こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

マリのいた夏。-【25】-

2023年01月24日 | マリのいた夏。

 

 さて、今回も本文となんの関係のない映画の話でも……と思ったんですけど、よく考えたら『嵐ヶ丘』のことが随分後回しになってた気がするので、一応そのことでもって思いました(^^;)

 

 その~、今回ケイト・ブッシュのデビュー・アルバムがトップ画なのは、このアルバムに彼女の超有名曲である『嵐ヶ丘』が収録されてるっていう、ただそれだけの理由だったり

 

 いえ、これはよく言われることとは思うんですけど、原題の『ワザリング・ハイツ(Wuthering Heights)』を「嵐ヶ丘」って訳した訳者さんはほんと、天才って思いますよね

 

 それでわたし、お話の中に『嵐ヶ丘』の出てくるエピソードをちらっと使ったので、実は久しぶりに『嵐ヶ丘』を読み返そうかと思ったんですけど、他に読んでる本もあるしで、多少面倒くさかったのと、昔読んだお気に入りの訳者さんの本がどうも密林にないらしい……という事情により、どの本をあらためて注文して読み直すべきか迷ったというのがあって、自分の過去の記憶とウィキさんのあらすじのみで、間違ったこと書いてないかどうか確認したわけです(殴☆

 

 随分昔に読んで、ストーリーの細かいとことか忘れてるわたしですが、ウィキであらすじ確認しただけでも、まあ、頭がクラクラしてきました(笑)。いやまー、大体こんなよーなお話だった……みたいなことはもちろん覚えてるんですけど、「うわー、あらためてここまで凄いお話だったとわ!!」と、驚いた次第であります(^^;)

 

 わたしも最初、なんとなーくなお話のイメージから誤解してたんですけど(いえ、主人公の美人な品のいいおねいちゃんと、ヒースクリフっていう荒くれ者っぽい男のラブストーリーとか、ちょっと勘違いしてたので)、そもそもヒースクリフとキャサリンの恋愛がプラトニックで終わる……ということに、読んでて一番驚いたというか

 

『ジェイン・エア』についてはわたし、映画見てないんですけど……『嵐ヶ丘』はまあ好きすぎて、読み終わったあとに映画も1本見ました(あ、もちろん『ジェイン・エア』も大好きなのですが、ブロンテ姉妹のうちどっちか選べと言われたら、わたしは間違いなくエミリー派なのです)。で、その映画のほうではキャサリンとヒースクリフの間に肉体関係があったことを示唆するような場面があったりしたんですけど、ここは原作ファンの方にとって、賛否あるやもしれません。。。

 

 つまり、ヒースクリフとキャサリンの関係って、プラトニックであればこそいい!!という方と、ふたりにそうした形でも結ばれていて欲しかった……という方に分かれる気がしていて、ここの部分がジレンマなわけであり、その読者的ジレンマは、『嵐ヶ丘』の登場人物たちが抱えるジレンマともちょうど重なるところがあると思っていて(^^;)

 

 まあ、ケイト・ブッシュの『嵐ヶ丘』は、このあたりのキャサリンとヒースクリフの恋愛模様や心象風景を歌詞や曲、歌の表現によって完璧に体現している……という意味で彼女のこともまた「天才!!」と思うんですよね。この地上においては(肉体的な意味で)結ばれなかったふたりだけれど、霊魂においては結ばれて、死後もヒースの生い茂る嵐ヶ丘をさまよっているって、まあ当時のクリスチャン的価値観としては「牧師の娘が書いたにしては不謹慎」と受けとめられても仕方なかったのかもしれません。。。

 

 その点、『ジェイン・エア』だって結構クリスチャン的価値観と照らし合わせた場合、どーなんだろ?と感じる部分がなくもないのですが(ロチェスターが妻の狂女バーサを屋敷に隠していたとか)、『ジェイン・エア』を書いたシャーロット・ブロンテは生きている間に文学的栄光に浴し、妹のエミリー・ブロンテは正しい評価を受けることなく若くしてこの世を去った……というのは、なんとも悲しいことのような気がします

 

 それはさておき、このお話の中でロリがマリに薦めていたみたいに、お話の内容をちゃんと知りたいものの、あんな分厚い本、上・下巻2冊も読み通すの面倒くさといった場合、朗読してあるものを読むのって、結構いいような気がします。

