図書館で『春の消息』を読んできた。
(柳美里・佐藤弘夫著 第三文明社)
東北地方の霊場、小さな祠など、二人で見て歩いた所の写真と
柳美里のエッセイ、短篇小説(?)で構成されている。
夏から秋にかけての写真なので、今見るとちょうどタイムリ-な感じ。
中世まで、日本では個人の墓という発想はなかったという。
死者の遺品をみんなが同じところに納めて、季節ごとに供養して
いく文化に、懐かしさというか羨ましさを覚える。
死を個人の所有とは違うレベルで考えた時代があった。
死者とはいつでも山に行けば会えるという感じ方や
いたこのような人死者をに呼び寄せてもらうことは
怪しくもなんともないことだという感じ方。
死は近しいものだった。
ちょうど今の時期、山に登ることで死者に語りかけるのか…
わたしも山に散骨してもらいたいなぁ、なんて。
今の制度では、焼いた骨も勝手に捨てられない。
中世以前の鳥葬とか自然葬とか、そんなことはむろん
できないし、それは仕方ないことで。
でも、近代制度とは違うところで、死を迎えたい、
そんな気持ちは捨てがたい。
と、図書館で考えながら時間を過ごした次第。
クーラーの効いた部屋で何を言ってるんだろう!?
(柳美里・佐藤弘夫著 第三文明社)
東北地方の霊場、小さな祠など、二人で見て歩いた所の写真と
柳美里のエッセイ、短篇小説(?)で構成されている。
夏から秋にかけての写真なので、今見るとちょうどタイムリ-な感じ。
中世まで、日本では個人の墓という発想はなかったという。
死者の遺品をみんなが同じところに納めて、季節ごとに供養して
いく文化に、懐かしさというか羨ましさを覚える。
死を個人の所有とは違うレベルで考えた時代があった。
死者とはいつでも山に行けば会えるという感じ方や
いたこのような人死者をに呼び寄せてもらうことは
怪しくもなんともないことだという感じ方。
死は近しいものだった。
ちょうど今の時期、山に登ることで死者に語りかけるのか…
わたしも山に散骨してもらいたいなぁ、なんて。
今の制度では、焼いた骨も勝手に捨てられない。
中世以前の鳥葬とか自然葬とか、そんなことはむろん
できないし、それは仕方ないことで。
でも、近代制度とは違うところで、死を迎えたい、
そんな気持ちは捨てがたい。
と、図書館で考えながら時間を過ごした次第。
クーラーの効いた部屋で何を言ってるんだろう!?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます