こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

マリのいた夏。-【21】-

2023年01月13日 | マリのいた夏。

 

 さて、今回もちょっとブロンテ姉妹の『嵐ヶ丘』について、軽く言い訳事項なくもなかったものの……前回の前文の続きになることのほうを続けて書いたほうがいいのかな、なんて思いました(^^;)

 

 同性婚を認めた場合、特に女性同士の婚姻関係において、性的関係がない「友達同士」でも結婚する場合があるのではないか――と、前回書きました。それで、男女間の結婚、男性同士の結婚でも女性同士の結婚でも、「性的関係を持ったことがないとしたら、それは本当の結婚ではない」とおっしゃる方がいるかもしれないけれども、それは果たして悪いことなのだろうか……というお話。

 

 同性婚が当然のこととして認められて欲しい当事者の方や、そのことに賛成している方の意見として、法的に認められていないと「家族ではない」として、その権利が一切認められなかったりするわけですよね。この間、ラジオで途中から聴いだけなんですけど、「病院でも、家族以外面会できない」と言われたり、パートナーなのに「お医者さんが病状を家族以外は説明できない」として、今後の病気の治療のことなどを一切教えてもらえなかったり……このあたりのことについて早急に解決してもらいたいというのは、当事者の方にとって物凄く切実な問題なわけですよね。。。

 

 それで、このあたりのことはアメリカなどでは意識に違いがありそうな気もしたりして。向こうは家族以外絶対に医療的な情報について教えられないというよりも――「家族同然のパートナーとしてもうずっと暮らしてるんだぞっ!」とか、相手の剣幕が物凄かったら、「本当にお互いを思いあってるんだな」ということがわかれば、今後の治療計画について一緒に検討するとか、そうした裁量の幅が日本の病院より広いんじゃないかなという気がしたり(^^;)

 

 それはさておき、レズビアンの方の中にも、「性的関係がないのに、友達同士でただ仲いいだけで結婚とか、それっておかしくない?それとも、性的関係だけない恋愛状態ってことなわけ??」といったように、ここのところはきっと意見が分かれるんだろうなという気がします。つまり、「性的関係なくても仲いい女同士で結婚」、あるいは男同士で結婚……ということの中には、自分が死んだあと彼/彼女に財産を残したいという事情があって、それで一番手っ取り早く結婚した――とか、そのあたり、どこまで調査するのかとか、相手の財産目当てにそうした法を悪用する人間だって出てくるだろうなどなど、確かに問題は他にもあるとは思っていて。

 

 ただわたし、「結婚は男女でするもの」とか、「性的関係がなければ、それは本当の結婚とは言えない」(未完成婚)とか、そうしたことは実は「自分の思い込みかもしれない」と気づけたのは、間違いなくボーヴォワールの『第二の性―体験―』を読んだ、そのお陰だと思います。この本、わたしも二十代半ばくらいに読んで、その後随分長く読んでないので、今もう一度読みたいなと思っていて読んでないのですが(汗)、確かタイトルの第二の性っていうのが、「男性が第一の性で、女性は第二の性」みたいな意味だったと思います。そのような形で男性に次ぐ第二の性を持たされた女性が、いかに今の今まで抑圧されてきたか、歴史を遡って紐解いた名著であり、さらには男性の側からは決して窺い知れないであろう、女性の持つ「性」の本質、その本当のところをかなりのところ際どく赤裸々に書き著したことで、発表当時は相当非難されたとか(^^;)

 

 とにかく、この本を読むと、色々な意味で目から鱗が落ちるわけですが、実際には「男尊女卑」の風潮について変わっていくのは、時代の流れとともにほんの少しずつ……といったような実感でしたし、人の意識が変わっていくのにはそのくらい時間のかかることなんだなと今もそう思っています。

 

