***
・・・さらにまた、茶席でも茶庭でも、流派というものを重視していいか悪いかの問題もある。私は率直にいって、感心できないといいたいのである。なぜならば、流派というものは、すでに定型化したものであって、高い見地から見れば、それは茶の湯の堕落であり、芸術作品としての茶庭ではなくなるからである。
このことが一番よく理解できるとおもうのは、利休や小庵や、宗旦や有楽や、織部や、遠州といった古い時代の茶人たちの作った茶席や、または茶庭を見ると、各人の茶に対するこのみ、また個性が充分にでているし、いずれも各作者の創作でないものはないからである。これらの各人のこのみや個性や時代感覚が充分でてこそ茶席であって、定型化したもののなかからは、正しい意味における茶席や茶庭は発見されないのが当然である。したがって定型化されたもののなかから正しい茶庭は生まれてこないことが明らかである。・・・
『茶室と茶庭 見方・作り方』(重森三玲・誠文堂新光社・昭和41年)
***
チラと読んで、お、と思い。ここにクリップ。
すっかり冷え込んで。
柚子も色付いて。
新しいお茶が届いた。
干し柿や栗もやってきた。
この季節。
この嬉しさ。
誰かと分け合いたいもの…。
「雪月花の時、最も友を思ふ」
丁度、この週末、2箇所で、お茶、しています。
お気が向いたら、お越し下さい。
***
ラフ野点@高尾ツリーダム
日時:11月23日(金・休日)
場所:TREEDOM Cafe (裏高尾の森のツリーハウス)
***
詩展SHIIAWASE 「TOKYO POETRY PLAY PARK 2007」
日時:2007年11月23日(金/祝)~25日(日) 11:00~19:00
場所: 古民家ゆうど (JR目白駅8分)
*抹茶とお菓子が出るのは、24日のトークセッション時です。
***
新暦11月13日は。
旧暦では、神無月の四日。
暦に十二支を重ねると、亥の月・亥の日。
---
古く、宮中では「玄猪」の儀が執り行われたそう。
亥の月・亥の日に猪の肉を食べて体を暖め、来る冬の日の無病息災を願った、とか。
亥の月・亥の日・亥の刻に餅をついて、家臣に配ったとか。
女官達は、猪の多産にあやかって、亥の子餅をもてはやした、とか。
---
茶の湯では。
亥の月の最初の亥の日に、「炉開き」をする習いが。
いよいよ冷えてくる頃、夏用の風炉をしまい、冬の炉を整えて。
亥の日に炉を初めて使う、というしきたりは、陰陽五行説による。
“亥の日は水の日”とされることから、席中で火を使う炉に対して“火伏せ”の意を込めている。
この頃になると、初夏に摘んで茶壷に詰めて、冷暗所に寝かせておいた茶葉が熟成され、味わいを増す頃となる。
遠く山の茶園から、街の茶家への“お茶壷道中”を経て、新茶が届く。
そこで、執り行われるのが、「口切茶事」。
---
茶の湯の大成者とされる、千利休居士は。
炉開き・口切の時機を、こう言った。
***
柚子の色付く頃
***
…うーん、イカす!
だから好きさ、利休さん。
だから数寄さ、利休どの。
---
茶をかじっていると、教条主義に辟易することがある。
“11月から4月までは炉、5月から10月までは風炉と決まっています”
だなんて教える茶の先生が、この21世紀日本には沢山いるみたい。
茶の湯の(内輪の)決まりごとを覚えている、というだけで、ナニカ、たいしたことをしているような、物事がわかったような気がしてしまうのかな?
