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ヤマザキ、フリーターを撃て!

ブリキの太鼓

2006-05-04 01:46:35 | 映画
 映画「ブリキの太鼓」

 監督:フォルカー・シュレンドルフ。79年。ドイツ

 久しぶりに見直してみた。以前に見た時は悪趣味な映画としか思わなかったんだけど、これは詰まってるアダルトな映画だね。大人や社会の汚さに耐えられずに3歳で自分の成長を拒否したという「フォーエバー・ヤング」なオスカルの話。実際に小人の役者が演じてる。といっても彼は当時10代前半でセックスシーンもあって猥褻かどうかアメリカで裁判になったらしい。成長をしないとはいえ、嫌でも社会と関わらないといけない。この映画は明らかに俗悪なシーンが多いんだ。この映画が面白い人は「フリークス」も楽しめると思う。

 舞台はポーランドのダンツィヒで戦争に巻き込まれていく。オスカルは母の胎内からカメラ目線で冷静にこっちを見てるという不気味さ。3歳になればブリキの太鼓をくれるというので胎内に戻らないという決意をする。ヨーロッパなんで単一民族だけが平和に暮らすという社会じゃない。ここら辺の民族はドイツかポーランドに付くかで分かれたらしい。オスカルの母は従兄弟を愛しながらも生活のためにドイツ人と結婚する。そしてどちらが父親かわからないのだ。母ちゃんと叔父さんができてるのを見てオスカルはもう成長しないぞと決める。父は妻が浮気してるのをわかってるんだろうけども責めない。インポかと思いきやそうじゃないという歪んだ愛憎に満ちている。それがファシズムに傾倒していく男のゆがみの象徴でもあるんだ。

 オスカルは太鼓を手放さない。無理矢理離そうとすると叫ぶのだ。叫ぶとガラスを割るという能力を持っている。これは「AKIRA」に出てくるフリークスと一緒だ。オスカルは何かと太鼓を叩きながら社会が変化して崩壊していく過程を見つめている。

 ネタバレ

 叫んで学校で先生の眼鏡を割り、病院では奇形児の詰まったビンを割って飛び出させてしまう。彼には胎内のようなガラスを割ってしまい居場所がないんだ。近所のガキどもには沸騰した鍋に蛙を入れて小便をかけたスープを飲まされる。その隣ではオヤジが兎かなんかの皮を剥いでいるという当時の人間を表すかのような俗悪ワールド。
 サーカスに家族で出かけて小人ワールドに触れていく。両親は彼の将来を心配しながらもそういった見世物ワールドには入れたくないとお互いに見つめあう。自称生れの良い小人ボスは言う「我々には観客席はないんだ。舞台に立ってないと滅ぼされてしまう運命にある」。これは非常に深いメッセージだ。

 母親は気が狂って魚を食いまくって自殺。その外でドアを叩くオスカル。ポーランド側についた父かもしれない叔父さんもナチスに射殺される。オスカルは子供のまま太鼓を抱えてただ叩いて社会を見つめる。家に16歳という同い年の女中さんが来る。同い年なのに子供と大人のようだ。オスカルは自分の扱われ方をよくわかってる。小人と正常女とのセックスという70年代万歳な光景が広がっていく。父とその女がアンアンやってると親父のケツに太鼓を押し込んで腰を振るという素晴らしい小人だ。小人は最も自己を投影しやすいフリークスでもあるのでエロスに結びつきやすい。もちろん彼も近所のおばちゃんの大人のおもちゃにされている。それを当然のように迎えるオスカル。

 彼は女中のマリアに対して傷ついて泣いたフリをしながら抱きついて股間を殴るような男だ。汚らわしい大人になるのを拒否しても確実に大人になっていく主人公。話は複雑で弟ができるんだけども彼の息子でもある。つまり彼自身と同じような出自を持っている。小人同士で居場所を見つけるも崩されたり父も射殺されたりとすごい展開だ。ソ連兵が来て自分を夜のおもちゃにしていたおばちゃんはレイプされ、アジア系のソ連兵士は女など興味なさそうに男の子を見てる。それを自分が志願するという異常さ。ドイツ映画の独特なパワーを感じる。僕は孤児だ、成すか成さざるかどちらしかないんだオスカル、どうするオスカル。

 「ピアニストを撃て」のシャルル・アズナブールがユダヤ人のおもちゃ屋で登場していた。あの映画と比べて人生を経験してきたという顔をしてる。彼自身もアルメニア系の移民らしく非常に苦労したんだろうか。こういう映画を見て異常というよりも面白いと思うおれは年をとったのか。大人になるというのは観客席にはいられないという事なのか。
 ★★★★