文旦を段ボール1箱以上
大きなビニール袋にざっくり入れたままで飛行機に
乗せて持って帰り食べた。
爽やかな日本の香り!
甘夏をもっとさらりと爽やかにレモンを入れたような
味わい!

それ以降たびたび高知から文旦を取り寄せている。

今日、高知から文旦が届いた。
傷はあるけれどおいしい。
甘さもすっぱさも十分あるしジューシーだ。
5月くらいまでが旬だから、これを食べ終わったら
もう一回くらい注文できそうだ。

もうひとつ、
先月からマイブームになっているのがブルーベリーだ。
無農薬の冷凍ブルーベリーを取り寄せてヨーグルトと
一緒に食べている。
なんだか身体にいい感じ。
ブルーベリーの抗酸化作用は実証されているとある
本に書いてあった。
『年をとるほど賢くなる脳の習慣』だ。

歳をとると脳神経の配線のしかた、脳の使い方が
変わってくるという。
ただ単に短期記憶だとか情報の処理能力は
若い方がすぐれている。
けれど、幸福感を感じとる力は歳をとるほど
強まってくるというのだ。
そのほかにもいろいろな変化があるそうで、
失うものをカバーするというよりも、
新しい生き方ができるようになるという。
うれしい情報だった。

おいしものをもっと食べよう!
と思うこの頃。

ある番組を見て。場面緘黙児だったわたし。

2018-01-25 15:08:48 | 日常生活あれこれ
雪が降ったあとのこの寒さ。
外に出たいような出たくないような。
なんとなく家の中でぐずぐずしている。

録画しておいた教育テレビの番組を見た。
バリバラという障がい者当事者たちと「健常者」で作る番組。
吃音というハンディを持つ4人の男性と場面緘黙という症状を持つ4人の女性が
一つ屋根の下で合宿生活をする様子を追ったドキュメンタリーだ。

男性陣も女性陣も自分の生きにくさや話しにくさを克服しようとして
この番組の企画にのったのだが、
いろいろな場面でしんどそうな様子が見て取れた。

わたしは幼稚園・小学校の2年間、場面緘黙児だった。
家の中でしか話せないし、トイレにも行けない。
家以外でトイレに行けるようになったのは、小学5年生の運動会の日だった。
(その間、トイレはがまんにがまんして、おもらししてしまったり。
 誰の目もないのを確認してやっと1回トイレに行くのが最大のがんばりだった。)
だから、場面緘黙の女性たちを見ていて、
息が苦しくなってしまった。
吃音でもがんばって話そうとする様子を見ても同じような感覚になったけれど。

話そうとすればするほど、からだが固まって気持ちも固まって疲れてしまう。
なぜ話せないのか自分でもよくわからないし。
まばたきだけが激しくなる。
声をやっと出すと、蚊のような細い声・・・

給食が食べられなかったのは、場面緘黙のせいだったと、
初めて理解した。
場面緘黙の人は大勢の中で食事をするのが一番苦手なのだそうだ。

そういえば、働き始めてからも、
仲の良い同僚とお茶するときに、いつも緊張して相手の目を見られなかった。
いまだに人混みは苦手だし、息苦しくなってしまう。

番組に出てくる人たちを見ながら、
なぜ克服しなくてはならないのかと思ってしまった。
克服するってどういうことなのだろう?
吃音がなくなるとか、場面緘黙ではなくなるということ?
克服しようとがんばる姿は、見ていてしんどい。
わたしもまだまだ変わった方がいいということか??

わたし自身は今のわたしでとりあえず満足しているけれど。
「ありのまま」ということばがあるけれど、努力したほうがいいことと
受け止める以外にないこととがある。
聖書のことばみたいな考え方にになってしまうけれど。
あいまいなまま自分でバランスをとって受け入れることが
一番難しい。
そんな気がする。

やる気が出ない・・・

2018-01-17 19:24:53 | 日常生活あれこれ
今日は病院に行ってきた。
寒かったぁ。
夫も風邪で出社せず。
さっき洗濯を終えたが、投稿!とまでいかず、
テンプレートを変えて遊んでおしまい。

あぁ。
身体が重い。
やる気が出ない。
何とかならないものか知らん。

師岡カリーマ・サムエルニーの書いた
『変わるエジプト、変わらないエジプト』(白水社)の中古本が届く。
先日紹介した本に、「アラブの春」が今では忌み嫌われる言葉となった
とあったので、
追加して購入した本。

内容はまた今度。

捕捉と訂正。大げさな表記‼

2018-01-14 23:35:07 | 日常生活あれこれ
捕捉:夕方投稿したものに、一部大げさな書き方をしたものがありました。

ものすごくたくさんの書きかけのノート・・・なんて書いたのはウソ。
大きな段ボール2箱分だけ。
でも!なにしろ!
大学生の時、生協で買ったとわかるシール(価格)が張ったままのが
あったり、表紙が色あせているのが多数。
おまけに高校生の時の文化祭用に記録した数ページがそのまま
残っていたりとかしたので、
感覚的に「ものすごくたくさんの」ノートだったわけです。

あぁこうして年月が経ってきたのかぁと思うと・・・

そんなわけでした。