茶の湯に新暦を使っている時点で、アウト!…と思う。
日本古来の行事ってのは、新暦でなく旧暦で読んだ方がグッと味わい深いもの。
そんなことも知らないで茶の湯をやって、「茶道は日本の伝統文化でござい」なんて済ましているなんざ、お気の毒なことだ。
さらに言えば。
暦は道具に過ぎない。
暦に囚われていては駄目だ。
暦で季節を読むよりも、季節そのものを感じること。
頭で理解するより、体と心を使おう。
利休居士ってお人は。
いささか偏屈だったろうと思う。
嫌味なところもあったかも。
周りには、なかなか理解されなかったかも。
でも、確かに、立派なひとだ。
その感性と、その表現力とに、感心させられる。
既成の唐物・名物偏重文化に対する反骨精神が、彼の侘び茶の大きな原動力だろう。
目利きと謳われた彼には、確かに、ものが観えていたようだ。
だから彼は。
ドグマを破った。
黒一色のさびさびと冷え涸れた長次郎の楽茶碗は、きらびやかな唐物茶碗に対する抵抗の黒、無個性の個性、無言の前衛なのである。
(川久保玲のコム・デギャルソンの黒と、同じことだろう。)
***
炉開きのタイミングを暦に頼っていては数寄者ではない。
炉開きに限らず、茶の湯に限らず、ヒトたるもの、自分の体と心で、日日の季節を自然を感じていきたいもの
***
彼は、僕に、そう言っている。
---
さて。
旧暦の亥の月・亥の日。
今日は、炉開き・口切の日。
と書いたけれど。
丁度、昨夜のニュースでは、「埼玉県では、柚子の収穫・出荷がはじまりました」と伝えていた。
そう。
要は、
***
新暦より旧暦を読んで、旧暦よりも風物そのものを感じて、季節を自然を味わおう
***
というお話。
巡る時の、いま・ここ、を、存分に生きよう…。
追記:
利休さんの正統な後継者と謳われた、古田織部。
彼曰く:
「モミの木に若葉の付く頃、風炉を出す」
彼も、また、イカセるなあ!
千利休と古田織部とでは、その茶風は、一見、正反対に見える。
けれど、利休さんのスピリットをよく汲んで、作意・独創を重ねたのが、織部だな。
He was a mod in MOMOYAMA era.
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***
寒熱の地獄に通ふ茶柄杓も心なければ苦しみもなし
***
秋立ちぬとも、酷暑の続くこの頃。
みなさん、お元気ですか?
さて。
冒頭でご紹介したのは、一休さん(=禅僧・一休宗純、茶祖・村田珠光の参禅の師との伝説あり)の歌だそう。
僕らも。
柄杓になって、日日に突っ込んでみませんこと?
暑い寒い、と分別せずに。
酷暑の日日を、スゥッと、参りましょう。
また。
暑い暑い、と愚痴だけ言わず。
「夏は涼しく 冬暖かに」(利休七則)の工夫を。
楽しく、美しく、いきたいものですね。
皆さんも、お元気で、好い日日を…。
(74年ぶりに観測史上最高気温を更新した日、2007年8月16日の夕べに、残暑見舞いにかえて)
追記:
この歌。
茶の湯で用いる柄杓を題材に詠みながら。
別の茶の湯のことを説いている訳じゃない。
じゃあ、何の話、って!?
