
ええっと、実はわたしこちらの本、まだ最初から最後まで全部読んだわけじゃなかったり(^^;)
前回3Dプリンターに関することで参考にさせていただいたのは、レイ・カーツワイル博士の「シンギュラリティはより近く」の中に書いてあったことなのですが、書き終わって小説の第何回目かくらいをしていた時……ラジオに著者の方が出演されていたのです
それで、わたしがその時聞いていて興味を持ったのが、新型コロナウイルスやウクライナ戦争といったことがあって、コロナ感染者になった時、食事の調達をどうするかということや、今だったら物価高という深刻な問題があったりと……そもそも根本のところに「日本は食料自給率の低さ」ということがあるにも関わらず、そこからテコ入れしなければどうにもならないという危機意識の薄さ、というのでしょうか。わたしももうラジオの内容薄らぼんやりとしか覚えてないものの(汗)、「確かにその通りだなあ」と感じられることが色々語られていたように記憶してます。
それで、日本の食料自給率を100%にするには……ということに関連して、確か今から十五年後の2040年頃、未来の食はどう変わっているか――みたいなことも語られてたような気がします。他に、こちらの本ともう一冊別の本にも言及があって、とりあえずわたし、「3Dプリンターによるインクフード」といったことについて、自分の書き方が弱いというか薄っぺらいなあ……と思っていたので、その日すぐに本のほうを注文しました(笑
)。
ちょっとそのあたり、本の中から3Dフードプリンターに関する記述などについて、抜粋させていただこうと思いますm(_ _)m
>>スマートフードボックス(≓Beyond“冷蔵庫”)。
高度経済成長期(1955-1973)の三種の神器といえば白黒テレビ、洗濯機、そして冷蔵庫であった。冷蔵庫は食品保存の利便性を圧倒的に高め、家庭になくてはならないものとなった。あれから半世紀以上が経っているわけだが、カラー化、液晶画面になったテレビやドラム式になった洗濯機に比べ、冷蔵庫という家電に大きなイノベーションが起こったとは言いがたい。
スーパーで買ってきた食材をとりあえず入れる場所でしかなかった冷蔵庫。では、冷蔵庫が食におけるスマートフォンのごとく進化したらどんな世界になるだろうか。その名もスマートフードBOX。とりあえず冷蔵庫にスマートフォンの画面があるような形としてみよう。
初めて一人暮らしをする大学生のAくん。新居のアパートにスマートフードBOXが届いた。Wi-Fiにつなげ、自分のスマートフォンとペアリングする。健康データ、アレルギー情報や飲んだことのある薬、両親がよく作っていた料理のレシピや食材、近くのスーパーの情報など、アプリや情報がBOXにダウンロードされる。先ほどスーパーで買ってきた食材をBOXの中に入れると、その食材の内容や栄養情報、賞味期限などが瞬時に認識された。翌朝、このBOXの前に立つと、表情認識や睡眠データなどから、朝食に食べると良いものがお勧めされた。
>>3Dフードプリント機能付き家庭用調理ロボット。
2040年には、フードプリンターと調理ロボットが一体化しているかもしれない。さまざまな食材を、自宅で粉体化、ペースト化してデバイス直付のカートリッジに入れることにより、内蔵されている3Dフードプリンター機能を活用して、個々人が必要とする栄養素や嚙む力に合わせた食品、さらには自分がデザインした食品(パスタ、スイーツなど)を誰もが作れるようになる(なお、こうしたカートリッジはプリンターのトナーのような形で、ECやスーパーなどでも購入ができるだけでなく、フードトナーをデザインする店も生まれる)。
(「フードテックで変わる食の未来」田中宏隆・岡田亜希子先生著/PHP新書より)
といったようにあり、未来の食事情を想像する上で、とても面白いと思いました♪
ただ、@ドラえもんの秘密道具のように(笑)、「♪あんなこといいな、できたらいいな」という以上の現実性はあるとはいえ、わたし自身はそんなに未来の<食>について期待してない感じかもしれません(^^;)
もちろんわたし、北海道に住んでいるという関係もあって、日本の食料自給率を上げるのに北海道が果たす役割は大きいと思っていますし、農家さんや酪農家の方がもっと儲かってもいいとずっと思っているというか、そうしたシステムが出来るために政府は具体的に何をすべきなのか……とは、ずっと感じてはいるわけです。
フランスなどは食料自給率が百パーセントで、原子力発電を柱とした政策によって国に必要なエネルギーはすべて賄われるように出来ている、それがフランスという国の基本的な強みだ……的な話を聞いたことがあるのですが、日本は今後、原子力に本当に頼らなくなるかどうかはわからないものの、食料自給率については輸入に頼らず、少しずつでも上げていくために具体的に何かしなくてはならない――と誰もが思っているものの、現在の物価高という問題についても(わたしもそうですが^^;)、「まー、誰かがそのうちどうにかするんじゃね?」、「ほんとにヤヴァくなったら、政府の役人なんかがどうにかするんじゃね?
」くらいな感覚なのだと思います、たぶん
ちょっとそのあたりのことも知りたいので、本のほうはあらためてちゃんと読みたいと思っているものの、「ヴォーグで見たヴォーグ」みたいに途中で他の面白い本に引っかかってしまうと、とりあえず一旦そちらに夢中になってしまうというか(^^;)
他にも色々読みたい本というか、読まなきゃならない本がたくさん積んであったりするものの――わたし本読むの遅いので、なかなか読書のほうがさくさく進んでいかなかったりするのです
それではまた~!!