 それで、その後ボーヴォワールの著作とはまったく別の本にて、「結婚して子供が出来、家族のために家を建て、その家の横には車がある」――という家庭のイメージ自体、アメリカから輸入されてきたものだろう、ということが書いてあるのを読んだ時、再び目から鱗が落ちました(笑)。たぶん、大体時代としては日本でテレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器などと呼ばれていた頃に遡るのではないかと思うのですが、アメリカのホームドラマに出てくる、一軒家の大きさや立派さ、その家の中に揃っている家具のアンティークな雰囲気の素敵さなど……そうしたものに強烈に憧れる日本国民が、テレビの普及によって急増したわけです。

 

 なんていうか、わたしの小さい頃ってまだ、松田の聖子ちゃんがアイドルとして素敵な髪形してるから、日本国民の女子の多くがその髪形を真似るとか――今にして思うと、「えっ!?みなさん、そんなに独自性がなくて洗脳されちゃってるんですか?」っていう現象があったりしたものでした。だから、それにも似た現象なのかなという気がしなくもないのですが、「アメリカのホームドラマの家庭、再現できた奴マジ最強説」みたいのを信じてしまった人がたくさんいて、それが日本の家族の不幸のはじまりだったのではないか……みたいな話だったんですよね。

 

 つまり、アメリカと日本とでは、国民性も意識の違いもそれぞれありますし、「平均的な収入を得られている人は、ローン組んで郊外なら結構いい家に暮らせる」的イメージがアメリカにあるのに対し、日本は土地が高いし、その狭い土地に建てられる家っていうのも、アメリカみたいな大きくて素敵なお屋敷というわけにもいかない。でも、そのアメリカに対する「憧れのイメージ」に追いつけ!とばかり、日本国民は頑張りに頑張って、その後バブルが弾ける時代までそれが続いてしまったのではないか、と。

 

 まあ、わたしもすでに記憶曖昧ながら、大体その頃くらいにはもう「家庭が崩壊する」根のようなものは、日本国中に結構張り巡らされていたのではないでしょうか。<家>っていうのは結局入れ物にすぎませんから、その入れ物がどんなに立派でも、すべては中に住んでる人間、家族次第によって幸福度の高低は当然左右される。

 

 立派な家、かつては三種の神器のひとつと呼ばれたテレビだって、ひとつどころでなく各部屋にあったり、車だって2~3台所有してる家庭も全然珍しくなくなった……でも、物質的には豊かになったのに、心は貧しくなった、家族の絆なんていう言葉もどこか虚しい響きを持つようになり、「個」=「孤独」の「孤」、一緒に暮らしていても家族の心はバラバラです――なんていうふうな傾向が指摘されるようにもなった(今は大きな震災があったり、新型コロナウイルスといった問題もあって、時代の流れはまた変わってきてるとは思います^^;)。

 

 それで、「アメリカのホームドラマに登場するような建物・家具等に対する憧れ」がなく、その後も日本独自の家庭観が保たれていたとしたら、わたし自身はそれはそれで別の意味で不幸であったろうな……と漠然と想像するわけですが、とにかくわたし、この時もそうした文章を読んでいて、突然目から鱗が落ちたわけですよ。

 

 結婚したら、子供作って家を建てなきゃいけない、そしてその家の横には出来ればなるべくいい車のあることが望ましい……みたいな家庭の持つイメージは、他人/世間がそう思ってるイメージをなんの疑いも持たずに信じ込まされているだけだということに、そう指摘されて生まれて初めて気づいたわけです。

 

 その~、何よりわたし自身、ひとつの家庭が物質としての<家>、<一軒家>なるものを持つことで、いかに首がまわらなくなるかって、ものすごくよくわかるのです。わたしがもし男で、愛する女性が「ねえん、あなたァ。おうち買ってぇん」なんて言われたとしたら、最初からそうした固定化された家庭イメージがあるもんで、「男たるものォ」なんていう、古くさい価値観が今も意識の奥底に残ってるせいもあり、その要望を当然のものと見なすかもしれません。「女性にしてみたら、そりゃそうだよな」と。

 

