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空をみるひと

そらをみながら あるいていこう なんでもない ひとであろう …日々や旅、街や自然、季節や未来をみつめるBLOGです

茶碗を自分でつくってみると…

2007-04-25 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
 
 
2月に、初めて、自分で抹茶茶碗を作ってみた。

それが、最近、焼きあがってきた。

---

ひとつは、大振りの濃茶茶碗を狙って。
残りの土で、三人形の蓋置。
それでもまだ余ったので、山歩き用の小服茶碗も。

---

初めての僕には、やっぱり、なかなか難しいもの。

「手びねり」の基本的な技法にも慣れていないうえに。
どのくらいの厚さ(薄さ)に仕上げたらいいか、とか。
焼くとどのくらい縮むか、とか。
抹茶茶碗としての“約束事”をどうしようか、とか。
使い勝手の工夫や、好みを盛り込むこと、とか。
さっぱり、感じが出ないもの。

仕上がりは、いかにも、素人らしい、初めてらしいものに。

それでも。

楽しい“陶芸体験会”だった。

---

さて。

面白いのは。

その後のこと。

---

やきものを自分で作ってみたら。

やきものをみる目が変わったのだ。

---

茶の稽古場の茶碗が、大層、立派に観える。

今までは、当たり前にそこにある、“そういうもの”として見ていたのに。

名工が作った茶碗と僕の素人作とを比べるわけではないけれど。
どの茶碗も上手で、それぞれによく出来ていることが分かる。

今まで、“コレは、なんか好きじゃないなあ”なんて思いながら扱っていたのは、浅はかだったなあ。

---

***

茶碗は、茶を点て、飲むのに、都合よく造られている

***

という当たり前のことが、改めて、リアルに、実感として、お腹に落ちる。

自分で作ってみると、それがなかなかカタチに出来ない。
それに引きかえ、本職の作ったものは、全体から細部まで、実に考えられ、またそれが見事に具現化している。

---

例えば、楽焼。

茶の湯において楽焼の茶碗が賞玩されてきた理由も、改めて、つくづく合点がいく気が。

茶溜まり・見込み・茶筅擦り、腰・胴・口づくり、高台のつくり、全体の姿・形(なり)、厚さ・薄さ、土味、釉薬、景色…

そのひとつひとつに、ひとの意匠が、自然のわざが、見え隠れする。

カタチには、ココロがひそむんだな。

例えば、長次郎の黒楽茶碗は、なぜ、ああでなければならなかったか。

利休居士と対話するような気すらしてくるから不思議だ。

---

こりゃ、茶碗ひとつ取っても、その面白味は尽きないだろう。

---

してみると。

色々な産地の色々な焼き物の、それぞれの特色にも、初めて興味が湧いてきる。
島物・唐物・高麗物・和物。
日本の中にも、やきものの里は数多ある。

現代作から、桃山の名物まで。
高名な作家のものも、無名の職人に手になるものも。

やきものは、時空の旅、風俗史でもあるな。

---

…いやいや、長くなっちゃい。

まあ、そんなわけで。

手びねり体験1回から、生意気なことを書いてしまったけれど。


とにかく。


***

なんでも、やってみるもんだよ。

***


という、僕のお師匠さんの教えは。

まったく、真なり!!!

何事も、手を出して、触れて、初めて、リアル。


---

陶芸。
また、やりたいな。

美しい暮らしも、“美しい国”も、自分の手でつくり、自分の体で感じたいもの…。







追記:


やきもの・茶碗って、面白いかも。

とは言うものの。

僕は、茶道具に贅沢するのは、イヤ。

茶をやっていて、よく、思うのだけれど。

僕らがこうして遊んでいるうちに。

同じこの星で、ものが食べられずに、医者にかかれずに、死んでいく子供達がいる。
日本では、ツキノワクマは絶滅の危機にある。
美しい森も、自然なお茶畑も、美味しい水も、僕らの暮らすこの星の上から、消えつつある。

そして、そうした全ては、他でもない、僕ら自身が引き起こしてきたんだ。

21世紀の茶人は、そうしたことを、いつも、心に抱いていたいもの。

それが、僕らの「宝剣」、「堤ル我得具足の一太刀」だろう。


***

釜ひとつあれば茶の湯はなるものをよろづの道具をもつは愚かな (「利休百首」より)

