[注釈]
* l'empire des Inca s'est e'tabli aux environs XIIe sie`cle : ローマ数字が文字化けしていました。
* Si mal connue que nous soit l'histoire ancienne de l'Afrique : si... que 接続法で、「どれほど….であっても」ex. Si prudent que vous soiez, vous ne pourrez e'viter toutes les erreurs.
* Si l'e'criture n'a pas suffi a` consolider... , elle e'tait peut-e^tre indispensable... : ここの 接続詞 si も、譲歩を表しています。
[試訳]
しなしながら法則には例外がつきものです。アフリカの原住民は、数十万人の臣民を擁するいくつかの帝国を持っていました。またコロンブス以前のアメリカでも、インカ帝国は何百万人もの臣民を抱えていました。けれども、両大陸においてこうした帝国の試みは不安定なものでした。インカ帝国が12世紀に打ち建てられたことは知られていますが、もし、その 3世紀後、帝国が完全な崩壊状態になかったとしたら、ピザーレの一軍が容易に勝利を収めることは、間違いなく出来なかったでしょう。アフリカの古代史についてはよく知られていませんが、似通った状況であったことは察せられます。何十年かおきに大きな政治体制が生まれては消えていったのでしょう。そうすると、こうした例は、私の仮説を裏切るどころか、裏打ちするものであるかもしれません。書くことは、知識を確かなものにするには十分ではなかったとしても、おそらくは、支配を強固なものにするには不可欠だったのです。私たちにもう少し身近な過去を見てみましょう。19世紀を通じて、ヨーロッパの諸国家が組織的に義務教育を奨励したことと、兵役の拡張と国民の労働者化は対をなしています。そのように、文盲との闘いは、権力による市民の管理の強化と表裏をなすものです。当たり前のことですが、権力の側が、「何人も法を知らないとはみなされない」と言えるためには、全ての人々が読むことができなければならないからです。
………………………………………………………………………………
雅代さんのお話を受けて、Greco も歌っていた << Il n'y a plus d'apre`s >> という古いシャンソンのことを思い出しました。France 2 が平日毎日放送している<< Un livre un jour >> という番組があるのですが、その番組で、サルトルを中心とする実存主義が隆盛を極めていた頃のサン・ジェルマン・デ・プレの歴史を綴った本を紹介する折に、BGMとして上記の曲が流れていました。ほんの短いフレーズを耳にしてとても気に入り、早速ネットで調べてみたところ、歌手とタイトルがわかりました。年配の友人に宛てたメールにそのことを書くと、自身の若かりし頃を彷彿とされる懐かしい歌だとの感想と、いつからかすっかり様変わりした街の雰囲気のことを嘆いていました。
http://www.dailymotion.com/relevance/search/greco/video/xn9o9_juliette-greco-stgermaindespres_music
で、当時の映像と歌が楽しめます。
Moze さんは、随分と骨のある本をお読みですね。デリダに興味のある方には(以前に一度ここで紹介したこともあります)、高橋哲哉『デリダ』が最良の入門書だと思います。
それでは、次回は、 Tristes tropiques の最終回としましょう。
* l'empire des Inca s'est e'tabli aux environs XIIe sie`cle : ローマ数字が文字化けしていました。
* Si mal connue que nous soit l'histoire ancienne de l'Afrique : si... que 接続法で、「どれほど….であっても」ex. Si prudent que vous soiez, vous ne pourrez e'viter toutes les erreurs.
* Si l'e'criture n'a pas suffi a` consolider... , elle e'tait peut-e^tre indispensable... : ここの 接続詞 si も、譲歩を表しています。
[試訳]
しなしながら法則には例外がつきものです。アフリカの原住民は、数十万人の臣民を擁するいくつかの帝国を持っていました。またコロンブス以前のアメリカでも、インカ帝国は何百万人もの臣民を抱えていました。けれども、両大陸においてこうした帝国の試みは不安定なものでした。インカ帝国が12世紀に打ち建てられたことは知られていますが、もし、その 3世紀後、帝国が完全な崩壊状態になかったとしたら、ピザーレの一軍が容易に勝利を収めることは、間違いなく出来なかったでしょう。アフリカの古代史についてはよく知られていませんが、似通った状況であったことは察せられます。何十年かおきに大きな政治体制が生まれては消えていったのでしょう。そうすると、こうした例は、私の仮説を裏切るどころか、裏打ちするものであるかもしれません。書くことは、知識を確かなものにするには十分ではなかったとしても、おそらくは、支配を強固なものにするには不可欠だったのです。私たちにもう少し身近な過去を見てみましょう。19世紀を通じて、ヨーロッパの諸国家が組織的に義務教育を奨励したことと、兵役の拡張と国民の労働者化は対をなしています。そのように、文盲との闘いは、権力による市民の管理の強化と表裏をなすものです。当たり前のことですが、権力の側が、「何人も法を知らないとはみなされない」と言えるためには、全ての人々が読むことができなければならないからです。
