【コレクション 14】
きょうは『西園寺公と政局』のパンフレットです。
(1)この本は、昭和3年から15年にいたる間の、最後の元老西園寺の言動を、秘書であった原田熊雄が口述したものです。戦後の極東軍事裁判のほか、政治史や憲法史をはじめとする分野の研究で第1級史料として注目されてきたものです。
最初1950年に刊行され、その後1982年に復刊(再刊)されました。パンフレットはこの1982年の復刊時のものですが、手元に2点(2種類)が残っています。大きさはどちらも、B5 半4ページ(B4を二つ折り)の体裁です。
(2)1点目(5月25日刊行予定 全8巻・別巻1で定価35400円)
構成は、次のようになっています。
P1.上記表紙 〔表紙の1文(刊行の辞)は読めるでしょうか?〕
P2~3.「西園寺公と政局」復刊に止せて
今井清一(横浜市立大学教授)
今日なお重要な基本資料 ー校訂編纂にあたった一人として―
丸山真男・林茂
本書校訂編纂作業の経緯およびその作業方針について
(これは第1巻「あとがき」の抜粋です)
全巻の内容
組方見本
P4.刊行案内と全体写真
(3)2点目(9月9日刊行予定 全8巻・別巻1で定価40500円)
内容構成は上記の1点目と変わりませんが、違いは、丸山真男・林茂両氏の第1巻「あとがき」からの抜粋がなくなり、今井清一氏がその分を取り込んで執筆していることです。
下に、目いっぱいい大きくして載せることにしましたから、読んでみてください。
これを読むと、ほぼ全文を読んだことになります。
この後段に神島二郎、藤原弘達、松本三之介、脇圭平の名が見えます。今と違って、この当時はすべて手書き、さぞ苦労されたことと思われ、頭が下がります。かつ、こういう作業に巡り合うことができるとは、うらやましいかぎりです。
さるすべり 曇りの日も赤く燃える
(4)原田熊雄(1888.1.7~1946.2.26)の説明などは略しますが、一言だけ。
神足勝記の子息に勝孝氏がいます。この人も日記をつけていて、勝記の永眠の際のようすを記していました。私はこれを『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の624ページに引用しましたが、この場合「画竜点睛」というもの変ですが、これによって勝記の最後をきちっと記すことができました。
この勝孝氏は、学習院を出て東京帝大に入り、火薬研究をして研究職の海軍中将になった人です。そのために、戦後は公職追放になりますが、その交友は広く、日記に多彩な人々が登場します。その中に、上記の原田熊雄が出てきます。
たとえば、昭和16(1941)年12月14日の項に次のようにあります。
「午前9時登庁。午前11時半、原田熊雄男爵、ウイスキー・ミカンを持参。海軍の大戦果に祝意を表する為来廠。午後、省内を巡視。」
これは、ハワイの真珠湾攻撃での「戦果」を祝うために、原田がみやげ持参で火薬廠に来たことを記しているわけですが、当時を知る重要な記述です。
(5)さて、都知事選挙ですね。
みなさん(これは都民の皆さんですね)、選挙に行きましょう。
いまは、天皇・皇后もひざまづいて話をする時代です。
えばる人はいやだ。
「アベ政治」はいやだ。
利権や、ウソや、ハッタリで動く政治はいやだ。
エバル・ごねる・隠す人はイヤだ。
利権や、ウソや、ハッタリで動く政治はいやだ。
エバル・ごねる・隠す人はイヤだ。
よき日よ来たれ!