***







画像: 黒楽茶碗 銘 禿 長次郎 桃山時代



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鏡柄杓 ~臨機一心、あるいは、無心

2006-11-18 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
 
 

友人たちのパーティーで、お茶を差し上げた。

---

点前役。

猛省。

特に、その日2回つとめた内の、最初の点前では、僕は、全くなっていなかった、と思う。

---

準備のバタバタを引きずって、心が騒がしいまま点前に入ってしまった。
その結果、お客さまに十分に尽くせなかったのではないか。

---

また。

カジュアルな席だったので。
点前をしながら、おしゃべりも、と考えていたのだけれど。
話題も、場持ちも、いろいろと考えていたのだけれど。
全てをよろしく取り計らうには、僕はあまりに未熟だった。
まず目の前のことが出来ないのだから。

---

カジュアル、ということを取り違えてはいけないな。
作法も、段取りも、「ラフ」であっても、いい加減でよい訳ではない。
本式の(決まりきった作法・形で進行する)茶席よりも、“崩し”の方がよっぽど難しい。

---

点前に臨む際には、邪念を排し、心を澄まし、一心に、お客様に差し上げる一服のお茶に向かうこと。

本式であっても、「カジュアル」であっても、同じだ。

---

一心。

それは。

無心、かもしれない。

上手もない。下手もない。

亭主もない。客もない。


前回もない。次回もない。

いま・ここ、しかない。

---

日頃、先生に言われている、「鏡柄杓」という教えを思い出す。

客前に座って、点前を始める前に、柄杓を置き直す際の一所作。

柄杓に自分の姿を映し、呼吸を整え、胆を据え、心を済まし、わび(=侘=正直に慎み深くおごらぬさま=あるべきように)の心になること。

---

痛い目にあって。

リアルな、大きな教訓を得た。

ありがたや。


なんでも、そう。

ものごとに、臨む、ということ…。




***

カテゴリ:喫茶去! …茶道のことなど

***

6月末日 和菓子「水無月」の由来と、新暦・旧暦

2006-06-30 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
 
 
6月になると。

茶の稽古場では、主菓子として「水無月」が出てくるように。
御用達の和菓子屋のが、これまた絶品で。
社中一同、6月の巡ってくるのをお楽しみにしているくらい。

今日は、その「水無月」から、少し書いてみたい。

---
 
●和菓子「水無月」の由来

六月末日ともなると。
一年の半分は過ぎたことになりますね。
ひとつの節目だ。

そんなその日は、古来、「夏越の祓(なごしのはらえ)」の日。

「夏越の祓」とは、半年無事に過ごせた感謝と、盛夏を迎えて疫病災難から逃れたいと言う願いを込めた、禊(みそぎ)の行事。
各神社では、人々は、名前を書いた紙の人形を水に流したり、茅(ち)の輪をくぐったりして、穢れを祓い、身を清めた。

また、この日には、氷室から宮中に氷が献上され、その氷は、食べると夏痩せしないと言われた。

庶民はそれに倣い、氷を表す三角形の餅生地の上に、悪魔払いを表す小豆をのせた「水無月」というお菓子を食べるようになる。
それが、今に伝わる和菓子「水無月」の由来、という訳。

「水無月」は、涼を求め、無病息災を願う、盛夏の風物詩なんだなあ。

●新暦と旧暦の違い

さて。
6月末日の「夏越の祓え」は盛夏の禊ぎ、
水無月は盛夏の和菓子、
と書いたけれど。

どうも実感が湧かないひとも?
6月は入梅前後のひと月だから?

