【1979年】(浪人)
戀ノ岐澤 遡行。 オホコ澤出合 まで。
月曜日。
手帳には、この日、オホコ澤出合まで遡行したやうに書かれてゐるが、どうも怪しい。
といふのは、當時使用した地形圖(1/25,000 「平ガ岳」圖幅)によると、オホコ澤出合の4kmほど下流、 清水澤出合 あたりに幕營した印が書かれてゐる。
また、この山行のアプローチは、小出驛からバスで銀山平に入り、そこから船で奧只見湖を渡り、着いたところから6キロほど山道を歩いてやうやく戀ノ岐澤に入る。
小出驛のバスが7時發として、銀山平に憑くのが9時頃。
船の乘船待ち時間及び乘船時間を併せて1時間、さらに山道を歩いた時間を3時間とすると、戀ノ岐澤に入谷するのは13時となる。
13時から、さらに澤を登り始めるとは考へにくい。
おそらく、この日は、地圖に書かれたテントマークの通り、清水澤出合の少し上流で幕營したのではないだらうか。
さうだとすれば、この日以降、丸一日づつ手帳の記載より遲れることになる。(*)
小出驛~銀山平~奧只見湖~戀ノ岐澤に入谷~清水澤出合上流にて幕營C1
(*)追記
27日の記載(阪神の小林が讀賣を2安打完封)は27日の出來事であることが確認できた。
その日に歸宅してゐるのは確かなので、そこから遡るとやはりこの日のうちにオホコ澤出合まで遡行してゐるやうだ。
【1981年】(2囘生)
16:00-21:00 枚方 夏季講習。
バイクで枚方
木曜日。
枚方の夏季講習3日目。
【1983年】(4囘生)
13:00-21:00 枚方 夏季講習
3A國、2B英
土曜日。
枚方の塾の夏季講習3日目。
戀ノ岐澤 遡行。 オホコ澤出合 まで。
月曜日。
手帳には、この日、オホコ澤出合まで遡行したやうに書かれてゐるが、どうも怪しい。
といふのは、當時使用した地形圖(1/25,000 「平ガ岳」圖幅)によると、オホコ澤出合の4kmほど下流、 清水澤出合 あたりに幕營した印が書かれてゐる。
また、この山行のアプローチは、小出驛からバスで銀山平に入り、そこから船で奧只見湖を渡り、着いたところから6キロほど山道を歩いてやうやく戀ノ岐澤に入る。
小出驛のバスが7時發として、銀山平に憑くのが9時頃。
船の乘船待ち時間及び乘船時間を併せて1時間、さらに山道を歩いた時間を3時間とすると、戀ノ岐澤に入谷するのは13時となる。
13時から、さらに澤を登り始めるとは考へにくい。
おそらく、この日は、地圖に書かれたテントマークの通り、清水澤出合の少し上流で幕營したのではないだらうか。
さうだとすれば、この日以降、丸一日づつ手帳の記載より遲れることになる。(*)
小出驛~銀山平~奧只見湖~戀ノ岐澤に入谷~清水澤出合上流にて幕營C1
(*)追記
27日の記載(阪神の小林が讀賣を2安打完封)は27日の出來事であることが確認できた。
その日に歸宅してゐるのは確かなので、そこから遡るとやはりこの日のうちにオホコ澤出合まで遡行してゐるやうだ。
【1981年】(2囘生)
16:00-21:00 枚方 夏季講習。
バイクで枚方
木曜日。
枚方の夏季講習3日目。
【1983年】(4囘生)
13:00-21:00 枚方 夏季講習
3A國、2B英
土曜日。
枚方の塾の夏季講習3日目。
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