 

『嵐ヶ丘』はわたし、古本屋さんにて、未開封の朗読テープを見た瞬間、速攻買ってたことがあって(これもまた好きすぎるがゆえに)、確か大空真弓さんの朗読だったんですけど、あんまり見事すぎて、一気に聴いてしまったような記憶があります

 

 密林さんに、そうした朗読アプリみたいのがあった気がするんですけど……あれって、ちゃんとそうした朗読する方がいるものを読めるっていうことなのかな?と思ったので、そのうち一度試してみたいと思っています♪(^^)

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

       マリのいた夏。-【25】-

 

 この約7か月後、ロリは可愛い双子の赤ん坊を出産した。女の子の双子であったため、ロリはルークと相談して、「マリとルイーザ」と命名したわけだが、名前をもらった幼なじみの親友マリには、そのことを特に断ることはしなかった。

 

 というのも、マリとはその後、なかなか連絡がつかず、ゆえに彼女はロリが妊娠したことも無事出産したことも知らない可能性すらあったのである。そもそもマリは、両親とも姉のフランチェスカともすでに連絡を取りあわなくなって久しいらしく――ルークがやっている犬や猫の写真を投稿しているブログや、彼のツイッターを通し、双子の娘たちの姿を見たといったことでもない限り……幼なじみ夫婦に動物以外で家族が増えたことは知らないままかもしれなかった。

 

「マリのことだから、またある日突然ふらっとやって来て、自分の名前を勝手につけたってことを、きっと喜んでくれるさ」

 

 ルークはそう言ったが、ロリは何かが心配だった。マリが自分たちのことを色々と見透かして理解しているようには、彼のことを本当の意味では理解できない、理解し尽くせない領域があるのだと――そのことだけははっきりわかっていたから……。

 

 そもそもマリの場合、最初は男性の性器と女性の性器、その両方を持って生まれて来、見た目が可愛らしい女の子だったことから、本人の再三に渡る激しい主張にも関わらず、このまま両方の性を持ったままでは危険であるとして、男性器のほうを除去することになったわけである。そしてその後、十分成長したのち「やはり自分の性は間違いなく男である」として、彼女は性転換手術を受けた。性的マイノリィの人々には様々なケースがあるとはいえ、マリの場合もまた、かなり特殊なケースであったろうことは間違いない。

 

 ロリは、性転換手術を受ける間、とても孤独だったとマリから聞いて、すごくショックだった。「もちろん、応援してくれたり、親身になって看護してくれる友達はいたよ。でも、その優しさや親切に縋りながらも……やっぱりオレ自身はひどく孤独だった。で、退院したあと、ふとこう思ったことがある。こんな惨めでみっともない姿、ロリにだけは見られなくてすんで良かったってさ」、「オレ、今ではわかるんだ。ロリはルークを選んで正解だったってことが……なんでって、もし仮にロリがあの軍人のおとっつぁんに性的虐待か何かを受けてて、『男なんかキライ。わたしも、結婚するなら女のほうがいい』ってことで、ルークじゃなくオレのことを選んでくれたとする。でも結局、ダメだったと思うんだ。オレはひどく孤独ではあったけど、そのことで腹を立てたり、どんなにつらくても周囲の人間に当たり散らすってことだけはなかった。だけどロリ、おまえに対してだけはダメだったと思う。自分がこんなにつらい思いをしてるのに、男の看護士に色目を使っただろうだの、くだらないことで嫉妬してはケンカしたりさ、そもそもロリにしてみたら、オレがそうまでして男になりたいのが何故かってこと自体、理解できなかったろう。それで、そんなんだったら元の女のマリのほうが好きだっただのなんだのいうことでまたケンカしたり……でも、オレが一番つらかった時、そばにいないのに、誰よりも一番心の近いところにおまえはいてくれたんだ。そのこと、本当に感謝してる』……ロリはマリのこんな言葉を聞きながら、とめどもなく涙を流していたわけだが、今、唯一後悔していることがある。

 