永遠の恋、不滅の愛。-【27】-
『妊娠って……あんたマジっ!?』
ミカエラの妊娠のわかったのが、その年の四月にあった復活祭後のことだった。ディアナおばさんはミカエラ・ヴァネリの公演キャンセル、病気の治療に専念するため無期限休業――といった発表後は、随分落ち着いた態度によってこちらと接してくれるようになっていた。
とはいえ流石に妊娠の報告をすると、彼女はやはり顔を青ざめさせ、こめかみのあたりに血管の浮きでてないのが不思議な形相をしてのち……一度深呼吸すると、冷静な顔つきに戻って話を続けた。
『で、生むつもりなわけ?』
「ええ、まあ……そのう、少し前に子犬を買ってきたんですが、不慮の事故で死んでしまいまして。ミカエラがあんなに落ち込んでいるところを見たのは出会ってから初めてでした。それで、その少しあとに妊娠したことがわかって……」
デバイスの向こうにいるディアナの背後では、バレエダンサーたちが練習室のようなところでバーレッスンしているのが垣間見えた。ピアノの伴奏に合わせて「タンデュ」だとか「グランバットマン」という他のバレエ講師の声が微かに聞こえる。
『フーッ』と、はっきり大きく溜息を着いてからディアナは言った。『私はもうわざわざ、あの五歳児のガキに子供が育てられるのかだとか、マトモなことを忠告するつもりはないわよ。バレリーナとしてのミカエラ・ヴァネリのことを完全に諦めたってわけでもない。でも現状、あの子のバレエに関する記憶がない以上どうしようもないことだと思って、その点については一度諦めてからは心を切り換えることが出来たのよ。となると、自分の記憶がなくてちょっと精神的におかしい障がい者になった娘のことをあんたに都合よく押しつけてるような罪悪感が生じなくもない……そんなわけでね、ショックにはショックだけど、おばあちゃんになる楽しみなんてものが突然にして降ってわいてくるとは思ってもみなかったわ』
「そ、そうですか……」
ひとしきり説教されるだろうと覚悟して電話したため、ディアナが落ち着いて受けとめてくれたらしきことに俺は心底ほっとしていた。
『だけど、あんたも大変ね。あんたたちがもしパリにでもいるっていうんなら……私のほうでも何かちょっとくらいは手伝ったりできたんだろうけど、物理的にこんなに距離があるっていうんじゃどう考えても無理だものね。元のミカエラは一度堕胎を経験してるし、以降は「もう絶対に二度と子供はいらない」って心に決めてたのよ。そりゃバレリーナの中には妊娠・出産してから、大変な思いをして復帰する場合もあるけど、あの子は普通じゃない才能の持ち主だったし……つきあってた男のことが私のほうで気に入らなかったりとか、まあ色々あったわけ』
「そこまで聞いただけでもなんとなく……想像は出来る気がします。以前にも申し上げたとおり、ミカエラのことは俺の命を懸けても守るつもりでいますが、妊娠中も出産そのものも出産後も――同じ年齢の女性が出産する以上にミカエラにとっては大変なことだと思っていて。今はまだ妊娠初期で、つわりといった症状もそんなに出ていませんし、本人もただ「赤ちゃんがいるのよ!」といった感じでお腹を触って喜んでるけど、これから日常生活を送るにもいつも以上に大変だと思うんです。無痛分娩だなんて言っても、麻酔が切れた途端に突然痛みが襲ってきたとか、女友達に経験談を聞いただけでも……俺自身、自分が生むわけでなくても苦しくなってくるくらいでした」
『それはあんたも頭が痛いわね』ディアナは微かに笑ってそう言った。彼女は厳しい人間であるのは間違いなかったが、それゆえにこその優しさを持っている人でもあると今や俺にもよくわかっていたのだ。『私も自分が子供を生んだことあるわけじゃないから、なんのアドバイスもしてあげられないけどね。今のミカエラがそのうちお腹が大きくなって、感情もどこか不安定で意味もなくしくしく泣きだしたり、そのたんびにあんたがオロオロして慰めたり……かと思えば夜中に突然「パイナップル食べたいっ!!テディ、パイナップルっ!!」だの、家の冷蔵庫にないものを食べたいってわめきだすとか――ほんと、あんたには同情しちゃうわ。でも今の私に言えるのはただ、「そんなしょうもない娘だけどよろしくね」ってことくらいよ。私ね、今じゃ運命を恨みつつも、あんたには別の意味で感謝してるのよ。もしあんたがミカエラのことを任せても大丈夫だろうってまるで感じられないような男だったら……今も四六時中やきもきしてなきゃならないくらいだものね』
「ええ……俺はミカエラに相応しい人間ではまるでない自覚があるだけに、妊娠中は特に、彼女の奴隷か何かにでもなったつもりで忠実に仕えたいと思っています。それと、余計なことかもしれませんが、ディアナはすでに何十人、あるいは何百人もの子供を持っているようなものなんじゃないですか?普通の男女であれば、今の社会で子供を生むのは平均して二~三人くらいです。でも、それ以上の数のバレエの娘や息子をあなたが持っているのは……ひとりかふたり子供がいて育てたということ以上に、真に偉大なことだと思います」
『ほほほ。こんな厳しいババア、もし自分の親だったら絶対イヤだとその子たちはみんな思ってることでしょうよ。だけど本当に悩ましいものよね……これだけ科学が進歩しても、子供のことは優秀な遺伝子だけ掛け合わせてコピーするみたいに増やすってことは出来ないんですものね。あ、そんな社会になりゃいいのにって思ってるわけじゃないのよ。それだけ奇跡的なことが起きたんだと思って、無事元気な赤ちゃんが生まれることを願ってるわって意味よ』
