すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

集団的勘違い

2018-12-19 | 心で生きる
10日ほど前に下書きして放置してた日記
やっぱりupしよ





「12月8日の日記」


今朝 目が覚めたとき
ふと
子供の頃に見た夢のことを思い出した。


*******

その夢を見たのは
5歳か6歳、小学校上がる前だったと思う。

目が覚める直前のところだけ覚えている。
夢の中で
姉が私の手のひらを持って
「人はみんな死ぬ。ともちゃん(私)も死ぬと。それば忘れんように印を付けとく」
と言って
手のひらにスーッと一本
ナイフで筋を引いた。
筋はぱっくり開いて赤い血が流れ出た。
私は「痛い・・」と言って泣き出した。
そこで目が覚めた。

目が覚めても
怖くて泣いてたのを覚えてる。

******



子供はいつもいまを生きてる。
将来の心配をしてる子供なんていない。
さっきまで泣いてたと思ったらもう笑ってる。
子供にとっては、今この目の前のことしかなく
先のことなんて考えず全力で遊ぶ。

だけど社会に出会っていき
「ありのままの、そのままのあなたではダメなんだ」
もっと○○しなきゃ
もっと○○すべき
もっと、もっと
という観念を教えこまれるし
それが正しいのだと信じて疑わなくなる。


5,6歳の私が見たこの夢は
これから出会っていくであろう、そんな社会の
なんだか暗示めいてる。


だけど
今朝
目が覚めてふと
この夢のことが思い浮かんで

「あぁ あれ(あの夢が伝えてたこと)は、勘違いだったんだぁ・・・・」と思った。



その暗示、
「ありのままのあなたではダメ」
「命って有限なんだから うかうかしてられないんだからね」
っていう刷り込みは
人間社会の「集団勘違い」なんだなって思った。
集団催眠。


その強迫観念が
人間の怖れや不安の根本にあって
それが多くの行動の基準になってる。
こうならないように・・、ああならないように・・


でもやっぱりそれって勘違いなんだ・・



死ぬなら
今 この瞬間生きて
今 この瞬間死んでる

生き「続け」てると思ってる「私」は
観念の粘土で、私の形に積み重ね盛り上げてきたもので
それは思考(記憶)の中にしか存在してないんだ。
すべては変化しているだけなんだ。


観念が固まるのを
断ち切る。

それはいまに気付き続けるということ。



瞑想やヨガに出会ってよかった

言葉の指す先 にあるもの
その感覚を教えてくれるから

日常にもその感覚を持ち込む
そのようにやってみる
すぐ忘れるんだけども
何度でもトライしてる




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