その辺を納得するには、その感じを感じ入るには。
暦の知識が不可欠。

新暦と旧暦を、上手に読むこと…。

○新暦
明治5年以降、現代に至るまで、日本でも用いられている。
正しくはグレゴリウス暦という。
中世ヨーロッパで、太陽の運行を基準に作られた太陽暦。
もともとの制定の目的は、キリスト教の神事を毎年狂いなく行うことであった。
閏年は、4年に一度、一日加えるだけ、と誤差が少なく、一年が正確に刻まれることがポイント。


○旧暦
明治初期以前に、長い間日本の暮らしの中で用いられたもの。
主に月(太陰)の運行を基準に作られた、太陰太陽暦。
中国伝来の手法を用いながら、日本で制定・改変されたもの。
新月(=朔)を1日とする。
月名と季節がずれないようにするためおよそ3年弱毎に、1年を13ヶ月にする必要がある。この余分な1月を閏月(うるうづき)と呼ぶ。
日本の風土・自然・四季と共に巡る暦といえる。
古来、日本の年中行事は、この旧暦に従って行われたもので、行事本来の意味・季節感を理解するためには、
新暦でなく、旧暦を用いて月日を捉える必要があるといえる。


●「水無月」・「夏越の祓」と、新暦・旧暦

「水無月」とは、6月だけれど。
新暦と旧暦とでは、ほぼ1ヶ月のズレがある。

そのズレをよく理解することが、日本の季節を読み解く鍵ともいえる。

「夏越の祓」は、6月の末日というけれど。

新暦の6月30日は。
梅雨の真っ最中。
それほど暑くはない。

旧暦の6月29日(太陰暦では、新月から新月の間がひと月なので、29日か30日間であることが多い)は。
新暦の7月24日に当たる。
いわゆる“梅雨明け十日”の、夏空の続く頃。
まさしく盛夏。
「夏越の祓」をするに、ふさわしい頃。

●水無月を知るのには、旧暦が必要

上記のように。

和菓子「水無月」の“水無月”とは“旧暦の水無月”だ、ということが、ここまで来るとわかるはず。

新暦ではなく、旧暦を知り、
日本古来の文化を深く知ってこそ、
日本文化が根ざしてきた、巡る季節というものを、深く感じてこそ、
和菓子「水無月」も、一層美味しく、より深く楽しめるのでは…?

これは、和菓子・茶道・伝統行事といったことに限らず、
私たち日本人の暮らし・生き方にも、多くの示唆をもつのでは…?

●まとめ:月をみよう

だから。

まずは。

月をみよう。
月の満ち欠けを気にかけてみよう。
まずは、そこからはじめること。
それは、すぐにでも出来ること。

月とつながる、ということ。

そんな簡単なことが。
私たちと日本を、
私たちと季節を、
私たちと自然を、
私たちと宇宙を、
つないでくれるのだから…。

●ちなみに…

今は、月が満ちてゆく頃。
日に日に膨らんでいくお月さまが、雨の合間に、見えるかな?
今日、新暦6月30日は、旧暦では、水無月も初めの五日…。

---

…という訳で。

今日は、「水無月」と、新暦・旧暦について、長々書きました。

ご参考になれば幸い。
ならなければ、全て忘れてください。

いずれにしても。

皆様、美しい日本の季節を存分に楽しんで、よい日日をお過ごし下さい。


 kuu




追記:


茶の稽古場では。
新暦の6月が終わると、茶席に「水無月」は出てこない。
例の和菓子屋でも、“新暦の”「6月限定」で水無月を作っているから。

なので。
上記のように、本来の意味で「水無月」がふさわしい、旧暦水無月末日、“梅雨明け十日”の盛夏の頃には、「水無月」は手に入らないこともある。

なんてこった!

昨今、茶を嗜むひとや茶菓子屋さんに、旧暦に無頓着なひとがあまりに多いことは、
僕には信じがたいし、また、心底残念に思うなあ…。

僕個人は、茶道に関する行事は、全て、旧暦(と「二十四節気」、そしてその年の季節そのもの)にのっとって、期日を決めて、執り行うのがよい、と考えています。


茶人よ。


夜空をみあげ、月をさがせ!!!





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【カテゴリ】「日月(じつげつ)~旧暦・二十四節気を旅する」とは?

★美しい日本の私



茶とは…? 卯月2006

2006-05-25 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
  
  
しばらく、茶をして。


触れて。

味わって。

学んで。

思って。


で。


わかったこと。



***


茶とは、遊び、である。


***



で。

また、行こう。





 (…後々の自分へ。)






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ソウイウ人ニ 私ハナリタイ
美しい日本の私

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2006-05-24 | 喫茶去! …茶の湯のことなど

この5月(旧暦卯月)。

緑が萌えて。

新茶の季節。

茶室では、初風炉。

茶会も多い時節。

---


僕も、いくつかの「茶会」に参加。

ひとつは、谷中で、“カフェ茶イヴェント”。
ひとつは、高尾のツリーハウスで、野点。

それぞれに、感ずるところがあって。
それぞれに、勉強させて頂いて。

---

抹茶の席は初めて、というお客さんも多い、カジュアルな茶会だったことは、とても楽しかった。

---


茶って?

