すべてのみちはここに

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いつもここにある

8月8日の日記②

2018-08-11 | 日記
8月8日の日記①

ナツの手術のあいだ
一旦帰宅することにして
帰りの車中
どうやってあの枝が刺さったのかを考えていた

首の後ろに突き抜けた枝の先端は
スパッと斜めに切れていた。

そういえば、半月くらい前に
川で犬を遊ばせている時
石垣の上からなんとなく下を見下ろすと
川原の草の一株が刈ってあるのに気付いた

スパッと切り口が立ってて
鋭い断面が複数並んでいるのが目についたのだった

あれ~?あんなとこ草刈りしたっけな~?
でも私じゃなきゃ誰が刈るかな?
いつのかなぁ?去年のかなぁ・・?
さっぱり記憶にないなぁ
なんてボンヤリ思っていた。


↑こういう草(写真のはヤブマオと言うらしい)出典三河の植物観察よりお借りしました

枝じゃない、
きっと、あの草だ。。
草と言えども大きく育った株の茎は、枯れると固い。
横からの力には弱く、折ろうと思えば子供でもポキッと折れるが
縦方向からとなると話は違う。

あの草の切った株の上から
ナツは落ちたか飛び降りたのかしたんだ、、

ようやく、事の顛末がわかってきた。





途中、ある神社へ向かう脇道の前を通り過ぎた。


その神社は家からわりと近くにあって
いつも通る度に気になりつつも
まだ行ったことがなかった。

通り過ぎてから
「あ、行くなら今だ」と思いが浮かんで
引き返して脇道を入って行った


里山の田んぼの中に
こんもりと鎮守の杜が茂り
神社があった


春日神社


思ってたより大きい
立派な神社だ


鳥居を入ると
すぐ右に葦(ヨシ)の群生があった
ヨシの群生の周りを藁縄で囲ってあり
紙垂(シデ:注連縄に下がってる白い稲光形の紙)が下がっている
なにか特別な葦のようだ

立て看板に、その葦のいわれが記してあった



「逆生葦」(さかえよし)

吉田城主 吉田殿の先祖は
藤原朝臣経房卿から出たものといわれ
藤原氏全盛期の奈良平安の頃
御分霊を馬に乗せ奉り
社前に茂る大楠洞腹に一時安置した
この時 蘆(よし)を杖にしてお着きになり
その杖の蘆を約一尺二寸ほどに切り
逆さに田沼に差し立てて
「栄えたらんには この地を蘆田(よしだ)郷と名付けよ」
とのご神託を賜ったと言われた
・・・・



これが、この一帯の地名「吉田」の所以らしい。
この葦の群生は
その時に逆さに刺した葦が根付いたもので
逆さに生えた葦→逆生葦(さかえよし)
と呼ばれているそうな・・・・・・






うわ・・・

切った葦を逆さに刺した、と

ですか・・・




なんのお告げ 
かな
これ




8月8日の日記③へ続く



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