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そよかぜノート

読書と詩の記録

西の魔女が死んだ

2007年07月08日 | book 文庫
■梨木香歩
■新潮文庫 400円

 『西の魔女が死んだ』 2007.6.30

題からすると、まるでホラーサスペンス調だけど、純粋に少女の心の葛藤を描いたものだった。まいはいじめにあった。学校に行けなくなった。だから、おばあちゃんの家で、しばらく暮らすことになった。おばあちゃんは、英国人。でも、片田舎で自然ととともに、日本の風土とともに暮らしていた。おばあちゃんは魔女修行を積んでいて、まいも不思議な能力を持ちたいと修行をすることになった。その修行とは、決まった時間に起きて決まった時間に寝る。そして、自分の意思の力を高め、自分でものごとを決めること。悪魔に妄想に惑わされないこと。おばあちゃんは、前向きな心を持たせようとしているようだ。まいが自分の心から逃げてしまい、小さくなってしまった。だれかに肩をたたかれても、背中をこずかれても、きっと動こうという気持ちは起きない。でも、魔女になる修行なら別だ。いじめに立ち向かうのではなく、新しい自分を作るのだから。

高校受験、あなたなら前進できる

2006年07月09日 | poem
 高校受験、あなたなら前進できる 2005.2.2

何もしてあげられない
気持ちも伝わらない
あなたならできる
遠く眺めて そう祈るだけ
それしかできない
わたしとちがい
あなたは自分の考えをしっかりと持ち
自分の道を自分の判断で決めることができる
臆することなく
緊張の魔の手を振り払う力強さがある
だから あなたならできる

わたしがあなたと同じ頃
わたしの頭の中に
あなたほどはっきりした意識はなかった
人が言うまま まわりの流れのまま
自分の意志がなく
エスカレーターに乗って ただ下を向いていた
結果的に良かったけど
その生き方は今でも続いている
わたしは下を向いている
はっきりとした意志が見えない

それに比べ
あなたには形が見える
前をしっかり見て
自分の道を自分で切り開こうとしている
それだけであなたはわたしを越えている
自分を信じて
進みなさい


 眠れない夜 2005.2.7

目を瞑ると声がする

おまえは一人
どんなに足掻いても一人
死ぬまで一人
孤独を目一杯味わって
どん底の眠りにつくがいい

布団に入っても
居間のソファーに座っても
食事をするときも
音楽を聴くときも
何をするのも
確かに一人

車に乗っても
ベンチに座っても
バスに乗っても
レストランに入っても
確かに一人

小さな頃に
いじめられた記憶のように
今も前に進めない
誰かにそばにいてほしいのに
一人のわたしを見て笑うだけ

眠れない夜は
ひとしお孤独が身にしみる
だからなお
涙ばかりがあふれ出て
いつまでもいつまでも
眠れない

■結局、ホームページよりアルバム作りが楽です。これに決めます。ヤフーで写真アルバムや写真資料作りをして、gooでテキスト作りをします。2つのブログを結んで1つの作品を作っていきます。
■わたしの遺言状。何にもないわたしのつまらない遺言状。財産を分け与えるとか、何かを頼むとかではありません。わたしが思ったこと、考えたことを知ってほしい。しょうもない人間だけど、生きてきたことを知ってほしい。すでに直接伝える術をなくしてしまった。自力ではどうしようもない。だれかが後押しをしてくれたら。他力本願で、情けないけど、その誰かは何もしてくれない。わたしの本当の姿は決して冷たいものではなく、そよかぜのように優しいものだとわかってほしい。悲観的な考えだが、きっと伝えられずに終わるんだろう。眠れない今、そのことを記すことで、少しでも楽になりたい。


 思い出のパッチン 2005.2.9

わたしが小さい頃のお話をします
わたしはやせっぽちだったけど
外でいつも遊んでた
家の中で遊ぶこともあったけど
いやな思い出につながるのでまた今度
家の前でパッチンをしていたんだ
パッチンは宝物で
40cm×60cmくらいの箱に
いっぱい集めた
集めたというより
勝ち取ったんだ
勝ったらもらえる
負けたら取られる
そのことでしかられることはなかった
認められていた遊びだった
もちろん学校で注意されることもなかった
今そんなことをしたら大変なことになるだうね
即学校に連絡が行き
学校中でみんなが説教される
テレビゲームよりいいかも
って思っているんだけど
パッチンも16枚1シートで5円だったから
お金がかかっているから
あの頃は大らかだったんだろう
実は今でも残しているんだ
ロフトの上の箱に入れて置いてある
全部あげるよ
もう捨ててもいいよ
中にはね
あの頃価値があると言われた
「古パン」も入っている
でももういらないよ
わたしには思い出がいっぱいの
大切なものだったけど
あなたにはただのゴミだからね
捨ててください
あなたが大人になる頃は
何が思い出のものになるのだろうね

