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フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Histoire de peintures (8) 注釈と試訳

2008年07月09日 | Weblog
  [注釈]
 * James Coleman intervenait... : intervenir は「介入する」という動詞ですが,こうした講演会やシンポジウムの場では、「口を挟む」つまり、「発言する」の意味で使われます。
 * le parcours transversal : あとに les chemins de traverse という言葉もでできますが,ダヴィンチ展が設えた「順路」のことでしょう。その順路のことを Elle suit un fil chronologique et the’matique とArasse は表現していました。
 * sur les appropriations de Coleman... : p. 253 に il s’approprie les œuvres du passe’ という文章もありましたね。つまり、過去の作品を自身の創作の糧として自分のものにすることです。
 * Coleman intervenait obliquement... : obliquement は、この文脈では traditionnelle ではない形で、ということです。
[試訳]
 最近おなじような経験が私にも起りました。ルーヴルでのレオナルド・ダ・ヴィンチのデッサン展の折のことです。その催しに現代の創作家ジェームズ・コールマンが招聘されていたのです。コールマンはただ、ワンセットの5つのモニターを使っただけでした。極端に簡素な、謎めいた講演だったわけです。彼はただそのモニターに、会場には展示されていないレオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンを映しただけだったからです。そして最後に一枚の絵と、実物大で原色の「最後の晩餐」が映し出されました。こうした仕掛けは展覧会の来場者を戸惑わせたに違いありません。現代の創作家を呼んで、それがレオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンとおなじ大きさだとしても,8 x 6センチの小さな画面にその作品を再生して、何の役に立つのでしょうか。コールマンが望んでいたのは、来訪者が自身の目を、作品の配置を、展覧会で導かれる順路を、そしてまた、展覧会には出品されなかったけれども、膨大な数のレオナルドの作品から選ばれた5作品の選択などについて、自問することであったのは間違いありません。人々が順路について,コールマンがレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を(大変恭しくではありますが,それでも)自分のものにしていることについて、ひとたび考え始めれば、展覧会によって紹介されたレオナルドとは別のレオナルドが姿を現すのです。展覧会はすばらしいものでしたが,それでもまったく伝統的なもので、時系列とテーマに沿って展開されていたからです。聖母マリア、寓意画、建築、肖像画…といった具合です。美術史の流れにそのまま沿った伝統的な分類でした。コールマンは思わぬ方向からその流れに介入し、芸術家の目によってこうしたカテゴリーを開いてみせたのです。彼が浮かび上がられたレオナルドは、展覧会の組み立てが準備していたレオナルドよりもずっと開かれたものです。美術史は芸術家の目から学ぶべきことがたくさんあるのではないか,と私は考えています。
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 Daniel Arasse のエセー(試論)いかがでしたか。実は彼の著作は邦訳があります。『モナリザの秘密』、『なにも見ていない』(ともに白水社)。今回扱った Histoires de peintures の邦訳が前者です。邦訳も参考にしましたが、細かいところでいくつか訳文に納得出来ないところもありました。それでも,全体としては信頼できる翻訳だと思います。これを機会に是非アラスの作品を読んでみて下さい。
 さて、大学も夏休み前の前期試験の準備で忙しくなって来ました。それですこし Pause をいただいて、次回の教材は 7月18日までお待ち下さい。もちろん、質問などは随時遠慮なく書き込んで下さい。
 それから、勝手ながら8/1からこの教室も夏休みとさせてもらって,後期は9/19からはじめたいと思います。
 smarcel


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