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すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

創造の法則(引き寄せの法則)

2019-10-05 | サンガ
もしも
目の前の現実が
嫌だとしたら、、たとえば
なんでこうなっちゃうの?とか
なんでこの人はこうなの?とか思ってしまう時は


大原則その1 人は変えられない
  (変えようとすれば変わらない)

大原則その2 嫌な出来事にフォーカスすればするほどその状態は長引く

大原則その3 嫌な出来事は忘れたころに解消している



ということを思い出そう



そして目の前の現実が嫌だとしたら
「じゃあ私は何を望むのか?」を知るチャンス


望みを知ったら
それを素直に望んで
あとは自分の気分を良くさせるだけでいい

気分を良くさせることならば
まったく関係ないことでもいいし
意味のないことでもいいし
気分が安らいだり楽しくなることだったらなんでもいい

何かをすることよりも
その場を離れることかもしれないし
とにかくその時の自分の内側に聞いてみれば
必要なことはきっとわかる



望みを天に投げたら
結果はおまかせして

今、自分の波動(気分)に気付いて調整するだけ

で、 
今いい気分でいれたら
それがゴール


「今」と「自分の内側」にしか働きかけれないし
それだけやってたらそれでOK

これだけで住む世界が変わってくる




今日 大切な遠くの友と話していて
伝えたかった
創造の法則まとめ

一般的には引き寄せの法則と呼ばれてるもの

いま、創造するから創造の法則

誰でも使える宇宙の法則


自分のことになると忘れがちだから
伝えるのは自分のためにもなるな





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創造の自由

2019-10-04 | サンガ
雲にハマってる時


抜けてみれば笑えてくるんだけど
ほんとに
壁一枚の
向こうとこっちじゃ
天国と地獄くらいの差があって



抜けてみれば
簡単なことなのに
ハマってるときは
どうやって抜け出せてたのか
わからなくなって

何度ハマって何度抜けても
毎度毎度もがく

その度に
「もーいいよね!」
「もーーーお腹いっぱい!」
って思う





結局のところ
出来事の解釈は
ひとの数だけあって

どんな言葉でも説明できるし
どんな言葉を集めても足りることはない

言葉で満足したければ
問いが尽きることは永遠にない

というところに行きついて
問いは霧と消えていく


何度も何度も
問うては
消えてを繰り返し



・・・・




さて




わたしはここに

なにをしにきたんだっけ?








問いは生(リアル)のものじゃない。

問いは ストーリーのものだから。
ストーリーはすべて、眠りの中。







せっかくここに
こうやって
息をしている。
体がある。


この生をどう使う?





創造してもいい自由
創造しなくてもいい自由
どう使ってもいい自由が
いま
与えられているよ







やっぱり
創造でしょ!
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わたしと 世界と

2019-10-03 | サンガ
昔 アパート暮らしの頃
うめという名前の猫と暮らしていた


ある冬の朝
目が覚めると
窓の外は真っ白
15㎝くらい雪が積もってた


うめはいつも好きな時に自由に外に出かけていて
その日も朝、外に行くと鳴くので
窓を開けてやると
うめにとって初めて見る雪。

今日はムリだよーと私

うめはしばらく迷ったあげく
おそるおそる窓から飛び降りた

ボスッ。。。


まだ大人になりきってないうめは
四肢がすっぽり雪にはまってしまい

だから言ったでしょー

うめは渋々戻ってきた


けれど今度は

玄関に行って
出してーと鳴く



裏庭と玄関前は違う気候と思ってんのか・・・!?


一緒だってばー
と言いながら開けてやると

・・・・・

うめ、フリーズ

めっちゃ不満そうだった


うめは大人になりかけで、まだ行動範囲が狭いからかなと思ったけど

それを見て
自分のこどもの頃の空間認識の感覚を思い出した。





裏山を駆け回って遊んでいたころ・・

自分が実際に動きまわる範囲と
見えるところまでが世界のすべてだった。


アリの巣をジーーーッっといつまでも観察するような子供だったけど
いつも、
この小さな生きものたちは
どんなふうにこの世界を知っているんだろう?
どんなふうにこの世界が見えてるんだろう?とか考えていた

今の私の言葉で「世界」と書いたけど
その時は
それをじっと見ている「私」とか
私の行動次第でこの生き物たちの一生が左右されることとか
(例えばやろうと思えば巣を壊すことだってできる)
そんな存在がすぐ近くで見ていることを知っているのだろうか?

知っていても知らなくても
世界がどんなだろうと
同じように
巣を作って餌を運んで子供を育てて巣を作って・・・ってやってるんだなって

こんなにちっぽけな、不安定な存在なのに・・って

不思議な気持ちで見ていた





「世界」っていうのはリアルではなくて

ほんとうは
あの
子供の頃の空間認識、あれだけがリアルなんだ


「世界」も「社会」も「世間」も
いまだかつて
だれも見たことがない



それぞれの思考の中にあるイメージを
擦り合わせて
見ている気になっている



もしも既存の世界というものがあって
その中に私がいるとすれば

私は世界のどこら辺に位置してるのか
いつもいつも気にしなきゃいけないし

アリの巣を見ている誰かが
いつ巣を引っ掻き回すかもしれない怖れが付いてまわる


けれど
リアルでは
既存の世界なんてものは幻想でしかなくて
いつもここに空間座標の原点があるんだ

すべての存在のいまここに


だからアリは今日も巣を作る
鳥は飛ぶ
猫は寝る
私はいまを味わう





在りし日のうめ 
よき相棒でした


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