先日、諸富町の周りが田んぼの道を走っていたら、妙なヘキサゴンを発見。
車を止めて近づくと、「県道29佐賀」の標識。
この道が、二桁の県道(地方主要道)であるはずも無く、とりあえず写真に収めてきた。
帰って調べると、県道29号は「佐賀停車場線」という名前。
佐賀駅から中央郵便局までの、所謂「中央大通り」。
そして、標識の前を走る道路は、佐賀市道(路線番号163号)。
その標識が何でこ . . . 本文を読む
長崎街道は山陽道につながる脇街道で、小倉から長崎までの57里(約224km)に25の宿場があった。
境原宿は、小倉から12番目の宿場町で神埼宿と佐賀宿のほぼ中間に当たる。
境原と書いて「さかいばる」読む。
九州の地名や人名で「原」は、「はる」または「ばる」と読ませることが多い。
この石柱が立っているのは、境野村役場跡の公民館の前。
傍には案内板が立てられている。
長崎街道 境原 . . . 本文を読む
昔、国鉄佐賀線という鉄道が佐賀-瀬高(福岡県みやま市)を結んでいた。
残念ながら1987(S62)年に廃線となってしまった。
その佐賀線の佐賀から2つ目の駅に南佐賀駅があった。
そしてその南佐賀駅と国道208号線を結ぶ道路が、県道244号線だった。
その距離わずか92m。
それも盲腸路線で南佐賀駅で行き止まりという県道だった。
その名も、「南佐賀停車場線」。
この路が、市道に降格した . . . 本文を読む
佐賀でも、貫通道路と言ってわかる人は50歳以上だろうか?
正式な名称ではなく自然発生的に生まれた名称ののようだ。
現在は「旧34号」と言ったほうが判りやすいのではないか。
長崎街道は、東の入り口の「構口」から西の入り口「高橋」までを佐賀宿と言った。
佐賀宿は鍋島藩の城下町でもあったため、お城を避けるように20箇所以上の曲り角が存在した。
この状態が昭和の初めまで続くのだが、自動車の普及により段々 . . . 本文を読む
佐賀大学北の道路と城内通り(西高と付属中の間の道)がやっとつながった。
西の御門橋から西に向かって
私が城内の学校に自転車で通学していたころにはもう工事をやっていたと記憶しているので30年以上たっている。
と、思っていたら先日の佐賀新聞に以下の記事が。
全線開通は着工42年目 佐賀市の「城内線」
佐賀市が管理する都市計画道路「城内線」の「西の御門橋」を含む城内側から佐大前交差点までの3 . . . 本文を読む