olatissimo

この島で生まれた息子はなんと中学生。ほぼ育児日記です。

『若い読者のための世界史』ヨーロッパの中世

2018-06-25 | 読書メモ
子ども向けの世界史の本を読んで「へー」と思ったことを少し。

この本は、
子どもと一緒に読み進めています。
お互いに感想を挟みながら。

息子は世界史に初めて触れるのだけど
この本はイマジネーションをかき立てる語り口なので
いろいろ想起するものがあるようです。


さて。
ここでは中世あたりのことについて書いてみます。

私にとっては、あまり馴染みの無い時代です。


「暗闇の中世」という言葉は知っていたけれど、
なぜ暗闇かというと、
キリスト教の教義に縛られすぎて
自由にものが考えられなかった時代だから
だと思っていました。

でも、暗闇が文盲の意味も含んでいること・・・
ローマ帝国崩壊後、識字率が大きく後退したことには
考えが至らなかった。


ローマ帝国が崩壊したあとでは、
 字を読めたり書けたりする人間は少なく、

人々はもはや世界で何が起こっているのか知ることも無く、
知っているのはただ奇跡やおとぎ話の世界で、
ありとあらゆる迷信を信じていたと思われたのだ。」

この後、
そうなんだけど信仰が道しるべとなったので
暗闇で迷子になった訳ではない、
奴隷もいなくなったし・・・
と話は続くのですが、
ギリシアローマの時代より、確実に大幅に
文化が後退していたんですねぇ。


「フン族」「民族大移動」という言葉は
世界史用語としては知っていたけれど、
これほど致命的に文化を破壊した
大きな出来事だったとは
想像できませんでした。


もし、こうした壊滅的破壊を受けること無く
ローマの文化がそれほど破壊されることなく
継承されていたとしたら、
その後のヨーロッパはどんな風に発展してただろう?
と考えてしまいます。



(600年頃)
「ベネディクト修道会の修道士は、
  古代から何かを学ぼうとする唯一の人たちとなった。」

「彼らは古いラテン語やギリシア語の詩も書き写した。
 もし修道士達のこの骨折りが無かったら、
 私たちは古代の詩を
 一つも知ることが出来なかったかもしれない」

「修道士達は近くに住む子どもたちに読み書きを教え、
 ラテン語で話すこと、聖書を理解することを教えた。
  その頃の修道院は、古代ギリシア・ローマが生き延び、
  教養と礼儀作法を身につける唯一の場
であったのだ。」

私の中世のキリスト教会のイメージって、
魔女狩りや迷信、狭い教義に支配されている
頑迷で暗いイメージ。

医学や天文学などの古代の英知は
イスラム世界が引き継いで、
キリスト教会はそうしたものを
教会にたてつく異教文化と見做して排除した。

そんなイメージが強いので、キリスト教会が
ギリシア・ローマ文化の一部を守ったという
視点は持っていませんでした。

でも、言われてみればそうだよね。
ふーむ。




でね、この時代のことで
私が一番驚いたのが貨幣に関する事なんです。


ドイツにはそのころ、
 貨幣というものがまだなかったのだ

「騎士の時代のドイツには、都市というものがほとんどなく、
 したがって人々は貨幣を必要としなかった。」

これはね、考えもしなかった・・・!!

古代に発明され、ギリシアローマでも使われていた。
なので、貨幣はもう当然のものとして
普通に流通していたと思っていました。

ドイツには無かったんだ・・・


「当時、ひろいドイツには、大きな森、小さな農地、
 点在する村落、城、修道院以外ほとんど何もなかった。」

「(当時のドイツは)騎士と修道士と農奴しかいなかった。
  必要なものは物々交換で手に入れるのだ。」


このあたりは、『幸せの青い鳥』や
『ヘンゼルとグレーテル』の世界を彷彿とします。
貧しかったんだろうなぁ、と。



 「しかしイタリアでは、貨幣はローマ時代から知られていた
 そこにはいくつもの大きな都市があり、
 豊かな商人たちがいた。」

イタリアの商人は船で東方から布や香料など
美しい品々を運んできた。
 美しい布からは美しい衣服などが作られ、
 イタリア諸都市やパリなどに運ばれた。

が、貨幣を持たないドイツには、そういう品々は行かなかった


これ!

以前から不思議だったんです。
フランスとイタリアというオシャレ美食大国二国に隣接しているのに、
ドイツって、なんであんなに・・・ゴニョゴニョ

でも、これで納得!
これ、説得力あると思いません?(^∇^)


さて、時代は下って・・・

「ドイツ人は、十字軍の度重なる遠征により広い世界を知り、
 遠い国々とも友好的に取引する関係にあった。」

「中世の都市には、商人や職人が密集して家族とともに暮らしていた。
 国のあちこちを旅する商人たちは、多くの場合武装した者達を連れていた。
  というのは、その頃もはや騎士の多くはかつての騎士ではなく、
  単なる盗賊と化していたからだ。

  彼らは城に隠れて、餌食となる商人を待ち構えていたのだ。」


これ!!

 『美女と野獣』
の世界だよね!

あのお話は、こういう時代背景のもとに生まれたのねー。




「都市の住民はますます豊かになっていった。
 そして誰も彼らに命令できなかった。
 なぜなら、彼らは農民では無く、土地に縛られていなかったからだ。
 彼らは古代の場合とよく似て、自分たちで政治裁判を行い、
  誰にも支配されず自由であった。」

「彼らは貴族、修道士に続く第三身分と言われた。
  農奴は数に入らなかった。」


「自由市民」「第三身分」の意味がやっとわかった感じ・・・
農奴は農作物や家畜と同様に土地に隷属するものだから
カウントされなかったって、すごいな(・・;)



そしてルネサンスにつながる。



フィレンツェの市民は、かつてのアテナイの市民のように、
自由で独立していたのだ。
 彼らが目指したのは自分の意思を持ち、自分で判断できる人間
誰かに意見を聞き、誰かに同意を求めるのではない人間。

大切なのは自立心、能力、理解力、知識、活力であった。

彼らは古代を発見した。正しく発見した。
彼らには、古代の人間が異教徒であったことは問題ではなかった。
そして彼らは、かつて素晴らしい人間がいたことに驚いた。

フィレンツェの人々は、目の色を変えてラテン語の書籍を求め、
真のローマ人と同じくらい上手に明快にラテン語が書けるよう努めた。
ギリシア語も学び、アテナイ人の素晴しい作品を読むことに熱中した。

あたかもその間の全ての時代は夢で、
自由な都市フィレンツェは、アテナイあるいはローマになったかのようであった。

人々は突然、遙か遠い昔のギリシア・ローマ時代が
ここに「ふたたび生まれた」と思った。

ルネサンス。

当時の「目覚めた」フィレンツェの人々の興奮が
伝わってくるよう。

素晴らしい説明だと思う。





この本、オススメです。

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