午前零時をまわり、深夜に、部屋で、雨音を聞いている。
3月20日。
この日が、今年も、また、やってきた。
僕が、なにを経験し、なにを感じ、なにを思いなにを考え、なにを言い、なにをしようと。
季節は巡って、時は過ぎ行くなあ。
今年の今日。
イラクには、いまだアメリカ軍の兵士がいて。
チベットには、中国人民解放軍の兵士がいて。
北京オリンピックのボイコットが政治問題化していて。
東京にオリンピックを呼ぼうと本気で考えているひとがいて。
高尾山にトンネルを本当に掘ろうとしているひとがいる。
そんな今日。
僕は、深夜に、部屋で、雨音を聞いている。
追記:
2年前の今日、書きつけた文章をもう一度、ここに掲載することに。
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「3月20日は、何の日? ~イラクとイラン、高尾山と“誰かさん”」
みなさん、こんにちは。
春分の頃、変わらずに巡ってくる春に心も和らぐような、いい天気の今日です。
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3月20日は、何の日?
あなたにとって?
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僕にとっては。
1年の365日の内の、ただの1日で。
昨日とも明日とも、違うはずのない1日だけれど。
「9月11日よりは大切な日」かな。
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9月11日。
この日のことは、やけに取り沙汰されるようだ。
911?
セプテンバー・イレヴン?
確かに残念なことも起こった。
でも、それは。
いつでもどこでも、世界中の街角で起こっている、“悲しい日常茶飯事”が、
たまたま、マンハッタンのど真ん中で派手に起こった、というに過ぎないのかも。
また、このバッドニュースは「たまたま」なんかではなく、“誰かさん”によって仕組まれた陰謀だ、という疑惑も。
だから。
僕は、9月11日という日に囚われずに、僕の1日を過ごしたいと思う。
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3月20日。
2003年3月20日は、アメリカ合衆国がイラクに対する戦争を始めた日。
僕は思う。
3月20日の方が、9月11日より、よっぽど大切にすべき日だ、と。
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なぜなら。
イラク戦争は、僕らの手で、防げた。
「戦争ではない」という選択肢もあったし、それを選ぶことはとても簡単なことだったかもしれない。
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あの戦争の是非が、今頃になって問われ始めているけれど。
遅い、ってえの!
911→「テロとの戦い」→「悪の枢軸」→「イラク大量破壊兵器保有疑惑」
なんていう、出来の悪いストーリーを笑い飛ばすことが出来なかった僕ら。
アメリカだけではなく、僕らにも、大きな責任responsibilityがあると思う。
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あのイラク戦争には、必然性はなかった。
では、なぜ、あのイラク戦争は起こったのか?
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答えは簡単だ。
“誰かさん”が戦争を求めたから。
この星には、戦争で得をする人、戦争で儲ける人達がいて。
彼らは、常に戦争を待っている。
時には、戦争を起こしさえもする。
彼らは、戦争の種を蒔き、水をやり、じゃまな雑草は抜き取り、促成肥料を施し、戦争の花が咲くのを注意深く待つ。
そして。
彼らは、戦争の実をガッチリ収穫するのだ。
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さて。
イラクの次は、イランが熱い!
イランが強硬な姿勢に傾いている。
そこで考えなければいけないのは。
“平和なら、敵がいなければ、武器は要らない”という、常識。
逆を言えば、“敵がいて、危険・脅威があるから、武装する必要がある”。
この世は空、すべてはつながりの中に。
イランがひとりだけで核兵器を持つことも、過激に傾くこともありえない。
誰かがどこかで、イランを脅かしているんだ。
イランにとっての「危険・脅威」とは?「敵」とは…?
このケースでの「誰かさん」とは?
僕らは、日々のニュースに騙されずに、それを見つけないと。
「上手に思い出すということは難しい」けれど。
僕らは、ごく最近の歴史からも学ぶことが出来るはずだ。
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さてさて。
日曜には、高尾山に行っていました。
完成間近のツリーハウスに。
お日様と風。
時々小雨。
木々には小さな芽吹き。
鳥が飛び。
笑い声。
とても気持ちのいい一日でした。
日影沢へと向かう裏高尾の街道に沿って、バスの窓から、「圏央道」工事の橋げたがよく見えました。
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圏央道。
鎌倉辺りから木更津まで、東京郊外をぐるっと回る、有料道路。
その途中にある高尾山の山腹にトンネルを通す計画だ。
圏央道は、必要だろうか?