てなことを、改めて、考えさせられもしたなあ。

---

4月の終わり頃。

たまたま、お茶(茶道)に関する面白い記述を読んでいた。

それは、茶席に出る僕には、とてもタイムリーで、在り難いことだった。



***

吉キト云ハれテモ悪し
悪キト云ハれ候ヘハ猶悪し
善悪人ニ見らるるハ未至らぬ所也
又下手ニよきといわれテモ辱也

誠ハよいとも悪敷トモ人ノ目ニかからぬかよき也
依テくせ在り拍子有り見事成ルハ悪し
いつれも人の目ニ掛ル所也

目ヲクラマス程ノめい人ハ別ノ事なし
我か躰生レナカラニシテ
ヒズマズくせなく拍子なく
只有躰ノ真ヲ以テ点也

主ト成賓ト成リ
主落ナラ客より引取リ
客落ナラ主よりタスケ
程能クいつとなく済也
此時我ト人トナシ

当世ハ
客ハ主ノ仕落ヲ見付出して楽ミ
主ハ客へ一フシ以テ参リ
或ハ上手ヲ見せ付
或ハよき所ヲ一ふく点て見せんなとと
主賓敵同士の如し
ワレワレ故上手モナシ
誠のめい人ナシ

誠のめい人と申ハ
能キ所ヲ見ニ行クカメイ人也
悪イ所ハ見て役ニ立ヌ物也
又面白ナキ物ナリ
誰か目ニモ能見へるナリ
誠ニすんなり其隙ニテ能キ事ヲ見出スか徳也 又礼也 又真也

***



茶の点前とは?

点前の上手を見せつけるショーではない。
点前が上手な私を見て、では、茶ではないんだ。
点前の手順や上手下手に囚われているのは、自分本位・客不在の証。
点前に心がついてしまっては、茶席を客と共に過ごす資格はないんだと思う。

---

気負わず。
ただただ。
スラリスラリと。
ありのまま、が、真。
自然体で。
真心を尽くす。

---

お客様に美味しいお茶を召し上がって頂く。
よい時間を過ごして頂く。
美しい点前も所作も、お客さまの楽しみのために。
道具立ても、しつらえも、お客さまのために。

---

亭主は。
いつも。
どこまでも。
お客さまに向かっていなくっちゃ。

---

古典を読めば。
江戸時代にも、
すでに一部の人たちは、茶の湯の本質を離れていたみたい。

***
いいところを見せよう、とか
落ち度を見つけて楽しむ、とか
亭主と客とは敵同士のよう
自分本位だから、上手なはずがない
今の世に、誠の名人などいない
***

…現代の茶にも、そのまんま、当てはまる。

人心は、いつの世も変わらぬもの?

---

亭主も客もないんだな。
茶席を持つ側も、客として参加する側も、
その場、その時を楽しもう、と、お互いに、感じあい、助けあい。
相手を敬い、美しさを見出していくこと。

それは、まさに


 徳也 又礼也 又真也


---


そうして…


此時我ト人トナシ


主もなく、客もなく、
ひととひとと
心が溶け合う
そんな瞬間があったら、

そりゃあ、さぞかし、ハッピーだろうなあ…。

それこそ、


 …ソラ、カラ、クウ…???


---

さてさて。

ちょっとばかり面倒な長話になってしまったけれど。

仕切り直して、もう少し書こう。

---

茶席を振り返る。


 …自分本位になっていなかったかな?

 …お客さまの事を常に考えて振舞っていたかな?

 …お茶は美味しく点てられたかな?

 …点前は、お客さまから観て、退屈でなく、楽しめる、感じのいいものだったかな?

 …お客さまは、一わんのお茶を、その茶会を、そのひと時を、楽しんで下さったかな?


