神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.170 山の写真:光岳・千頭

2024-05-15 04:00:02 | 追憶
*きのう出てきた地名のうち:「越百=こすも」です。

(1)きょうは南アルプス南端の光岳のあたりを取り上げます。
 まず、地図で付近の概要を見ておきましょう。
 右上に「茶臼岳」があり、その右に「畑薙湖」、左下方向に「光〔てかり〕岳」、さらに左に登山道を辿る〔下る〕と沢に出ます。そこに「柴沢の吊り橋」があり、吊り橋を渡り、林道を約40km歩くと寸又峡温泉に着きます。右下に「大井川」と「大井川鉄道井川線」が見えます。
 下に、この順に紹介します。
   
 
 なお、昨年12月6日〔このブログの第11回目〕に、山梨県の甲府の方から入って南アルプスを「広河原ー北岳ー間〔あい〕ノ岳ー三峰〔みぶ〕岳ー塩見岳ー赤石岳ー聖〔ひじり〕岳ー上河内〔かみごうち〕岳ー茶臼岳―光〔てかり〕岳」と縦走した一端を紹介しました。きょうのはそれと合わせてお読みください。少し補充します。

(2)地図の右上に茶臼岳があります。次の写真は茶臼岳から西方向の旧千頭御料地の一帯を見たもの、下は「易老渡〔いろうど〕」の方向と思われます。だいぶ深いことがわかります。
 下からここまで上がってくるには、飯田線の平岡駅で下車して、「上島」までバス、そして「易老渡」まで歩く、ないしは「平岡」からタクシーに乗って、ようやく登山開始でしょう。そして、尾根線にある「易老岳」まで約6時間かかります。 
      

(3)次は「光〔てかり〕岳」から北方向を見たものです。
 左から、「聖〔ひじり〕岳・上河内岳・茶臼岳」でしょうか。
 旧御料林は、この稜線の左の方向になります。


(4)さらに、南西方向を見たものです。この一帯は旧千頭御料地の南端の一帯です。
 正確な山の区別がつきませんが、右方向に尾根筋が上っていくのが「加加森山」、左が「百俣ノ頭」、谷の上が「千頭山」、その向こうが「中ノ尾根山」でしょうか。
 私は、宝塚市の石岡さんと、この左の稜線を越えて、柴沢に降りて行ったわけです。



(5)光岳の朝です。
 中央に富士山が見えます。
 また、ここはハイマツの南限です。下に樹林帯があります。
 私たちは、ここを4時頃に出発して、7時頃に柴沢に着きました。

   

(6)「柴沢の吊り橋」です。
 この下は10m?くらいだったでしょうか。なかなかスリルのある橋でした。
 しかし、橋よりも林道が大変でした。
 寸又峡温泉の下にある橋までの林道距離は距離標に「39,9km」とありました。それを見て、「妙に厳密な数字だな」と思ったものですが、真夏の炎天下に、1時間歩いて5分休むことを基本に歩き通し、11時間後の18時過ぎに着きました。

   

(7)最近、念願かなって、ようやく下の本が手に入りました。
 大きさはA4判・本体170ページと付図です。写真も記録もよく収集されていると思われます。
 「森林鉄道」は、通常の公共交通としての鉄道と比べると扱いがマイナーというか、同じ鉄道ですが、関心はローカルのように見受けられます。私は「鉄男」ではありませんが、こういうものを「経済学的に説明しきること」、それが私にとっての課題でもあります。  
 一般に「財政や・財政学」の範囲は広いものですが、「皇室財政」も「財政」と名を付けるなら同様の側面をもちます。上層部の経費の方だけでは済まないので、手間もかかります。
 
   

 では、ここで。


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