ミカエラは嫌がったが、このあと彼女にも電話に出させて、ディアナと短い間話をさせた。パリ・オペラ座のエトワールであるミカエラ・ヴァネリを諦める……そうした心の整理がついてからは、ディアナは今のミカエラに対して急に優しくなっていた。この時も『テディの大切なお仕事の邪魔したり、余計な心配をかけたりするんじゃないのよ』、『あんたみたいな子がこんなにいい旦那さんに恵まれるだなんて、本当に運が良かったんだと思って我が儘言ったりしたいのよ』だのと、色々注意していたようである。そして、ミカエラのほうでもディアナの態度の変化を敏感に感じとり、『うん。うん……ありがとう。ミカエラ、ほんとのミカエラじゃないのに、ありがとう、お母さん』――などと言って最後には泣きだしていたのだった。
妊娠の報告については、もちろんルネにもしなくてはならなかった。けれど、先にディアナから聞いていたせいだろうか(『あんたからは言いづらいでしょうから、先に私から伝えておくわ』と言われたのである)、優しい彼は思っていた以上に平静だった。
『いずれこうなることは覚悟してたからね。とにかくおめでとう』と、そう言って祝福してくれた。『テディとミカエラの子なら、男の子でも女の子でも可愛いだろうなあ。大体その頃……生まれてからニューヨークへ行けそうな時に必ずディアナとスケジュールを合わせて一緒に行くよ。テディにしてみたらさ、変なことを言う男だって感じかもしれないけど、自分の子だったかもしれないって思うと、なんかどうしても会ってみたいんだ』
「うん。ルネとディアナのことなら、いつでも大歓迎だよ。あれから俺もバレエについて少しくらい勉強したりしたんだ。それで、動画を色々見たりしてて……ルネの『若者と死』とか『ペトルーシュカ』、本当に素晴らしいなあと思って。もちろん他にも色々あるけど、俺、結局のところバレエの技術的なことっていうのはよくわからないからさ」
『ああ、動画で再生回数多いのはたぶん、かなり昔の……若い頃のが多いんだよね。ローラン・プティ振付の「若者と死」はたくさんの有名なバレエダンサーが踊ってきてるし……『ペトルーシュカ』はまあ、ああいう内容だろ?コンプレックスだらけの藁人形なのに、人間の心に近い情熱を持っていて、それでいて人間にはなりえないみたいなさ。ストラヴィンスキーの音楽もいいけど、内容のほうが好きなんだ。ペトルーシュカは最後、哀れにも惨殺されてしまうのに、「人間かと思ったらただの人形か」ということで話のほうは済まされてしまう。でもその後、殺されて死んだはずであるにも関わらず、ペトルーシュカは幽霊のような存在として登場するんだ……もしかしたら今はアンドロイドの隠喩のような形で演出したら面白いかもしれないな』
「前まではミカエラが嫌がるから彼女の出演してるバレエとか、隠れてこっそり見てたんだけど……最近は俺がそんなことしてるって知っても嫌な顔しなくなったから、ルネと一緒に出てたものとか色々順に見てるんだ。本当に息もぴったりで、ルネもミカエラも役が憑依してるみたいな感じに見えるところが、なんていうか……」
『うん、ありがとう。でもほんと、おれなんか「春の祭典」で踊る生贄の乙女であるミカエラの、そのまわりで踊る数いる男たちのひとりといったところだよ。それと同じように、たくさんの世界的に有名なコリオグラファーがミカエラ・ヴァネリの踊りにインスピレーションを得て、彼女のために作品を捧げてきた。そうした中でおれもミカエラと共演できて幸せだったし……今も、仕事に専念して必死に彼女のことを忘れようとしてるとか、実はそういう感じじゃないんだよ。舞台のどこか、レッスン室のどこかにミカエラはいつもいて、時々彼女と一緒に踊ってるように錯覚することさえあるくらい』
「ほんとに、ごめん。俺、なんていうか……」
『ああ、いいんだ。違うんだよ。おれたちの間に起きたことは、誰が悪いっていうような話じゃない。ただ、不思議なんだ。なんでって、ミカエラは死んだってわけじゃないからだ。だけど、おれの愛していたミカエラはもう存在しない……その不在に慣れることは、おれの中では今後ともない気がする。でも不在だなんて言っても、心の中を探せばミカエラはいて、不滅の存在のように何度も甦る彼女はまるで――おれにとっては永遠に生き続けるバレエの精か女神みたいに思えるんだ』
「…………………」
俺はなんて答えていいかわからなくて黙り込んだ。ロマンティックでとても素敵な話だと感じたけれど、そのままそう言ってしまうのは何か陳腐な気がしたそのせいだった。そのあと、ルネはまったく話題を変えて、ミカエラの出産予定日がどうこうとか、大変だろうけど頑張ってとか、いつもの彼らしく優しく気遣ってくれた。
(いい奴すぎて苦しい……)
いつか、誰か自分が恋敵に対してそんなふうに思う日がやって来るなどとは思ってもみなかった。そしてそんな人間であるルネのことを同時に羨ましいと感じつつ、その日もなんとも言えぬ気持ちで俺は彼との会話を終え、通話ボタンを切っていた。
「ルネがミカエラのこと、すごく心配してたよ」
俺は自分の仕事部屋を出ると、キッチンで料理するシズカの隣でつまみ食いしているミカエラに、そう声をかけていた。
「ルネはとってもいい人だと思うけれどー」と、ミカエラはこの日も彼に対して平気で残酷なことを言った。「テディが無理して彼につきあう必要まではないのよ?第一、変じゃない。言ってみればルネはわたしの知らない昔の恋人、元カレなのに今カレっていうか、結婚してミカエラの旦那さまになったテディと一体何を話すっていうの?」
