ダイスキ!!

今、何が必要か。楽しいって何だ?真面目すぎる自分が嫌い、こんがらがった頭を解きたい。綺麗なものを見るだけじゃ物足りないっ

『命の尊さ』 南海日日新聞

2011-02-01 | 生きる
普段から、新聞をTV欄から前のページに向かって読む私。

昨日、いつものように後ろから1ページめくるとすぐに

目に飛び込んできた中学生の作文。

たくさんの人に読んでほしい。

そう思い、ここに転記することにしました。

古仁屋中学校2年生の作文です。



 『命の尊さ』 


 「お母さん、優菜が・・・」

今から6年前の夏、奄美大島を襲った大きな台風が我が家を襲い
猛烈な風がガラス戸を大きく揺らした日の出来事です。その日の私は
人生で初めて「命の尊さ」という言葉の意味を考えさせられました。

4人姉妹の長女として生まれた私は、優菜と名付けられた7つ年下の
末の妹が、年も離れていたこともあり特にかわいく、よく面倒を見て
いました。1歳2カ月を迎え、よちよち歩きも上手になり、「たーたん」
「ねーね」と母や私を呼び、言葉もいろいろと覚えるようになってき
た頃でした。

その日の朝、初めて「とーたん」と父を呼び、父は大喜びで妹を抱き
抱え高い高いをして、我が家は外の嵐とは無縁のような、穏やかな朝
の光景でした。

食事の片づけを終えた母がリビングに戻ってきて、「あれ、優菜はどこ」
と聞いたとき、何か不吉な思いがふっと私の脳裏をかすめました。家
族全員で妹を探しました。

「優菜!」母の叫び声でお風呂場へ向かうと、妹の無残な姿が目に飛
び込んできました。父が慌てて抱き上げ、救急車を呼び、妹は名瀬の
病院へ搬送されました。

医師から、「今晩がヤマです。」と宣告されたとき、母はその場に泣
き崩れました。私は頭が真っ白になり何も考えられず、妹達は自分の
せいだと泣きました。

私たちの必死の願いが届いたか、妹はその夜なんとか一命を取り留め
ました。それでも人工呼吸器を付けられ、小さな体中に管を付けられ、
それはとても痛々しい姿でした。

それからの母は、毎日妹の手を握り、話しかけ続けました。

事故から1カ月経った日のこと。医師に呼ばれた父達が病室に戻ってく
るなり、祖母は静かに眠る妹の手を握って「優菜、今まで良く頑張った
ね。つらかったでしょう。もう楽になっていいよ。」と涙を流して声
をかけました。そして、このままでは原形をとどめられず、腫れがひ
どくなるかやせ細ってしまうと告げられました。

妹は小さな体で1カ月も頑張り、最期はピンク色の優しい頬のまま、穏
やかな表情でこの世を去りました。妹は妹なりに両親を悲しませないよ
うにと精一杯の努力をしたんだと思います。

母は自分の腕の中に妹を抱いて帰りたいと、霊柩車を呼ばずに妹をそっと
腕の中に抱きました。一つの命が消えるということが、残された人たち
に想像以上の悲しみと苦しみを残すということを初めて知りました。

その後のわが家の苦しみ、心の葛藤は言うまでもありません。毎晩のよ
うに泣き崩れる母、その母を必死で支える父、黒色の絵しか描かなく
なった妹たち。

明かりの消えたわが家でしたが、時がたち、優菜が私達に教えてくれた
命の尊さを実感できるようになったとき、家族全員でまた頑張っていこ
うと手を取り合い前に進めるようになりました。

今でもよく祖母が話をします。「優菜の死を無駄にしてはいけないよ。
ちゃんと優菜のメッセージを受け取りなさいよ」と。

妹は、今でも私の心の中に生き続けています。そして、私たちを見守って
くれていると信じています。かわいくきれいな瞳のまま、優しく語りかけ
てくれます。

「ねーね。ねーね」と。




命の尊さ。

いろんな思い。

いろんな気持ち。

深く、深く、刻んでいこう。



きっと、優菜ちゃんは、家族と一緒に笑顔で踊ってるね。

島唄、島踊り。八月踊り。



辛い思い、伝えてくれてありがとう。



元気でいてくれて、ありがとう。

ありがとう、ありがとう。
コメント (3)
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感情を感じきる・・・リンクする