 でも、<家>ってほんと、恐ろしいですよ。ホラー映画にはたまに「その家に引っ越してきた日から不幸がはじまった」的設定のものがあるものですが、脚本書いてる方はもしかしたら、<家>関係で何かあったのかなって、今はちょっと思うくらいです(笑)。

 

 だって、一度<家>なるものを購入したとしたら、まず滅多なことではそこからはもう動けない。近所に「あいつは気違いかなんかか!?」というようなはなはだ迷惑な人が住んでいても、地獄のようなローンが三十年以上もまだ残っているとか……下手したらほんと、そんな家を買えと言った、かつては愛していた妻のことも、そんなちょっとしたことがきっかけでキライになり、浮気に走るとか……なくもないだろーなーなんて想像したりするわけです。

 

 あ、そういえばわたし、なんの話してたんでしたっけ(笑)。そうそう。だからとにかく、同性婚についてだって、大体同じような連綿と続く家庭イメージによって「そう思いこまされてるだけかもしれない」という可能性がある……ということを、一度リセットボタンを押して誰もが最低一度は考えてみる必要があるんじゃないかな、ということを言いたかったわけです(^^;)

 

 それではまた~!!

 

 

     マリのいた夏。-【21】-

 

 もう昔のように、当たり前のように相手の家へ行くことは出来ないのだ……そう思うと、マリとしてもお互いの間にある身体的・精神的隔たりについて感じないわけにはいかなかった。ミッシィがスマートフォンで手配したタクシーに乗ったふたりは、昨年新居として完成したばかりの、サウザンティ地区にある瀟洒な建物の前で降りた。

 

 一番近くにある駅は、地下鉄第7番線の終点、サウス・ハーバート駅だったが、首都ユトレイシアを走る8つの地下鉄の路線の中で、サウス・ハーバート駅は唯一、終点のところで電車が地上へ姿を見せるため、よくこの地下から地上へ電車が上がってくるところを――ユトランド国中の電車オタクたちが撮影する姿が見受けられるという。この時も、マリとミッシィはタクシーの中で、そんな撮り鉄たちの姿を何人も見ていたが、ふたりとも、特になんの感慨も抱かなかったと言ってよい。

 

(フランスのTGVや、ヨーロッパの美しい車体の電車ならばいざ知らず、あんな田舎くさい電車を撮影しまくって、一体何が楽しいやら……)

 

 だが、そう思ったマリも、サウザンティ地区の自然が多い風景には不思議と心癒されるものを感じたし、庭仕事が好きだったロリの母が一目でこの場所を気に入ったというのも、よくわかるような気がしていた。また、家屋自体は古びた年代物といった建物が、広い庭や畑に囲まれる形で並んでいるのだが、その中にもポツポツ目を引くような素晴らしい一軒家、ユニークで変わった建築物があちらこちらに点在しており――そうした調和の中で見てみると、おそらく結構金をかけたのだろうロリとルークの新居というのも、それほど際立って見えないのが不思議だった。

 

 ロリの母のシャーロットは、目と鼻の先といってもいいくらいの距離のところに住んでおり、今はご近所の人々ともすっかり仲良くなっていて、秋の収穫期ともなれば、自分の庭で取れた野菜や果物のみならず、隣人たちが押しつけるように寄越す種々の収穫物により、その気になれば自給自足で暮らしていけるほどだという。また彼女は、夫と別れて以降演劇に目覚め、今はサウザンティ地区にある小さな老人劇団の総監督として忙しい毎日を送ってもいた。

 

「ふうん。都会の片隅にある片田舎といったところかしら。なかなかいいところじゃないの」

 

 ミッシィはフランス南部の農村地帯出身のため、こうした田舎的な雰囲気というのは、懐かしく感じるところがあった。ちなみにフランスは食料自給率120%と言われているが、ユトランド共和国は食料自給率90%といったお国柄である。

 

「ああ。ディゴワンで、エスカルゴ片手にみんなでワインを飲んだのがなんだか懐かしいな」

 