茶の湯、って。
そこんところが、面白い。
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茶人・山田宗徧氏の言葉を、ここに書き付けてみることに…。
***
現代にとっての侘び数寄とは何か
***
もともと“一物も持たず、胸の覚悟が定まり、作分と手柄が整ったこと”という言葉に象徴されるのが侘び数寄の境地。名のある道具を持たずとも、精神と人格、そして美意識を磨き、人に誠を尽くすことです」
***
ないなりに工夫するのが侘び数寄
***
侘び数寄は精神を浄化するための作業なのです
***
年々、日々の稽古から教えられることが多くなりました。
たとえばお客さまのことを考えて露地に水を打つことが尊く、そのまま自分自身を清めることにもなる
***
客への敬意は自分を清めることから
***
柄杓で湯を汲む瞬間、指先と身体が一体となっていることを実感できる
***
流儀の本質は稽古のお茶ですから、学べるものの中心は点前や型になります。
でも私が目指しているのは、受け継いできた伝統を消化し、現代を消化した先にある侘び数寄のライフスタイルを作ること。
それが魂を研ぎすまし、自然と一体化し、心を尽くして客を迎えることなのです
***
茶道を通して次世代に何を伝えられるか。
それは古来、日本を育んできた深い森であり、森を神と崇めた心に繋がる。
緑や水の豊かさを尊び、自然に負担をかけずによりよく生きるかを、茶道を通じて共に考えたいのです
***
川のせせらぎに抱かれながら、心を洗い、美しい緑に美意識を研ぎすます。
現代に伝えるべき茶の湯を探るうちに、いつしか自然の豊かさを尊び、みずからも自然の一部だと気づかされるようになりました
***
いいじゃない。
僕の他にも茶人はいるじゃないか。
この季節。
雨上がりの朝には。
いつもの道を楽しみに歩く。
---
生垣に蔓が伸びて、昼顔の花が咲いている。
空を見上げる花びらが、しっとりと露を含んで、陽を受けて輝くのを観る。
---
いつもの道を、立ち止まりたちどまりする僕は。
道ゆくヒトたちの中でも、花ということには敏感な方だ、と自負しているのだけれど。
---
今日も、先客がいた。
---
蜂。
ミツバチ。
今日も、お先にお出ましだ。
覗き込んだ、昼顔の、そのラッパ型の花の中で、ぷりぷりとお尻を振って。
蜜を集め、胸や足に花粉をつけて。
隣りの花へ。
次の花、また、次の花へ。
雨上がりには、今とばかりに。
生垣に咲く花々の元へと通っている。
---
ああ。
いい眺めだ。
何だろう?
この、花と、虫との、好ましい感じは。
親和力?
それは、なんとも、幸せな光景。
---
花を愛するヒトは多い。
けれども。
ヒトがいかに花を愛でようと。
花は、ヒトのことなど、それほど気にしていないのだな。
---
花は、むしろ虫を愛しているようです。
花々は、美しく咲き、芳しく香り、蜜を用意して、虫を待っているのです。
---
そうして。
なにより。
花はその命をこそ咲いているのですね。
---
ですから。
茶人よ。
咲いている花を、そう簡単に、手折りますな。
そして。
あなたが花を愛でようとする、そんな折りにこそ、お得意のご挨拶を欠かすことなかれ。
「 … ご相伴に預かります … 」
---
ヒトよ。
看よ看よ。
この星の上で、僕らは、必ずしも、「正客」ではないのだ。
「正直に、慎み深く、驕らぬ」ように、「詫び」て参りたいもの…。
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『みどりの一わんから』千宗室
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***
「お茶、って・・・何が、主なんでしょうかねえ?・・・」
***
友人を誘って、お寄せ茶会に行った。
小間の一席の後、次の席の行列に並んで話していた時。
不意に、彼が言った。
「・・・茶席の主役というか、これがメイン、ってあるんですかねえ?・・・」
---
「・・・うーん・・・」
「・・・ひとそれぞれ、かなぁ・・・」
---
今日の茶席を思い、ここに集まる人たちを観ているだけでも、色々、思いつく。
お茶に、和菓子に、懐石に。
お軸に、お花、お道具、お銘。
お点前、しつらい、おもてなし。
なにより主役はお客様でしょう、とか。
いやいや、実はご亭主が主役なんだよ、とか。
社交こそ、とか、格式とか。
一部の女性には、着物披露宴でもあったり。
一部の男性には、ステイタス感がいいらしい。
一座建立、一期一会。
侘び寂び、禅機、和敬清寂。
はたまた・・・?
---
さすがは、詩人。
目付けと構えが、いいよなあ。
---
僕にはとっては?
何だろう?
