すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

いのちの本来

2020-02-25 | 宇宙の法則
例えば

蝉の幼虫は
何年もの間
土の中にいて
ときが来たら
なんの疑いもなく
地上に出ていって
羽化をする


モンシロチョウは
なんの躊躇もなく
畑のキャベツの葉に
卵を産み付け
卵から孵った幼虫は
なんの疑いもなく
キャベツの葉を食べ始める


トンボは
水が入った田んぼにやってきて
なんの疑いもなく
水の中に産卵する


あした地面が削られるかもしれないとか
あしたキャベツは収穫されるかもしれないとか
あした田んぼの水は抜かれるかもしれないとか
そんな心配はしない



そうやって
小さな小さな世界の中で
なんの疑いもなく
生をいとなんでいる


そのいとなみは
美しく
完璧だ



植物の芽が
土から頭をもたげるとき
芽吹きや
花が開くとき
いつも
あざやかな命を感じる


いのちは
いつも
歓喜のエネルギーを放ってる



そう

いのちは
みんな
そうなんだよ


いのちの
本来は
喜びなんだよ




疑いながら
憂いながら
生きるものは
いない


人間を除いては。




「本当のことが見たいのです」

と言うとき


「本当のこと」とは
社会とか世界とか
そんな既知のものの中でのことじゃない



「知っていること」の外側にそれはある

「知っていると思っていること」は
突き詰めれば
何から何まで
偽物なんだ




だから
「サレンダー」なのだ。




宗教性というのは
その
「既知の世界の外側」を知りたいと
切望することにはじまる道
(宗教性と宗教はまったく別のハナシ)

その道を行けば・・・


「知る者」はいなかった・・ 



非二元
ノンデュアリティ
唯識



いろんな道が伝えてることは
“考え方”とか“情報”じゃない


本当のことを指し示す
“方向指示器”なのだ



本当のことは
言葉では表せない



それは
ひとりひとりの
体験のなかに

今のなかに

いつも。。。







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