「ルネがいい奴だからこそ、話すことなんて友達としてたくさんあるんだよ。なんにしても子供が生まれたら、ディアナおばさんとスケジュールを合わせて一度こっちに会いにくるって」
「やだあ~。ディアナおばさんはなんか仕方ないけど、どうしてルネまで一緒にやって来るのかしら?わたし、ルネのことがキライってわけじゃなくて、本当にいい人だと思ってるのよ。だけど、なんかあんまし会いたくないの。なんでって、自分の知らない前のミカエラのことをこの人は色々知ってるんだって思うと、なんだか落ち着かなくなってくるんですもの」
(確かに、今のミカエラとしてはそうなんだろうな)と俺は思った。(俺だって、自分がある日突然記憶喪失になって『あんたのああいうことも知ってる』、『こういうことも知ってる』と言われなくても、そうした意味深な目でじっと見られたとしたら何か堪らない気がする)
シズカはこの日、夕食にアクアパッツァを作っていた。ドローンでそうしたミールキットが週に二度届き、そのレシピを読み込むと、食材を分量通り鍋やフライパンへ放り込み、器用に調理してくれる。ミカエラの妊娠発覚後、もう一体彼女の身のまわりの世話をするもっと高性能なロボットを購入しようかと思っていたが、ミカエラにはきっぱり「絶対いらないっ!!」と断られていた。「きっとシズカが口に出しては言わないながら、絶対嫉妬すると思うの。自分よりも高性能な彼なり彼女がいれば、自分はもう必要ないんじゃないかなんて落ち込んで、突然壊れちゃったりするかもしれないわ。ミカエラ、そんなの絶対いやだもの」
もちろんこれは、理屈に合わない話ではある。シズカは他の高性能なアンドロイドに嫉妬するほど高度に設計されたタイプのロボットではないからだ。けれど、セラフの時もそうだったように、ミカエラはシズカに対しても「人間のような心がある」といったように想定しているわけだった。そしてそれは「あるかどうかわからない」といったような曖昧なものではなく、彼女の中では「間違いなく絶対にある」と確信しているものなのだった。
そうなのだ。セラフは犬だったかもしれないが、ミカエラにとっては家族の一員であり、シズカもロボットかもしれないけれど、彼女にとっては大切な家族の一員なのだった。ミカエラのことを外へ連れだし知人などに紹介しても、なかなか友達は出来なかった。ある意味、ミカエラは潔癖なまでに純粋なのかもしれない……と俺は思ったりもする。人間の心の醜さや汚さに敏感で、むしろ犬や猫のような動物や、人間に対して悲しいまでに忠実なロボットのほうに共感する力のほうが強いのだろう。
(本当は、俺なんかよりルネのほうが百倍も二百倍もいい奴なのに……今のミカエラにそのことがわからないんだなんて、ある意味皮肉なことだよな)と、俺はそんなふうに思い、彼女に気づかれぬよう心の中でそっと溜息を着いた。
『あんな五歳児が妊娠だなんて、大丈夫なのかしらね』と、出産時のことだけでなく、妊娠期全般のことについてディアナは心配していたが、ミカエラは毎日我が子に語りかけつつ、出産に向け熱心に色々なことを日々勉強していたものである。そうした妊婦の教室にも積極的に参加し、いわゆるママ友らしきものも出来たようで――俺はミカエラに初めて友達が出来たことに、心からほっとするものすら感じていた気がする。
けれど、俺も出産準備教室のようなものにミカエラと一緒に出席し、パパ友が出来たのも束の間……妊娠が五か月目に差し掛かった頃のことである。何故なのだろう。ミカエラは情緒不安定になり、塞ぎこんでいたかと思うと夕方頃にははしゃいで元気になったりと、様子が少しおかしかった。「どうかしたのかい?」と、俺は何度も聞いたが、ミカエラはただかぶりを振るだけだった。そして「なんでもないの」と言い、それでいて夜になると「テディ、ミカエラなんだか不安なの」と、心細そうな声で言うのだった。
「テディがこんなに愛してくれて、今までずっととっても幸せで……ずっとこれからもそんな日々が続いていくんだわと思っていたのに、セラフが死んじゃって……ミカエラ、悲しくって悲しくって。そのあと、テディがもし死んじゃったらって想像しただけで、ミカエラ、どうしていいかわからなくって。でも、そんな時に新しい命を授かったことがわかって……理由はないんだけれど、ミカエラまた、これで大丈夫だって思うようになって。だけど、テディがこんなにダメなミカエラのことを愛してくれるんだから大丈夫って思うのに……どうしてなのかしら。ミカエラ、どうしてなのかわからないけれど、堪らなく不安なの。この子はテディの子だから、きっと絶対いい子に育つわ。そのことはわかってるからいいの。大丈夫なの。生む時は痛いかもしれないけど、麻酔してもらっても大変かもしれないけど、そんなこともきっと絶対耐えてみせるわ。だけどミカエラ、何かがとっても怖いのよ。だけど特にこれといって理由はないの。ただ時々、すごく不安で怖くなるの。そしてそれは、テディがこんなに愛してくれて幸せで怖いっていうのとは全然違うものなの。うっかりホラー映画とか見ちゃった時みたいな、すごく怖くて不安な感じっていうか……」
「うん。わかるよ……それは、地に足をつけてしっかり生きていくのが怖いっていうことにも似た何かなんじゃないかな」
俺はその日もミカエラの体をマッサージしたあと、彼女の横で眠りにつきながらそう言った。
