高天原(たかあまはら)三丁目

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大東亜戦争(大東亜共栄圏)の大義

2016-08-13 09:35:44 | 歴史

大東亜戦争(大東亜共栄圏)の大義


大東亜共栄圏とは、第二次世界大戦(大東亜戦争)前に日本が構想した、現在のEU(欧州連合)のような東アジアの共同体です。
大東亜戦争(太平洋戦争)は東アジアから、これらの地域を長い年月植民地化し、非人道的な搾取をし続けてきた欧米諸国を追い出し、大東亜共栄圏を築くために行われた戦争でした。

当時は八紘一宇(はっこういちう)という標語が流行語になるほどよく使われましたが、これは「多様な世界を一つの家のように統一する」という意味で、天下統一という意味合いもありますが、天下の統一よりも、もっと人道的・道徳的な意味合いでの統一を表した言葉でした。

これはつまり、それまで東アジアで行われてきた欧米諸国による搾取が、あまりにも人道に反するものであったために生まれた標語だと言えます。

そして実際に、日本は東アジアから欧米諸国を一掃し、1944年に東京で大東亜会議という会議を開き、大東亜共同宣言を発表することで大東亜共栄圏を構築しています。


この大東亜会議には、日本のほか、 満州、中華民国、フィリピン、ビルマ、タイ、インドが参加し、各国の最高指導者が来日し、開催されました。

しかし、大東亜会議が開かれたときには、すでに大東亜戦争の戦局が悪化しかけており、以後日本は一方的に負け戦を繰り返すこととなった為に第二回の大東亜会議は開かれることはなく、大東亜共栄圏も日本のポツダム宣言受け入れにより、はかなく潰えています。

このように、大東亜共栄圏は、実質的にごくわずかな期間しか実現しませんでした。

しかし、日本が東アジアから欧米諸国を追い払う以前は、それらの地域には政府が認められておらず、当然独自の軍備も持っていませんでしたが、日本はそれらの国々に介入すると同時に現地の政府と軍隊、ならびに様々なインフラ整備を行いました。

そして、それらの国々は、日本が連合国に降伏した後、再びそれらの国々を植民地化する為に、のこのこ戻って来た欧米諸国と独立戦争を行うことが出来、また、一度日本が欧米の国々を追い払う手本を見せていた為に、以前のように簡単に屈服することはなく、現在のような独立を勝ち取ることが出来たのです。

それはひとえに日本の大東亜共栄圏という構想と、それを実現するための努力によるものと言えます。

ちなみに、大東亜戦争という名称は、この戦争が上記のように東アジアの解放と大東亜共栄圏の実現を目指した戦争だったことから付けられた名称でした。

しかし、戦後、アメリカによって大東亜戦争の名称は禁止され、代わって「太平洋戦争」という呼称が強制されました。

アメリカがこの名称を強制したのは、この戦争によって上記のように日本が東アジアの独立に貢献したという事実を隠蔽し、日本を、ただ身勝手に東アジアの人々に迷惑をかけた悪者に仕立て上げるためだったのです。


アングロサクソン、白人至上主義と言う言葉を聞いた事があるかと思います。

大東亜戦争は黄色民族と白人民族の戦いであったと言っても過言ではありません。

平穏に暮らしていた東亜諸国に白人至上主義国が突然あらわれ植民地として実力支配し、平穏に暮らしていた人々を虫けらの如く扱い、己達が物欲を満たしていました。


日本国は先の大戦で、白人至上主義国の人道に外れた考え行動に大東亜共栄圏と言う大義を掲げ、戦い挑んだのであります。


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