olatissimo

この島で生まれた息子はなんと中学生。ほぼ育児日記です。

「吹き上げ」の子

2018-12-19 | 学校とその周辺
最近、お久しぶりの友人と話す機会がありました。




彼女に、近況報告がてら
受験のことを話したんです。


3ヶ月くらい
子どもの受験勉強に付き合ったんだけど、
この子にそんな勉強をさせるのは
そもそも無理があるっていうか、
息子を知っているから分かると思うけど、
まあ~~、大変だったよ、と。

勉強の内容というよりは、
勉強態度の方が、ね。



すると、友人は、


「せやな。S(息子)は、吹き上げやでなあ。」


・・・吹き上げ?


「落ちこぼれやない、吹き上げ。
 とりあえず枠の中にはおさまらんわ。


吹き上げ!そういう意味ね!!
上がってるかどうかはともかく、
どこに飛んでいくか分からん制御不能な感じ
息子にピッタリ。



「S(息子)は、
 やりたい勉強なら勝手に深めるし広げるし、
 すごいやん?
 けど、やりたない勉強は、やらん。
 はっきりしてていいやんか。
 “今のぼくには、これは必要ない”
 “ぼくがやりたいのはこんな勉強じゃない”
 ってことなんやろな。
 自分が分かってる子どもなんやから、
 求めることをやるのが一番ええねんで。」


「S、アイビーとかどうなん?
 教科の壁を越えたプロジェクトみたいなん、好きちがう?
 そういうものが求められる学校が似合てるよ。」



彼女の子は、インターに通っていて
通常の日本の進学校なんてものは、眼中に無い。
彼女自身の経歴も面白い。
そんな人だから、ちょっと違う視点からの
話を聞く事ができる。

アイビーは笑い話としても、
見ている世界が違う人の言葉は、
自分でも気付かないうちに
「日本のメインストリーム」の世界に慣れすぎて
視野が狭くなりがちな私の頭に
新鮮な風を送り込んでくれたような気がしました。


そもそも
親は、学校教育に何を求めるのか。
子どもは、どう育ちたいと思っているか。

そういうところに立ち返らせてくれ、
さらに、
世界は日本だけじゃない
と、目を外に、上に向けてくれる。


ありがたいことです。




うちは、わずかだったけど塾を体験し、
わずかだったけど受験勉強を体験し、
受験の世界を垣間見た。
それは、中高生ならともかく、
小学生には
できればさせたくない類いの勉強だった。

受験勉強が全て悪いわけじゃなくて、
例えば、やたら難しい算数でも、
息子が趣味として歴史本を読んで
いつの間にか知識を得ているのと同じように、
純粋な知的好奇心を満足させるために
勝手に、遊びとして算数の勉強をしちゃう
ような子だったら
いいと思うんだけどね。


でも、塾なんかに通って
親子共に受験の世界に入り込むと、
どうしても視野が狭くなっちゃうんですよね。

自分はその考えには与しない、
染まらないように気をつけなくちゃ
と思っていても、
塾の先生はグイグイくるし、
子ども同士の話題も自然とそうなるし、
いつの間にかその価値観に圧倒されてしまう。

うちみたいなテキトー組でも
多少その感じはあったので、
そうなってしまう人の気持ちはよく分かる。



だったら受験しなければいいのかというと
そうでもなくて、
知らず知らずのうちに
視野が狭くなる危険は、常にある。

森の中で迷っているのに
足元だけ見て歩いてしまうような。
あるいは、あまりに視野が狭すぎて
迷っていることにさえ気づかないような。


うちの場合、周りはほとんどが
地元の小学校から地元の中学に行く子たちで、
道沿いにある塾には
「○○中学、席次○番 ○○さん」という張り紙。
そして塾は、「○○中○○先生対策」ができることを
売りにしている。
高校も、選択肢として耳に入るのはせいぜい2,3校。
なんだったら大学も地元で済ませる人だって多い
(これも1,2校の選択肢だけど)。

小さい。あまりにも小さい世界。

今は「バカバカしい!」と一笑に付しているけれど、
いざ自分の子が中学生になると
そんなバカバカしいことで
右往左往してしまうかもしれない。

そういう場所にいて
そういう話ばかり聞いていると、
知らず知らず手元足下ばかり
見るようになってしまうんですよねぇ。

日常の些末なことに集中して
丁寧に取り組むのは大切なことなんだけどさ、
そうやりながら一方で
常に視野は広くもたなくちゃね、と反省。



さて。

受験日、子どもが受験している最中に
私は家で受験資料・問題集を処分して
家も心もスッキリさせました。

思考もサッと切り替えるべし!


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