---
 
精進しよう、っと。

道は細く長く、遥かに続いているようで、先は霞んで消えているけれど…。

---

まあまあ。

それにしても。

茶会。

楽しかったなあ。

---

で。

振り返ってみて。
思い出すのは。
やっぱり。
お客さんとのこと。


 …あの笑顔

 …お茶をズズズとすすった後の、あの一言

 …目が合った一瞬

 …目をそらしてしまう時も

 …一瞬、表情が変わったり

 …戸惑っているように見えた時も

 …“お客上手”なひと、っているよなあ

 …リラックス、が一番

 …楽しんでいる様子が、なによりだなあ


---

茶道をかじっていると。
特に、茶人だけの茶会では。
何かと、お決まりの流れに乗ってしまい。
また、茶道の知識があればあったで、主客の感会、ってのもなかなか複雑になっちゃって。
必ずしも、楽しみきれないこともある。
まあ、僕の修行の浅さゆえでもあるけれど。

---

対して、今回の二つの茶会は、カジュアルで。
お客さんの反応がストレート。
なにより、楽しくて、嬉しかったなあ。

---

一方、お客さんには、茶席に慣れない緊張・戸惑いもあったはずで。
そういうのを取り払って、その場その時をフルに満喫してもらえるようにすることこそ、亭主の一番大切な仕事だなあ、とつくづく実感。

点前なんかより、ずっと、難しくて、面白い。

茶席の、その場の、その時の、空気を、主客が共に、醸していって、
茶というストレンジワールド・伝統文化・様式美、といったものを、
共に、存分に味わえたらいいなあ…。

---

そもそも、茶とは?

まずは、一わんの、ただの緑の飲み物だ。

そして、それが、ちょっとばかり美味しいの。

だから、主客感会の、道具・手段のひとつになってる、って話。


大切なことをを見失わずに…。

茶、っていう、なんだかよく判らないものと、楽しく付き合っていきたいもの…。

---


カジュアル茶会に参加できたこと。


有り、難い、ことでございました。






<おわり> 

 (新参者のメモとして、後々の自分のために、書き付けておくことにします。)




追記:

書いて。
アップして。
改めて読んでみる。

ま。

「茶」なんて、どうでもいいんだけどね!





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喫茶去! …茶道のことなど




ひとり、茶を点ててみる ~ みどりの一わん みどりのひととき 

2006-05-22 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
  
  
夕暮れの森を眺めたら。

手を振り。

電車に乗って。

山から街へ。

途中、いくつかの川を渡る。

駅を下りると、夜だ。



自転車で、涼しい風を切る。

雪駄に付いた土を払って

キモノを干して。

Tシャツを着て。

夕飯を食べに出る。

少しだけ飲んで。

部屋に戻って。

ソファに体を投げ出す。



・・・静かだ・・・



しばらく、そのままで、ぼんやりと過ごす。



持って帰ってきた、湧き水を飲んでみる。

路地の喧騒は遠く。

吐いて吸う、自分の息だけ。



湧き水を鉄瓶に入れて沸かしてみる。

お盆に茶碗。

茶入に茶杓。

茶巾に袱紗。



ひとり、茶を点ててみる。


と。




・・・高尾の森の、みどりの一日が、フラッシュバック・・・





雨上がりの森

土の匂い

新緑と木漏れ日

葉擦れの音

そよ風




菓子に添えられたもみぢ葉

鉄瓶の松風

袱紗さばき

みどりの泡




・・・静けさ、という音楽・・・





視線

言葉



行きかって

まじわって



微笑み

挨拶



手から手へ

あたたかな一わん



こころとこころ


つなぐ


一瞬




・・・時の魔法・・・



・・・場所の力・・・



・・・ひととひとと・・・




・・・よき時・・・よきところ・・・よき友どち・・・





・・・イチゴイチエ?・・・



・・・イチザコンリュウ?・・・







・・・オ茶トハ?・・・




・・・お茶、トハ、何ダロウカ?・・・



・・・私ハ、ナゼ、茶ヲスル?・・・



・・・アルベキヨウニ?・・・




・・・ソラ、カラ、クウ・・・





いやいや


今は


そんなことを思うまい





・・・われに返って。


目の前の、みどりの一わんを。




ゴクリ。


ゴクリ。


ゴクリ。






・・・有り難いことでございました。









(おわり?  ・・・つらつらつらと書き留めておくことに。)



