普段から、新聞をTV欄から前のページに向かって読む私。
昨日、いつものように後ろから1ページめくるとすぐに
目に飛び込んできた中学生の作文。
たくさんの人に読んでほしい。
そう思い、ここに転記することにしました。
古仁屋中学校2年生の作文です。
『命の尊さ』
「お母さん、優菜が・・・」
今から6年前の夏、奄美大島を襲った大きな台風が我が家を襲い
猛烈な風がガラス戸を大きく揺らした日の出来事です。その日の私は
人生で初めて「命の尊さ」という言葉の意味を考えさせられました。
4人姉妹の長女として生まれた私は、優菜と名付けられた7つ年下の
末の妹が、年も離れていたこともあり特にかわいく、よく面倒を見て
いました。1歳2カ月を迎え、よちよち歩きも上手になり、「たーたん」
「ねーね」と母や私を呼び、言葉もいろいろと覚えるようになってき
た頃でした。
その日の朝、初めて「とーたん」と父を呼び、父は大喜びで妹を抱き
抱え高い高いをして、我が家は外の嵐とは無縁のような、穏やかな朝
の光景でした。
食事の片づけを終えた母がリビングに戻ってきて、「あれ、優菜はどこ」
と聞いたとき、何か不吉な思いがふっと私の脳裏をかすめました。家
族全員で妹を探しました。
「優菜!」母の叫び声でお風呂場へ向かうと、妹の無残な姿が目に飛
び込んできました。父が慌てて抱き上げ、救急車を呼び、妹は名瀬の
病院へ搬送されました。
医師から、「今晩がヤマです。」と宣告されたとき、母はその場に泣
き崩れました。私は頭が真っ白になり何も考えられず、妹達は自分の
せいだと泣きました。
私たちの必死の願いが届いたか、妹はその夜なんとか一命を取り留め
ました。それでも人工呼吸器を付けられ、小さな体中に管を付けられ、
それはとても痛々しい姿でした。
それからの母は、毎日妹の手を握り、話しかけ続けました。
事故から1カ月経った日のこと。医師に呼ばれた父達が病室に戻ってく
るなり、祖母は静かに眠る妹の手を握って「優菜、今まで良く頑張った
ね。つらかったでしょう。もう楽になっていいよ。」と涙を流して声
をかけました。そして、このままでは原形をとどめられず、腫れがひ
どくなるかやせ細ってしまうと告げられました。
妹は小さな体で1カ月も頑張り、最期はピンク色の優しい頬のまま、穏
やかな表情でこの世を去りました。妹は妹なりに両親を悲しませないよ
うにと精一杯の努力をしたんだと思います。
母は自分の腕の中に妹を抱いて帰りたいと、霊柩車を呼ばずに妹をそっと
腕の中に抱きました。一つの命が消えるということが、残された人たち
に想像以上の悲しみと苦しみを残すということを初めて知りました。
その後のわが家の苦しみ、心の葛藤は言うまでもありません。毎晩のよ
うに泣き崩れる母、その母を必死で支える父、黒色の絵しか描かなく
なった妹たち。
明かりの消えたわが家でしたが、時がたち、優菜が私達に教えてくれた
命の尊さを実感できるようになったとき、家族全員でまた頑張っていこ
うと手を取り合い前に進めるようになりました。
今でもよく祖母が話をします。「優菜の死を無駄にしてはいけないよ。
ちゃんと優菜のメッセージを受け取りなさいよ」と。
妹は、今でも私の心の中に生き続けています。そして、私たちを見守って
くれていると信じています。かわいくきれいな瞳のまま、優しく語りかけ
てくれます。
「ねーね。ねーね」と。
命の尊さ。
いろんな思い。
いろんな気持ち。
深く、深く、刻んでいこう。
きっと、優菜ちゃんは、家族と一緒に笑顔で踊ってるね。
島唄、島踊り。八月踊り。
辛い思い、伝えてくれてありがとう。
元気でいてくれて、ありがとう。
