olatissimo

この島で生まれた息子はなんと中学生。ほぼ育児日記です。

アルジェリアのプリンセス(2)アルジェリアの歴史を少し

2018-12-03 | 日々
「アルジェリアのプリンセスはマルチリンガル」の続きです。


プリンセスは、国旗の説明の中で
「ほぼ150年、フランスに支配されていたけれど
 4つの民族が団結してフランスを追い払った」
と話してくれました。



その穏やかな口調からは想像できないけれど、
ひどく搾取的差別的な支配と、
独立のための壮絶な長い戦いがあったんですよね。


息子は
「150年!日本はまだ江戸時代じゃない?!」
と驚いていました。


息子に説明するために、
ちょっとアルジェリアの歴史を紐解いてみる。




1830年。
その辺りの日本の年表を見ると、
シーボルト事件とか、天保の飢饉とか書いてある。


フランスではこの人が王様になっていた。

シャルル10世。
王政復古で登場してきた、
古い時代の残りカスみたいな人です(←私の勝手なイメージ)。

シャルル10世はルイ16世の弟で、
兄と違って、
「享楽的・快活・ハンサム・スポーツマン」と
モテ要素満載の人物だったらしい。

豪華絢爛な貴族文化が大好き。
平民なんて、自分たちの生活を支えるための
搾取の対象としか見ていなかった。
だから国全体のことなど考えず、
貴族達に大盤振る舞いする。
そんな無茶苦茶な国内政治をして、
いよいよ反感が高まると、
外に戦争をしかけて国民の意識を逸らそうとした

支配者の常套手段な訳だけど、
その時、不幸にも戦争をしかけられたのがアルジェリア

シャルル10世は、7月革命で
あっという間に失脚するのだけれど、
そのわずか3週間前に
アルジェリアはフランスに降伏したという。

なんともやるせない・・・




そして、アルジェリアが独立したのは1961年。
シャルル・ド・ゴールの時代。(最近じゃん!)
その間、先住民は一貫して差別的扱いを受けていたのだとか。

あまりにも長い(T_T)





そこから息子には更なる疑問が沸いてきたようです。

「フランスが嫌いで追い出したのに、
 なんで今もフランス語を話すの?」

「日本は「敵性語」とかいって
 英語を目の敵にして排除して、
 野球ではストライクを「よし!」
 ファウルは「だめ!」と言っていたのにね。」

と。




ふむ。

だね。


でも、日本は英語が公用語になったことはないし、
150年間アメリカの植民地になってた訳でもない。
だいぶ事情が違うよ。



アルジェリアの場合、
フランスの支配がとにかく長かったし、
民族・地方によって話す言語が違うから
長年の支配者であるフランスの言葉だと
みんなに通じて便利、
ということなんだろうと想像できるけど。

その辺、その国の人の
話を聞きたかったね。




***



プリンセスは、
興味深いアルジェリアの文化の話を
いろいろしてくれました。



プリンセスのおじいさまの家は
まさに宮殿。
今は博物館になっているようです。
オスマン帝国時代の建築様式で建てられているそうです。
中庭が広く、内向きにオープンな造りです。

そして町にはフランス領時代の様式の建物もある。
それら様々な時代の建築が混在して、
独特の町の景観を形成しているのだとか。



プリンセスの説明では、
アルジェリアはアフリカの周辺諸国と違い、
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、
その他、地元の信仰など、多様な宗教が共存し、
人種的にも文化的にも多様性を受入れる文化
ということでした。



アルジェリアについて何の予備知識もなかった私は、
ほー、そうなのね、それは素敵♪
と思ったんだけど・・・



後日、アルジェリアについて調べると
そんな平和な風景など思い浮かぶ余地も無いような
過酷なフランスとのアルジェリア戦争、
それに続く内戦「暗黒の10年」(終結は2002年!)
そして現在はイスラム原理主義の台頭・・・
といったことが書かれていました。

あまりの落差に
どう捉えたら良いのか分からなくなる。



むーー。

親切なプリンセスに質問してみようかしら・・・


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