(…高尾さんでの「ラフ野点!」のお話は、改めて書いてみるつもり…)









茶 ダライラマの言葉 カトマンドゥの僧院

2005-11-22 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
  
  
***
「規則を学びなさい。そうすれば正しく規則を破棄する方法もわかるでしょう。」
(ダライラマ14世法王)
***

---

お稽古茶会がある。

友人を招いた。

たいていの人は、茶席と言うと、慣れぬことに、戸惑うようだ。

お茶というと、面倒な作法やら、服装やら、形式的な挨拶やら、何かと決まりごとで縛られている、という印象が、誰にもあるんだろう。

確かに。

---

そんな時に、ふとやってきたのが、猊下の言葉。

それを僕は、こんな風に憶えていた。

***
「ルールを破るために、ルールを学びなさい。」
***

---

***
How To Break The Rule.
***
守破離。
***

いろんなことばがある。

ぼくのような新参者、未熟者には、遠い言葉だ。

でも。

いつか。

常にそれを見据えようとすることは、誰にも許されているはず…。

---

茶における「型」とは?

考えさせられることが多い。

もちろん、いろんな人がいろんなことを言う。
それなりの理由があって、不可欠なものだと。

僕にとっては??

うーん。

“その先にある自由のための大掛かりな装置”かな?

そのことには、とっても興味が…。

でもまあ。

今のところ、さっぱり、わかんないや。

そのうち、ぼんやり、見えてもくるかな…。

---

一方で思うのは。

こちとら、茶のために茶をやってんじゃあない。

いわゆる“茶というスノビズム”にお付き合いする気なんざ、ないんだ。

---

もうひとつ。

思い出すのは。

ネパール、カトマンドゥでのこと。

フラリと寄った寺院で、勤行を見学させてもらった。

本堂の端に通されて、そこにすわり、読経の様子を観ていた。

お勤めが終わる頃、僧たちは、自分のカップを取り出す。

当番が、そこにチャイを注いでまわるのだ。

と。

陰から、少年僧が。

僕の前にやってきた。

恭しく頭をを下げてから、

僕にも、一杯、差し出してくれた。


驚きと同時に、なんだか、心があったかくなる。

その一杯の熱いチャイの、美味しかったこと。


丁寧にお辞儀をして、寺をでた。


言葉すら通じなかったけれど。

そこには、

和敬清寂

その、全てがあった。


…確かに心が通いあった、一杯のお茶のお話。


---

とにかく。

茶会では。

招いた友人には、決して居心地の悪い思いなど、させないように。

お客様に“恥をかいた”なんて感じさせるようでは、もてなす側が茶人として失格なはず。

緊張感も、もの珍しい“茶というストレンジワールド”も、そこにあるはずの美も、全てひっくるめて、楽しんで過ごしてもらいたいものだ。

真心を尽くして、初冬の一日を、共に、楽しもう。






(後のちの自分のために、ここに乱暴に書き付けておく。)





---

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インド-日本、ヨガ-居合道







カナフガヨシ、カナイタガルハアシ…

2005-11-10 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
***

「イカニモ互ノ心ニカナフガヨシ。シカレドモ叶イタガルハアシ」

***

茶の湯の客と亭主との心の在りかたを問われた、利休の答え、とか。

---

うーん。

---

亭主・客でなく、友達や、人と人とのあいだにも、いえるだろう。

また、人と人とだけではなく、人と仕事と、ヒトと自然と、ヒトの生き方にも…?


“中間子”だからか、変なところで気ぃ遣いの僕には、なんだかとても気になる言葉であった。


『南方録』覚書篇より。



---

関連記事:
あるべきように… 茶をするということ






「喫茶去」 ~茶をする、ただそれだけ

2005-03-27 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
この間の茶会を思い返してみる。

---

僕は、主に、点前役だった。
四、五席、務めさせて頂いた。

---

道具はお宝級。
お客様は、その筋では名の通った、お茶の先生方。
だそうだ。
家元にも、お茶を差し上げた。

なかなかない機会だ。

---

でも。

道具が何であろうが、相手が誰であろうが、同じ事。

お茶を一服、差し上げるだけ。

大先生のもてなしの、ひとつのコマになりきる。
与えられた役割を、自分の出来ることを、尽くす。
お客様に、美味しいお茶を召し上がって頂く。

…ココロヲコメタイチワンヲ…

---

…そう思い当たると。

「茶会」というドタバタの中で、ふと、静かな気持ちになった。

---

茶をする、ただそれだけ…。



***

参考:

