仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【1979年の手帳から】 NHK「フランスの若者たち」より

2012-03-01 18:28:00 | 昔の手帳から
1979年の「駿台學生手帳」の後ろのはうに、横罫ノートのやうなページがある。
そこに以下の書込みがあつた。


日本が作つた世界最高のコンピュータに質問した。
「あなたは神を信じるか」
すると、4秒後に答へが返つて來た。
「いまや私が神である」

1979年6月1日(金)放送。
NHK「フランスの若者たち」より、エンディングの 磯村尚徳 の言葉。


これにたいして、私は次のやうに書いてゐる。
「冷水を頭から浴びせられたやうなこの感覺。神とは・・・」


もちろん、この磯村尚徳の言葉は事實ではなく、いはばブラック・ユーモアなのだ。
しかし、19歳の私はこの言葉を額面通り受取つて愕然としたやうだ。
おそらく、いまの19歳なら「アホらしい」と思ふだらう。

この當時、まだパソコンは登場してゐない。
マイコンと呼ばれた NECの「PC-8001」 が、この年の9月にやうやく發賣されてゐるが、これは現在のパソコンの直接の祖先とは云へない。
いはゆる「パソコン」が現在のやうに直感的な操作で使へるやうになるためには、1984年の 「Macintosh(Mac)」 の登場を待たなくてはならない。
つまり、1979年當時、一般の人間にとつて、コンピュータは現實の生活と全く關はりのない夢の機械であり、何が出來て何が出來ないかよくわからない存在だつた。
なので、上掲のやうな言葉が登場すると、「をを!コンピュータて、凄げえ!」と思つてしまふわけだ。

それから、神。
私は一應キリスト教徒と云へなくもないので、宗教にまるで興味のない人よりは神を身近?に感じる。
それでも、私などは、キリスト教の文化や傳統のもとで育つた歐米の人々のやうに、神の存在がからだに沁み渡つてゐるわけではない。
歐米の人々にとつては、神は信仰の對象でありコンピュータの存在とはまるで次元を異にするものなので、上掲のやうな言葉はすぐに冗談(それもつまらない)だとわかる。
しかし、神への信仰のない日本人には、「神=全能」「コンピュータ=全能」「コンピュータ=神」といふロジックとも云へない理屈がするりと受け容れられてしまふ素地があるのだらう。

しかし、NHK、ずゐぶん芝居がかつたセリフを云はせたものだ。
キャスターの磯村尚徳さんの考へだつたのだらうか。
歐米人にはつまらぬ小噺だと思はれ、日本人にはつまらぬ誤解を與へかねない、こんな言葉。

なんて、肩肘張つてこんな文章を書いてゐる私の木念仁さにも呆れてしまふな。
けふは書くことないし、ま、いいか。





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2 コメント

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神と創造主について (ポケモンおとうさん)
2012-03-01 22:27:52
最近、NTT出版から出ているマーク・リラ教授(コロンビア大学)の『神と国家の政治哲学』を読んだんですが、キリスト教世界の神と国家観について、私のようなシロートにも系統立って理解できるように工夫して書かれていたような気がします。少なくとも、30年ほど前の上田閑照教授の講義よりは私の頭に残った気がします。経済学部から部学部の講義を聞きに行って、単に単位を落としただけでした。

それはそうと、今日から新シリーズの【1979年の手帳から】がこの先1年始まるんでしょうか?
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ポケモンおとうさん さま (仙丈)
2012-03-02 00:12:26
上田閑照教授の宗教學の講義は、飛込みで1度だけ聞いたことがあります。
突然聞いてもさつぱり理解出來ませんでした・・・

【1979年の手帳から】は、新シリーズといふほどのものではありません。
手帳の後ろにメモしてあつたものを取り上げただけですので。
それぞれの手帳にいくつか書かれてゐるので、散發的に記事にしてみようかと思つてゐます。

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