「俺だって、いい父親になれるかどうか、すごく不安で怖いよ。これから先もミカエラにとってのいい夫というやつでいられるかどうかっていうことも怖い。子供のことでは心配してないよ。先生の話じゃ、今のところ順調で何も問題ないってことだったし、何よりこの子はミカエラの子だ。そう思ったら間違いなくいい子に育つだろうっていう自信もある……だけど、将来のことは誰にもわからない。よく考えてみたら三十分後のことだって誰にもわからないんだ。ミカエラ、俺だってそういう意味では怖いよ。いつか君は俺に対して『なんでこんな奴と結婚なんかしたんだろう』って思う瞬間がやって来るかもしれない。子供のほうでは『なんでこんな奴が自分の父親なんだろう』なんて内心思うかもしれない。俺のまわりって、小さな頃から親戚にしても近所の人にしても――家庭生活があまりうまくいってないっていうか、問題があっても逃げて逃げて逃げ続けて終わったみたいな、そんな人ばっかりでね。それなのに自分だけそうした反面教師から学んでうまくいく?そうは問屋が卸さねえよっていうか、俺にはどこか、最初から結婚とか家庭ということについてネガティヴな思考が身に着いてる気がする」
「ミカエラ、テディからその話、まだ聞いてないかも……」
「くだらないありふれた、どこにでもある、ありすぎる話だよ」と、隣のミカエラの耳許に、俺は囁くように言った。彼女は真っ直ぐ天井を向いたまま、時折顔だけ傾けて俺のほうを見ている。「俺の父親とおふくろが離婚した話は前にしただろ?でね、母さんは三人姉妹の真ん中なんだけど、上の姉さんも下の妹も、それぞれ俺の父さんとは別の理由で他に愛人がいるんだ。そうだな……とりあえず、母さんの姉さん……まあ、俺の伯母さんだね。ローズ伯母さんのことを話すのが一番いいかな。随分会ってないけど、たぶん今は孫もいて幸せだろうとは思うんだ。隣の州に住んでたからさ、夏休みとか感謝祭とか、お互いの家をなんとなく行き来する機会っていうのがあって。うちは家計的に真ん中よりも下って感じだったから、裕福なローズ伯母さんの子供ふたりはちょっとこっちを馬鹿にしてる感じだった。だから俺はこの従兄弟たちとは本当の意味ではまるで仲が良くなかった。兄貴のダンは意地悪な奴だったし、弟のディーンのほうはちょっと変わってて話がまるで合わなかった。でも、ローズ伯母さんの家へ行くと、「子供は子供同士で」みたいな感じで仲良くするよう強制されたりするだろ?ダンは近所の子供たち数人のガキ大将みたいな奴で、彼と言い争うような手下の子分はいないみたいな雰囲気でね。俺ははっきり絶対的に彼のことが嫌いだったし、手下の子たちを顎で使う様子もまったく気に入らなかった。まあ、このあたりについては話すと長くなるから端折るにしても……彼ら兄弟の父であり、ローズ伯母さんの夫である人に愛人がいるらしいっていうことは、俺は随分前から知ってたんだ。なんでかっていうと、母さんによく電話してきて互いにそんな相談をしてたからね。どんな人なのかまでは知らないけど、『飲み屋の娼婦みたいな女』って話だった。そちらに結婚して半年後くらいには半分住んでるような状態で、そっちと自分の家を都合よく行ったり来たりしてるんだね。ローズ伯母さんはふたりも子供がいるし、見てみない振りをすることにある時決めたってことだったけど……それにしてもって話だ。ローズおばさんは優しくて、料理が上手で、誰からも好かれてるような感じの人だったのに、たまたま何か運悪く、そんなしょうもない男に引っかかっちゃったんだね。それでダンのほうが特にこの父親の愚鈍な血を色濃く引いたというのか、悪いところを似せたような性格をしてるんだ。ローズおばさんは子供たちが成長するまで耐えに耐え、ところがこの息子たちはふたりとも、優しくこまやかな母親の愛情を当たり前のようにたっぷり注いでもらい、そのことにそれほど感謝もせず、都会暮らしに憧れて出ていった――何かそんな感じだった。父親はDロボティクス社っていうところの管理職でね、給料自体は結構よかったらしく、いい家に住んでたし、ピカピカの車も車庫に収まってた。でもローズおばさんは息子たちが家から出ていくと、いわゆる空の巣症候群というのか、「自分の人生は一体なんだったんだろう」って一度考えたらしい。とにかく、母さんの話じゃそういうことだった。俺、その頃ちょうど、仕事の取材でさ、ローズおばさんの家の近くを通りかかるなあと思って、ちょっと寄ることにしたんだよ。そしたら……」
「そしたら?」
俺がほんの一瞬間を置くと、ミカエラはそんなふうに言って先を促した。彼女はいつでも、俺の話すことはなんでも大事だとばかり、他愛ない世間話ですらとても熱心に聞いてくれる。
「心優しいローズおばさんは、テディが訪ねていったらどうしてたの?」
「家のほうがね、もうドアや廊下や何かしらに至るまでピッカピカに磨いてあった。ローズおばさんは万能主婦みたいな感じの人で、料理も上手なら掃除も好きで、いつも家の中も外の庭もすごく綺麗にしてるタイプの人ではあったんだ。『姉さんはちょっと潔癖の気があるのよ』って、母さんはよく言ってたけど……たぶん、息子がふたりとも家から出てって、家を綺麗にするのに磨きがかかったっていうのかな。もともと、旦那さんが浮気してて心がモヤモヤすると家中掃除するとか、そういう話は母さんから何度も聞いてたんだ。俺が訪ねていった時も、両手にゴム手袋をはめて、二階に続く廊下のところを消毒するみたいな感じで徹底的に綺麗にしてるところだった。裕福な家だったから、天井から釣り下がるシャンデリアとか、家具類とか、俺の家じゃとても買えないようなものばっかり並んでるんだけど――幸福な家庭の匂いだけは何故かしない、そんな感じの家だった。俺が小さい頃、ローズ伯母さんは少しふっくらした感じの人だったけど、この時はかなり痩せていてね。一目会った瞬間、何かの病気なんじゃないかと思ったくらい……それで、俺が訪ねていった時、最初に言った言葉っていうのがさ、『アンジーから何か聞いたのね!?』っていうことだったんだ。ようするに母さんがさ、『ちょっと姉さんのことが心配だから仕事で近くまで行くんなら様子見て来てよ』って頼んだんだと思ったんだな。でも母さんは俺にそこまでのことは言わなかったし、俺は単にローズおばさんのことが好きだったから、あの嫌いだった兄貴がいないなら訪ねてみてもいいかなって思っただけなんだよ」