ありがとう、ありがとう。
昨日、いつものように後ろから1ページめくるとすぐに
目に飛び込んできた中学生の作文。
たくさんの人に読んでほしい。
そう思い、ここに転記することにしました。
古仁屋中学校2年生の作文です。
『命の尊さ』
「お母さん、優菜が・・・」
今から6年前の夏、奄美大島を襲った大きな台風が我が家を襲い
猛烈な風がガラス戸を大きく揺らした日の出来事です。その日の私は
人生で初めて「命の尊さ」という言葉の意味を考えさせられました。
4人姉妹の長女として生まれた私は、優菜と名付けられた7つ年下の
末の妹が、年も離れていたこともあり特にかわいく、よく面倒を見て
いました。1歳2カ月を迎え、よちよち歩きも上手になり、「たーたん」
「ねーね」と母や私を呼び、言葉もいろいろと覚えるようになってき
た頃でした。
その日の朝、初めて「とーたん」と父を呼び、父は大喜びで妹を抱き
抱え高い高いをして、我が家は外の嵐とは無縁のような、穏やかな朝
の光景でした。
食事の片づけを終えた母がリビングに戻ってきて、「あれ、優菜はどこ」
と聞いたとき、何か不吉な思いがふっと私の脳裏をかすめました。家
族全員で妹を探しました。
「優菜!」母の叫び声でお風呂場へ向かうと、妹の無残な姿が目に飛
び込んできました。父が慌てて抱き上げ、救急車を呼び、妹は名瀬の
病院へ搬送されました。
医師から、「今晩がヤマです。」と宣告されたとき、母はその場に泣
き崩れました。私は頭が真っ白になり何も考えられず、妹達は自分の
せいだと泣きました。
私たちの必死の願いが届いたか、妹はその夜なんとか一命を取り留め
ました。それでも人工呼吸器を付けられ、小さな体中に管を付けられ、
それはとても痛々しい姿でした。
それからの母は、毎日妹の手を握り、話しかけ続けました。
事故から1カ月経った日のこと。医師に呼ばれた父達が病室に戻ってく
るなり、祖母は静かに眠る妹の手を握って「優菜、今まで良く頑張った
ね。つらかったでしょう。もう楽になっていいよ。」と涙を流して声
をかけました。そして、このままでは原形をとどめられず、腫れがひ
どくなるかやせ細ってしまうと告げられました。
妹は小さな体で1カ月も頑張り、最期はピンク色の優しい頬のまま、穏
やかな表情でこの世を去りました。妹は妹なりに両親を悲しませないよ
うにと精一杯の努力をしたんだと思います。
母は自分の腕の中に妹を抱いて帰りたいと、霊柩車を呼ばずに妹をそっと
腕の中に抱きました。一つの命が消えるということが、残された人たち
に想像以上の悲しみと苦しみを残すということを初めて知りました。
その後のわが家の苦しみ、心の葛藤は言うまでもありません。毎晩のよ
うに泣き崩れる母、その母を必死で支える父、黒色の絵しか描かなく
なった妹たち。
明かりの消えたわが家でしたが、時がたち、優菜が私達に教えてくれた
命の尊さを実感できるようになったとき、家族全員でまた頑張っていこ
うと手を取り合い前に進めるようになりました。
今でもよく祖母が話をします。「優菜の死を無駄にしてはいけないよ。
ちゃんと優菜のメッセージを受け取りなさいよ」と。
妹は、今でも私の心の中に生き続けています。そして、私たちを見守って
くれていると信じています。かわいくきれいな瞳のまま、優しく語りかけ
てくれます。
「ねーね。ねーね」と。
命の尊さ。
いろんな思い。
いろんな気持ち。
深く、深く、刻んでいこう。
きっと、優菜ちゃんは、家族と一緒に笑顔で踊ってるね。
島唄、島踊り。八月踊り。
辛い思い、伝えてくれてありがとう。
元気でいてくれて、ありがとう。
ありがとう、ありがとう。