2日ほど高カロリーの昼食が続いたので、今日は軽めのメニューで調整です。
向かったのは、自宅からそれ程遠くない社会保険病院前の「あずみうどん」、今日はこちらでいただくことにします。
時刻はすでに4時近く、もちろん最初から最後まで貸切状態です。
きつねそば、410円也。
やはりカロリーでいくと、うどんよりそば、ということできつねそばをオーダー、無料のお漬物をつまみながら出来上がりを待ちます . . . 本文を読む
唐津方面に行ったついでに、存在が確認されながらも未訪問の元標に立ち寄る。
切木(きりご)村道路元標
国道204号線沿い切木中学校の西側、道路が直線化された時にできたであろう道幅が急に広がったバス停のところに設置されている。
東松浦郡共通の白い花崗岩で状態もよい。
東松浦郡切木村は、
1889(M22)年4月1日 町村制施行により切木村(きりごむら)が成立。
1958(S33)年1月1 . . . 本文を読む
久々の道路元標の発見、といっても白石町在住のWさんからのメールで存在が確認されたもの。
杵島郡若木村道路元標。
残念ながら、「若木村道」と彫られた上部のみが、草むらの中に倒置されている。
折れた部分はなぜか逆Vの字。
どのようにしたらこのような形に折れるのだろう、と思ってしまう形状。
倒置されている場所は、国道498号沿いにある若木公民館(旧役場)の前。
公民館の前にある、一段 . . . 本文を読む
唐津方面へ出かける機会があったので、ちょっと足を伸ばして「唐津町道路元標」を訪問。
この元標は、前々から存在が知られていたのだが、何かのついでに思っていたら今日になってしまった。
設置されている場所は、R204沿い、唐津市役所のそば。
薬局の店先に、20cmほど顔を出している。
文字は、「唐津町」のみで以下は地中。
市役所の駐車場に車を停めさせてもらったので、ついでに道路と文化財の担 . . . 本文を読む
鳥栖で所用を済ませた後、旧田代村を通る長崎街道の旧道沿いで道路元標探索。
鳥栖市に行くたびに時間があれば長崎街道沿いを探していたのだがどこも空振り。
今回もあまり期待していなかったのだが、ありました!
鳥栖市内初の道路元標。
場所は、長崎街道旧道沿い「田代新町」の丁字路交差点の突き当たり。
八坂神社の鳥居の脇。
道路より数十センチ高い神社の石垣の内側にあるのだが、結構痛みがあり . . . 本文を読む
この手のものは、見つかるときは続けて見つかるようで。
昨夜ベッドの中であちらこちらのページを見ていたら、偶然「中原村道路元標」の写真を発見。
佐賀の情報を発信されている「肥前の彦十」さんの中原宿のページがそれ。
この辺りはもう3~4回は探したところ。
早速、昼食がてら車を飛ばし現地へ。
祇園神社と地蔵堂間、長崎に向かって道路左側を丹念に探す。
ありました!
「東寒水(ひがししょうず) . . . 本文を読む
昨日の続き。
七浦村道路元標の次に訪れたのは、濱町道路元標。
この道路元標は、かなり前から知られていたので探す手間は省けるのだが、実は2回目の訪問。
濱町道路元標は、R207号の旧道(浜街道)が浜川を渡る橋の袂に設置されていた。
CanCanさん撮影(2008/3/28)
去年12月の最初の訪問では、その橋が撤去され川幅が拡げられていたため、元標は撤去されたものだと思い、雪も降っていた . . . 本文を読む
昨日、奈良から道路元標フリークのCanCanさんが来佐。
松浦鉄道沿線の道路元標3基を訪問され、熊本・宮崎と回られる計画との事。
佐賀駅での乗り換え時間40分を利用し、一緒に食事と元標談義。
そのパワフルさに感心!
それに感化され、鹿島での用事を済ませた後、2時間程まじめに元標探索。
CanCanさんの情熱が乗り移ったのかどうかは知れぬが、未知の道路元標を発見!
藤津郡七浦村道路元標 . . . 本文を読む
嬉野市に行ったついでに、市内の既知の道路元標を訪問。
藤津郡吉田村の道路元標。
藤津郡の道路元標は、市町村名の前に「藤津郡」と彫られている。
吉田村の道路元標も、「藤津郡吉田村」まで地上に出てるが、下は地中。
設置場所は、県道41号線鹿島嬉野線の旧道沿い。
佐賀県の場合、二桁県道までが主要地方道。
この道も、昔は鹿島と嬉野(長崎街道)を結ぶ重要な道だったのだろう。
元標の後方 . . . 本文を読む
鹿島シリーズ第2弾。
旧鹿島町の道路元標は、国道207号旧道から少し入った、佐賀共栄銀行鹿島支店の駐車場入口に立っている。
この元標も、かなり前から知られていたものだが、ついつい訪問が後回しになっていた。
藤津郡内の元標は、「藤津郡○○村(町)道路元標」と必ず郡の名前が頭に彫られている。
これは他の佐賀県内の郡では見られないこと。
この元標も「藤津郡鹿島町道路」まで地上部分。
以下 . . . 本文を読む
東山代村道路元標を後にして、次に向かったのは武雄町道路元標。
この道路元標は、私が道路元標と知り合う前からネット上に紹介されていたもの。
武雄温泉のシンボル、楼門の前に建っている。
この楼門の設計者は、辰野金吾、東京駅のレンガ駅舎や、日銀等を設計した、佐賀出身の技術者である。
前の道は、長崎街道旧道。
そして、楼門の奥には武雄温泉元湯等、3つの共同浴場が営業しているので日帰り入浴 . . . 本文を読む
伊万里方面道路元標巡りの旅、牧島村道路元標の次に向かったのが、東山代村道路元標。
実は伊万里方面の道路元標は、穴蔵さんが去年発掘されたもの。
前の3基は元標の周りの写真と地図を付き合わせれば、おおよその位置が特定出来たんですが、この元標は目印が橋だけ。
地図を見て、国道204号とほぼ平行に走る東山代郵便局の前の道が怪しいとにらむ。
幸い通行量も少ないため車を徐行させながら、らしき橋を探す。 . . . 本文を読む
南波多村道路元標の後に向かったのが牧島村道路元標。
国道202号を南下すると伊万里市の中心街に入る。
牧島村道路元標は、伊万里市民会館の敷地内にある歴史民族資料館の一角に保管されている。
「伊万里市内の石造物」と表されたコーナーには、藩界石・親柱・道標など時代用途を問わず集められている。
説明板が付けられた石造物もあるが、道路元標には説明が無かった。
西松浦郡牧島村は、
1889 . . . 本文を読む
北波多村道路元標の次に向かったのは、南波多村道路元標。
同じ「波多」の文字が付くが、郡が異なる。
北波多村は、東松浦郡で現在は唐津市。
南波多村は、西松浦郡で現在は伊万里市。
しかし、国道202号線を南下するとそれほど時間はかからない。
JA伊万里南波多支所の前に建つ。
国道から少し奥まった、旧道に面して立っているが、おもて面は道路と逆の建物側を向いている。
その裏面には、「南波 . . . 本文を読む
昨年末、佐賀県西部方面へ出かける機会があったので、
ついでに伊万里近辺の道路元標を訪問することにした。
同じ県内に住みながら伊万里市には足を振り入れた記憶が無い。
小学校の遠足で行ったかもしれないが、それもあやふやな記憶。
車のナビが唯一の頼み。
最初に訪問したのは、北波多村道路元標。
北波多村役場(現唐津市役所北波多支所)近く、
国道202号線徳須恵の交差点から少し入ったとこ . . . 本文を読む