 何分、ロリは自分でそうと自覚しているとおり、マリほど素早く言いたいことを組み立て、すぐに言葉に出来るほど頭の回転が速くない。自分でも鈍すぎると思うことには、ロリがマリに言いたかったこと、心から伝えたいと感じた言葉が心に浮かんできたのは……マリがヨーロッパへ帰ってしまったあとのことだったのである。

 

 けれどその時は、マリとはまたそのうちきっと会えるというくらいの気持ちしかなかったため、自分の言いたかったことを伝えられる日は再びやって来るだろうとしか思っていなかった。でもロリは最後に会った時、マリに何故自分の本当の気持ちについて伝えなかったのかと――その後、後悔してもしきれない思いに生涯悩まされるということになる。

 

   *   *   *   *   *   *   *

 

 夫のルークはその後も、家事においても育児においても常に協力的であり、自分の可愛いふたりの娘と家の動物のこと、つまりは己のテリトリーの範疇のことしか頭にないような、子煩悩な男であり続けたといえる。そしてロリはといえば、子育てに追われるような日々を過ごすうち、親友のマリ=ルイーザ・ミドルトンではなく、やはり我が子のマリとルイーザのことばかりを第一に考える……そんな毎日を送るようになっていった。

 

 そしてそんなある日のこと、いまや四歳となり、それ以前に比べて大分手がかからなくなっていた双子の娘と一緒に、ロリがウッドデッキで日向ぼっこしていた時のことである。ルークはランチの準備をし、ルイやイヴやローレンはマリとルイーザに何をされようとも大人しくしており――そんな何気ない日常にロリが幸せを感じていた瞬間のことだった。

 

「ああ、はい?」

 

 ルークがギンガムチェックのテーブルクロスの上に、サンドイッチやサラダを並べたり、レモネードの入ったクーラーを置いたりしていると、彼の携帯がエプロンの中で震えた。実は見慣れないナンバーだったのだが、なんとなく反射的に出てしまったわけである。

 

「……えっ!?おばさん、そんな……」

 

 ルークはそのあと、ウッドデッキの階段を下り、花盛りの夏の庭を見渡す場所で、暫く何かを話していた。ハミルトン家にはルークが<おば>と呼ぶ人々が何人もいるため、そのうちのどのおばなのかということは、ロリにも見当はつきかねたと言える。

 

 けれどこの時、電話を切るなり――ルークはアイフォンの最新モデルを地面に投げつけ、そのまま庭の奥のほうへ姿を消してしまった。ロリがこの時最初に思ったのは、何か投資のことで問題でも起きたのだろうかということだった。実をいうとロリは、ルークが「結構な金持ち」ということくらいは理解していたが、彼が「安全な範囲で投資している」という投資がどの程度の額なのかも知らなかったし、夫婦別会計で、自分の働いた分の金銭の範囲内でしか、ロリは普段買物したりすることはない。

 

 もし、起きたことが何か経済的な問題で、今住んでいる理想的な屋敷を手放すことになったとか、そうしたことならロリは十分耐えることが出来ただろう(とはいえ、実際に引っ越すという時には愛着の情から泣いてしまうに違いなかったが)。けれど、今は可愛い双子の娘たちがいる。この子たちが安心して好きな大学や専門学校を選べるためには……ルークの経済的基盤が大きいというのは、今はロリにしても大いに頼りにしていることだった。

 

「ルーク、どうしたの?」

 

(ほんのちょっと目を離した隙に……)ということが、ロリとルークの活発なふたりの娘の場合よくあったため、ロリは心配しつつも、ルークが戻ってくるのを待っていた。そして、そうしておいて正解だったと思った。何故なら彼は涙によって目を赤くしていたから……。

 

「ああ。その、さ……ロリ。ロリもショックだと思うけど……今の電話、エマおばさんからだったんだ。マリが……フランスとドイツの国境付近にある高速道路のほうで亡くなったって……」

 

「そんな……ど、どうして………っ!!」

 

 ルークとは違い、ロリはすぐに泣いたりしなかった。何故といって、死んだ、などと聞かされても――言葉としてだけそうと聞かされても、何かの間違いということもありうるという、数パーセントの可能性に縋りつきたかった、そのせいかもしれない。

 