「喫茶去」…禅語。その意味は?
「茶の湯とは只湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし」…『利休百首』より。
「これくふて茶のめ」…仙崖義梵。

画像:WWWより。
関連記事:「イアイノシアイ」



映画『お茶会』

2005-03-26 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
茶会があった。

---

3日間。
1日に2組を2回。
で、計、約60名様をお招きして。

---

亭主は、庵主である、大(おお)先生。
お客様は、そうそうたる方々。
だとか。
新参者には、よくわからないのだ。

濃茶席・薄茶席、2つの釜が掛けられる。

・席主は、先生方が。お客様の接待やおしゃべり。
・点前役・半東・さらに取次係(サポート役)
・水屋係。
・専属のお道具屋さんも付く。道具選び・しつらえから、豪華な美術品・道具類の解説や、水屋などでの道具管理に。

---

侘びて静かで、華やかで贅沢な、茶席。

一方、その裏では、慌しい3日間。

・点心(茶懐石)は、日本料理屋のご主人が出張してくる。
キッチンと庭で、弟子と一緒に、見事な仕事が繰り広げられる

社中(生徒)は、それぞれの役割を。

・受付
・ご案内係
・寄付(お迎え・お見送りご案内係)
・下足番
・外露地係
・濃茶席
・薄茶席
・水屋
・点心
・お運び役
・フルーツ席といったところ。

---

なんだか、スゴく、面白かった…。

---

「和敬静寂」の茶の美しさ。

その裏側のいろいろ…。

・裏側のドタバタ。
・亭主と客、社中のやりとり、複雑な人間関係。
・茶人の品格・下世話さ。
・美術品を巡るなんやかんや、道具屋連中。
・着物だ、帯だ、それをめぐる女性のおしゃべり…

などなど…。

「茶会」という“非日常”・“大げさな装置”を通して、様々な人間模様が入り混じる…。

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僕は、伊丹十三監督の初期作品が好き。

『タンポポ』はフェイヴァリットのひとつだ。

で、思ったんだけれど。

『お茶会』というのも、コレまた、映画になり得るんじゃ…?!

『お葬式』のように。




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参考:映画『お葬式』・『タンポポ』
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ジェネオン エンタテインメント
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「花は野にあるように」?

2005-02-05 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
立春とは?…「春の気たつを以て也」(暦便覧)。

その、“春の気”を吸い込んでみたくて、窓辺に花を置いてみました。

梅の枝がお日様に向かって背伸びしているのを見るのは、嬉しいもの。
椿の蕾は、薄もも色で、固く柔らかく、しっとりとしています。

この季節。
冬の花と春の花と。

茶の稽古場から頂いてきたんです。

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僕は、普段、花を枝から切り離して、花瓶なんかに生け、部屋の中で鑑賞することは、控えています。

僕はよく野山に出かけるし、街でも、そこここに、花は咲いているもの。
それで十分。

花は、誰かが摘んでしまわないから、そこに咲いているんですね。
花は、そこで美しく咲いて、散って、それを誰かが、また眺めます。
今年も、また来年も。

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「花は野にあるように」とか「市中の山居」とか、お茶の筋では言うけれど。

だったら野に出ればいい。
だったら山に暮らせばいい。

自然の美しさは、自然の中に、こちらから出向いていって、拝見するのが道理。

それが“自然”。

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自然の美を街で、なんて、いわば、贅沢。
茶、ってそういう贅沢な遊びなんだな。

もしくは、自然の美を・凝縮・洗練・純化させる、強烈な装置か。

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また、一方、自然の美は、到底、茶室では表現し尽くせない。
できるのは、その美を、真似てみよう、とすることだけ。