 

 黄金山 2005.2.12

久しぶりに黄金山に行った
以前と変わらぬレストハウス
本当の名前はちがうかもしれません
小さい頃からそう呼んでいました
わたしの育った家も黄金山の麓にあって
ここへは歩いてよく登りました
12チャンネルの塔には
レストランが営業されていたこともありました
展望台ももっともっときれいだったなあ
弟と来たこともあったよ
あんなに楽しく話せた時代が懐かしいよ
ふりかえれば いつも
自分のことしか考えていなかったなあ
思い出を辿る旅
それはこの黄金山がスタートです
いろんな場所から見ることができました
遠くからこの塔が見えました
でもね 改めて来ることはなかった
忙しいこともあるけど
ずっと ずっと 背中を強く押されているかのように
坂道を転がり続けていたからなあ
まだまだ落ち続けているけど
鏡の裏側には
今まで楽しい笑顔で軽快な文字を刻んできたんです
それを言いたくてね
ただ子どもの頃
あんなに大きく広く感じた道が
今日はやけに狭く通りにくく
感じました


 信じるもの 2005.2.13

信じるものがあるんですね
何かに手を合わせたり 祈ったり 願ったり
わたしも手を組んで祈りたいことがあるんです
叶えてほしいことがあるんです
どうしても手を貸してほしいことがあるんです

でも 手を合わすことをためらってしまう
今まで 心から信じたことがないから
信じることができないから
それは生育と関係しているかもしれません
自分の弱さかもしれないし
人を信じていないからかもしれません

わたしにも信じることができる神様がほしいのです
仏様でもキリストでも何でもいいから
信じさせてほしいのです
わたしは仏壇で手を合わすことができません
お墓参りに行っても
手を合わせても 何を思っていいのかわかりません
初詣で手をたたいても 仏事で目をつむっても
心の置き所がみつかりません

神様=人
わたしは信じていないのです
だから孤独なのです
信じることができたら
もっと幸せに近づくのに


 人の目が気になるから 2005.2.13

何をやってるんだろうね
結局人の目が気になって仕方ないんだよ
そうなるのはわかるけど
いつもそれで冷静な判断ができなくなるじゃないか
「我が道をゆく」
そうあればいいじゃないか

あるテレビ番組で言ってた
政治家に欠けているもの
それは恐怖心
人の目や批判、中傷が気にならない
だからこそできるんだって

そりゃあうらやましいことだよ
そうなりたいものだよ
そうしたら何もかも解決するよ

「うつ」からのがれるための本まで買ってきたっていうのに
しんどいばかりの日々が続くよ
人の目が気にならない薬はないものかなあ

■アレルギーのためか、頭痛、腰痛とおもわしくない。せめて気持ちだけでもあっけらかんとできればいいんだけど。いろいろ考えて、結局、ブログは分離させることにした。「躁」「鬱」の関係みたいにね。まだはじめたばかり、少しずつ積み重ねていこう。ただ、これが真ん中にきたら、それはおかしい。あくまでも傍らを
吹きすぎる風なんだということをわすれてはいけない。


 昔から頭の悪い子でね 2005.2.16

病気がちで やせっぽちで
臆病で 甘えん坊で 寂しがり屋で
江戸時代なら 2~3才で死んでるんじゃないかな
もっと昔なら 役立たずで捨てられてたかもね
現代だからこそ生き延びていられるんだね
2才ころは
真夜中にぜんそくの発作で病院に行ったよ
県病院や大学病院にタクシーでね
大きな入り口のそばに小さな入り口があって
中に入るとそのそばに小さな部屋があって
腕の太さくらいの大きな注射をされた
2才の記憶ではそうなんだ
子ども心に
どうしてこうも苦しんだろうって
思ったかおもわなかったか
体がしんどいだけに
いつもだれかに支えてもらいたがった
今でもそんな雰囲気が残ってる
本当は物より
落ち着いた環境と優しさがほしかった
怒鳴り合う日々煙の部屋
息を殺して待つ静寂
頭の中はカランカラン
ただ待つだけ
物わかりが悪くてね
ただ過ぎ去るのを待つだけ
目の前の出来事が静まるのを待つだけ
新しいことへ挑戦なんてもってのほか
ただ待つだけ
昔から頭の悪い子でね


 忘れられない曲がある 2005.5.8

もうずいぶん昔の話だけど
大きなカセットデッキを持ち歩いて
同じ曲ばかり聴いてたことがある
とっても悲しい曲でね
子どもと小さなネズミの友情の話なんだ
お互い孤独どうしでね
いつの間にか惹かれ合う
でも世の中は許してくれなかった
最後は別れ別れになってね
どうしてるんだろうね


