すべてのみちはここに

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宝物は 
いつもここにある

サンガとアート

2018-09-18 | 日記
夏至の瞑想会@塩炊き屋 から約3カ月
秋分間近の9/13はここ草ノ尾ハウスにて瞑想会でした。


今回は10名の方が集まってくれて
素晴らしい場になってたなぁ。。
振り返ると、じ―――んとあたたかいものに包まれる



その時期、私的にジェットコースターのような日々の中だったので
ただ、その時間に自分のコンディションが良くあることだけを考え
何を話そうかとか考える余裕がなかったのが、かえって良かったようだ。

力が抜けた空っぽの中から
体を通して言葉が出てきた。

考えなくても
ちゃんと、必要なことが起こるんだな



瞑想が終わってから、ふと出てきた言葉
「真理のもとに集う人々、場」である“サンガ”があったらいいな
そういう場がつくれたらいいな、ってずっと思ってたので
(今日はまさにそういう場になってたので)とても嬉しいです。
ありがとうございました。」



今回は「持ち寄り市」も同時開催ってやってみたけども
やってみてわかったことは
草ノ尾ハウスの瞑想会は
なーーーーんにもしないのがいいなぁ

瞑想は
「私」が何者か、を横に置いて
誰でもない「存在」に還ること

持ち寄り市はまったく逆のベクトルだなと実感した
自己紹介すら要らないなって思った

やってみたからわかったことだった

ここでは「誰でもない私」としての時間を味わってもらえたらなぁって思う

これからが楽しみだ。




そして
日曜日はそらいろガーデン
これまで描かせてもらったフライヤーの原画展をした。







印刷ではわからない、切ったり貼ったりの質感に触れてもらって
喜んでもらえて嬉しかった


私は「適当」があまりよくわからない。
フライヤーっていう枠、大無視で(笑)
好き勝手にやらせてもらえて
毎回すごく楽しかった。


瞑想レクチャーするということも
このそらいろガーデンがきっかけだった
この場が大きな後押しをくれた。

今回でそらいろガーデンは卒業することにしました。



毎月一枚の絵を描くことで
私の中で確信になったことがあって
それは今の私的ジェットコースターの流れとがっちりリンクしていて
はっきりと照準を定めて
生活をシフトしているところ。

何を中心に据えて生きるか


やっと
はっきりとスッキリとしてきた。




前はこのブログのプロフィール欄に
草ノ尾ハウスは「暮らしがアソビ、アソビがシゴトを実践する場」って書いてたけど
逆に本意が伝わらないことがあったので消した。
(そもそも人によって遊び、仕事、の定義がさまざまだったからなんだけど)


私が書いた「遊び」とは
損得勘定なしで、見返りや評価を期待せず、ただその行為自体が即「純粋な喜び」であること

だけど多くの場合
先にある目的のために、「今在ること」に気付くことなく
今を擦り減らす生き方の場合、遊びは「現実逃避」として捉えられる。
今が苦しいから。
そして仕事・生活・遊びと区切って、そこに優劣をつける。



今 在ること に気が付けたら
私を中心に広がる世界がただあるだけで
「これは生活」「これは仕事」「これは遊び」という区別はなくなる。

だから見返りを考えず損得を考えず、ただ「今できる最善」をやるようになる。
主体的に世界とかかわるようになる。
「世界」に対して「私」が、従→主にシフトする。

そうすると私の世界は彩りを取り戻す。

そうして
内側からの喜びが溢れて
自分からも喜びを周りにも分け合いたくなって
結果的にうまく回り始めるんじゃないかな・・
それを証明したいな・・という想いからの表現だった。


もうそのことを広めたいとかそんなことはどうでもいい
本当に、私がそのように生きたいと思う

探しものは外にはなかった。
内側を発掘する

ワクワクしてる




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