2010-12-23 | 生きる
12月は私にとって出会いの月。

今度、一緒に飲もうね。とか、今度お茶しようね。と言うだけで

なかなか実現しないことが多々ある中、12月になると、いい加減

無理矢理でもやりましょう・・・という気になります(笑)


というわけで、てるちゃんのお宅へお邪魔しました。

お昼御飯に、2回のおやつ。途中、マシンガンのように話す乱入者

も加えつつ、コミュニケーションや子育て、気づき、とにかくいろ

んなことを話しました。


家へ帰って、家事をしながら、いろんな気付きや思いが頭の中をグ

ルグル回っていました。そして、リンクしたのが心屋さんのセミナー

での出来事でした。



数あるワークショップの中で、幼い頃、一番記憶に残っている嫌な出

来事や自分の苦手な人に対して、紙の上に言いたいことをどんどん書

いていくものがありました。


どんどん書いて行き、ある言葉にたどりついた瞬間、流れ出るものを

抑えきれずに、机の上に組んだ自分の腕に顔を押しつけながら、思いっ

きり泣きました。そうだ、私、悲しかったんだ。だから・・・



私の記憶は、小学校5年生。

いつものように普通に午前中の授業を終えて、給食を食べました。午後

になって、あれっ?なんか様子がおかしい。友達に話しかけても返事が

かえってこず、誰一人として話しかけてくる人もいなくなりました。

今思うと、初めての経験ではないのですが、このときの記憶が一番残っ

ていて・・・


紙には確か、無視すんな!ばか!ぼけっ!あほっ!とか書いたような(笑)

自分で言うのも何ですが、こういうときは素直な性格なのでなるべく汚い

言葉を使って思い切って!!!と書いていたのですが、ボギャブラリー乏

しい・・・。


前々から、ブログで自分の中を探る癖もついていたせいも手伝ってか、す

ぐにリンクしました。自分のキーワードに。


ひとりにすんなっ!!!!!ひとりは嫌だ!!!!!

おいてくなァ~~~~~~~~~~~!!!!!



同じ時期に逝ってしまった父の背中に、早くに逝ってしまった母の背中に

叫んでいる自分がいました。

まだ泣き足りなかったのか?さみしい気持ちを押し殺していたのか?



死は、遅かれ早かれ必ず存在するもの。幼い頃から身近で感じてきたので

当たり前にそう思っています。辛い辛い別れでも、いずれ自分もそこへ帰

っていくと。


無視や、仲間はずれ、人間の好き嫌い・・・私の中で拒絶してしまうのは

私自身がひとりが嫌だから。繋がっていたいから。孤独を感じていたから。

だから、これは私だけの決まりごと。無視はダメ。好き嫌いはダメ。みんな

と仲良く。私は、その方が心地いい。


自分が心地よくても、他の人にはそうでない場合がおおありで、そんな場に

入るとどうしても心が反応してしまっていたのです。一人になる不安、恐れ、

恐怖を勝手に感じて。


今、私は一人ではありません。家族、兄妹、親族、友人、仲間・・・

たくさんの人たちに囲まれて生きています。視点は、ないものではなく、あ

るものへ。あって、当たり前でなく、有ることが事が難しい、有難い、あり

がたいものへ。いつか失う事を恐れるのではなく、そのことを現実として向

きあいながら、今を大切に生きていく。


貴重な経験を聞いて、様々なことにリンクしました。

すぐに忘れてしまうけど、今、ここに有ることの感謝を胸に、頑張って行こ

うね、てるちゃん。長いこと、お邪魔しました。ありがとう!!

で、第二弾は、いつにしましょうか 
コメント (2)
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ウォーキングでの日課

2010-09-16 | 生きる
div style="text-align:center">去年の夏もしていたウォーキング。

異常な足のむくみでやめてしまって早1年。

再開しよう、再開しようと思いつつ太り続けていました・・・



ここ10日ほどは早朝、何とか続いています。

またまた、幼稚園が始まり  お弁当がはじまると

さぼりぐせが顔を出すようなそんな気もしますが・・・ 

今回は、長ァ~~~くつづけたいな。



高丘のてっぺんから3本松 今は2本まで。

(sastuにそれってどこ?と聞かれた。

歳の差、感じますねぇ  西平酒造のとこよ!