茶人は、常に、そのことを知らなければいけない、と僕は思っています。

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さて。

「茶」という贅沢な遊びのために手折られてしまった花。

すぐに捨てたりしたくないのです。

萎れて、色が変わり、花が落ちるのを眺めてみるのもまた“自然”。

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…そんなことをぼんやり考えている僕の目の前で、

  花が、 ただ、 春の気を、 呼吸している。




(立春の頃、書き付ける)






あるべきように… 茶をするということ

2004-11-10 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
茶道、宗徧流(そうへんりゅう)

WEBサイトのイントロ画面がキレイ。
現れては消える写真と言葉…

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一物モ特タズ
抹茶の緑ってきれい
背筋が伸びる
指先にも心がこもってる
木目がこんなに美しいなんて
まことを尽くしたおもてなし
お茶ってこれだったんだあ
緊張の後の開放感
しおらしさ
あるべきように…

***

…どれも、茶の湯の姿を切り取っている、と思う。

その中で、僕の心に特に強く残るのが、

「 あ る べ き よ う に … 」 。

…このことを深めるために、僕は茶を学んでいるのかも。

11月は、「炉開き」・「口切」の季節。
お茶人のお正月。
気持ちも新たに、稽古に、日々の生活に臨もう。


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参考:宗偏流の写真集:宗徧風-イップクイカガ
ローリー桐島氏撮影の、モダンなお洒落系(?)茶道本。
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“やつれ”

2004-10-31 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
10月も終わる。

茶の湯では、10月は“やつれ”の季節。

更けゆく晩秋・冬へと続く時のあわれを愛でる頃。

この時期には、風炉を「中置」(なかおき)にする:
所謂“風炉の季節”は暑い季節だから、お湯を沸かす炭火の入った風炉を点前畳の左側に据えて、炭の火をお客様から遠ざける。
対して、秋も深まる10月には、風炉を点前畳の中央に置いて、少しお客様に近づける。
炭の火は、昔は暖房器具でもあったのだ。
お客様への心遣いであり、寒くなる季節を感じさせる演出。

点前もまた独特。

道具もピカピカの真新しい道具ではなく、古びたもの、繕ったものなどをあえて使い、
花も、散り際のものを生けたり。

自然の命たちが停止・死へと向かうこの季節に、“滅びの美”を見出すのかな。

…うーん、ジャパニーズ。

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明日から11月。
いよいよ炉がきられ、「口切」と言われる“お茶人のお正月”。


***
因みに、僕は、このお茶業界の月にも、旧暦を取り入れたらいいのでは?と思う。
新暦の10月は、旧暦では8/18~9/18。11月は、9/19~10/19。

お月見の和菓子 2:月世界(月世界本舗)

2004-09-27 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
9月28日は中秋の名月。
お月見をされる方も多いのでは?

そこで、秋の月にちなんだ和菓子をご紹介。

月世界

新鮮な鶏卵と和三盆、白双糖を煮詰めた糖蜜と合わせて乾燥させた口当たりのよい上品な菓子。
言わば“和風メレンゲ”。

サックリと軽く、なんとも淡~い味わいが口中に広がり、優しい月の光を思わせる、ファンタジックな逸品。

ウサギちゃんのパッケージも素晴らしい。

しおりには、「ブラックコーヒーにもあう」とある。納得!

ひんやりとした夜更けに、熱いコーヒーを淹れて、明るい月を見るものイイもの。
そんなときには、「月世界」。

一口かじると、名曲"Fly Me To The Moon"(A.Gilbertoのボサノヴァ版)が聴こえてくる!?

お月見の和菓子 1:月影(亀屋清永)

2004-09-27 | 喫茶去! …茶の湯のことなど
9月28日は中秋の名月。
お月見をされる方も多いのでは?

そこで、秋の月にちなんだ和菓子をご紹介。

月影(亀屋清永)

大島黒糖の羊羹の中に胡桃が浮かぶさまは、月の光を背にぼんやりと光るむら雲…まさに月影。

…その黒糖と胡桃が合うんだな、コレが!
黒糖好きで胡桃好きの僕にはたまらん逸品!

茶席の主菓子にするには、ちょっとカジュアル。
でも、程よい薄さにカットされた個別包装なので、お山やお部屋で簡単にお茶をするときなどには便利。

パッケージはモダン。
基本的には京都でしか手に入りません。
亀屋清永さんは、八坂神社前。