「交通事故らしい。夜に高速をバイクで走ってて……事故を目撃した人の話では、何か白っぽい中型の生き物がパッと道路の端から飛び出してきて、それを避けようとしてバイクごと吹っ飛んだっていうことらしいんだ。もちろん、白っぽい中型の生き物なんて言ったって、よくわかんないよな。なんにしても真夜中のことだったから、ライトの加減か何かでそんなふうに見えたってことなのかもしれない。目撃者にしても、後ろのほうを走ってたトラックの運転手だっていうんだから……酔っ払ってなかったにしても、疲労や何かでそんなふうに見えたってことなのかどうか……。マリはいつもはパリにいて、友達何人かと大きい一軒家をシェアするような形で暮らしてたみたいなんだけど、彼女たちはみんな、『マリは自分たちの家族だから、葬儀のほうはこちらで行います』って強く主張したそうだ。そりゃそうだよな。マリはミドルトン家とは絶縁状態で、マリの口からだって、家族の悪口くらいしか聞いたことはなかっただろうし……」

 

「パパ、どうちたの?」

 

 もうひとりのマリに、ジーンズの裾のほうを引っ張られ、ルークは再び泣き崩れそうになった。それから、「ごめん、ロリ。オレ、ちょっと……」と、それだけ言って、ルークは急いで二階へ上がっていった。その後、彼は二時間ばかり、自分が書斎としている部屋から出ては来なかった。

 

 ロリもまなじりに涙が滲んだが、まだ親しい人どころか、可愛がっている犬や猫といった動物の死すら経験してない娘たちに、その禁忌を隠そうとでもするように――この時は必死で笑顔を浮かべようとした。「あなたたちと同じ名前の大親友が死んだのよ」とは、とても言えない。いや、そんな言葉自体、口が裂けても言いたくなかった。もしそんなふうに口にしてしまえば、マリの死がもう動かしようのない事実なのだと、そう認めてしまうような気がして……。

 

   *   *   *   *   *   *   *

 

「うん……でさ、エマおばさんはマリの恋人や友達と大喧嘩して、マリの遺体を棺ごと持って帰ってきたっていうんだ。いや、エマおばさんがパリに到着した時、教会ではマリの葬儀の真っ最中だったらしいんだけど……同性愛者の親しい人たちがみんな一同に会していて、お別れの儀式が済んだくらいの頃を見計らって、パリのお墓に娘のことは埋葬させないみたいに、強く交渉したらしい。もちろん、向こうは向こうでマリの遺体を渡したくないから、マリが生前自分の家族のことをどんなに悪しざまに言っていたか、しつこくフランス語で言い連ねたらしいけどね……まあ、その場にたまたまレズビアンの弁護士先生がいて、どうするのが一番いいか、仲介してくれたっていうことだった。話しあいを重ねた結果、エマおばさんはマリのことを棺に入れた航空便として連れ帰って来たわけだけど、明後日の土曜日、親しい人の間だけで葬儀を行って埋葬したいってことだったんだ」

 

「じゃあ、じゃあ……」

 

 マリの死はもう、自分がどう足掻いて妄想の世界へ逃げようとも、揺るがしようのない事実なのだとわかり、ロリはどっと涙が溢れてきた。マリから名前をもらった娘たちはふたりとも、今ベッドの中ですやすや眠っている。その寝姿はいつ見ても天使そのものだった。

 

「そうだよ。ロリ、おまえも思いきり泣いておいたほうがいい。それに、今どんなに泣いたって、また二日後、マリの遺体を見たりすれば……涙なんかきっと、いやってほど何度も流れることになるだろう。でも今は、マリもルイーザもぐっすり寝てるからな。とりあえず一旦、思いきり泣けるとしたら今くらいなものだから……」

 

 まだ夜の九時半ではあったが、屋敷内はとても静かだった。娘たちが寝てしまうと、ロリとルークは夫婦ふたりの時間として、このくらいの頃は大抵、ネットフリックスで今流行っている映画やドラマを見て過ごすことが多い。けれど、今日はテレビさえ何気なくにでもつける気になれなかった。

 

「でも、マリ……っ、本当にどうして……交通事故だなんて………っ!!」

 

