仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 10月1日 (83年:三ノ宮。「陽暉楼」)

2011-10-01 01:41:44 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

ペイソン・コレクション

水曜日。
たぶん、 京都市美術館 で、「ペイソン・コレクション展」といふやうな特別展を開催してゐたのだらう。
おぼろげに、觀に行つた記憶がある。
どんな作品が展示されてゐたかは、まるで思ひ出せない。



【1981年】(2囘生)

獎學金資格確認

木曜日。
當時、私は日本育英會の獎學生だつた。
資格確認にためにどのやうな手續が必要だつたのか、まるで思ひ出せない。



【1982年】(3囘生)

獎學金資格確認 濟
コクボに¥5,000貸與

金曜日。
前年と同じ日に資格確認をしてゐる。

コクボに5千円貸したらしい。
返して貰つたら、消すやうにしてゐたのだが、消し忘れだらうか?



【1983年】(4囘生)

12:30 HよりTel有。 梅田3:00pm
「陽揮樓」 三ノ宮にて。
お酒。 マーメイド。
モギの下宿で徹夜

土曜日。
12時半、Hから電話があつた。
普通の學生なら大學へ行つてゐる筈の時刻だ。
にも關はらず下宿に電話をしてくるなんて、Hよ、きみは私を何だと思つてゐるのだ?
まあ、豫想通り下宿にゐた私も私だが。
電話の内容は、
「いまから梅田に出て來られない?」
といふものだつた。
土曜日は塾で教へる日ではなかつたので、尻尾ふりふり、喜んで出かけた。
待ち合せは15時に梅田だつたやうだが、なんで三宮ぢやないのだらう。
謎だ。
三宮で 映畫「陽暉楼」 を觀た。
Hは前年(82年)に、「なめたらあかんぜよ!」で有名な映畫を觀たさうで(誰とかな?)、同じ原作者(宮尾登美子)のこの映畫も觀てみたいと思つてゐたのだとか。
私は基本的に流行に鈍感で、映畫についても何が流行つてゐるかなどまるで知らなかつた。
そんな私でも「なめたらあかんぜよ!」のセリフを知つてゐるのだから、Hが前年に觀た映畫はかなりヒットしたのだらう。
あれナントカハナコだつたよなあ、さうだナントカ院だつた筈・・・、幡隨院だ!
私はHと話してゐる間、ずつと「バンズイインハナコ」と云つてゐた。(ホントは 「鬼龍院花子の生涯」
そして、それをHは、面白いからこのままほつとこ、と思つてゐたさうだ。
で、肝腎の 「陽暉楼」 だが、 池上季実子 が良かつた、といふことくらゐしか記憶にない。
一緒に映畫を觀ると、スクリーンを觀ながらも隣にゐるHの氣配に惹かれてしまふので困る。
映畫を觀た後、三宮で食事をした筈なのだが、どうも思ひ出せない。
Hの門限がかなり早かつたのかもしれない。
「お酒。マーメイド。」とあるのは、Hと一緒に行つたのか、それとも京都に戻つてからモギと行つたのか不明。
ともあれ、9日に逢ふ約束をして別れたやうだ。

三宮から京都に戻り、モギの下宿へ行つた。
もしかすると、「マーメイド」といふのはモギと行つた店なのかもしれない。
ともあれ、モギの下宿で、Hとデートして來たんだぜ、などと話しつつ徹夜になつたやうだ。


陽暉楼 [DVD]
クリエーター情報なし
東映ビデオ


鬼龍院花子の生涯 [DVD]
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東映ビデオ


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<1982年>
10月9日:京都。飮む
12月10日:シンフォニーホール。ヘンデルのメサイヤ
12月24日:梅田。クリスマスイヴ。
<1983年>
2月18日:花房晴美リサイタル。ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番ほか。
5月14日:京都。「楢山節考」。
5月26日:大阪城など。(秋田沖地震)
6月2日:みゅーず → 圓山公園 → 枚方。  
6月11日:「細雪」 → 須磨海岸。
6月17日:藤原眞理のチェロ。
7月20日:ピカソ展 ~ 銀閣寺。
8月2日:鞍馬寺、夕立。
9月23日:H宅訪問。








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