「そうね。また行きましょうよ。エスカルゴ祭りの頃にでも……」

 

 この場合の「みんな」というのは、性同一性障害や、LGBTQIAのNPO組織のみんなという意味だった。フランスと聞くと、同性愛について寛容といったイメージを多くの人々が持っているに違いない。だが、実際にはパリのような都会にあってさえ、その話題はタブーといったように扱われることは今もよくあるし、それがパリよりもっと田舎の地方といったことになると――それ以上説明する必要もないくらいだったろう。

 

 ミッシィもまた、そのような田舎の地方育ちであったから、今も自分が同性愛者であるといったことは、実の両親にさえカミングアウト出来ないままでいる。だから、わかっていた。家族に理解してもらえないマリの持つ苦しみも、複雑な恋愛過程を経て別れることになった幼なじみに、彼が持っているであろうつらい気持ちも……。

 

 二階建ての、少々変わったアシンメトリーな白と銀の建物を見て、マリが思ったのはまず、(何故こうした形に設計したのだろうな)ということだったかもしれない。誰か泥棒が入ってくるかもしれないというのに、入口の門扉は開いたままだったし、庭のほうも適度に世話がしてあるといった程度で、アストレイシア地区におけるような、神経質なまでに手入れされた雰囲気とはまるきり違っていた。野放図とまでは言わないにしても、ある程度は自然に育つがままにして、見苦しくない程度に草花を手入れしてあるという、そんな感じだった。

 

 また、六月のこの日、ハミルトン夫妻は軽く暑かったせいもあるのだろうか、玄関口のほうもすでにドア・ストッパーを掛けてあるだけの状態で、そのドアにしても、猫が出入りするための戸口がついており――マリとミッシィが最初にこの家の中で聞いた声にしても、それは家の主人の声ではなく、猫の鳴き声と犬の吠え声だったのである。

 

「にゃあ~」というのどかな声がしたかと思うと、ドアの隙間からひょこっとゴージャスな毛並みの猫が顔を出した。だが、好奇心が旺盛であるのと同程度、警戒心も強かったのだろうか。毛並みの長い灰色にゃんこは、自分を見下ろす人間二体の姿を確認すると、すぐにシュッと奥のほうへ引っ込んでしまった。

 

 このあたり、マリは昔からある親友らに対する気安さから、遠慮はしなかった。わざわざインターホンを押すでもなく、中へずかずか入っていく。すると、何故か玄関ホールあたりの敷物の上に、猫が三匹並んで座っており、見慣れない侵入者に対しても特に驚くでもなく、一度首を上げた以外では、再びだらりと横になっていた(彼女たちは近所の人々が、「なんてきゃわわなネコちゃんなんでちょう~!」などと言いながら撫でまわしてくることに、ほとほと飽き飽きしていたのである)。ちなみに三匹とも、「どれだけ甘やかして育てたのだろうか」というくらい丸々と太っていた。一匹目は茶の縞の美しいラガマフィン、二匹目は垂れ耳の可愛いスコティッシュフォールド、そして三匹目が白い毛並みのノルウェージャンフォレストキャットだった。

 

 先ほどの灰色のメインクーンは、階段を途中まで上ったところで――まるで高みの見物を決め込むように、踊り場でこちらの様子をじっと眺めている。そして、吹き抜けになっている二階の廊下の手すりの間から、「なんだ、なんだ」というように、灰の縞模様のアメリカンカールが、薄緑の瞳を輝かせていた。だが、その眼差しは好奇心というよりも、臆病さのほうが勝っているようにも見える。

 

「いい家だな」

 

「ちょっと、マリ……っ!いくら元親友の屋敷ったって、不法侵入は流石によくないわよ」

 

