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ヤマザキ、フリーターを撃て!

サンタ・サングレ/聖なる血

2006-05-16 01:55:10 | 映画
 映画「サンタ・サングレ/聖なる血」

 監督:アレハンドロ・ホドロフスキー。アクセル・ホドロフスキー。89年

 フリークス大好きっ子ホドロフスキー。この映画は実話も混じってるのか彼にしてはわかりやすいし抑えられてると思う。映像で人を傷つけたいという素晴らしい発言をしている監督だ。両腕を切断された母の代わりになって息子が人を殺しまわるというなんだかフロイト的な話。30人もの女性を殺して庭に埋めていた分裂症の男の話を基にして作ったらしい。
 さすがホドロフスキー、タイトルだけ見てサンタさんの話だと誤解して家族揃って見たらどん引きするね。小人、大男、デブ女、両性具有者とのバトル、耳を剥いで口に突っ込んでくる男、ダウン症の子にコカイン吸わせるなど素敵なワールドが展開だ。こういう映画に主役を始め息子たちを出演させてるのがまたクオリティ高い。

 精神病院で裸になって鳥になりきってる男。彼の精神が病んでいく過程を追っていく。父親はサーカスの座長で胸に鷲の刺青をしてるアメリカ人。母ちゃんは綱渡り名人だ。母ちゃんはわけのわからないカルト教にはまっている。少女が二人の悪い兄弟に腕を切断されて強姦されて殺されたんだ。その少女を祀ってる宗教。少女の純潔は奪われて無残に殺されたのだ。その自分を含めて失った純潔さを追うように崇めている人々。しかし無残に教会はブルドーザーで破壊されていく。

 全身刺青女に誘われる父ちゃん。ナイフ投げで彼女に向かって投げつけてナイフを舐めさせている。パトリス・ルコントの「橋の上の娘」と同じで代理性行為だ。ここでサーカスの象が血を吐いてしまう。幼い主人公が死なないでと願いながらも象は死んでしまう。ピエロたちが周りを囲み音楽を奏でている。主人公の投影のような無垢で嫌でもサーカスから離れられない象は死んでしまうのだ。象は葬式の後にゴミ捨て場に無残に捨てられる。それを餓鬼のように集まって食用にバラバラにしていく貧しい人々。

 浮気をしてる夫を見た母ちゃんはブチ切れ。酸をあそこにざまあみろとぶっかけるも夫に両腕をナイフで切断されてしまう。あそこを血だらけになりながら路上で死んでいく父。ここで精神病院シーンに戻るのだ。他の患者はみんなダウン症だ。医者が主人公達を映画に連れてってやる。見捨てられた子の映画であるロビンソン・クルーソーだ。お前らと一緒だなワッハッハと去っていく。それを見ていたチンピラが彼らを違う世界に招待するのだ。映画なんて見てないで麻薬を吸わせて売春婦だらけの欲望世界に連れて行くのだ。ここで家族を破壊させた全身刺青女を発見する。正気に戻った主人公は精神病院を抜けだしていく。彼女を殺さなければ・・・

 外には母がいて彼女の手となって生きていくのだ。二人羽織のように背中にくっついて芸をして生活し、同じベッドで寝て、飯を食わせ、一緒にピアノを弾くという嫌でも離れられないシャム双生児のようになっていく。しかし彼女は肉欲を嫌っており、息子に近づいてくる女性たちを自分の手の代わりに彼に殺させるのだ!


 以下ネタバレ

 どう見ても母は息子を愛してない。彼は自己のパーツの一つだ。ナイフで言われるがままに女性を殺しまわる主人公。多くの異常殺人者と同様に彼が性不能な可能性は高いのでセックスシーンはない。幼い頃の彼は象が死ぬと父に鷲の刺青を入れられる。これは去勢なんだけど同時に父と同じ人間になったんだ。カルト教の少女の両腕を切断して強姦した男は二人だった。つまり母の純潔を奪ったのも二人だ。一人は父、もう一人はもちろん同化した息子だと思う。それに冒頭の舞台はあちらの世界に限りなく近い精神病院だ。というわけで話が途中から読めてしまうんだ。

 この映画が面白いのは見世物世界に精神世界と欲望が渦巻いてる世界にこちらの世界が混ざっててどこまでがリアルかわからない。主人公がその世界に突き落とされることで、観てるおれ自身がこういう世界に興味を持ってるのに気づいてしまう。そういう意味では明らかにデヴィッド・リンチと同様に傷つけてくる。「マルホランド・ドライブ」のように分裂してるのは自分であって精神の境界の問題だったんだ。それに気づいた時に自分が失ったものに気づく。
 
 ニューシネマみたいに自己が崩壊するんじゃなくて自己の一部というか世界が分裂してる事に気づく。それは見る人によっては下らないこじつけにも見えるかもしれない。こういうのは自分探しで癒し映画だね。彼の世界は象の死体のようにバラバラに食べられていったのだ。
 ホドロフスキー鑑賞3本目。★★★★