雪が降ったあとのこの寒さ。
外に出たいような出たくないような。
なんとなく家の中でぐずぐずしている。
録画しておいた教育テレビの番組を見た。
バリバラという障がい者当事者たちと「健常者」で作る番組。
吃音というハンディを持つ4人の男性と場面緘黙という症状を持つ4人の女性が
一つ屋根の下で合宿生活をする様子を追ったドキュメンタリーだ。
男性陣も女性陣も自分の生きにくさや話しにくさを克服しようとして
この番組の企画にのったのだが、
いろいろな場面でしんどそうな様子が見て取れた。
わたしは幼稚園・小学校の2年間、場面緘黙児だった。
家の中でしか話せないし、トイレにも行けない。
家以外でトイレに行けるようになったのは、小学5年生の運動会の日だった。
(その間、トイレはがまんにがまんして、おもらししてしまったり。
誰の目もないのを確認してやっと1回トイレに行くのが最大のがんばりだった。)
だから、場面緘黙の女性たちを見ていて、
息が苦しくなってしまった。
吃音でもがんばって話そうとする様子を見ても同じような感覚になったけれど。
話そうとすればするほど、からだが固まって気持ちも固まって疲れてしまう。
なぜ話せないのか自分でもよくわからないし。
まばたきだけが激しくなる。
声をやっと出すと、蚊のような細い声・・・
給食が食べられなかったのは、場面緘黙のせいだったと、
初めて理解した。
場面緘黙の人は大勢の中で食事をするのが一番苦手なのだそうだ。
そういえば、働き始めてからも、
仲の良い同僚とお茶するときに、いつも緊張して相手の目を見られなかった。
いまだに人混みは苦手だし、息苦しくなってしまう。
番組に出てくる人たちを見ながら、
なぜ克服しなくてはならないのかと思ってしまった。
克服するってどういうことなのだろう?
吃音がなくなるとか、場面緘黙ではなくなるということ?
克服しようとがんばる姿は、見ていてしんどい。
わたしもまだまだ変わった方がいいということか??
わたし自身は今のわたしでとりあえず満足しているけれど。
「ありのまま」ということばがあるけれど、努力したほうがいいことと
受け止める以外にないこととがある。
聖書のことばみたいな考え方にになってしまうけれど。
あいまいなまま自分でバランスをとって受け入れることが
一番難しい。
そんな気がする。
外に出たいような出たくないような。
なんとなく家の中でぐずぐずしている。
録画しておいた教育テレビの番組を見た。
バリバラという障がい者当事者たちと「健常者」で作る番組。
吃音というハンディを持つ4人の男性と場面緘黙という症状を持つ4人の女性が
一つ屋根の下で合宿生活をする様子を追ったドキュメンタリーだ。
男性陣も女性陣も自分の生きにくさや話しにくさを克服しようとして
この番組の企画にのったのだが、
いろいろな場面でしんどそうな様子が見て取れた。
わたしは幼稚園・小学校の2年間、場面緘黙児だった。
家の中でしか話せないし、トイレにも行けない。
家以外でトイレに行けるようになったのは、小学5年生の運動会の日だった。
(その間、トイレはがまんにがまんして、おもらししてしまったり。
誰の目もないのを確認してやっと1回トイレに行くのが最大のがんばりだった。)
だから、場面緘黙の女性たちを見ていて、
息が苦しくなってしまった。
吃音でもがんばって話そうとする様子を見ても同じような感覚になったけれど。
話そうとすればするほど、からだが固まって気持ちも固まって疲れてしまう。
なぜ話せないのか自分でもよくわからないし。
まばたきだけが激しくなる。
声をやっと出すと、蚊のような細い声・・・
給食が食べられなかったのは、場面緘黙のせいだったと、
初めて理解した。
場面緘黙の人は大勢の中で食事をするのが一番苦手なのだそうだ。
そういえば、働き始めてからも、
仲の良い同僚とお茶するときに、いつも緊張して相手の目を見られなかった。
いまだに人混みは苦手だし、息苦しくなってしまう。
番組に出てくる人たちを見ながら、
なぜ克服しなくてはならないのかと思ってしまった。
克服するってどういうことなのだろう?
吃音がなくなるとか、場面緘黙ではなくなるということ?
克服しようとがんばる姿は、見ていてしんどい。
わたしもまだまだ変わった方がいいということか??
わたし自身は今のわたしでとりあえず満足しているけれど。
「ありのまま」ということばがあるけれど、努力したほうがいいことと
受け止める以外にないこととがある。
聖書のことばみたいな考え方にになってしまうけれど。
あいまいなまま自分でバランスをとって受け入れることが
一番難しい。
そんな気がする。
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