sokkenaiの星間鐵道 〜天の川線 アンドロメダ方面行〜

カメラ、音楽、アニメ、小説。旅、釣り、出会い、自然
ハッピーな事、辛いこと
記憶を記録として残して

エウレカみてたら

2017-03-29 01:28:50 | 小言

エウレカみてたら
大学時分を思い出して

気分良くなって
ゲロ吐くわ

ウソ

めちゃくちゃ懐かしい

20くらいのカラオケは毎度楽しかったな


素晴らしい学生生活だったなや

大学行って本当よかったぜ!


金が無くても、勉強できなくても
大学は行くべき



今日、ヒョウに打たれた

2017-03-27 23:06:33 | 日記

今日7時頃から夜釣りにいったのさ。
天気予報では昨日まで雨っていうことで、天気の変わり目狙いで行ってみたのさ

着いて5投くらいしたら、
夜空が光った

雷やった。
なんだ、雷か
という具合で釣り続行

その後も度々、雷がなって
ついには雨まで降り出した

なんだ、雨か
てな具合で釣り続行

ほんのちょっとして、周りにいた20人位が騒ぎだした。
なんだ?と思って周囲を見渡すと、みんな一目散に車に戻ってる


なんやなんやと思っていたら、ヘッドライトにカツンって音が、、、

カツンカツン、ドドドド

車<カンカンカンカンカンカンカンカン


な、なんや?って思って
よく足元を見ると、白いつぶつぶが、、、

ヒョウやんけ!!!

ヒョウ。
めっちゃ珍しいやん

こんなヒョウらしいヒョウ
人生で初めてやわ
と感動していたのですが

流石に、粒が小指の先位あって、いつ大きいの降ってきてもおかしくない感じだったので

私も避難避難

釣具を持って車に帰る

なんか、
竿を立てて持ち運びすると
とても手が痛かったんですが

最初は気にしなかったけど
歩いて、竿が上向く瞬間に手がピリッてなってるのに
気がついて

これ、静電気やん
雷のときたまになるって聞いてたけどマジやん

てか、落ちてきたらマジでヤバイやん

てな具合で竿を寝かせて
車に戻りました
そして5分程度ヒョウがふり、雨に変わりだして直ぐに止みました

今日の天気というか
天候は、生きてきた中で最も荒々しい感じで、自然って凄いと思いました。3月末だぞ!?

とりあえず、ヒョウは
ほんとに氷なんだと分かりました。



ちょっと調べました
ひょうは雷雲(積乱雲)の中でできることが多いらしい
氷の粒が積乱雲のできてるところの上昇気流で持ち上げられて
また高い位置まで登った時に付着した水が凍って粒が大きくなって、また落ちて、また吹き上げられ、を繰り返して大きくなるらしい

そして上昇気流がなくなった、あるいは気流で氷を吹き上げれなくなったときに落ちてきて、ひょうになるらしい


なるほど、太平洋側で雷なってたのは積乱雲で、その雲の中で氷ができてたんですね
そして、その積乱雲が陸まで流れて上昇気流がなくなったのか

確かに潮代わりの時間だったから温度の高い海水が上昇気流でも作ったのだろう

凄く理にかなっているな

そして、やはり自然は凄いなと改めて感じたよ。ビックリ

悼む人

2017-03-22 22:58:22 | 小説

天童荒太「悼む人」
を読んでいます。

まだ、上巻の丁度ど真ん中あたりを読んでいますが
面白いかどうかは別として、引き込む力があります

なぜなのか

内容はウェットが大部分を占めていて、気が重くなるものです。
しかし、それでもなお惹きつける力があります。
かの、ダイソンの如く


死についての考え方という、漠然とした不毛にも感じるテーマが魅力する一因かと思います


私は、ネクロフォビアでありタナトフォビアだと、それはとても小さい頃から自覚しています。

聞き慣れない単語かも知れませんが、つまりは、自分以外の人の死に恐怖感を覚えること。自分の死に対しても恐怖感を覚えるということです。

人や動物、植物の終わりを考えた時に、どういった感じなのだろうと考えてしまいます。

私は物理的にしか物事を考えていません。とんでも科学も含まれますが。圧倒的に知識がない頭を絞って出てくる死のイメージが幾つかあります。

一つ目、寝てる状態の無意識が永遠に続く
二つ目、何もない暗闇(星の無い宇宙空間)を一方向に永遠にすすむ
三つ目、意識の無い粉になる

このあたりが、学の無い私が絞り出せるイメージです。
どれを取ってみても、圧倒的に恐ろしいものではあります。
だからこそ、信心があるのだと思います。

宗教には染まったり属したりはしない確固たる自身がありますが、死に対しての捉え方や考え方の面では参考になります。
どの宗教も基本的には、死後に意識ありなんですよね。
まぁ、ありえないとは思いますが気の持ちようとしてはありなのかな。

実は、私の見解に他のものもあるんですね。
四つ目、死の間際に体感時間が無限大に伸ばされる。
五つ目、時間が逆行して、再び同じ人生を繰り返す。
六つ目、パラレル分岐

そんなわけねーじゃんと思うかも知れません。むしろそんなわけねーと自分でも思っています。

四つ目、体感時間の無限大化はあるかもしれません。人は時間に対しての感覚が疎らとなりますし。一個人としての死という漸近線に対して、時間感覚が莫大に変化する可能性も無きにしもあらずかと思います。ずっと痛いのとかはいやですが。

五つ目のイメージは
壁に挟まれた空間でスーパーボールを投げて、往復しまくるイメージです。これは、時間流れが一方向でない可能性を考えていますが、ちょっとありえないかなと思います。
イメージとして時間を映写機で考えている感じです。
時間という一方向流れに直行した平面があるイメージで、ここでイメージした平面は実際には三次元座標系です。
今と言う時間に対して、過去の座標系は保持されている可能性がありますよね。
死んだら記憶屋は無くなるもののどこかの時間の座標系に飛ぶのでは?とか思ってます。

六つ目、確率論です。今、少し手を動かしたとして、、動かさなかった場合と分岐しますよね。
こう、分岐がとてつもなく連なったとして、今は確率論的には無限大ぶんの1の確率を引いて生きてるってことなんですよね。ならばです、今生きてる無限大ぶんの1の確率は、、これからも死なないという無限大ぶんの1の確率を継続することと、さほど変わりがないんですよね。
つまり、結局死なないんじゃね?論です。


とまぁ、とんでも科学で気を紛らわせてはいます。
神様がいるのなら、なぜ永遠に生きられる様にしなかったのか聞いてみたいですよね。
私は正直、死ってやつはエラーか何かだとおもってます。
マビキとかだったらブチ切れてしまいそうですね。


話がめちゃくちゃ逸れましたが、
悼む人、もう少し楽しみます

タイトルをきちんと書きます

2017-03-20 23:20:01 | 小言

私の書く記事のタイトルは
敢えて適当にしています

しかし、
ちゃんとした記事
例えば、旅行や、ガジェット紹介や、小説レビュー等
についてもタイトルが適当であるため、正直、分かりません!

ですので、今後は
ちゃんとした記事を作るときには
それなりのタイトルを入れるように気をつけたいと思います!以上