「ローズおばさん、大丈夫だったの?」
「う~ん。正直、全然大丈夫そうな感じではなかった。だけど、母さんから間接的に聞いて大体のところ俺はなんでも知ってたけど、『旦那さんが浮気してて大変ですね』なんて言うわけにもいかないし、『おばさんがあんなに愛情深く育てたのに、あの恩知らずな息子は今どうしてます?ひとりはバンド活動に熱中して「必ずビッグになる」とか言って大学を中退したし、弟のほうは今、何かちょっとおかしな新興宗教に嵌まってて頭痛いって聞きましたよ』なんて本当のことを言うわけにもいかない。結局、俺にその時出来たのは、小さな頃感謝祭の時なんかにやって来た時、おばさんの焼いてくれたケーキやターキーがどんなに美味しかったかとか、この家へ来るとそんな懐かしいことが思い出されるなあ……なんていう当たり障りのない話をすることだけだった。あとは母さんに電話して、ローズ伯母さんはちょっとおかしいから、電話だけじゃなく、直接会いにいって一度じっくり相談に乗ってあげたほうがいいと思うって話すことだけっていうかね。まあ、悲しいことだよ。俺がローズ伯母さんの息子なら、毎日こんなに美味しいものを作ってくれる母さんがいて自分は幸せだとか、小さな頃はそれが当たり前でも、大きくなってからはそのことを心から感謝しただろう……なんて思ってみても、実際は難しいよな。結局俺も、どこか愚鈍な三人目の息子、みたいなことになってたのかどうか」
ここで俺がさもおかしくて仕方ないといったように笑いだしたからだろう。ミカエラは奇妙に感じたらしく、俺のほうをじっと見た。今の話の流れから、何故俺が笑っているのかわからなかったのだと思う。
「なあに?テディ、一体何がそんなにおかしいの?」
「それがさあ」と、俺はどうにか笑いを静めて続きを話した。片手で自分の頭の横を支えながら。「兄のダンの奴はね、その後結局ビッグにはなれず、バンドのほうは解散して家に帰ってきたんだ。親父はその頃専務だったかなんだか、会社の重役に昇進してたらしく、そのコネで息子のことを自分の会社に入れたんだよ。その頃、おじさんも愛人から捨てられるか何かして家に戻ってくると、ずっといるようになったってことでね……ダンはその後、地元の高校時代の同級生と結婚して、ローズおばさんはふたりの間に子供が生まれると、今度は孫の世話に追われて幸せに暮らすようになったってことだったんだ。弟のディーンはその前後に新興宗教の熱が冷めて、カトリックの神父になったらしい。それで、ローズおばさん自身はプロテスタントなんだけど、そのことを今ではすごく誇りに思ってるみたいだ」
「テディ、でもそれなら、どうして笑ったの?そんなに笑わなくちゃいけないこと、何かあったかしら?」
「ああ、うん……こんなこと、清らかな君に聞かせていいようなことじゃない気もするけど……そのあと、随分久しぶりにダンの奴に会ったらさ、昔の面影がまるでなくって、まだ若いはずなのに頭髪のちょっと薄いデブになってたんだ。どう言ったらいいかなあ。昔の威張りくさってたハンサムなあいつとは違いすぎててびっくりしたんだよ。あいつがハンサムな格好いい奴であればこそ、『こいつ、なんか性格悪いよなあ』と内心では思っていても逆らえなかったっていうのに……一体この変化はどういうことなんだろうと思ってね。なんにしても、俺個人の器の小ささのことはともかく、大切なのはあの心優しいローズおばさんが、今は孫の世話を焼いたりなんだりで幸せに暮らしているらしいってことだよ」
「じゃあ、よかったのね。最後はみんな幸せになって……」
「まあ、結局人の家庭のことはわからないけどね。単に俺はね、結婚してこんなに不幸だ――みたいな話ばかり、小さな頃からずっとあらゆる方角から聞かされてきたってことなんだ。ネットなんかじゃ『夫がああしてくれてハッピー!』とか、『子供たちとこんなに楽しく休暇を過ごしてます!』っていうSNSの投稿をよく見かけるだろ?だけど、俺のまわりにほとんどそんな人はいなかった。確かにね、日々のある瞬間をそんなふうに切り取ったら幸福だし、結婚も家庭生活も幸せなのかもしれない。でも俺は、自分のことに関してそんなふうに楽観して考えたことは一度もなかった。だから結婚に夢も持ってなかったし、それでもうっかり子供が出来て結婚したような場合……まあ、その子供っていうのも俺が子育てに熱心じゃなかったからといったような理由じゃなくても、お互いの間に何か問題があって喧嘩してるかもしれない。とにかく、俺が不安で心配なのはそんなことなんだよ。ローズ伯母さんみたいに粉骨砕身して結婚にも生まれた子供たちにも忠実で献身的であったとしても――自分の努力によって幸せになれるとは限らないとか、そうしたことがね」
