すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

愛と瞑想

2018-12-23 | 瞑想
昨日の「冬至の瞑想会」

月曜に思いついて火曜にチラシ作って、土曜に開催という、、(^^;

そんな急な呼びかけにもかかわらず来てくださった方々
本当にありがとうございました(*^-^*)

穏やかで暖かい、ピースフルな冬至になりました。(*^-^*)

私自身が、その場にいられてとても幸せでした

やってよかったです。




阿部さんが時折伝えられてること
愛と瞑想は同じものの違う入り口だと。
☞ブログ「かんながら」より


純粋意識(本当の自分)に帰る道は、大きく分けて2つあります。


それが、愛と瞑想です。


しかしどちらも、行き着くところは同じです。

人は深い愛の中で瞑想的になり、深い瞑想の中で見出すのは愛そのものだからです。


主に西洋は愛の道を、東洋は瞑想の道を歩んできました。



そしていま、洋の東西が統一されようとしています。

それは、愛と瞑想のどちらをも、同時に学んでいく時がきたことを示しています。


それは比較するものではなく、統合するものなのです。


瞑想からは大いなる叡智がもたらされます。

もし愛に叡智がなければ、そこに深みは感じられません。

一方、叡智に愛がなければ、とても危険なものになる可能性があります。


どちらも大切です。



(抜粋終わり)


愛も瞑想も
入り口は
たったひとりで
徹底的にひとりで入っていく

それは
誰かに教えられて解るものではなく
どこか外側にあって手に入れられるものではなく
たったひとりで
ただただ自分自身の内側へ
降りていって
感じるものだから



孤独というものが
怖れるものではなく
友達に変わった


孤独は友達♪
そう、独りって贅沢で優雅なこと
(たとえ周りに家族や友人がいても、なにかに所属していても)


人は孤独が怖いから
テレビの雑音で
街の雑踏で
いろんな役割で
紛らわしている


孤独からでないと
入れない道がある
たった一つの道

それが内に向かう道


仏陀が言ったっていう
「偽物は はじめは甘いが後で苦い
本物は はじめ苦いけど後で甘い」って言葉は
この道の入り口が小さいから
いろんなもの一切合切捨てなきゃ入れないからだとおもう。
その時は苦しいかもしれない
だけど入っていった先は
とてつもなくでっかいんだ
すべてあるんだ
なにも「所有」するひつようなんかないんだ
だけど捨てなきゃわかんない

いま以外を
過去と未来を



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