 マリが暖炉のある広いリビングを一渡り見回しても、そこには誰もいなかった。マントルピースのところには、家族や友人らと撮った写真のフレームがいくつも並び、壁にはミケランジェロの『聖家族』やラファエロの『一角獣を抱く貴婦人の肖像』といった絵画が高価そうな金縁の額に飾られている。壁紙のほうがウィリアム・モリス風なのは、間違いなくロリの趣味だろうとマリは察していた。

 

 そして、リビングのフランス窓から繋がっているウッドデッキ、そちらのほうから犬の吠え声が聞こえ――マリはそちらへ真っ直ぐに向かった。ルークが、「おいこら、ルイ!少しくらいただ黙ってじっとしてられないのか!」などと、怒鳴る声がしている。

 

「あ……」

 

 ルークは金色の、フサフサした毛並みのゴールデンリトリバーのブラッシングをしているところだった。他に二匹、黒のラブラドールとロングコートチワワが忙しなくウッドデッキをうろうろしてばかりいる。ご主人さまがルイの世話にかかりきりになっているため、早く自分たちも構って欲しくて堪らないのだろう。

 

(どちらさまで……?)

 

 そう言いかけて、ルークは首を傾げた。男になったマリにしても、隣の背の高い痩せた女性にしても――どこかで見た記憶かあったからである。ちなみに、まったく知らない人間が突然姿を現しても、ルークがまるで驚かなかったのには理由がある。ここら近辺の人間は、突然互いの庭先に姿を現して話をしていったり、あるいは「トマトがいっぱい取れた」だの、「親戚がじゃがいもを山ほど送ってきた」だのと言っては、目につく場所に置いていくことなど日常茶飯事だったからである。

 

「ああ。もしかして、きのう兄の結婚式に参列していた方ですか?」

 

 ルークはようやくのことでそう聞いた。マリのことは変わらずわからなかったが、その後ろにいる女性のことは覚えていた。自分とロリの隣にいて、時々お義理程度に拍手するのを見て――兄マーカスの病院関係の誰かだろうと、ぼんやり思ったのを思い出したのである。

 

「馬鹿を言うな、ルーク。オレだよ、オレ!おまえのヒースクリフが帰ってきたんじゃないか」

 

 この時一瞬、間違いなくルークは(こいつ、頭がおかしいんじゃないか?)という顔をした。それから、ロリの母親の劇団関係の誰か――ということまで彼が考え、それからもう一度ルークがマリの青い瞳をじっと見つめ返した時のことだった。

 

「おっ、オレはキャサリンじゃないぞっ!!おまえががヒースクリフなら、オレだってヒースクリフだ」

 

 ルークはどもりつつ、ようやくそう答えた。自分が今目の前で見ているものが信じられなかったのである。

 

「昔言ってたとおり、性転換手術したのか?それとも、男らしく肉体改造したってことか?」

 

 ほとんど無意識のうちに、ルークはマリと再会の抱擁を交わしていた。胸板が真っ平らなのみならず、そこから筋肉の質量のようなものまで、服の上からすら彼ははっきり感じていたのである。

 

「そうだ。ようやく男になったんだ。手術したのはイタリアだったが、今はフランスやドイツや……まあ、ヨーロッパのあちこちを転々としてるといった生活だな。EU万歳!といったような話さ」

 

「そっか。まあ、オレはマリが幸せなら……それでいいんだ」

 

 このあと、ルークは言葉を続けようとして口ごもった。急に、そんな言葉を言う資格は自分にないと気づいたせいだった。そして、マリのほうでもその微妙な空気を読み取っていたのである。

 

「そうだ!ロリは今留守にしてるから……ロリが帰ってくるまで、ゆっくりしていけよ。大したもんは作れないけど、夕飯くらい食ってけばいい。暫くの間、こっちでゆっくり出来るんだろ?」

 

「ロリは今、どうしてるんだ?」

 

 オリビアやエリ、ラースやライアンなどと違って、彼女はツイッターやインスタグラムをやっていない。ゆえに、そのあたりの動向について、実はマリもよく知らなかった。何より、ルークやロリが幸せに暮らしているといったようなことは――あまり知りたくないといった一時期があったせいでもある。