「そうね。もしかしたら、そんなものなのかもしれないわね……」
ミカエラが悲しそうな顔をして、心細そうな声で言ったため――俺はローズ伯母さんの話をしたことを急速に後悔しはじめた。
「違うんだよ。これはね、そんなふうに思っていたのに、実際にはミカエラみたいな可愛い奥さんを持てて、子供も健康に生まれてきそうで幸せだっていう話を俺はしたかっただけなんだ」
「わかってるわ。他の人は他の人、わたしたちはわたしたちよ。テディ、前にもわたしに話してくれたことがあるでしょ?そうした不幸なまわりの人たちの例をたくさん知ってるし、自分の両親がよく喧嘩したりして、結局最後には離婚してるから……そういう思いを自分の子供にだけは絶対させたくないんだって。わたし、あなたのことを信じてる。マタニティ教室のビアンカなんかは『ニューヨークの男が浮気しないわけないでしょ!だから私、そのことでは絶えず夫に目を光らせてるのよ』なんて言ってたけど……」
「うん、まあね。その言葉には俺も結構なとこ、賛成ではあるよ。だけどまあ、俺は中西部の田舎から出てきたような人間だからね。洗練された都会の男っていうのとは、そもそも根本のところがちょっと違うんだ。そう言えば、母さんの妹のデイジー叔母さんはね、ニューヨークの出版社に勤めてたんだけど、旦那さんがカメラマンでさ。まあ今はカメラマンっていうと誰が撮っても同じとまでは言わないまでも――AIアンドロイドが大体のところこちらの意図を察知していい写真を撮影してくれる。そういう中でプロとしてやってる人なんだけど、なんかすごくモテる人らしくね。だけど、自分も忙しいし、見て見ぬ振りをしてるとかって。今はふたりともコネチカット州のほうに引っ越したんだけど、俺がこっちの大学を受験するっていう時にはすごくお世話になったんだ。デイジー叔母さんはライフスタイルを狂わされたくないから子供はいらないってタイプの人で……ケビンも似たような考え方の人だったらしい。なんていうか、ふたりとも利己的といった感じの人たちではないんだけど、今の世の中で子供がまともに育つと思えないというか、今の時代に子育てしていく自信が持てないっていうか、そうした意味で価値観が一致してたんだな」
「…………………」
ミカエラは黙り込み、暫くするとすーっと寝入ってしまい、微かに寝息を立てていた。俺は叔母さん夫婦の価値観も理解できる――といったような話までは当然しなかった。というより、自分もそんなふうに考えるからこそ結婚にも子育てにもなんの夢も抱いていない……ミカエラと出会う前の俺は間違いなくニューヨークによくいるそんなタイプの独身男だったからだ。
叔母さんの結婚相手のケビン・オーランドは幼少時に虐待されたことがあり、赤ん坊や、小さな子供を見ると自分の惨めだった幼少期のことを反射的に思い出してゾッとするという人だったし、デイジーおばさんは自分が子供を生んで一緒に育てることで、そうしたケビンのトラウマを癒したい――という気持ちがないわけでもなかったらしい。だが、それ以上にふたりの姉の不幸な結婚生活やその愚痴を聞くうち、そんな博打はとても打てないと思うようになったのだという。むしろそのことで、ケビンの心が離れていくことのほうが怖かったといったようにも……。
また、俺には他にもケビンのことを責められない理由が色々と存在した。ニューヨークの大学へやって来た当時、俺は中西部の田舎からやって来たおのぼりさんだったわけだが、その後同じ大学のサークルやバイト先の女の子と交際したりということはあった。大学の研究室に職員としていた頃までの俺は、それでもまだ生まれた時からニューヨークに住む都会っ子とはほど遠く、微かにまだ訛りが残っていたといったような理由によってでもなく、大抵の人に「あんた、絶対ニューヨーク出身の人じゃないだろ」と見破られたものだった。また、そんなまるで洗練されていない田舎のイモ感濃厚な俺だったが、その後変わったのが、正式にN社のコラムニストを名乗ることが出来るようになってからだったろうか。
嫌々ながらも研究室を辞めざるをえず、かと言って文筆業だけで生きていけるほど世の中甘くはない――というか、来年には家賃を滞納してニューヨーカーではなくなってるかもしれん……と怯えきっていたのだが、とにかくまあ、医療業界、介護福祉業界、IoT業界、スポーツ界などなど、コラムのテーマになりそうなことを取材してはなるべくわかりやすいように短くまとめ、そこに人間味とユーモアをプラスすることを常に忘れなかったことで(言うまでもなくこの点において俺は尊敬する先達を見習ったわけである)、編集長から「そろそろ君の座は他のコラムニストに譲ってもらいたい」と勧告されるでもなくどうにかやってきた。けれど、そんな中で「ちょっとした知り合い」になった女性に俺は妙にモテだしてしまったのだ。クラブへ行き、その場限りの知り合いとなってトイレでファックするだのいうことは、俺の中では完全に映画かドラマだけの話であり……実際にニューヨークに住んでいてさえ、そんな経験は間違いなく一度もなかった。
ところが、場所はニューヨーク市とは限らなかったが、急にそんな機会に恵まれだすと、俺は最初の頃は少しお調子に乗り、何人かの女性の心を傷つけたことがあったし、そのたびに一応反省はするのだが、気づくと再びまた同じことを繰り返していたり――そんな中、(そろそろこんなことはやめにしないと……)と初めて俺が真剣に思ったのが、他社の仲のいい同業者がストーカーにあって訴えられそうになっていたことだった。