濡縁の古材を、露地の緑を、葉桜の間に晴れ渡る空を眺めながら。
ぼんやりと考えてみる・・・
---
・・・そうだな
・・・僕が釜をかけて、客を迎え、茶席をするなら
・・・「茶と水」だな
・・・茶と水を主役に据えて茶の湯をしたい
そう、思った。
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茶会にて 4 茶会の主役は・・・???
映画『お茶会』
茶 ダライラマの言葉 カトマンドゥの僧院
カジュアル茶会を振り返る ~ よき点前? 客と亭主と 徳・礼・真 …
【カテゴリ】 喫茶去! …茶の湯のことなど
「コモン・センス」 6 目付けと構えが、大切である。
東京、武蔵野、新小金井商店街の中に、美味しい珈琲を出すお店があって。
その店で、1杯の紫の液体が目の前にやってくるまでの約15分は、「お点前」のよう。
そんな、そのお店のご主人を、茶会に誘った。
---
話をしながら行列に並び。
広間の席に一緒に座り。
お菓子を食べて。
お茶を飲んだ。
---
席を出て。
別れ際、
しばし、話した。
彼曰く;
「いやあ、茶会、おもしろいですね」
「席の中の、皆の視線とか、やり取りとか…そういうの気になるほうなので」
「そう、あの『お先に』って、いいですね」
---
そっかぁ。
「お先に」かあ…。
追記:
まだ茶会慣れしない僕のミスで、ご主人が“お詰め”の席に座ることになっちゃった。
隣にご亭主側の取次ぎさんが座ったから、勝手が分からずとも困ることはなかったけれど。
お詰め=最後のお客さんだから、彼に「お先に」を言わせてあげられなかった。
今後、席入りにはもっと気をつけて、連客のうち中ほどの席を確保しよう。
画像: wwwより。
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郊外の街角のちいさな珈琲屋さんのおはなし…
4月始めの日曜日。
大寄せ茶会に行った。
---
長い行列に並んだあと。
18名ほどが寄付に通された。
そこで主菓子を頂き、しばし、小間への席入りを待つ。
床には消息が飾られ、
床前には、席で出される道具の箱が並べてある。
配られる会記と併せて、予め道具の取り合わせが確認・鑑賞できる、という訳だ。
---
それにしても、なにぶん、狭い。
4畳半台目の茶室に18人も座ろう、というのだから。
床前を外して、壁際にコの字を描くように並んでいるのだが。
隣の人と、膝を並べているようで、一旦正座をしたら、身動きが取れない程。
それでも、全員は座れない。
最後に呼ばれた3人組の女性は、寄付に入れず、
その建物の玄関を上がった板の間に座っていた。
---
菓子を持ってきた係の方に、1人が言った:
「私たち、お部屋に入れませんし、次の回でも結構ですよ…」
「いえいえ、こちら、寄付ですので、大丈夫です…」
「? ここでお茶を頂くんじゃないんですか?」
「ですから、ここは寄付ですので、お席には皆さんお入りになれますので…」
「?? じゃ、まあ…」
案内係の方の客慣れした感じと対照的に、勝手のわからない3人は、なんとも居心地悪そうだった。
そのうち2人は、40代前半かな?大柄のワンピースに、派手なメイク。
ひとりは、金属のベルトを腰に廻し。
もうひとりは、香水が強い。
セーラー服で寄り添っているのは、その娘さんだろう。
皆、扇子と懐紙は持っている。
お茶は習い始め、初めての茶会、といったところだろうか。
さっき、外で、先生らしいご婦人と挨拶していたっけ。
それにしても。
皆、洋装だからスカートで、さぞかし足も痛かろう。
板の間に座らせておくなら、座布でも出さないのかな?
