友人たちと行ったバーで。
気になった話があった。
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「…チャネラーってのは、宇宙のエネルギーを受け取って、翻訳してひとに伝える…」云々。
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「今年は、宇宙のエネルギー的も、“恋愛が来てる”のよ…」
なんて話が続いたりして、皆、食いついた。
その話を、その話として面白く聴きながら。
同時進行で、ぐるぐると考えていた僕の口から、ポロリとこぼれ落ちたのは…。
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「僕も、『宇宙のエネルギー』を受け取るだけなら、日々、バリバリ受け取ってると思うんです。」
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そう。
「宇宙のエネルギー」なら、いつも、感じまくり。
目を覚まして感じる明るさ。
冷たい朝の空気。
道々の木々。
季節きせつの花々。
畑の野菜。
鳥。
虫。
土。
風。
雲。
雨。
月。
星。
これみな「宇宙」だもんね。
ふと見上げる赤茶けた木々の梢も、その向こうの青空も、流れる雲も、四季の移り変わりも。
見上げる僕、というものも。
宇宙に浮かぶ地球という惑星の上の、宇宙の現象。
「宇宙」とは、何も遠い彼方の、不可思議なこととは限らない。
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だから。
「僕も、『宇宙のエネルギー』を感じるだけなら、日々、バリバリ感じてると思う」
わけだ。
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気になるのは。
「翻訳する」ということ。
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チャネラー、という、翻訳するひとたち。
もちろん、いていいと思う。
僕や、多くのひとが感じられない種類の「宇宙のエネルギー」にチャンネルを合わせて受信し、「翻訳」して伝達するひと。
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ただ。
今の僕には、要らないかな。
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ひとの手を借りずとも、「『宇宙のエネルギー』を受け取るだけなら、日々、バリバリ受け取ってる」し。
今の僕には、なにより「翻訳する」必要がないから。
「宇宙のエネルギー」は、宇宙のエネルギーのままで受け取れば、それで十分。
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例えば。
外国語と母国語。
英語を聞いて、それを英語のまま考え、行動することが出来るひとは、
その時、頭の中で、もうひとつの言葉、日本語に翻訳する必要はない。
また。
母国語である日本語を聞いて、それをわざわざ外国語に訳してからものを考えるひとはいないだろう。
ネイティヴ、ということ…。
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僕も、ネイティヴでありたいな。
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ネイティヴ native 。
~生まれの。
土着の。
生来の。
自然のままの。
手を加えていない。
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僕も、ネイティヴでありたいな。
宇宙の。
native to the universe.
自然 Zi-Nen。
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暦の話を持ち出すと。
「マヤ暦」や「13の月のカレンダー」を好むひともいる。
宇宙のエネルギーが、今日という日が、ヒトにとってどんな意味をもっているか、を、マヤ文明以来の研究者たちが、ヒトの言葉に翻訳した暦、とも言えるだろうか。
僕は。
「旧暦」と「二十四節気」を好んで用いて、日々を暮らしている。
月と、太陽と、それにまつわる自然との巡りを、ただ、そのままに表しているところが好きなんだろうと思う。
(本当は、暦を用いずとも、星や月や太陽や自然の風物そのものから、直接ナニカを教わりながら、一緒に生きていけるような自分になりたい、と思う。)
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俳句が僕に心地いいのも、同じ理由かもしれない。
風物をただ写生して、安易に解釈を持ち込まない表現が、いとすずし。
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ダンス。
以前、
映画『Talk To Her』を観て以来、バレエ・ダンス・舞踏ということに惹かれていて。
で。
土曜の夜、
田中泯の独舞を観た。
良かった。
どう良かったか?
いや。
言わない。
書かない。
言えないし、書けない。
また。
言う必要もないし、書く必要もない。
そもそも、ダンスというアートフォーム自体も、言葉など要らないのだ。
野暮を承知で、敢えて書くなら。
田中泯は、ナニカを感じ、ナニカを考え、ナニカを表現していた、ということ。
そこには、確かに、ナニカがあった。
伝わってきた。
それで十分。
*さらに蛇足。
会場では、手作りの野菜やお茶が売られていた。
舞踏家・田中が、山村に籠もり、百姓をしている、ということは、ものすごく興味深い。
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楽茶碗を
観てきた。
茶碗は、語らない。
当たり前?
でも。
ヒトは、多くを語るね。
茶碗に多くを語らせようともする。
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さて。
話を元に戻そう。
友人たちと行ったバーで。
「…チャネラーってのは、宇宙のエネルギーを翻訳してひとに伝える…」云々
という話が気になったのは。
要するに。
僕自身が、日々、多くの言葉を浪費して、要らぬ翻訳に、面白くもないおしゃべりに、終始しているからかも知れないなあ・・・。
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言葉にしろ、その他の表現にしろ。
それ以前に、世界は、ある。
それそのものを、よーくみて。
ナニカをしっかりと感じることこそ。
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「宇宙」や「言葉」についてまわるな。
「宇宙」とはわたしなのであり、わたしが「言葉」の根幹なのだから。
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いま・ここ、に。
立って座って寝て起きて。
土に触れ。
風に吹かれ。
雨を受けて。
空をみあげよう。
画像: 宇宙。
追記:
21世紀の、東京の片隅の、昼休みの、パソコンの前の、この僕も、また、宇宙だ。
そんな宇宙のエネルギーは、また、どこかに届くかな。
このBLOGに並んだガチャガチャとした言葉ではなく、ナニカを、そのまま受け取ってもらえたら、それまた、幸いです。
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