 平和なんて 2005.7.9

あなただってそう思ってるんじゃないですか
だれもが手を取り合える世の中なんて
戦争のないともに助け合える社会なんて
平和なんてありっこない
そう遠くない未来に
きっと人類はお互いを傷つけ合って
地球上の動物や植物たちも巻き込んで
その歴史を閉じるだろう
哀れな人間の心は
自分を知らしめたくて生きている
そう思っているんじゃないですか
そう思って

「あせらない あわてない あきらめない」

2006年02月28日 | book その他


■「元気が出る」子育て・親育て・自分育て
「あせらない あわてない あきらめない」
■角田 明(つのだ あきら) 教育出版
■2006.2.28

◇1944年 熊本県八代市で生まれる。1969年、神奈川県内の高校、中学校の英語教師として指導にあたる。その後、神奈川県茅ヶ崎市の教育行政と学校現場とを往復しながら指導主事を務める。その後、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、、指導担当参事を経て、2001年茅ヶ崎市立緑が浜小学校初代校長となる。
〈本書略歴より〉

◎「子どもは教えないことは学ばない」教えることが学ぶことの出発点。部屋への入り方、鉛筆の持ち方。

「本当の愛情は厳しい」確かにそうだと思う。今の自分に欠けているところの一つだと思う。どう思われるか、かわいそうだ、などが優先してしまい、先が見えていない。どうしたいか、では今からどうするかがはっきりしていない。ここに書かれている題が、今の自分にはピタッと当てはまる。「あせらない」「あわてない」「あきらめない」

しかし、この本は管理職が見た、管理職のための本のような気がする。だからどうしたんですか、という具体的なことをもっと聞きたい。


「バッテリー」Ⅰ~Ⅵ

2006年02月24日 | book 児童書 絵本


■「バッテリー」 著/あさのあつこ 角川文庫
■原田巧・青波・真紀子・広  井岡洋三 永倉豪
 
《story》
岡山から県北の広島との県境にある新田に引っ越す一家。病弱な青波や仕事で体を壊した広のことを考えての事だった。巧は4月からその地元の新田中学校に通うことになる。今までともに野球をしてきた仲間と別れてのことだった。巧は決して自分のペースを崩さない。自分一人で進む力と自信があった。そしてプライドがあった。みんなで肩を組み和を重んじた野球をやってきたわけではない。それを望んでいるわけではない。ただ、自分の球をしっかり捕球してしてくれる捕手は必要だった。そして、この街でその捕手にふさわしい豪に出会うのだった。

◎この主人公は好きになれない。嫌悪感さえ感じてしまう。しかし、読み進めてしまう。不思議な魅力のある作品だ。これが児童書だから、なおさら不思議だ。ある意味こんなだれとも交わらない孤独な戦うボクサーのような雰囲気を持つ。気怠い心の中に、大きな自分だけの夢を持ち、まっしぐらに進もうとする。自分中心なわがままな巧。もっと青波たちに優しくしてやれよ、言いたくなってくる。とことんそうなのか、ただ不器用なのかわからない。ただ、一人で進んでいるようで、多くの人の支えがあるからこそだということは言える。


「博士の愛した数式」

2006年02月05日 | book 文庫

■「博士の愛した数式」 著/小川洋子  新潮文庫
◇第1回本屋大賞受賞

《story》
 
「ぼくの記憶は80分しかもたない」

家政婦として赴任した家には一人の老人がいた。彼の背広には、いくつかのメモがつけてあった。かって遭遇した交通事故のため、彼の記憶は80分しかもたなくなっていた。毎朝、家政婦の私がくるたび、新しい家政婦として迎えられる。そのとき、博士はいつも聞くのだった。「君のくつのサイズはいくらかね」「君の誕生日はいつかね」いつしか家政婦の私の11才の息子も加わった。博士は、息子の頭をなぜては「平らな頭だから、君は√(ルート)だ」と言った。それから息子の名前はルートとなった。三人の生活は、驚きと喜びの日々となった。

◎記憶がなくなる。こわいことだと思う。自分ではわからないのだから、それほど苦ではないかもしれない。しかし、過去とともにしか生きられないないなんて悲しいことだと思う。今、味わった感動が心に残らないなんてつらいと思う。もし、文章として残したら、日記に書いて残したら、少しは違うかもしれない。いや、その日記を見て何も思い出さない悲しさや苦しみが自分の心を押しつぶしてしまうだろう。この家政婦さんだからこそ、博士に寄り添うことができたのだと思う。多くの人は近づかない。こんな人と関わりたくないと思うにちがいない。息子と二人、家族で触れあうことが、より深い関わりを作り、さわやかな結びつきを持つことができたのだと思う。子どもはこんなとき大きな力となるものだ。博士も子どもがすきだったからこそ、新しい展開を生み出すことができた。最後に奇跡を期待してしまったけれど、現実、これがハッピーエンドなんだなあ。