やり取りの様子が良く見える位置に座っていた僕は、なんとも気になってしまった。
---
その時。
寄付の間では。
「お正客譲り合いの儀」が、古式ゆかしく、執り行われていた。
A「ま、先生、お正客をお願い致します…」
B「ま、とんでもない、先生こそ、お正客をお願い申します…」
A「ま、いやですわ、先生を差し置いて。お正客は先生にお願い致しませんと…」
B「とんでもない、先生こそ、今日のところは、是非、お願い申し…」
…このご丁寧な応酬、放っておけば、キリないらしい。
係「そうしましたら、ひとつ、今日のところは、A先生に、お正客をお願いできませんでしょうか? B先生、よろしゅうございますでしょうか…」
B「ええ、もちろん、それがよろしゅうございますわ、A先生、是非に…」
A「そんな、わたくし、困りますわ、務まりませんのよ、どうかB先生に…」
係「そこをなんとか、席も始まりませんので、今日のところは、お正客をお願いします」
B「わたくしからもお願い申し上げます」
…ここまで、実に5分にもなろう。
…と。
A「左様ですかぁ… それでは、わたくし、行き届きませんが、本日は高い席から失礼させて頂きまして、皆さま方、よろしくお願い致します。」
…ってな訳で。
“ご挨拶のラリー”をジロッ、ジロッと目で追っていた僕らも、ようやくここでご挨拶、となった。
さて。
お正客も、一旦決まると、ご本人も実にサッパリとした顔になり。
お次は、客と亭主とのご挨拶、へと。
務まらないどころではない。
本日のお日柄、桜の花の様子やら、露地の風情やら。
寄付きの画賛、その文句やら、筆の主やら、表装やら。
菓子の銘やら、菓子屋やら、菓子器やら。
流暢な会話は、よどむことがないようだ。
そして。
その間。
例の3人は、相変わらず、板の間に正座だった。
---
お正客からも、その3人は見えていたはず。
それとも、ほかに重要なことがあるもんだから、気が回らなかったのかな?
見えていたなら、自分のとなり、床前の畳は空いていたから、そこに案内することも出来たのでは?
しかし、まあ。
亭主側を差し置いて、床前にひとを案内するのは、憚られたのかな?
見えてはいたけど、放っておくより仕方がなかったのかな?
---
ご亭主は?
菓子の係は、お客さんが3人、板の間に座布もなしに座っていることを、ご亭主に伝えたかな?
ご亭主が聞いたなら、座布団は出せなかったか? 席の移動は出来なかったか?
---
床前の畳は空いていて。
十分、3人が座れる。
床は大切で。
画賛・箱も、客に見せるべきものだろうけれど。
客を玄関の板の間に放置してまで見せるべきものが、“茶という世界”には、あるのだろうか?
---
そんなことを考えながら、目線が泳いでいる僕に。
隣に座った女性が、そっと囁いた。
「お茶をやってないひとなら、怒って帰ってしまいますわね。」
そう言って、少し微笑んで、その方は、また静かに目を落とし、背筋を伸ばした。
---
ほどなく、席入りとなった。
本席でもやはり窮屈ながら、全員がピタリと座れた。
炉の脇の正客から、次客以降、部屋をぐるりと巡るように順に座っていくと。
正客の傍に「お詰め」の客が座ることになる。
例の3人だ。
それを見た正客の視線は、温かくはなかった。
「お詰め」というのは、最後の席。
茶席では、順に回ってきた道具を扱ったり、何かと役のある位置で、普通はそれなりの経験者、とか、お道具屋さんが座る、とされる。
が、3人は、そうしたことも知らない様子で、涼しい顔で、ちょこんと座っている。
まあ、今日の席の場合には、その隣にご亭主側から1人、茶席と水屋との取次役が座るので、そのひとが万時うまくやってくれるのだが。
お正客の「先生」には。
何も知らずにお詰めに座る茶会初心者が気に入らないのかな?
服装がケバイ、茶席に相応しくない、というのがイヤなのかな?