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雅代さんのお話を受けて、Greco も歌っていた << Il n'y a plus d'apre`s >> という古いシャンソンのことを思い出しました。France 2 が平日毎日放送している<< Un livre un jour >> という番組があるのですが、その番組で、サルトルを中心とする実存主義が隆盛を極めていた頃のサン・ジェルマン・デ・プレの歴史を綴った本を紹介する折に、BGMとして上記の曲が流れていました。ほんの短いフレーズを耳にしてとても気に入り、早速ネットで調べてみたところ、歌手とタイトルがわかりました。年配の友人に宛てたメールにそのことを書くと、自身の若かりし頃を彷彿とされる懐かしい歌だとの感想と、いつからかすっかり様変わりした街の雰囲気のことを嘆いていました。
http://www.dailymotion.com/relevance/search/greco/video/xn9o9_juliette-greco-stgermaindespres_music
で、当時の映像と歌が楽しめます。
Moze さんは、随分と骨のある本をお読みですね。デリダに興味のある方には(以前に一度ここで紹介したこともあります)、高橋哲哉『デリダ』が最良の入門書だと思います。
それでは、次回は、 Tristes tropiques の最終回としましょう。
NHKラジオの「マルセル・プルースト『失われた時を求めて』を読む」の情報、ありがとうございました。第1回の放送を聞きましたが、非常に興味深い話で、次回以降も楽しみです。「失われた時を求めて」は長いというだけでなく、文学史上もきわめて重要な作品であるということもよくわかりました。
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この企てが国内の計画から、国際的な計画に移行したのは、若い国家―1、2世紀昔に我々の国家がそうであった問題に直面しているのだが―と金持ちの国際社会の間で結ばれた共謀のおかげてあるが、書かれた言葉によって随意に変形可能な形で考えたり、啓発の努力に助力したりすることがうまくできるようにならない人々の反応が社会の安定に対して表している脅威を国際社会は不安に思っている。図書館に積み上げられた知識にアクセスしているので、こうした人々は印刷された文書がより広く広めるうそに弱くなっている。おそらく、賽は投げられたのだ。私のナンビクワラ村では、強情な人がやはり最も知恵があった。自分たちの長が文明の側に立とうとした後で(私の訪問の後、彼は仲間の大部分から見捨てられた)、長と手を切った人々は、混乱しながらも書くということと裏切りが一緒に自分たちのところに浸透してきたことを理解した。より遠く離れたやぶ深い地に避難して、彼らは休息をとった。彼らの長の才能は、一瞬で書くということが自分の権力にもたらすことのできる救いを見抜き、その使い方はマスターしていなかったがこうしてその制度の基礎理念に到達し、称賛を呼び起こしたのだ。
新興国と裕福な国際社会との間に結ばれた共犯関係のおかげで、その企ては国家的な計画から発して、国際的な計画へと移行した。新興国は一、二世紀前には私たちの問題であった困難に直面しており、裕福な国際社会は書き言葉によって教化されていない民衆の反応が、自分たちの安定に対して引き起こす脅威を心配しているのだ。書き言葉は随意に変更可能な表現形式で考えたり、教化の努力を呼び起こしたりするからだ。図書館に詰め込まれた知識を手に入れることで、これらの人々は印刷された書類がより広範に広めた虚構に影響を受けやすくなっている。多分、賽は投げられた。しかし、私のナンビクワラの村では、頑固な人々はそれでも一番賢明であった。部族の長が文明のカードで遊ぼうと試みた後で、彼の元を離れていった人々は、混乱しながらも文字と危険が協同して彼らの元に忍び込むことを理解したのだった。(私の訪問の後、部族の長は彼の村民の大多数から見放された。)もっと離れた奥地の難民たちは、一時停止の状態で対処した。その部族長の天分は、一目で文字が彼に権力をもたらす助けとなることを感じ取った。彼は使い方も分からずに制度の原理を感じ取り、賞賛を引き起こしたのだ。
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国内の次元から、この識字という取り組みは、国際的な次元へと移行したのだが、一世紀から二世紀前には私たちのものであった問題に直面している若い国家と、裕福な国際社会との間にかわされた結託によるものだ。裕福な国際社会は、書かれた言葉で随意に変えうる方法で考えたり、教育への努力を呼び起こすことにあまり鍛錬されていない人々の反応が示す国際社会の安定にとっての脅威を懸念しているのだ。図書館に積み上げられた知識を受け入れることによって、文字に暗い人々は、印刷された文書が、だんだんより大きく広める嘘にだまされやすくなる。まちがいなく、賽は投げられたのだ。しかし、ナンビクワラの村では、意志の強い人々が、結局もっとも賢明であった。首長が文明というカードに期待をかけた後、首長を離れた人たちは、(私の訪問の後で部族の大半が首長を離れた)文明と裏切り者が彼らのところに一緒に侵入してきたことを漠然と理解していたのだ。より遠くの奥地に逃げ込んだ彼らには、安息が用意された。首長の才能には、しかしながら感嘆させられる。文字が自分の権力の助けになりうることに即座に気づき、そして文字の使い方も知らずに、このような制度の根底に達しているのだから。