 ルークは妻のことを抱きしめながら、彼女と一緒に悲嘆に暮れた。夕食はウーバーイーツで注文し、適当に済ませたが、それもどちらかといえば娘たちのためだった。唯一、犬たちのみ、ルークとロリの間にある悲しみの気配に気づき、しきりと慰めようと三匹ともまわりをうろついてばかりいたものだった。

 

「そうだよな。オレだって最初に思ったのはそのことだったし……でも毎日、ニュースや新聞には誰かしらが交通事故で亡くなったっていうような話があるわけだよな。一応、頭ではそういうことなんだってわかっていても、どうしても心がついていかない」

 

 ルークの声は最後のほう、震えて消え入りそうだった。結局この日、ロリもルークもほとんど眠らず、泣きながらマリの話ばかりしていた。彼女が小さな頃、どんな子供だったか、どんな悪さを一緒にしたかといったことにはじまり、成績のほうは手を抜いていても常に上位にいるような感じであり、スポーツのほうはテニスのみならず、ほとんどの分野において万能だったということを……。

 

「でも、マリにしてみたらさ、女子っていうのはどうしても筋力に限界があるから……そのあたりで歯痒い思いをしてたんじゃないかって思うんだ。女子の世界で一位になっても、男と対戦した場合には負けるっていう意味で、マリにとってはそんなの、本当の意味でのナンバーワンじゃなかったっていうか。そうした苦悩についても、本人が自分の本当の気持ちを話してくれてようやくわかるっていうようなことだから、外から一見した分には、母親のエマおばさんなんかからしてみたら特に、『この子は一体何が気に入らないんだろう』みたいな感じのことなわけでさ」

 

「マリもつらかっただろうね。マリはわたしと違って、頭の回転が速い人だったから、物事をなんでもうまく説明するのがうまかったけど……家族の場合特に『どうしてここまで言葉で説明しないとわかってもらえないんだ』みたいな、そんなことってどうしても多くなってしまうものね。わたしも、マリのそうした苦しみのこと、もっと早くに知ってたらって、本当にそう思うんだけど……」

 

「いや、あの頃のマリには結局のところ、誰が何をどうしても駄目だったんじゃないかって、オレはそんな気もするんだ。マリは完璧な男の体をイメージしてロリとつきあいたいと思ってたみたいだから……不完全な自分のことがどうしても許せない。若さっていうのはそんなものだって、いわゆるアラサーというのになったオレたちにはわかるけど、当時はそこまで引いた視点から自分を達観して見たりすることも出来なかったし……だからオレたちだって傷つけあった」

 

 マリと離れてから、『彼女がいない』、『もう二度と話すことも会うこともないかもしれない』という痛みを通して――マリの存在はルークの中でもロリの中でも大きいものであり続けた。何より、あれほど気高いひとりの人を傷つけてしまったということを通して。

 

 けれど、ロリもルークも、お互いのそうした傷をなめあうように、互いの間にある罪悪感を時とともに薄めていった。それは卑怯なことだと自覚してもいたが、ふたりともそうした自分たちの弱さを慰めあう以外道はなかったから。

 

「わたし……っ、今思い出しても、マリとの別れは二度ともつらいものだった気がするの。一度目はルークとの関係がはっきりマリにわかってしまった時で、二度目の別れはこの屋敷の庭先で別れた時……その時は、お互いに笑って『じゃあまたね』みたいに、手を振って別れたのに……わたし、マリに行って欲しくなかった。次に会えるのは一体いつになるかもわからなかったし……でも、本当に二度と会えなくなるだなんて、その時は思ってもみなくて……っ」

 

「ロリさ、マリが帰ってから……オレの前で時々、『あ、今マリのこと考えてるんだな』って顔してることがよくあったよ。それ、オレじゃない誰かに恋してるんだな、みたいな眼差しでさ。なんとも言えないような悩ましい表情で溜息ついたりとか……気づいてた?」

 

「う、ううんっ。マリのことはよく考えてたけど、そんなふうには思ってないっていうか……」

 

 ロリは咄嗟に嘘をついた。実際に彼女は思春期の乙女が理想の騎士を夢見るように、頭の中でかつて書いた日記の世界にいた。出会った時には、相手が女の子のように可愛らしかったため、ロリは彼が男とは気づかず、女の子同士として仲良くしていた。けれど、彼が遠くヨーロッパへ留学し、帰ってきた時――実は男性であることがわかって恋に落ちる……何かそんな夢物語を。