その目に浮かぶ軽蔑の色が、僕にも見て取れた。
「茶室に入れば、皆、平等」と聞いていたけれど…。
---
茶席は、見事だった。
お点前も結構。
お道具も立派。
なにより、茶というものへの造詣の深さが、、会話に、声に、その佇まいに、溢れている。
さすが、その筋では有名な、お数寄者さんだ。
---
席中のも和やかで。
ご亭主とお正客の共通の知人の話、流派内の別の茶会の話、陶芸家の先生の話などちょっと内輪の話も交えながら、滑らかな時間が。
---
席が開いて。
お道具の拝見。
僕のような新参はご年配の先輩方に順番を譲っていると、なかなか道具には触れない。
皆さん、ご熱心に、時間をかけて、道具を見ることみること。
ご亭主側は、次の回の準備もしたいだろうし。
寄付では、今頃、誰かが、板の間に座っている。
素晴らしい道具に触るのは諦めて、早々に席を辞する。
痺れた足を直す。
狭い部屋を出て。
空の下で風に吹かれて。
体を伸ばすのは、気持ちいいや。
お道具も桜の季節に因んでいたけれど。
ほんものの桜吹雪は、やっぱりキレイだな。
---
いやあ。
「大寄せ茶会」って、よほどの巧者にとってすら難しいもの、ってことかな?
それにしても。
お茶、って何だろうか?
画像: 茶席。イメージ。wwwより。
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4月はじめの日曜日。
大寄せの茶会に行った。
満開のソメイヨシノ。
さみどりの露地。
華やいだ、着物姿の女性たち。
いくつもの茶室。
立派なお道具。
“結構なお点前”。
勉強させて頂いた。
たとえば。
お手洗いでは。
スリッパが乱れていた。
荷物預けの列に割り込むお婆ちゃま。
この方も、きっとどこかでは「先生」なのだろう。
お孫さんらしき、高校生くらいの女の子が、申し訳なさそうに僕に会釈した。
…お茶をする、って、何だろうな…?
画像: wwwより。
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茶碗を自分で作ってみると、その後、やきものが面白くなった。
目から鱗が落ちる、ってのは、いつでも、嬉しいもの。
---
それに、味をしめて。
今度は、茶杓を自分で削ってみた。
---
3月、茶杓削りのワークショップに参加。
---
用意されたプリント1枚をみながら、茶杓作りの先生に15分ほど説明を受ける。
茶杓とは?、茶杓の約束事、作業上の注意など。
先生は言った。
「茶道具としての茶杓。その見所は何箇所くらいあると思いますか?…」
「…これから実際に削っていきますが、その全ての箇所が、茶杓の見所になるんですよ。」
…へえ…。
---
で、早速、トライ。
以下、茶杓づくりの手順と、気付いたことを書き付けてみることに。
①「粗曲げ」の竹、その節や樋、景色などをよく観て。
今回はワークショップなので、「曲げ(枉げ)」てある竹が配られた。
僕には、白竹ながら節まわりに染みがあって、かなり短いのが回ってきた。
②どんなカタチにしようか思案したら。
流派による“約束”や名作茶杓のデザインなどを踏まえつつ、櫂先など、好みの型を考えてみる。
僕は、とにかく、いろいろ計らわず、“素直に”を心がけた。
③竹の上に、鉛筆で、下絵線を書いて。
慣れたひとなら、要所要所に点を打つ程度で、思い通りのカタチに削りだすそう。
初心者はカタチをそのまま線で書いてもよい。
その際、まずは中心線を引くとよいそう。
④まずは、スカスカと荒削り。
仕上がり幅の太い方から細い方へと、刃を動かすこと。
竹には筋が通っているから、逆にするとそのまま真っ直ぐ、細くなってしまう。