賛否両論あるが、ひとつ指摘しておきたいのは。
“反対派”は、自然保護団体などの、草の根のひとびと。
“賛成派”は、顔が見えにくいのだが、要は、“道路を造ると儲かる”ひとたち、即ち、土建業界のひとたち。
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日本は、ある意味、「土建国家」だ。
政治家さんは土建屋あがりが多く、役人と一緒になって、道路や建築物を造る。
道路や橋、ダムや治山事業は、そこに必要だから作るのではない。
もっともらしい大義名分があれば十分。
だって、儲かるから造るんだもん。
当然、その後の運営、収益など、ヒトの健康や動植物・環境への影響など、知ったこっちゃない。
だって、国民から集めた税金を自分達で山分けして、もう目的を達した後だから。
こうしたシステムは、許認可制度や入札制度など、行政によっても守られている。
時には、司法も、こうした政官財の癒着を擁護する。
そうして、利権の構造が確立している。
それがこの世の常識、と言わんばかりに。
実際に。
そのシステム恩恵に浴している人も多い。
過疎化の進む地方を中心に、そうしなければ食べていけない人も多い。
多分、国民の半分くらいは、官僚・公務員、何らかの土建・建設関連産業従事者で。
彼らは、なくてもいいモノを造ることによって、本来得るはずのなかった儲けを手にしている。
逆にいうと、半分の国民が一生懸命働いて、残りの半分=官僚・公務員、土建・建設業者、政治家という、非生産的な人達を食べさせている、と言えるはずだ。
日本という国は、史上最も成功した、「官僚社会主義土建国家」とも言えるなあ。
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そんな国、日本。
どこかの国と、ちょっと似ていない?
「世界の警察」をみずから名乗り、世界中に武器を輸出し、諜報員を送り込み、戦争を起こし、国々を破壊し、戦後復興まで引き受けてしまう国に。
国家予算の半分を軍事費に費やしながら、戦争によって莫大な収益をあげる、国内の不景気や赤字を穴埋めしている、どこかの国に。
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いずれにしても、非効率。
要らんことして、経済を膨らましているだけだ。
そして、何より問題なのは。
多くのひと(やヒト以外の生き物)の負担・犠牲を払って、
ごく僅かな人だけが、国や世界を動かし、儲けている、ということ。
上品じゃあないね。
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さらに、厄介なことに。
必要でなくても道路を作りたい、という人は、顔を見せないし、声を上げることも稀だ。
必要でなくても戦争がしたい、という人は、顔を見せないし、声を上げることも稀だ。
反対を唱える人がいても、まず黙殺する。
ただ、黙って、ことを成し遂げてしまう。
貪欲な「カオナシ」。
顔がないから、責任もなし。
議論など、しようがないのだ。
「反対派」は、よくよく注意しなければいけないだろう。
“必要ない!”などと彼らに言っても無駄なのだ。
だって、彼らは“必要か?不要か?”などという考えはない。
彼らは、戦争したいから出来るようにするのだ。
彼らは、道路を作りたいから大義名分をくっ付けるのだ。
両者は、完全にすれ違っている。
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さてさてさて。
3月20日ということから、
イラク戦争のこと、
イランのこと、
高尾山のこと、
日本という国のこと、
書いてきました。
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読者の皆さん。
あなたは、イラク戦争は必要な戦争だったと思いますか?
あなたは、圏央道は必要だと思いますか?
「必要だ」という方のお話は是非聞いてみたいし。
「不要だ」という人にも、その続きが聞いてみたいところです。
そして。
あなたは、いまのこの世界のシステムを、どう考えますか?
あなたは、この世界で、自分の手で、変化を起こしたり、新しい何かを作ったりすることが出来ると思いますか?
あなたは、今日、何をしますか?
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イラク戦争を防ぐことが出来なかった日、3月20日に。
希望を込めて、書いてみました。
僕にとっての3月20日は。
イラク戦争を起こしてしまったことを後悔し、反省する日に。
世界をちゃんと観ようという日に。
足元をちゃんと看ようという日に。
僕ら人間の愚かさを噛みしめる日に。
「最大の浪費、ミリタリズムにかかわらない」という誓いを新たにする日に。
自然の豊かさと、そこに生かされてあることに感謝する日に。
「自然の法則」に、改めて学ぶ日に。ヒトとこの星の未来と、一人ひとりの草の根の歩みに、希望をかかげる日に。
今年の今日は。
どんな願いを持ったとしても、ひとりでも、まずはひとりから、それを声に出すことが大切だ、
と、今、感じて、ここに書き綴っています。
皆さんの声も、春の空に届きますように…。
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2006年の3月20日。
再びの春を迎える東京の郊外は、よく晴れています。
僕は、姪っ子たちを連れて、僕の畑、「ピースガーデン」に行ってきます。
ジャガイモや、いくつかの種を蒔くつもりです。
みなさんも、よい1日を、よい日日を…。
kuu
参考:
3月20日(Wikipediaより)
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