「XXX嫌ひ」といふ言葉がある。
さてなにが嫌ひなのだらう?
1.「ジャイアンツ嫌ひ」
これは簡單だ。
要するにジャイアンツが嫌ひなのだ。
「嫌ひ」の前に置かれてゐる言葉の指し示す内容が嫌ひなわけだ。
もつとも一般的な形だと云へるだらう。
もつとも、その内容が眞實である保障はない。
「女嫌ひ」と云はれる男がほんたうに女が嫌ひであるかどうかはわからない。
同樣に、「男嫌ひ」と云はれる女も(以下略)
2.「喰はず嫌ひ」
上記1とは異なることはすぐわかる。
「喰はず=食べない」ことが嫌ひではないからだ。
上記1では嫌ひな對象が「嫌ひ」の語の前に置かれてゐたが、この場合は嫌ひな對象が登場せず、何が嫌ひなのかは特定できない。
「喰はず(に)嫌ひ」、「食べないのに嫌ひ」、つまり、「喰はず」といふ言葉は嫌ひに至る状況を説明してゐるわけだ。
3.「負けず嫌ひ」
これは、をかしいんぢやないか?
さう思つたことのある人もゐるのではないだらうか。
かくいふ私もその一人。
上記2のパターンで云へば、「負けない(のに)(何かが)嫌ひ」となるが、私たちが使ふ用例とは意味がそぐはない。
私たちはこの言葉を、「負けるのが嫌ひ」といふ意味で使つてゐる。
といふことは、上記1のパターンであらうか?
しかし、さうだとすると、「負けず=負けない」が嫌ひ、つまり、「負けないことが嫌ひ」といふ意味になつてしまはないか?
この言葉について説明する説はいくつかある。
そのうち有力なのが、
本來「負け嫌ひ」といふ言葉だつたのが、「負けじ魂」(負けまいとする氣持ち、「じ」は否定意志)などの言葉とゴッチャになつて「負けじ嫌ひ、負けず嫌ひ」になつた
といふ説。
「負け嫌ひ」といふ言葉が明治時代の漱石の作品に見えてゐて、江戸時代の文獻にも遡れるといふ。
逆に「負けず嫌ひ」といふ言葉が見られるのは、昭和に入つてかららしい。
この説は、實際に言葉の用例を文獻から檢證してゐるといふ意味で、實證的であり説得力がある。
ほかには、
「ず」は否定を表はす助動詞ではなく、意志・推量を表はす「むず」が變化したものだとする説
や、
「ず」を意志・推量の意味で使用する方言から發生してゐるとする説
がある。
特に前者は理屈のうへでは十分にありうることだが、その「むず」から「ず」への變化の推移を檢證できるかどうか。
「負けむず嫌ひ」といふ用例があればいいのだが、いまのところ聞いたことはない。
方言説については、
その地域で日本全國にさきがけて「負けず嫌ひ」といふ言葉が使はれたこと、その方言がどのやうに傳播し日本中で使はれるやうになつたか
を檢證しなくてはなるまい。
ついでに。
「負けん氣」といふ言葉は、「負けない氣持ち」といふ意味だが、この「ん」は否定「ず」の連體形「ぬ」が「ん」に音韻變化したもの。
さてなにが嫌ひなのだらう?
1.「ジャイアンツ嫌ひ」
これは簡單だ。
要するにジャイアンツが嫌ひなのだ。
「嫌ひ」の前に置かれてゐる言葉の指し示す内容が嫌ひなわけだ。
もつとも一般的な形だと云へるだらう。
もつとも、その内容が眞實である保障はない。
「女嫌ひ」と云はれる男がほんたうに女が嫌ひであるかどうかはわからない。
同樣に、「男嫌ひ」と云はれる女も(以下略)
2.「喰はず嫌ひ」
上記1とは異なることはすぐわかる。
「喰はず=食べない」ことが嫌ひではないからだ。
上記1では嫌ひな對象が「嫌ひ」の語の前に置かれてゐたが、この場合は嫌ひな對象が登場せず、何が嫌ひなのかは特定できない。
「喰はず(に)嫌ひ」、「食べないのに嫌ひ」、つまり、「喰はず」といふ言葉は嫌ひに至る状況を説明してゐるわけだ。
3.「負けず嫌ひ」
これは、をかしいんぢやないか?
さう思つたことのある人もゐるのではないだらうか。
かくいふ私もその一人。
上記2のパターンで云へば、「負けない(のに)(何かが)嫌ひ」となるが、私たちが使ふ用例とは意味がそぐはない。
私たちはこの言葉を、「負けるのが嫌ひ」といふ意味で使つてゐる。
といふことは、上記1のパターンであらうか?
しかし、さうだとすると、「負けず=負けない」が嫌ひ、つまり、「負けないことが嫌ひ」といふ意味になつてしまはないか?
この言葉について説明する説はいくつかある。
そのうち有力なのが、
本來「負け嫌ひ」といふ言葉だつたのが、「負けじ魂」(負けまいとする氣持ち、「じ」は否定意志)などの言葉とゴッチャになつて「負けじ嫌ひ、負けず嫌ひ」になつた
といふ説。
「負け嫌ひ」といふ言葉が明治時代の漱石の作品に見えてゐて、江戸時代の文獻にも遡れるといふ。
逆に「負けず嫌ひ」といふ言葉が見られるのは、昭和に入つてかららしい。
この説は、實際に言葉の用例を文獻から檢證してゐるといふ意味で、實證的であり説得力がある。
ほかには、
「ず」は否定を表はす助動詞ではなく、意志・推量を表はす「むず」が變化したものだとする説
や、
「ず」を意志・推量の意味で使用する方言から發生してゐるとする説
がある。
特に前者は理屈のうへでは十分にありうることだが、その「むず」から「ず」への變化の推移を檢證できるかどうか。
「負けむず嫌ひ」といふ用例があればいいのだが、いまのところ聞いたことはない。
方言説については、
その地域で日本全國にさきがけて「負けず嫌ひ」といふ言葉が使はれたこと、その方言がどのやうに傳播し日本中で使はれるやうになつたか
を檢證しなくてはなるまい。
ついでに。
「負けん氣」といふ言葉は、「負けない氣持ち」といふ意味だが、この「ん」は否定「ず」の連體形「ぬ」が「ん」に音韻變化したもの。
変な言葉だから常々、そんなのなーんの拘束もねえ言葉だ!と思っていたわけでごぜえますだ。
だつて、下手すると讀賣ファンになつてしまひますから、ね。
本当だっ
言葉つて、時々、あれ?つて思ふことがりますよ。