⑤段々と丁寧に、少しずつ削って、自分で書いた下絵線まで、カタチを整える。
左右対称に削るのは、案外、難しい。
先述の“竹の筋と刃の向きの関係”で、左右が逆向きに削ることになるから。
また、スーッと直線に削るのも、簡単じゃない。
「職人は道具で仕事する」なんて言うけれど、やっぱり刃物、その切れ味がものを言うな。
とにかく、ヨレヨレと歪んだような竹の茶杓なんて冴えないから、
せめて心を澄まして、一刀懸命に削っていく。
すると、いよいよ、茶杓のカタチが決まっていく。
⑥そしたら、今度は、裏。
千家の流れを汲む流派では、茶杓の裏はかまぼこ形・船底形に削るのが“約束”。
きれいな曲線を描くように削っていくのが、これまた、難しいんだな。
本式には、茶杓は小刀一本で削りきるもの、とか。
やすり・サンドペーパーを使うのは邪道らしい。
裏を滑らかに仕上げるためにも、素材の竹は厚みのあるものがいいんだろうな。
因みに、石州流などでは、面取りして方形に仕上げるそう。
⑦カタチ・裏面と、整ったら、最後の仕上げ:
「露」:茶杓の先っぽ、その裏側に刀を入れる。
「切止め」:茶杓の手元側のはしに、刀を入れる。
いずれも流派によって約束の型があり、また、好みによってもいくつかの切り方があるようだ。
また、特に仕上げに至っては、わずかな力で思い通りに竹が削れてしまうほどに、刃をよーく研いでから臨む必要がありそうだ。
⑧茶杓が完成したら、それに合わせて「共筒」をつくる。
・茶杓の寸法にピタリと合うよう、竹筒を切り落とす。
・杉材で蓋を作る
・銘を入れる正面を平らに削り落とす。
・銘を書き込む
…以上が茶杓のつくり方、って訳。
* 詳細や使用する道具などについては、文末の参考WEBサイトを参照のこと。
---
で、出来は?
まあまあかな。
初めてらしい仕上がり。
---
千利休の孫、宗旦の頃から、茶杓には「銘」が添うのが一般的になった。
講師の先生も、「是非、銘を付けて下さい」とのこと。
では。
僕の“マイ・ファースト・茶杓”の銘は、こうしよう。
***
直心 じきしん
***
これは、僕が稽古場で初めて見た掛け軸の文句でもあり。
僕が茶をする上でも、いつでも抱いていたい気持ち。
“マイ・ファースト・茶杓”は「直心じきしん」。
僕はこの先も、何本も茶杓を削ることになりそう。
そしたら、それなりに巧くもなるかもしれない。
そんな5年・10年先にこそ、この、拙い、“はじめての一本”を、見つめなおしてみたいと思うのだ。
「 直心是道場 」
追記:
茶碗をつくってみると、その後、茶碗の観方が変わった。
同じように、茶杓を削ってみると、その後、茶杓の観方が変わるものだ。
茶席でのいわゆる「拝見」の際にも、“ただの竹べらだろ?”だなんて思っていたけれど。
ワークショップが先生も言った“全てが見所”ってのは本当だ。
各所の削り跡、カタチの採りかた、大きさ・長さ、太さ・細さ、材の景色・材選び…。
竹という素朴な素材だけに、また単純なつくりだけに、作者の意匠や思い、その好みや人となりまで、ダイレクトに、伝わってくるように思えもする。
楽しみとは、いろんなところにあるもので。
そんなことが少しずつわかってくると、さあ、大変だ。
茶とは、非常に簡素であり、また贅沢な遊びである。
参考WEBサイト: 茶杓を削る
関連記事:
茶碗を自分でつくってみると…
喫茶去! …茶の湯のことなど
千利休。
「茶の湯の大成者」。
「茶聖」。
なんて言われるけれど。
そんな利休さんも。
茶と出会い。
茶を飲み。
茶をやってみて。
ナニカ、いろいろ、発見したんだな。
(ある日の僕の発見を、メモとして書き付けておく。)
関連記事:
茶碗を自分でつくってみると…
【カテゴリ】喫茶去! …茶の湯のことなど