高天原(たかあまはら)三丁目

感じた事、思った事を勝手気ままに紹介します。Wikipediaの転用多し。コピペも多し(笑)

天皇125代の足跡(41代~45代)

2015-10-10 15:39:43 | その他
第41代 持統天皇 (じとうてんのう)




生没 : 大化元年(645年)~大宝2年(703年)

在位 : 持統天皇4年(690年)~持統天皇11年(697年)

和風諡号 : 大倭根子天之廣野日女尊(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)

高天原廣野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)



天智(てんじ)天皇の第2皇女

母は蘇我遠智娘(そがの-おちのいらつめ)

天武の死後,即位せずに政務をとり(称制),4年後に即位した

夫の遺業をついで,飛鳥浄御原令(きよみはらりょう)の実施徹底をはかり,藤原京を造営してあたらしい都とした

陵 : 檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)




小倉百人一首春過ぎて夏来にけらし白妙(しろたへ)の衣干すてふ天(あま)の香具山(かぐやま)


第42代 文武天皇(もんむてんのう)


生没 : 天武天皇12年(683年) - 慶雲4年6月15日(707年7)

在位:文武天皇元年(697年) - 慶雲4年(707年)

和風諡号 : 倭根子豊祖父天皇(やまと ねこ とよおほぢの すめらみこと)
天之真宗豊祖父天皇(あめの まむね とよおほぢの すめらみこと)


草壁皇子の子

母は阿閉(あべの)皇女(のち元明天皇)

祖母持統天皇の譲位をうけて,藤原宮で即位した

はじめて鋳銭司を設置し,度量(物差しと枡(ます))を諸国に配布,大宝律令を制定するなど,国家としての体制整備をはかった

また遣唐使を復活させた

陵 : 檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)(奈良県明日香村)




「万葉集」
み吉野の山の嵐の寒けくにはたや今夜(こよひ)もわが独り寝む


第43代元明天皇(げんめいてんのう)


生没 : 斉明天皇7年(661年) - 養老5年(721年)
在位:慶雲4年(707) - 和銅8年(715)

和風諡号 : 日本根子天津御代豊国成姫天皇(やまと ねこ あまつみしろとよくになりひめ)



天智(てんじ)天皇の第4皇女

母は宗我嬪(そがのひめ)蘇我姪娘(そがの-めいのいらつめ)

子に文武(もんむ)天皇,元正天皇

文武天皇の遺詔により即位した

和同開珎の銀銭・銅銭をつくり,都を藤原京から平城京に移した


官吏の俸禄の支給規定をつくり,蓄銭叙位令をだした

「古事記」を完成させ,「風土記」をつくらせた


陵 : 奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)




これやこの大和にしてはわが恋ふる紀路(きぢ)にありとふ名に負ふ背の山(万葉集)

第44代元正天皇(げんしょうてんのう)


生没 : 天武天皇9年(680年) - 天平20年4月21日(748年)

在位:霊亀元年(715年) - 養老8年(724)

和風諱号 : 日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)


草壁(くさかべの)皇子の娘

文武天皇の同母姉

母の元明(げんめい)天皇の譲位をうけ即位した

「養老律令」を制定し,「日本書紀」を完成させた

按察使(あぜち)をおいて国内の治安をはかり,衣服の襟(えり)をはじめて右前にさせ,四等官以上の官吏に笏(しゃく)をもたせたり,三世一身法を施行するなど,律令体制(養老律令)強化・浸透をはかった


日本書紀が完成し日本初の正史となった


陵 : 奈保山西陵(なほやまのにしのみささぎ)





霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな我あを音ねし泣くも

(意味)ほととぎすよ、もっと鳴いておくれ。去年も来て鳴いてくれた懐かしい鳥よ、おまえをこんなに心にかけているのに、一声ばかりで去ってしまって、私を泣かせ


第45代 聖武天皇(しょうむ てんのう)



生没 : 大宝元年(701年) - 天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)

1在位:神亀元年2月4日(724年3月3日) - 天平勝宝元年7月2日(749年8月19日)

日即位前の名は首皇子(おびとのみこ)

諡号 : 天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)



文武天皇の皇子

母は藤原不比等(ふひと)の娘宮子

元正(げんしょう)天皇の譲位をうけ即位した

蝦夷(えみし)の反乱,長屋王の変,天然痘の大流行,藤原広嗣(ひろつぐ)の乱など,政情・世情が安定せず,たびたび都をうつした


仏教に帰依(きえ)して諸国に国分寺,国分尼寺をたて,東大寺の大仏造立をすすめた





743年に墾田永年私財法を施行した

陵 : 佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)




「続日本紀」
夫(そ)れ,天下(あめのした)の富を有(たも)つは朕(われ)なり。天下の勢を有つは朕なり。この富と勢とを以てこの尊き像を造らむ


要約
「国の財産をもっている者は天皇であり、
国の勢いをもっている者も天皇である。」


聖武天皇は、741年に国分寺をつくることを決め、大和の国分寺と全国の総国分寺をかねる東大寺に、大仏を建立する命令を出した

聖武天皇は仏教を信仰しており、この当時は伝染病が流行し、また、政権内部では勢力争いがあった

その為天皇は、仏教を通して国内を統一し、仏教によって国を安らかに治めていこうと考えた

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