すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

これが起きている

2018-06-18 | 心で生きる
田植え終わって今は田車(※)を押して田んぼの草取りをしている。

(※押して歩いたらコロコロ歯が回って草を掻き取ってくれる道具)
←これね
おととしも去年も、この作業を始めるのが遅れたために
田の土が固く締まってしまい
草の根も深く入り
とっても力が要る作業になり途中で折れて放棄。
結果、田んぼは草ボーボーだった。
(まぁ、それでもお米はけなげにできてくれたのだけど^^)

今年もちょっとうかうかして遅れそうだったけど(田植えが終わるとついほっとして・・(;^ω^))
さすがに学習して
なんとかまだ間に合いそう




一歩一歩 押して歩く
行って帰って
行って帰って
たんたんと
一歩一歩を感じて歩く

止まってぐるりと田んぼを見渡したら
気が遠くなりそうだけど

見ない見ない

目の前だけ見る
でも肩の力を抜いて
ふわっと見て進む。
すると
いろんなものが見えてくる。

場所場所で違う、土の感触や匂い
いろんな生物
風の中の水分

先のほうを泳ぐ波紋
あれは蛇
こちらの気配を感じて逃げていく。


強風
向かい風で
よろけそうになる。

だから
体の芯を意識して
下っ腹に気を込めて

自分の中心に自分がいると
世界の中心はここになる。




どんな作業でも
『私がやっている』 と思うと
「もっと(上手に)もっと(早く)もっと(たくさん)やらねば」と
思考は不足を探し始める。
そして
焦りが出ると体も前のめりになり
上半身に力が入り
とても疲れる。


だけど



『これが起きている』という認識にしてみる。
私も含め「これ」が起きている、と思うと
ただ、たんたんと
これを感じる。
自分の外も内も
今 これが起きている。

呼吸を調え、肩の力を抜き、足腰で押す。

これが起きている

動きそのものに成り切っている状態がやってくる。



こっちのほうがずっとずっと楽だ。

「私がやっている」はうんと疲れる。
ということは
「私がやる」と摩擦と抵抗を生むってことだ。


これ、いろんなことに当てはめてみるとおもしろいなぁ


田んぼで禅定なり


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