つまり、俺と同じように右の女性にも「君のことを一番に愛してるよ、ハニー」と言い、左の女性にも「以下同文」といった言葉を繰り返すうち、「都合よく利用されているだけ」と気づいた女性が、俺の同業者の友人――リアム・モートンの行動について詳細に調べ、自分と同じ目に遭っていると思しき女性たち全員に警告して回ったのだった。
「まったく女という奴は恐ろしい」と、その頃リアムは語っていたものだ。「それでも訴訟についてはようやくのことで取り下げてもらったが、テディ、おまえも気をつけろよ。正直おれはコレをいつまでも続けられるもんだと思ってたんだ……だが、そうじゃなかった。本社のほうにもおれがいかに最低な男かといったことを訴えるメールをしつこいくらい送りつけてきたり、こうなるとおれにしても自粛せざるをえないじゃないか。以来、人生がすっかりつまらなくなったよ」
俺にしても心当たりは大いにあったから、リアムの話にすっかり肝を冷やすと、(ひとりの女性とつきあっている間は二股をかけてはいけない)という法則を己に課すことにしたわけである。そしてミカエラに出会った頃というのは、「バカンスの時期に一度も会えないし電話できないかもしれない」なんていう恋人は願い下げだというわけで、偶然俺は本当にたまたまフリーだったのだ。とはいえ、ロドニーやフランチェスカたちとバルバドスやグレナダ、トリニダード・トバゴといった国をまわっていた頃も、そうした以前からある衝動がなかったわけではまるでない。それでもミカエラから「わたしがいるのにどうして……」という悲しげな眼差しを向けられると、俺は自分がひとりの人間としても男としても最低な恥ずべきことをしようとしているのだといったような、そんな気持ちにさせられていたわけである。
(でも今は本当にこれで良かったんだと、心からそう思える……)
妊娠五か月目だったこの頃、ミカエラはその後も妙に情緒不安定で、「何故なのかわからないけどミカエラ、とっても悲しい感じがするの」とか、「テディがこんなに愛してくれて幸せなのにどうしてって思うのに、やっぱり怖くて不安なの」と、まったく同じ文言を繰り返すことがよくあった。おそらく妊娠してホルモンバランスが乱れているといったような理由なのだろうと俺は思い、ただひたすら彼女のことを慰めたり、お腹の子供に童話の読み聞かせをしてみたりと、「いつか今この瞬間のことも懐かしい思い出に変わる」と信じていたのだった。
だが、妊娠半年目となろうかという時……俺たちの間には信じられないことが起こった。その日の夜も、ミカエラは「テディ、わたし怖いの。いつかあなたがどこか遠くへ行ってしまいそうな気がして……きのうも夢を見たわ。暗い宇宙の中、テディによく似た人がどこか寂しそうな顔してるの。それでね、隣にいるミカエラはわたしによく似てるけど、全然違う人なの。わたし、一生懸命あなたに話しかけようとしたわ。だけど駄目なの。夢の中って時々そんなことがあるでしょう?自分か、別の人の中に意識があるんだけど、実際にはしゃべりたいと思ってることがしゃべれなかったり、全然話したくもないことを話してたりとか、そんなことが……」と、そんなことを言い、俺はもう大体毎日のように似たり寄ったりのことを聞いていたため、「大丈夫だよ、ミカエラ。そんなのはただの夢だよ」と優しく言って慰めた。「現実には俺は今こうして君の隣にいて、お腹の中の子供もすくすく元気に育ってる。何も心配することはないんだよ。どうしてって、こんなにも俺がミカエラ、奥さんである君のことを愛してるんだからね」――こうしたやりとりに実際のところ俺は飽き飽きしていたが(というのも、ほぼ毎日こんなことを繰り返してばかりいたからだ)、それでも辛抱強くその日の夜も欠伸を噛み殺し、「心優しい良き夫」の役を演じていたわけだった。
「ごめんなさい、テディ。ミカエラ、ほんとはわかってるの。毎日毎日、夜になると同じ話を聞かされて、ほんとはあなたも嫌気がさしてるんでしょ!?でも、これだけはミカエラにも本当にどうにも出来ないことなのっ」
「いいんだよ。もうあと四か月もすれば赤ちゃんが生まれて……今度はそれはそれで別の苦労や問題が出てくるだろうけど、今こんなふうにふたりで話してること自体、懐かしく思いだしてるはずさ」
その日、外は真夏の風のない気怠い熱帯夜であり――エアコンがないか、あるいはあっても故障してるか効きが悪かったりする部屋に住む人々の地獄について想像しつつ、俺は最後には「もうこんなミカエラのこといやよねっ」とか、「今度こそキライになったでしょ!?」だのと、最後には泣きはじめる彼女のことを、「何があっても俺はミカエラのことを嫌いになんかならないよ」だとか、「今も最初の頃と変わらず愛してるよ」だのと言って慰め続けた。けれど、脳裏のどこか四分の一くらいのところでは、ニューヨークではこの季節、暑さゆえに一夏で何百人もの人間が死ぬことがある……それは何故かということを調べて記事にした時のことを思い出していたものである。つまり、エアコンが十分効いていて涼しく、妻が毎晩のように情緒不安定に「もうこんな自分のこと愛してないでしょ!?」としつこく愛の確認を求めてきても――世界中で自分ほど幸せな男がいるかと、そう一生懸命思い込むための一作業といったところである。
けれど、最後にはとうとう俺も眠くなり、「ああ、うんうん。愛してるよ、愛しているとも……」とぼんやりしながら寝入ってしまったことを――俺はこののち、生涯に渡って深く悔やむということになる。
>>続く。