 

「ええっと、まあ、アンソニー・ワイス私設図書館のほうでさ、司書として働いてるんだ。わかってるよ、マリ。確かにオレには、うなぎに握らせられるくらい資産がある。けど、本人がせっかくなかなかなれない狭き門を突破して、司書になったんだから……金のあるなしに関係なく、図書館っていう場所で働きたいって言うんだからな。最初の頃は昼間ロリがいなくて寂しかったけど、今はこれで良かったのかなとも思う。っていうより、ロリにはそんなこともわかってたんだろうな。ふたりでずっと家にいたりしたら、そのうち小さなくだらないことが原因で喧嘩したりしてたかも知れないし……」

 

 ここでまた、ルークはハッとして黙り込んだ。マリを不幸にして自分はロリと結ばれたというのに――今ではもうそんな幸福に、彼もロリのほうでもすっかり慣れきってしまっていたからだ。

 

「ふうん。じゃあルーク、おまえはアレだ。ロリのいない寂しさを紛らわすのに、猫やら犬やら飼いはじめて、今この家はこんな体たらくといったわけだ」

 

 マリはレースのカーテンが両脇で揺れるフランス窓を通し、リビングのほうに視線をやった。そうなのである。せっかく全体としてアンティークな雰囲気でまとめてあるというのに――そこにはキャットタワーやら、天井に近い位置に猫が歩いたり体を休ませるのにいい、木製の通り道やちょっとした休憩場所が設置されているのだった。それに、窓やドアを開けて風の通り道を作ったり、ペット用消臭スプレーや消臭剤をいくら使おうとも、真新しい建物の匂いに混ざり、愛すべきモフモフたちのケモノ臭がそこいら中に漂ってもいる。

 

「う、うん……ロリはさ、反対したんだ。オレが一匹犬やら猫やらハリネズミやらを欲しがるたんびに、世話が大変だとか、家を留守にして出かけられないとか、あれやこれや色々言ってさ。でも結局、説得するうちにロリのほうが折れてくれて……」

 

(そんなこったろうと思ったよ)

 

 マリは呆れたような顔をして、軽く首を振った。すると、ルークは決まり悪い思いをしたせいもあって、まずは突然の客人ふたりに茶や菓子を振るまうことにしたわけである。

 

「え~と、まずは中へ……」

 

「いや、ここでいいよ」

 

 ウッドデッキには、ガーデンテーブルの他に、ガーデンチェアが四脚ばかりあった。そこでマリは、犬が思う存分遊ぶためのスペースのある庭やプール、六月の花盛りの庭などを眺め――ふと、満足の吐息を着いた。ルークが本当は男になった自分に対し、どう思っているかはわからない。また、ロリひとりがいてルークのいないことを願っていたマリだったが、こうして親友と久方振りに会ってみると……何故かこれで良かったと思える自分に対し、ほっと安堵してもいたのである。

 

 ルークが二匹の大型犬を連れ、一度室内へ戻ると、マリはガーデンチェアに腰かけて、懐かしい思い出が脳裏に甦ってくるのを感じた。小さい頃はよく……いや、自分とルークの場合は、毎年夏になると、とにかくプールサイドでビーチチェアに横になり、水着姿のまま寝そべっていたものだった。そこで、ルークが『ウォッシャー液』と呼ぶブルーハワイのジュースを飲んだり、たわいもないくだらないことを話しては肌を焼いていたわけである(とはいえ、ユトレイシアの夏の陽射しでは、どのみち大して焼けはしない)。

 

『あんた、あたしの体にオイル塗りなさいよ』

 

『いつも思うけどさ、マリおまえ、なんで都合のいい時だけ女になろうとするわけ?』

 