往復約50分。

最初の2日間くらいは、ちょっとしんどかったけど

syunちゃんの言うとおり  3日目から身体が軽くなってきました。

始めるまでは長かったけど、始めたらすぐなれるもんだ。

始めることがやっぱり大事なんだね。



私は毎朝のウォーキングで欠かさずにやっていることがあります。

しかし、なぜか昨日は考え事をしていてそれをふと忘れていたのです。

途中で蛾が飛んできて、腕にバシッとあたり

我に帰って あっ!しまった忘れた・・・また明日でもいっか

と思いながら、そのまま家に帰りました。



パソコンに向かって、ふとカレンダーに目をやりました。



あ”~~~っ !!



この間、あゆみ嬢とメールでやり取りしたばかりなのに・・・

蛾が知らせたのはこれかぁ~。

『あんた、ちょっと大事なこと忘れてない???』

 ・・・しまったァ~すっかり忘れてたァ 


今日は、大事な大事な友の命日。


毎朝欠かさずやっているのは、

その友と叔父とご先祖様のお墓に手を合わせること。

こんな日に限って、それを忘れるとは 面目ねぇ



今夕方だから、これから夕飯の支度して食べて

今日はフラだから子供達を預けて

それから、お供えのビール買って・・・

  PCに向かってる場合じゃないわ 

ん~~~ 間に合うかァ 



結局、フラは遅れる覚悟で、お供え持って仏前へ。



いなくなって数年、もう貴方の年齢も超えてしまいました。

最初の頃は、

近くにいながら何もできなかった。

一人にしてしまった・・・

そうやって自分を責めて

なんで、なんでとあなたを責めて。

いなくなった悲しみばかりが心を覆っていました。


TVで江原さんの言葉を聞いてからは

あなたとの楽しかった日々をドンドン思い出しています。


この世にいなくなったことがあなたの生だったのではない。

あなたが遺してくれた大切な思い出が、いつも私を笑顔にしてくれます。

これからも、毎朝 (あっ、できるかぎり・・・)会いに行く予定です。

青春時代、たくさん語りましょ!!


今日は、忘れててゴメンネ 

また、来年忘れてたら教えてね  

いやいや、ちゃんと反省してるよ{/ase/
}
コメント (2)
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ありがとうを伝えたくなる日

2010-09-15 | 生きる
今朝、愛犬を事故で亡くした友の話を聞きました。

悲しみの深さがひしひしと伝わり、私の胸をつきました。


私が父や母を亡くしたように

友人も大事な家族を亡くしてしまったのです。

別れた後もその話を思い出し、涙があふれました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ずっと前に私が2歳の娘に、ありがとうは?と言っていると夫が

「思っていないのに言わなくてもいいんじゃない?」と

さらっと言ったときに、んっ?そうなの?

でも、心がこもっていなくても習慣づけていくことって大事なんじゃないか?

後から心はついてくる気もするけど?

でも、夫が言うことも一理あるかなァ・・・と妙に引っかかっていました。



子供に対して、ありがとうは?と言うたびに今も思い出すその出来事。



実際、ありがとうと言葉にするとき

何を思っているのか。

感謝をこめて発するときもあれば

相手に喜んでもらいたいと発する時もある。



いろんなシュチュエーションがあるけど『ありがとう』は、

受け取る人が気持ちがよくなる言葉。

そして、感謝から自然に発する言葉。



やっぱり、言わないより言った方がいいと私は思う。うん。

自然でも、不自然でも、それは伝えた方がいいと思う。



誰かの死にふれたとき

呪文のように繰り返す言葉。

出会ってくれて、ありがとう。

同じ時を過ごしてくれてありがとう。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。


また、絶対会おうね!!



トイレの神様/植村花菜




できれば、本人を前にして『ありがとう』が言えるといいな。

いつもちゃんと、伝えていたいな。
コメント (4)
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