 

「まあ、そういうことにしておいてもいいけど……オレは、マリのことは今も忘れられない。なんでって、ロリにはこのたとえでわかると思うけど、あいつがヒースクリフならオレもヒースクリフだっていうのか、マリがキャサリン役を嫌がるから、それならオレは五百万歩譲ってキャサリンかその娘のキャシーでもいいってことなんだけど、キャサリンはヒースクリフのことを愛しすぎるあまり、彼を自分自身に等しい存在だ、みたいに言ってる。『わたしはヒースクリフだ』ってね。マリの存在っていうのは、オレにとっても同じなんだ。難しい想像だけどさ、もしあの時……男のマリがロリと寝ていて、もともとロリとつきあってたオレが、ベッドでふたりがセックスしてる現場を発見したとする。この場合、オレは絶対マリのことを許さなかったと思うんだ。なんでよりにもよって親友のおまえがって、そう思ってね。だけど、マリはしぶしぶながらしょうがなくっていうんじゃなく、オレのことを許してくれた。正直に言えよ、ロリ。マリが男になって戻ってきたあと……少なくとも心の中ではあいつと浮気してたってことをさ」

 

「う、うん。でも浮気って言っても、そんなに深刻なことじゃなくって……そのあと、マリとルイーザを妊娠してからは、すっかりもう現実に戻ってきたみたいな、そんな感じだったのよ。それに、そんなこと言ったらルークだって……時々、やっぱりマリのことを考えてることがあるでしょ?ほら、あの時とか……」

 

 ロリははっきり『セックスしてる時』と明言はしなかったが、これだけでもルークには十分通じたらしい。

 

「そうだな。でもオレの場合だって、そう深刻なことじゃない。夫婦生活がマンネリ化して、それで時々マリのことを思いだすとか、そういうことじゃないんだから。そのことはロリにだってわかってるだろ?」

 

「うん、そうなの。ようするに、わたしたちはお互いに……すごく自分勝手とは思うけど、マリのことを愛してるのよ。それで、わたしがもし仮にマリのことを男の人として恋愛対象にしても、ルークは嫉妬しないし、わたしもルークがマリのことを思ってもし仮にわたしと寝ることがあったとしても……そこに嫉妬するとか、そういうことはとっくに通り越しちゃってるっていうか」

 

「それはどうかな」と言って、ルークは微かに笑った。「今、もしここにマリがいて、ロリとかつての復讐でもするみたいにオレの目の前でイチャイチャしだしたら、やっぱりオレはそこには嫉妬するよ。間違いなくね」

 

 このあと、ルイーザが目をこすりながらやって来、「ママぁ、おしっこ」と言ったため、ロリは一緒にトイレについていった。マリとルイーザに関しては、おしっこのしつけで困ることはそれほどなかったのだが、この間、ルークの母親が遊びに来た時――自分の息子のおしっこのしつけでは難儀した、といったような話をしていったことがある。

 

『あれは大体、ルークが今のマリちゃんやルイーザちゃんと同じくらいの年ごろだったかしらねえ。この子、トイレに連れていって「ちっこしなさい、ちっこ」って言っても、全然おしっこしないのよ。ところがね、全然別の時になんの前触れもなくジャーッとやっちゃう感じだったの。それでわたし、ある時ブッちぎれて、「トイレに来た時におしっこしなさいって言ってるでしょ!」ってヒステリー気味に怒鳴って、お尻をひっぱたいたのよ。かなり強くね。そしたら大泣きするでもなく、ジャーッとおしっこして、それからは自分ひとりでおしっこしたい時にはトイレに来て出来るようになったってわけ』

 

『そんな小さい時のこと言われたって、オレにはまったく記憶にないよ』

 

『ま、そりゃそうでしょうよ。子供っていうのは四歳で親孝行を終えるって言うけど、まったくそのとおりですものね。あ、でもこれは覚えてるんじゃなくて?ルーク、あんた小学六年生までおねしょ癖が直らなくって、林間学校の時どうしようとか悩んでたものね』

 