『いいから!あのコマーシャルのヤラしい親父みたいに、『ムヒョヒョ~。こりゃ、極楽極楽』って言いながら、あたしの背中のあたりにオイルを塗りこむの。じゃなかったら、ラースかライアンにやらせるわよ。それでいいなら、黙って自分んちの家のビーチで独り寂しく肌でもなんでも焼いてなさいよ』

 

『チェッ。わかったよ!でもオレは「ムヒョヒョ~」なんて口が裂けても絶対言わないぞ』

 

『あんたって、ほんとノリが悪いわよね。ラースやライアンだったら、喜んで馬鹿みたいな顔して物真似しながらやると思うけど』

 

 ――マリは過去にあった、そんな懐かしい一場面のことを思いだし、ふと笑った。そして、ミッシィもそんな彼の姿を見て、ほっと安心する。少なくとも、マリの親友だというあの犬のしもべは、今の彼の姿を見て拒否したり拒絶したりというような、そんな様子は見せなかったことに……ある意味、感心する部分すらあったからである。

 

「あら、可愛いわね、このワンちゃん。ゴールデンとラブのほうは尻尾振りながらご主人さまについていっちゃったけど……もしかしてマリ、あんたのことが好きなんじゃない?」

 

 チワワは特にマリに対し、媚びる態度を見せるでもなく、ただ彼の座る椅子の横に行儀よく座っている。マリも犬のことは嫌いではなかったが、どちらかというと猫のほうが好きだった。そして、友人らの間で『犬と猫どっちが好きか』論争になると、『絶対マリはネコ派だよね!だって自分がネコ族の女王だもん』といったように言われるのが常だったものである。

 

「おまえはご主人さまについていかなくて良かったのか?オレはエサなんて何も持ってないし、こんなところにいても、得なことは何もないぞ」

 

 だがこの時、マリはチワワの頭を撫でようとして――ふとあることに気づいた。上目遣いにこちらを見つめる黒目がちな瞳、本人は笑っているつもりはないのかもしれないが、こちらに好意を持っているように微笑んでいるような顔立ち……この犬は、よく見るとロリにそっくりだったのである。

 

 もちろん、マリは知らない。『あのペットショップのロングコートチワワは、絶対オレに飼われたがってるんだ~!ロリ、君にはわからないのか!?あそこへ行くたび、「他の飼い主に飼われたら、そんな悲劇自分には耐えられない」という眼差しで、あれほど熱心にオレたちに訴えかけているというのに……』と、ルークが何度となく繰り返し妻を説得したということを。しまいには『これで最後だ!これでもう犬の数は増やさないって約束するから!!』、『でもあなたはネコの時にもまったく同じこと言ってたでしょ!?』というしつこいまでのやりとりがあってのち、チワワのローレンは飼われることになったのだということなどは……。

 

 また、容姿はともかく、チワワのローレンは性格のほうはロリにあまり似ていなかったと言える。というのも、ゴールデンのルイとラブラドールのイヴは、ともにやんちゃな性格をしており――普段はしつけられた通り、きちんと所定の場所でおしっこやうんこをするものの、ルークとロリがふたりとも屋敷からいなくなるなり、ありとあらゆる悪さをこの二匹は働きだすのだった。家の中の鉢という鉢を倒して土まみれにしたり、テーブルの上のものをぐちゃぐちゃにしたり、高価な家具セットにおしっこをかけ、さらには高級絨毯にうんこをし、そのうんこを自分の足の裏で踏みつけた上……家中を気が狂ったように走りまわるという、この二匹はとんでもない犬たちであったのである。

 

 だが、ローレンはただ一匹賢かった。自分の数倍はあろうかというこの金と黒の大型犬の行状に無視を決めこむと、普段は行かない二階の一番奥まった部屋まで行き――ご主人さまたちが奇声を発したり、二匹の自分とは犬種の違う犬たちがお叱りを受ける間、「自分はこの図体だけでかいバカどもとは違うということ、以後お見知りおきを」とばかり、一連の後片付けという名の嵐が通りすぎるまで、姿をずっと隠したままでいたのだから。

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

 


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