『母さん!可愛い娘たちの前で、オレの父親としての権威を貶めるようなことを言うのは、もうやめにしてくれないか』

 

(その点、マリとルイーザはそういうことは全然なかったのよね。やっぱり、男の子と女の子じゃそのあたり、違うってことなのかしら……)

 

 ルイーザはトイレから戻ってくると、そのまま真っ直ぐ子供部屋のほうへは向かわず、何故か両親の前で酔っ払いがよくやるように、くいっと「例のものを飲みたい」というような仕種をした。もっともこの場合、「水が飲みたい」という意味であったのだが、親馬鹿なふたりはただそれだけで、互いに顔を見合わせ大笑いしてしまう。

 

 けれど、せっかく父親がコップに水を入れ、「はい、どうぞ。深夜の水代は一杯2ドルで~す!」と冗談を言ったにも関わらず、ルイーザは一顧だにしなかった。

 

「それ、おみずじゃない」

 

 そう言って、イヤイヤをするように首を振り、母のロリのスカートの裾をしきりと引っ張る。

 

「それはね、ワンたんやニャーちゃんが飲むおみずなの。だから、ちがうの」

 

「ああ、ルーク。あれよ!今あなた、水道の蛇口から水だしたでしょ?ルイーザは天然のお山の水が飲みたいのよ」

 

 天然のお山の水というのは、冷蔵庫にあるミネラルウォーターのことではない。ここから南に一時間半ほど車を走らせていったところに、エトゥルク山というところがあり、その麓に神秘的な泉の湧く場所がある。ルークはわざわざそこまで行ってタンクに水を汲んでくることがあるのだが、安全な湧き水なので、健康被害といった心配をする必要はない。

 

「そう、これこれ」

 

 ルイーザはルークがべつのコップにお山の水をつぐと、なんとも言えない顔をして、にっこー!と笑った。

 

「お山の水を飲むと、もう水道の水はほんとの水じゃなくなるのよ」

 

「あら、ルイーザちゃんは随分立派な水評論家なのね」

 

(そんなにごくごく水を飲んだら、またすぐおトイレに行きたくなるわよ)と、ロリもルークも心の中で思っていたが、(まあいいか)と黙っておいた。

 

「ああ、おいちかった!パパもママもおやすみなさい」

 

 おやすみなさい、とルークとロリが言おうとした瞬間、部屋のドアの陰から、どこか恨めし気な視線と出会った。うさぎ柄のパジャマ姿のマリだった。

 

「マリだけ、ひとりぼっち……」

 

 すでに瞳に涙がにじんでいるのを見て、ロリはすぐにもうひとりの娘の元へ駆けつけ、抱っこした。母性本能に胸が締めつけられそうになりながら。

 

「ちがうのよ!ルイーザちゃんはね、おしっこがしたくなって起きてきて、お水を飲んでたってだけなのよ。なんだったらマリちゃんもお水飲む?」

 

 娘がこくこく頷いたため、ルークはすぐにお山の水をマリ専用のうさぎのコップに注いだ。すると、マリもすぐ満足そうににっこー!と笑う。

 

 自立心が強く、マイペースなルイーザと違い、マリはあまり自己主張することがなく、どちらかというと受身な性格だった。(きっとわたしに似ちゃったんだわ)と、ロリとしては溜息を着きたくなることもあるが、双子ながらすでにもうそうした性格の違いが出てきているというのは……なんとはなし、不思議なことでもあった。

 

 ルイーザはすでに自分でベッドによじのぼり、そこでくかーっという寝息とともにぐっすり眠っていた。ロリはその隣にマリのことをおろし、タオルケットを肩のあたりまでかけてあげる。

 

「ママ、ありがとう。大好き!」

 

「いえいえ、どういたしまして……」

 

 このあと、ロリは「大好き」と返事をするかわりに、可愛い娘の額にチュッとキスした。そして、子供部屋のドアを閉めてから――再び胸が締めつけられるように苦しくなり、その場に蹲った。涙がとめどもなく溢れて止まらなかった。こんなふうに、日々の小さな幸福に紛らせるような形で、きっと自分はマリの死がもたらすつらさから、どうにかして逃れようとするだろう。そしてそれは、どうしようもなく堪らないことであるような気がして仕方のないことだった。

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

 


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